死闘
「なつみさん! あなたは、僕が守る!」
武雄の叫びは、迷いを断ち切る刃のように鋭く響き男と対峙した。
男が短刀を構える。片刃の光がギラリと揺れ、血に飢えた牙のように武雄を狙う。
筋者特有の分厚い胸板と太い腕。
純粋な力比べなら、どう見ても武雄に分はない。しかも相手は“人を殺すための武器”を握っているのだ。
それでも武雄は、一歩も退かない。――退けるはずがなかった。
「死ねぇぇぇ!! ガキッ!!」
狂気に塗れた叫びとともに、男が突進してくる。
刃が光った。
なつみを庇うように、武雄は迷わず一歩前へ出た。
次の瞬間――
刃物が、武雄の腹部へと突き出される。
――刺さった。
そう、見えた。
一瞬、世界が止まったかのようだった。
張り詰めた空気。
音の消えた空間。
その静寂の中で、武雄の額を冷や汗が、つうっと伝い落ちる。
「……やっぱり、狙うなら……腹だよな」
低く呟き、武雄はゆっくりと視線を落とした。
シャツの下。
そこに挟まれていたのは、一冊の週刊誌。
男の刃は、紙束に阻まれて止まっていた。
武雄は、静かに顔を上げる。
そして、次の瞬間が来る。
正面を向いていればいい。
心臓と、致命的な急所さえ守っていれば――背後からの攻撃は、致死にはならない。
その、わずかな確信。
それだけが、今の武雄を生かしていた。
男の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
その刹那を、武雄は逃さなかった。
「――っ!」
踏み込み、全体重を乗せた膝が、男の顎を容赦なく蹴り上げる。
鈍い衝撃音。
刃物が、男の手から弾け飛んだ。
武雄は即座にそれを拾い上げ、窓を開けると、庭の草むらへ向かって思い切り投げ捨てた。
(……これで、奪われることはない)
背後で、男が狼狽したように呻く。
言葉にならない声。
薬に侵されたその表情は、もはや人間のものとは思えないほど歪んでいた。
武雄は、深く息を吐く。
シャツの下の週刊誌に視線を落とす。
紙束は――少しだけ、破れていた。
もし、もう少し力が強ければ。
もし、角度が違っていれば。
考えを振り払い、武雄は顔を上げる。
鋭い視線で周囲を警戒しながら、虚ろなままのなつみを背に庇う。
まだ、終わっていない。
次の一手を探しながら、彼は静かに構えを取った。
「この野郎!」
武雄は勢いそのままに、狂ったように暴れる男を殴りつけ、さらに膝を体幹に入れて動きを止める。
男は狼狽し、制御を失ったかのように後ずさる。
「……俺の……女……」
呟くような男の声は、歪みきっていた。
本来であれば、ただの大学生に過ぎない武雄が敵う相手ではない。
体格も、経験も、すべてが違う。
だが――
薬に侵された男は、意識が定まらず、まともに立っていることすら難しそうだった。
「この……野郎!」
武雄は、その隙を逃さなかった。
踏み込み、迷いを捨て、拳を振るう。
理屈も計算もない。ただ、守るための動き。
男はよろめき、部屋の中で体勢を崩す。
衝突音が重なり、空気が張り詰める。
「……もう……やめて……
……大丈夫……だから……アタシ……」
背後から、か細い声。
なつみが、必死に武雄の腰へとしがみついていた。
まだ震えは残っている。
それでも、その目は真っ直ぐだった。
恐怖と、守られているという確かな感覚。
相反する感情が混じり合った、必死な表情。
武雄は一瞬だけ視線を落とし、
それから、再び前を向く。
なつみの小さな体を背に庇い、一歩も退かずに男を睨みつけた。
(この男だけは……
なつみさんに、近づけさせない――絶対に)
なつみの表情は、どこか口元が緩んでいた。
まだ薬の影響が抜けきっていないのだろう。
それでも、その瞳だけは――はっきりと現実を捉えていた。
一方、男はふらつきながらも立ち上がる。
痛みを感じていないのか、あるいは、それすら理解できないのか。
(……なつみさん……)
――近づけるわけにはいかない。
「なつみさんに、近づくな!」
その叫びを合図に、二人は正面からぶつかった。
刃も道具もない、素手同士のぶつかり合い。
だが、体格差は残酷だった。
押し合い、絡み合い――次の瞬間、武雄は床へと組み伏せられる。
「殺してやる……!」
男の手が、武雄の首へとかかる。
息が詰まり、視界が滲む。
顔色が、急速に失われていった。
「…………やめて……やめて……」
かすかな声。
なつみが、力なく手を伸ばしている。
震える、小さな手。
それでも、その必死さは、確かに届いていた。
――負けるわけにはいかない。
「……絶対に……
なつみさんを……守る……!」
絞り出すような声で、武雄は叫ぶ。
「僕が……!!」
その言葉に込められていたのは、恐怖ではない。
逃げでも、諦めでもない。




