『大好き』
「……なあ、なんでお前、そんなに熱くなってんだよ?」
なつみに対して、やけに感情移入してる武雄に、俺は思わず問いかけた。
「聞くか?そんなの、可哀想だからに決まってんだろ」
「いや、まあ……可哀想なのは分かるけどさ。お前がそういうタイプだったとは意外だった」
「助けを求めてる女の子がいるなら、助けるのが男ってもんだろ?」
こういう正論を堂々と口に出せるのがこいつの良い所だとも言える。
「……なるほど。スジは通ってるな」
武雄は背が高くて、顔も整ってて、服のセンスも悪くない。男の俺から見ても、正直“いい男”だと思う。なのに、今まで彼女がいたことがないのは、あいつの妙な格好つけと、奥手な性格のせいだと俺は踏んでる。
そんな武雄が、なつみみたいな子に肩入れしてるのを見ると、なんだか妙な縁を感じる。
そして翌日――予想外の訪問者が、俺と“結衣”に声をかけてきた。
午前中の講義が終わったあと、俺はいつものようにマックでランチセットを買って、あの花壇へ向かう。ポテトの匂いが妙に幸せを誘う。
「いーいーなーあー!私も食べたいっ!」
画面越しに伝わるそのテンションに、俺は苦笑しながらポテトを一本つまんだ。
「食べる真似だけでもしてみるか?」
スマホに向かって、軽く「あーん」と差し出す。
「そ、そんなの……恥ずかしいじゃない!」
見えないはずの結衣が、顔を真っ赤にしてるのが分かる。
照れたスタンプが連続で送られてきて、俺は思わず吹き出した。
「だったら最初から言うなよ、結衣」
まるでそこにいるみたいなやり取り。
「……!!!!」
俺の何気ない一言に、反応した人物が一人。
花壇のベンチに腰掛ける俺の背後――そこに立っていたのは、上品な雰囲気を纏った女性だった。結衣の母親だ。
「先日はありがとうね、直哉君……ところで、少し聞きたいことがあるの」
手帳とボールペンを握りしめたその姿は、まるで記者か探偵のようだ。
「!!!!」
スマホの画面が、ビックリマークの嵐に埋め尽くされる。結衣が焦っているのが、文字越しでも伝わってくる。
俺は深呼吸ひとつして、画面に向かって打ち込んだ。
「結衣さんのお母さん……先日はありがとうございました」
まずは礼を。礼儀は、どんな状況でも俺の武器だ。
この日の、この女性との出会いと、これから起こる出来事を俺は一生忘れる事はないだろう。
「……さっそくだけど、直哉さん。今、“結衣”って言ったわよね?」
その声は震えていた。けれど、芯が通っていた。結衣の母――彼女は、恐る恐る、それでも毅然とした態度で俺に問いかけてきた。
その瞬間、俺のスマホが震える。画面には、泣き崩れる結衣のスタンプが連打されていた。
「ママ……!ママぁ……!!」
見えないはずの彼女が、母の背中にしがみついて泣いているのが、なぜかはっきりと“分かった”。
「昨日も、実は遠くから見ていたのだけれど……まるであなたが、結衣とここで……結衣が亡くなったこの場所で、私の大切な娘と話をしているみたいで」
(昨日も……?気づかなかったけど、そういうことか)
俺の中で、何かが静かに繋がった。目の前の女性は、ただの“おばさん”じゃない。直感がそう告げていた。
「とりあえず、こんなところで良ければ……座ってください、お母さん」
俺は隣の花壇の縁を手で軽く払って、彼女をそっと誘導した。
風が吹いた。花壇の花が揺れた。結衣の涙が、母の背中に染み込んでいくような気がした。
「ここでないと、ダメな理由があるんです」
言ってしまった――心の中で、少しだけ後悔がよぎる。でも、もう引き返せない。
「結衣、結衣……いいか?」
スマホ越しに問いかける。しばらく沈黙が続いたあと、小さな文字が届く。
「……うん」
俺は深く息を吐いて、結衣の母に向き直った。
「お母さん、スマホを出してもらえますか?それが、すべての答えになると思うんです」
「え、ええ……」
半信半疑でスマホを取り出す母。その画面に、一通のLINEが届く。
差出人は――「結衣」
メッセージは、たった一言。
「ママ……」
「!!!!!!」
母の表情が一瞬で崩れた。涙が頬を伝い、声にならない叫びが漏れる。
「結衣!結衣!!どこにいるの!?あなた、生きてるの!?」
でも、彼女は覚えている。結衣の葬式、火葬、そして藤本家の墓に納めた骨壺の重みを。
確かに、娘は“死んだ”はずだった。
それでも――目の前の奇跡は、その記憶すら霞ませるほどの衝撃を持っていた。
「結衣!返事をして!」
数秒後、スマホにもう一通のLINE。
「ママ、ごめんなさい。私、ママより先に死んじゃった」
「うああああああああ!結衣!結衣ぃ!」
母はその場に崩れ落ち、泣き叫んだ。俺はただ、隣でその光景を見守るしかなかった。
風が吹いた。花壇の花が揺れた。結衣の涙が、母の心に届いた気がした。
通行人の視線が痛いほど突き刺さる。
でも――俺はこの場から、この婦人を置いて立ち去ることなんて、絶対にできなかった。
「そのコサージュ、つけてくれてるんだ。……私が作ったやつだよね」
立ち上がった母の背中に、結衣からのLINEが次々と届く。
それは、結衣と母しか知り得ない、記憶の断片。思い出のかけら。
結衣は、結衣なりに――まずは“信じてもらう”ために、母へメッセージを送り続けた。
「髪、結局染めてないの?“白髪嫌だわ”ってテレビ見ながら言ってたじゃん」
「ママ言ってたよね。将来お嫁さんになって、子供が生まれたら“おもちゃ買って買って買いまくる”って!あの時だよ、高校の入学式の夜。二人で話したよね」
「ママ……?泣くのはよして。お話しようよ」
そして――
「そうだ!一緒に写真撮ろうよ!泣き止んで!」
結衣の提案に、俺は頷いた。うん、それはきっと、いい手だ。
少し時間を置いて、目を赤く腫らした母にそっと寄り添い、スマホを構える。
母の手でシャッターを切ると――そこには、うっすらと映り込む結衣の姿。
半透明と透明の間。まるで陽炎のように、儚く、でも確かに。
「薄くってごめんね!だって、私今幽霊だから!」
その写真を胸に抱きしめて、母は再び泣き崩れた。
「結衣……結衣……」
それから10分ほど――俺は近くの自販機でお茶のペットボトルを買ってきた。
「どうぞ、お母さん」
「飲んで、ママ!」
「……ありがとう……直哉さん……結衣」
風が吹いた。花壇の花が揺れた。母の涙が、結衣の存在を確かにした。
「……地縛霊……なんてこと結衣……可哀想に……」
そう呟いた母の目は、スマホの画面を見つめながら、どこか遠くを見ていた。
けれど――その瞬間、彼女の表情がわずかに揺れた。
「でも、直哉が私を見つけてくれたの。無理して家に私のスマホ取りに行ってもらったりしてさ」
結衣の言葉に、母はハッとする。
あの時、家に戻ったとき――スクールバッグの向きが逆だった。誰も触れていないはずなのに。鍵のかかっていた裏口のナンバー。誰にも教えていないはずなのに。
「……まさか……」
母の中で、記憶と現実が交差する。違和感が、確信に変わる。
「結衣さんのスマホを見ますか?」
俺が差し出したスマホを、母は震える手で受け取った。
「勝手なことをして申し訳ありません。でも、結衣さんにとって、とても大事なものらしくて」
「直哉は悪くないよ!泥棒みたいなことさせて悪いと思ってる!でも感謝してるの!」
母はスマホを手に取り、画面を見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……結衣?」
「何、ママ?」
「ママ、何もできなくて……ごめんなさいね」
「……」
「ママ、結衣を助けられなくて……ごめんなさいね」
「……!」
「ママは、結衣のことが大好きよ!……結衣!」
その瞬間、結衣の方が号泣を始めた。
「ママぁ!!ママ!ママ!私も大好きなんだから!!!!」
LINEの画面には「ありがとう」のスタンプが何度も送られ、時折、通信が止まるほどの感情の嵐が吹き荒れた。
そんな二人の姿は、俺の目に焼きついた。かけがえのないものとして。
俺はただ、そっと目を潤ませながら、二人の再会を見守っていた。
母と結衣は、その後ずっと会話を続けていた。
俺は少し離れた場所から、そっと見守るだけだった。二人の時間に割って入るなんて、とてもできなかった。
母がスマホを見つめていると、画面に結衣からのLINEが届く。
『それでね……直哉さんって、とっても優しいのよ』
母はその文字を見て、ふっと微笑んだ。
「そう……そうなのね」
『うん!生きてる頃に出会いたかったな!』
母は画面を撫でるように見つめながら、静かに頷いた。
目の前で起きている“ありえない現象”を、母はもう疑っていなかった。むしろ、心から受け入れていた。
それは――彼女がこのひと月近く、何度も何度も願ってきたこと。
「結衣と話がしたい。一言でもいいから……“あなたが大好き”って、ちゃんと言えてないの」
その願いが、今――叶った。
スマホ越しではあるけれど、確かに母の言葉は結衣に届き、結衣の言葉も母に返ってきた。
『ママ……ありがとう』
『私もママのこと、大好きだよ』
画面には「ありがとう」のスタンプが何度も送られ、時折、通信が止まるほどの感情の嵐が吹き荒れた。
俺はただ、目の前の光景に胸を打たれながら、そっと目を伏せた。
この瞬間は、誰にも壊せない。誰にも奪えない。
この日は――俺は何もせず、ただずっと二人を見守っていた。
母と結衣。言葉と文字で交わされる会話は、静かに心を通わせていた。
夜の気配が少しずつ濃くなり、風が肌を刺すようになってきた頃、俺はスタバでホットのカフェオレを買って戻った。
「……ありがとう。結衣も言ってるけど、本当にいい子ね」
母が微笑みながらそう言う。
「……そんなことないですよ」
俺は少し照れながら、カフェオレのカップを差し出した。
母はスマホを見つめながら、家族LINEにメッセージを送る。
「今とっても忙しいから、ご飯は各自で」
その通知は、結衣のスマホにも届いた。
『私もまだ家族なんだよね!』
画面に浮かぶその言葉に、母はそっと頷いた。
「そうね、結衣。本当に……戻ってきてくれて嬉しいの」
『うん……私も嬉しいよ、ママ』
風が吹いた。花壇の花が揺れた。スマホの画面が、まるで心の鼓動のように優しく光っていた。
しかし既読をつけてしまうわけにはいかない、そのライングループは開かずにそっと胸にスマホを抱くような仕草をする結衣、彼女にとってはそれで十分。
この瞬間――結衣は、確かに“家族”だった。




