認知
20日以上もの間。幽霊として誰にも認知されず、存在を無視され続けた孤独の牢獄。
何度叫んでも誰も振り返らず、何度声を重ねても空気に溶けていくだけ。
膝を抱えて、諦めかけた夜もあった。
それでも――結衣は諦めなかった。
「誰か……誰か、私を見て! 話を聞いて!!!」
声なき声。
その叫びは空気の揺らぎとなって、ただ一人、直哉の心を掴んだ。
認知を求める切実な想い。
直哉は何かを感じ、受け止める。
「やっと見つけたんだから……絶対に離さないんだから!」
見えないはずの結衣の両手が、もう一度直哉の頬に触れようと伸びる。
――ふわり。
少し硬めの空気が、彼の頬をそっと撫でた。
「……」
直哉が両手を伸ばす。見えないはずの存在を、その両手で掴もうとするように。
その瞬間、結衣の瞳から透明な、大粒の涙が零れ落ちた。
思いきり――ぎゅっと抱きしめたい。
初対面である彼をしてそう思わしめる程の孤独、それは結衣にとって耐えがたいものであった。
その衝動が胸を締めつける。けれど、結衣の身体はもう存在しない。
「ねえ! 聞こえる!? 私は結衣! 藤本結衣!」
必死の叫びを繰り返す。
けれど直哉の表情は変わらない。やはり、音としては届いていない。
「……」
直哉は静かに片手を差し出す。掌を上にして、何かを受け止めるように。
結衣は何度も何度もその手を掴もうとする。――届かない。
だが、その気配を直哉は確かに感じ取っていた。
次の瞬間、彼はスマホを取り出す。
「……?」
彼は自分しかいないライングループを作り、その画面を掌に乗せた。
正直直哉自身も何をしているのかよく解らなかった。
(スマホ・・・ラインだぁ・・・)
これまで何百何千と見てきた画面。
そっと指で触れてみる、画面に接するか接しないかの距離で「ピリリ」と小さな振動を感じる結衣。
――トトト……トトトトト……トト……
小刻みに震えるスマホ。
そして、表示された文字。
《凄い! あなた天才!》
直哉の目が見開かれる。思わず、口の端が動いた。
――マジか。
「私の名前は藤本結衣! あなたは?」
直哉は一瞬迷い、それでも素直に答えた。
「片桐……直哉だ。お前は……もしかして…幽霊なのか?」
その言葉に、またスマホが震える。
《うん、そうみたい》
「……マジかよ」
信じがたい現実。けれど――確かにここにいる。
その日、結衣と直哉は出会った。
ひとりの幽霊と、ひとりの大学生として。
それから――30分。
二人はスマホを挟んで、絶え間なく言葉を交わし続けた。
「何でこんなところにいるんだよ? ……成仏とかしないのか?」
直哉の問いに、すぐさまスマホが震える。
――トトト……トトトト……
《無理だよ! どうしたらいいのか分からないもん! 私だって、こんなの嫌だよ……》
結衣の言葉に、直哉は少し眉を寄せた。
「じゃあ……ずっとここにいるのか?」
――トトト……トト……
《うん、ここから動けないの。足が動かないっていうか……地面を蹴れないみたいな》
「……地縛霊ってやつか。いや、実際に幽霊から聞くと説得力あるな」
――トトト……トトト……
《うーん、フリック入力は無理みたい》
「そこかよ。……変な幽霊だな」
不思議と会話は軽やかだった。
絶望を語るはずの相手が、どこか間の抜けた明るさを持っている。
そのやり取りに直哉は――奇妙な心地よさを覚えていた。
「お気楽な幽霊」――だが、だからこそいい。
こんな状況でも笑わせてくれる存在を、直哉はすでに好ましく思い始めていた。
「……もうこんな時間か。明日、講義あるからそろそろ帰るわ」
直哉はスマホの左上に表示された時刻を見て、ふぅと息を吐いた。
――トトトト……トトトト……
《ええ!? いいじゃん! もっとお話してよ! ずっと一人で寂しかったんだから!》
「わがままな幽霊だな……俺だって生活も学校もあるんだからさ」
――トトトト……トトトトト……
《でも! あなたしか私と話せないんだよ! こんなに可哀想な女の子ほっとくって言うの!?》
「知らねぇよ。……だからって、ずっとここにいるわけにもいかないだろ」
――トトトトト……
《それはそうだけど……》
ふっと、沈黙が落ちる。
数秒の間。スマホのバイブは小さく、ためらうように震えた。
――ト……ト……トト……
《……また来てくれる?》
その文字を見て、直哉の胸の奥がわずかにざわついた。
「わかったよ……でも明日はバイトだから、明後日な」
――トトトト……トト……
《えー、明後日? 明日来れないの?》
「無理だよ。講義終わったらそのまま夜までバイトなんだから」
――トトトト……
《ぶーぶーぶー》
画面いっぱいに並ぶブタの絵文字。
直哉は思わず吹き出しそうになりながらも、額に手を当てた。
(なんだこいつ……どんな幽霊だよ)
幽霊らしからぬ振る舞いに、困惑と笑いが入り混じる。
だが、不思議と嫌ではなかった。
「……ま、明後日は何もないから。時間は七時でいいか?」
――トトト……トト……
《うん! 約束!》
返ってきた文字は、夜の暗さを吹き飛ばすほど眩しい明るさを帯びていた。
まるで幽霊ではなく、ただの女の子のように。
幽霊という現実と結衣の明るいキャラのギャップに直哉は少し苦笑する。
けれど結衣にとっては、何よりも大切な時間だった。
自己紹介と、くだらない世間話。
ただそれだけ。
だが――「誰かと繋がれる」という当たり前のことが、こんなにも胸を満たすものだなんて。
一人きりの孤独の中で過ごした日々が、結衣にその喜びを痛烈に教えていた。
「しゃーないな。それじゃ、また明後日」
――ト……トトトトト……
《楽しみにしてるんだからね! 絶対に来てね! 来なかったら化けて出るんだから!》
口には出さなかったが、直哉は心の中で呟く。
――もう十分、化けて出てるだろ。
そしてふと胸に重い感情が広がる。
(やっぱり……辛いよな。死ぬのも、幽霊になるのもさ……そしてたった一人なのもさ)
結衣の元気さの裏に潜む哀しみを、直哉は感じ取っていた。




