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「う~~~~~~ん……」


直哉と別れてからの結衣は、ベンチの上でずっと唸っていた。

幽霊である自分を“認知してくれる人”がついに現れたこと。

しかもスマホを通じて会話ができるとわかったこと。


その二つが意味するのは――結衣にとって直哉が「世界のすべて」になったという事実だった。


少し年上の大学生。

彼となら孤独じゃなくなる。

けれどその直哉が来るのは「明後日」。



――つまり、今日は来ない。


「……暇ぁぁぁ」


結衣は、誰に届くでもない声を空に放った。


やることもなく、仕方なく道行く人々に向かって声をかけてみる。


「すみませーん! 私のこと見えますかー?」


もちろん、誰も振り返らない。

以前ならその度に胸が締めつけられて、必死に、泣きそうになりながら声を張り上げていた。



けれど今は――少し違う。



直哉が「見つけて」くれた。

その安心感があるから、結衣の声には深刻さではなく、ちょっとした暇つぶしの軽さが混じっていた。




「明日、直哉が来てくれる……」


ただそれだけで、結衣の胸は弾む。

幽霊になって以来、初めて「予定」というものを持てたのだから。

その喜びは、生きていた頃以上に特別だった。


「――あ! お坊さんだ!」


通りの向こうに、立派な袈裟をまとった僧侶の姿。

まるでマンガやドラマの中で見るような“霊を祓えそうな人”が、偶然にも通りかかったのだ。


「おーーーーーい!」


声を張り上げる結衣。

しかし、僧侶は一瞥すらせず、スタスタと歩みを進める。


「ねえ! お坊さんでしょ! 見えるでしょ! 聞こえるでしょ!」


縋るように叫んでも、その背中はまるで石像のように動じなかった。


「……何よ! このインチキ坊主! 偽物! このハゲーーーー!!!」


ついに悪態をつく結衣。

だが当然、返事はない。


「はぁ、はぁ……」


怒鳴り散らした後、なぜか息を切らしてしまう。

幽霊だって、感情を爆発させれば疲れるのだ。


「直哉……まだかなぁ……」



胸の奥からこぼれるのは、誰にも届かない寂しさ。


花壇の縁に腰を下ろし、結衣は空を仰いだ。




「幽霊でも、生きてても……時間っておんなじなのね」


ぽつりと落とした独り言は、夜の風にさらわれて消えていく。

もう生きてはいないのに、昼が来て夜が来て、また朝が来る。

当たり前に流れる時間だけは、彼女を置き去りにしない。


結衣はそのまま花壇のブロックに身を投げ出した。



ひんやりとした感触も、本当は“感じている気がする”だけ。

けれど――そうやって地面に寝転ぶと、少しだけ生きていた頃に戻れる気がした。


「……直哉、早く来ないかなぁ」


寂しげな呟きとともに、視線の先には変わらず流れる雲。

生者も死者も関係なく、時間だけが淡々と歩を進めていく。




そのうち結衣は幽霊であっても横になって目を閉じれば


――眠ろうとすれば眠れることに、気が付いた。


あまりの暇さにうつらうつらしていた自分に気が付いたのだ。




「早く……来ないかな? 直哉……」


ぽつりと呟く。

生前のままの服が、彼女に少しだけ生者としての感覚を残しているようだった。


「お風呂……入りたいなぁ……フラペチーノも飲みたいなぁ……」


死によって失ったものたちが、頭の中でひとつずつ浮かんでは消える。

日常の些細な喜びも、もう手に届かない。


(でも……明日になれば、またお話できる)



そう自分に言い聞かせると、結衣は花壇の上で身を伸ばし、静かに目を閉じた。

地縛霊としての孤独を抱えつつも、明日への希望を胸に――眠りに落ちていく結衣だった。




ーーー翌日


約束の夜、19時。


直哉は、結衣のいるあの花壇に向かって足を進めていた。


(それにしてもなんなんだ、あの幽霊……)


少し面倒くさいなと思いつつも、元来、人の痛みがわかる男であった直哉。


(寂しそうだったな……成仏するまでの間、話し相手くらいにはなってやるか)


頭の片隅では、「最悪、霊能者に頼んでお祓いすれば綺麗に成仏するだろう」と、結衣からすると非人道的な未来予想まで考えていた。


そうこうしている間に、花壇の前までたどり着いた直哉の目の前で、空気がまるで歪むように揺れ動いた。


「おそーい! この馬鹿! あんぽんたん! 鈍感男! もっと早く来てよ! お話してよ!」


結衣は直哉の胸をポカポカ叩きながら叫ぶ。

しかし叩かれている本人には、その自覚はない。

ただ、目の前で少し密度の濃い空気の塊がうごめいているような感覚――それだけだった。


直哉は先日のようにスマホを取り出し、LINEアプリを立ち上げる。




すかさずスマホは微妙な振動をはじめ


――トトトトト……トトトトト……トト……


《遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い遅い》




画面いっぱいに、まるで呪いのような文面が広がる。

フリック入力は難しいらしいが、コピー&ペーストなら結衣も何とか使えるようだ。


「そんなこと言われたって、バイトなんだから仕方ないだろ……」



直哉は苦笑しつつ、スマホを握ったまま花壇の前に立ち尽くした。




「……座っていいか?」


――トトト……トト


「うん」


直哉は花壇の縁に腰を下ろし、結衣もその隣に位置する。

スマホを通じて二人は、今日あったことや昨日の出来事を次々と話し始めた。


――トト……トトト……


《昨日ね! お坊さんのくせに全っ然私に気づいてくれなくて! インチキよインチキ!》


「坊さん? この辺に寺なんてあったっけ?」


――トト……ト……


《知らないわよ! 私みたいな可哀想な幽霊を成仏させるのが仕事でしょ!》


(そういう訳でもないと思うけどな……)


直哉は心の中で呟く。

隣で文句を言っているのが、つい最近殺された女子高生だという事実も、理解している。

警察が黄色いテープを張って捜査していた光景も、直哉は目撃していたし、そもそもこの幽霊は初対面で「藤本結衣」と名乗っている、それはネットニュースに貼られていた女の子の名前と同じだった。




――トトトトト……トトトト……


《それでね! それでね! 私どうしても新作のイチゴのフラペチーノ飲みたいんだけど! 買ってきて!》


「おいおい、高いだろ。それにお前幽霊がそんなの飲めるのかよ?」


――トトトトト……トトトト……


《飲めるもん》


「嘘つけ」


そんな、とりとめのない会話が、夜の静けさの中で続く。


ふと直哉は思い切ったように訊ねた。


「なぁ、何か心残りがあるんじゃないのか? ネットで調べたんだけど、そういうのがあると地縛霊になって、死んだ場所に縛られるとか何とか……」





……結衣からの返事は無かった。




――トトトト……トトトト……


「ねえ……」


しばらく沈黙した後、結衣がスマホ越しに口を開いた。


「うん?」


――トトトトト……トトトト……


《お願いがあるんだけど、いいかな?》


「できることならな……でも俺、坊さんでも何でもないし、そんなにできることもないだろ?」


――トト……ト……トト……


《私のスマホ、家から取って来て》


「はぁ? マジか! できるわけないだろ!」


――トトトトト……トトトト……


《お願い!あれ無いと死んじゃうんだから!私の命なんだから!》


直哉は首を傾げる、お前はもう死んでるだろうと。



(それにしてもおいおい、妙な話になってきたぞ……)



花壇の向こう、幽霊である結衣の気配が少し弾んで見える。

スマホを取ってくる――その無茶なお願いが、彼女にとってどれだけ切実か。


直哉は隣に座る空気のゆらぎから理解せざるを得なかった。

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