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『ずっと一緒だよ』

事件の真相を知ったあとも、結衣は驚くほど冷静だった。

父が犯人だったと聞いても、すぐに感情を爆発させることはなかった。


スマホが震える。

画面には、いつもの結衣らしい軽口が並ぶ。


『どーせパパ変な薬飲んで、どうにかしちゃったんでしょ?

昔からそういうとこあったじゃない!

東南アジアで怪しいお酒買ってきたりしてさ!』


明るく、冗談めかした文字。

それは、結衣が自分を保つための――精一杯の強がり。


けれど、次の瞬間。




『グス……でも……パパが……

うわあああああん!!!』




泣きじゃくるスタンプが、画面いっぱいに流れてくる。

声は聞こえない。

それでも、文字の乱れが、結衣の涙をはっきりと物語っていた。


しばらくして、またスマホが震える。


『ごめんね、なつみ!私も、あなたを守れなかった!

もっと早く気づいていればよかったのに!』




なつみは、スマホをぎゅっと握りしめる。

胸が締めつけられるのを堪えながら、震える声で打ち返した。


「ううん……!私こそ……!

あんなことがママにバレたら……離婚なんてことになったらって……!それにお姉ちゃんも!」




姉と妹の言葉が、画面越しに重なっていく。


後悔。

罪悪感。

守りたかったもの。

守れなかったもの。



それでも――

互いを想う気持ちだけは、途切れずにそこにあった。




父や、あの男と過ごした時間は、

なつみにとって――言葉にできないほど苦しいものだった。


それでも彼女は、何ひとつ表に出さなかった。

誰にも悟られないように、すべてを胸の奥へと押し込める。


学校では、変わらない笑顔を浮かべ。

家では、いつも通りの娘を演じ続けた。


その姿はまるで、

“普通”という役を与えられた女優のようだった。




――それは、子どもが持つにはあまりにも過酷な、心の強さだった。




「お前じゃなければ……

……結衣……でもいいんだ」




父のその言葉に、

なつみの身体は震えた。


けれど、その震えの奥で、

たったひとつの想いが、静かに形を成していく。


――お姉ちゃんを、守らなきゃ。


大好きな結衣が、

こんな目に遭うくらいなら。


自分が――

全部、引き受ければいい。


だから、なつみは決めた。


――自分さえ我慢していれば、それでいい。


パパも、ママも、

そして、お姉ちゃんも。


家族みんなが、

今まで通り一緒にいられるなら――



それで、いい。




結衣が、「思い出せない」と口にしていたこと。


それは、

ただ記憶が曖昧だったわけではない。


――本当は、思い出したくなかったのだ。


妹のなつみと、父との距離が――

ほんの少しだけ、近すぎる。


それにあの服装も。




それは言葉にするほどの違和感ではなかった。

誰かに説明できるほど、はっきりしたものでもない。


けれど、

小さな棘のように、胸の奥に残り続けていた。


二人でゴルフの練習に行く時。

自分には、声がかからない。


「たまたま」

「気のせい」


そうやって、何度も自分に言い聞かせた。


そして――

あの動画の日。


結衣は確かに見ていた。

自分の家の車が、あの料亭旅館へ入っていくのを。


記憶は、あった。

はっきりと。


けれど、それを口にした瞬間、何かが壊れてしまう気がした。


家族が――

今まで信じてきたすべてが、音を立てて崩れてしまう気がした。


だから、結衣は選んだ。


「わからない」

「思い出せない」


それを、

自分自身に。そして、直哉にも。



そう言い聞かせることでしか、心を守る方法がなかったのだ。






泣き疲れた結衣は、

花壇の端に立つ母の姿を見つけると、ゆっくりと歩み寄った。


それは、あまりにも自然な行為――

けれど、地縛霊である彼女にとっては、本来なら届かない距離。


「――あれ?」


足を踏み出した、その瞬間。

結衣は思わず立ち止まった。


いつもなら、

見えない壁に阻まれ、そこから先へは進めなかったはずなのに。




一歩。

二歩。




確かに――地面を、踏みしめている。


ト……トトト……


『……歩ける』


小さく、息をのむ。


『歩ける……歩けるよ!』


驚きと喜びが、一気に胸に込み上げる。


結衣はスマホを握りしめ、

震える指でメッセージを打ち込んだ。




『歩ける――!直哉! 私、歩けるよ!!』




画面に残る文字は、微かに揺れていた。

嬉しさと戸惑い、そして涙の余韻が混ざった、

結衣の――心からの“叫び”。


次の瞬間、彼女は母へ向かって駆け出した。


風が、花壇の花々を揺らす。

空気が、柔らかく震える。


そして――



結衣は、思い切り母に抱きついた。






腕は、すり抜ける。 けれど、確かに“触れた”気がした。 母の温もりが、結衣の心を包み込んだ。


(ママ……ありがとう。来てくれて、ありがとう)


その瞬間、結衣の世界は、少しだけ広がった。




トトトト…トトトト…


『ねえ直哉! ママ! 私歩ける! どこにでも行ける!』


事件の真実が断ち切ったのは、この花壇で死んだ結衣の未練――

それが結衣をこの場に縛り付けていたのだ。










――そして、この世にも結衣を縛り付けていた。










サァァァァ……


頭上で光がさざめき、結衣の身体がふわりと浮かび上がる。まるで、自分が光の粒になって空へ溶けていくような――そんな感覚。


『やだ……やだよ……溶けちゃう……! 直哉っ、助けてぇぇぇ!!』




声は震え、涙が頬を伝う。 これは――成仏、なのか?


「結衣! 俺はここにいる! どこにも行くな!」


直哉の声が、スマホのラインを駆け抜ける。 画面の向こうから、必死の叫びが届く。


『嫌! 嫌! 嫌ぁぁぁぁぁ!!!!』


結衣は直哉にしがみつく。 その腕は震え、心は叫ぶ。




『大好きなの! 直哉のこと、ほんとに大好きなの! だから……離れたくないよ!』


直哉も、彼女を抱きしめ返す。


『絶対に嫌だ! もっと!ずっと!直哉と一緒にいたいんだから!』


声を限りに叫ぶ結衣


『直哉!大好き!!!!!!!』




その瞬間、空気が震えた。 結衣の叫びが、直哉の耳に確かに聞こえた気がした。


「結衣……俺も愛してる! 絶対に渡さない!」




声を限りに叫ぶ直哉


「だから――」


大きく息を吸い込み、結衣を強く抱きしめ魂の底から叫ぶ。


「消えないでくれぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」


──そして、数分後。




静寂が訪れた。 風も止み、空も黙る。


直哉の周囲には、武雄、母、なつみ。 誰もが言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。


うなだれる直哉の背中は、まるで世界の終わりを背負っているようだった。




「結衣……結衣……」


その声は、あまりにも弱々しくて。 武雄は、こんな直哉を見たことがなかった。


「まさか……こんな急に……」


「結衣……もう、会えないの……?」


「お姉ちゃん……」


「結衣さん……」




誰もが、ただ下を向いた。


まるで、空を見上げる資格すら失ったかのように。


武雄は拳を握りしめたまま、何も言えなかった。


あれほど強気だった彼の肩が、今は小刻みに震えている。


「……結衣……」


母は唇を噛み、目を閉じた。 涙は流れない。ただ、胸の奥で何かが崩れていく音がした。


なつみは、結衣の名前を呼ぶことすらできなかった。 その瞳は、どこか遠くを見ていた。 まるで、もう二度と戻らないものを見送るように。


そして――直哉。


彼は膝をつき、地面に手をついたまま、動かない。 風が吹いても、誰かが声をかけても、反応はない。




冷たい風が、4人の間をすり抜ける。 誰もが沈黙し、ただ時間だけが過ぎていく――その時。


トトト…トトトト…


スマホが震えた。 直哉の手元に、LINEの通知が届く。


『……そろり』


画面に浮かぶ、たった一言。 差出人は――結衣。


「!!!!」


「結衣!?」


「お姉ちゃん!」


「結衣!!!!!!」


4人の声が重なり、空気が一変する。 まるで、止まっていた世界が再び動き出したように。


トトトト…トト…


そして、次々とメッセージが届く。




『なんだか……生き残っちゃったみたい……テヘ』




『幽霊なのに、生き残るとか……おかしいよね。直哉』




直哉は、スマホを握りしめたまま、ゆっくりと顔を上げる。




「そんなことないよ、結衣」


彼には見えていた。 自分の首に、そっと腕を回すように寄り添う結衣の姿が。




「お帰り、結衣少し……見えるぞ」


『そうなの……うふふ……嬉しい……ただいま、直哉』


二人はラインを通さず口で語りあっていた。


結衣の幽霊は、ふわりと宙に舞い、直哉の正面へと回り込む。


そして――




二人は熱い口づけを交わした。


その瞬間、風が止み、空が静かになる。 まるで世界が、ふたりの邂逅を祝福しているかのように。






――そして、結衣はこの世に「生き残った」。








数日後。


「おーっす! 武雄!」


「おう! 直哉!」


背の高い武雄の隣で、小さな小動物のようななつみがちょこちょこと世話を焼いている。


身長差40センチ、街を歩いていたら何とも目立つカップルだろう。



「直哉さん! こんにちわ!」と言いながら一気に距離を詰めてくるなつみ。

その元気な声を聞きながら、直哉はふと思う。

結衣も、もし生きていたらきっとこんな風ににこにこと近づいてきただろうな、と。胸がじんわり熱くなる。




――そして、武雄となつみの二人は、その後正式に付き合うことになった。

命をかけて自分を守ってくれた武雄に、なつみは一目で心を奪われてしまったのだ。


事実、あの時の武雄の機転がなければ、結衣も武雄も――二人で幽霊として彷徨う羽目になっていたかもしれない。


あの時武雄の命を救った週刊誌は彼のデスクに大切にしまわれていた。




「結衣さんは?」


と武雄が尋ねると、ハムスターの足音のような小さな音が聞こえてきた。

トトトトト……トトトトト……


『いるよ! 直哉と一緒!』




腕を組んでいるつもりの結衣は、もちろん他人の目には見えない。

「いるよ! いるよ! いるよ!」


直哉が手に持つスマホから、自分の存在を表すスタンプが次々とライングループに送られる。

「お姉ちゃん! えい!」


なつみが写真を撮るたびに、直哉に抱き着いてニコニコ状態の結衣の写真が皆に広がる。

「ほんとだ! お姉ちゃん!」


思わず直哉ごと抱き着くなつみに、武雄は思わず叫ぶ。



「おい! なつみ! 直哉から離れろ!」


やきもきしつつも、二人と幽霊の結衣を見守る武雄


――そんな、ほのぼのとした日常のひとコマ。




『ほんと、どこにでも行けるってサイコー!』


結衣からのLINEは、止まる気配がない。 画面には、ハートの嵐。 通知音が鳴るたび、直哉のスマホが恋愛ホラーと化していく。




『ねね!夏になったら海行こうね直哉!』


「あ、ああ……でも大丈夫か? 幽霊だろ、結衣」


『お姉ちゃん海好きだったもんね!』となつみが横から口を挟む。


『うん!直哉とデート!デート!デート!海デート!』


♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡




『直哉も愛してるって言ってたもん! せっかくの私の成仏を止めたんだから、一生責任取ってよね!』


(幽霊の“一生”ってどんだけだよ……)


直哉はスマホを見つめながら、軽く笑みを浮かべつつも頭を抱える。




(変なのに憑りつかれちまったなぁ……生きてる幽霊とか、そんなのアリかよ)


『直哉! だーいすき!また段ボールお泊り会しようよ!今晩!直哉の家で!』


「普通に寝ればいいじゃんか」


『だーめ!あれがいいの!お願い直哉!』


ふわふわと浮かびながら、結衣が直哉の頬にキスをする。


その感触はないけれど、気配だけは確かに感じる。


(……ま、いっか)






見上げた空に結衣はいない、天国ではなく結衣は確かに隣にいるのだから。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

この物語は、少し怖くて、少し切なくて、でも誰かを想う気持ちの話です。


失ったものは戻らなくても、

それでも人は、想いを繋いで前に進ける。

幽霊でも、生きていても――大切なのは「一緒にいたい」と願う心でした。


結衣と直哉、なつみと武雄。

それぞれが選んだ未来が、少しでもあなたの心に残ってくれたなら嬉しいです。


最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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