母
「ねえねえどうして!どうしてそんな話になってんの!」
結衣が騒ぎに騒ぐ、当然だ。
地縛霊とは思えないほどのエネルギーで、画面の向こうから怒涛のスタンプとメッセージが飛んでくる。
「ちょっとそのあたりの話、聞きたいかな」
武雄が静かに言った。 その一言で、俺は決めた。
「んじゃ、ちょっと気をつけなきゃなので、俺と武雄は駅前のドトールに集合。今からでいいか?」
30分後。 俺と武雄はドトールの隅の席に座り、ノートPCを開いてZoomを接続。 結衣は地縛霊なので、当然その場には来られない。 画面越しに、LINEとZoomの二本立てで参加してもらうことにした。
「面倒だけど仕方ない。尾行がいるかもしれないからな。今は花壇に近づけない」
「尾行?」
「探偵の一人や二人、ついててもおかしくない。俺は武雄に課題の相談してる体で」
「それじゃノートPC持ってった方がいいな」
「頼む。ついでに課題のコピー、させてくれよ」
「それは断るわ」
そんなこんなで、作戦会議は始まった。
俺は、結衣の妹――なつみが“カマをかけてきた”可能性について話した。 スマホを盗み出す時、何かのカメラに写り込んだのかもしれない。 その可能性を、結衣にも説明しておいた。
『でも、よく妹が一人で直哉の家に行ったわね』
「ほんとそっくりでさ、思わず『結衣』って呼んじゃったもん」
「変な方向に話がずれなくて良かったな」
武雄の言葉に、俺は小さく頷いた。
この3人で話すと、いつも少しだけ空気が軽くなる。
「やっぱり家族だな。台所とプロテインの袋を一目見ただけで――『お姉ちゃん、ここにいたでしょ』なんて言い出すんだから」
俺が苦笑混じりにそう漏らすと、画面の向こうの結衣がふんっと鼻を鳴らす。
『そお? あの子、昔からなんでも決めつけてくるのよね……』
そのやりとりを横目に、武雄は黙ってコーヒーをひと口。
「お線香、来週だったな。必要なもんがあるから、日曜に取りに来いよ」
「なになになに!」
結衣がZoom越しに騒ぎ出し、LINEにはスタンプが嵐のように飛び込んでくる。
武雄は肩をすくめて、わざとらしく言葉を選んだ。
「……何かって? 真珠のネクタイピンだよ。お線香あげに行くときの必須アイテムだろ」
(ああ、何かを誤魔化そうとしてるな)
俺はすぐに察する。
伊達に十六年もこいつと一緒に親友やってきたわけじゃない。
武雄の“何か”が何なのか、正直見当もつかない。
けれど――結衣に対して気を遣っているのは間違いないだろう。
真珠のネクタイピンなんて、どう考えてもあいつの趣味じゃない。
そもそも、そこまで礼装の細部にこだわるタイプでもないしな。
「……了解。日曜、忘れずに行くよ」
俺はそれ以上は突っ込まなかった。
今はただ、“武雄が結衣に知られたくない何かを隠している”という事実だけ、受け取っておく。
画面の中で、結衣はまだ騒いでいた。
「そうなんだよ、喪服は持ってるんだけどタイピン持ってなくてさ。貸してくんねえ?」
「だから貸すって言ってるだろ。……どこにあったっけな。探しておくわ」
そんなやり取りを交わした数日後。
俺は武雄から預かった“それ”をポケットに忍ばせ、結衣の家へと足を向けるのだった。
ーーお焼香の当日。
門をくぐった瞬間、目に飛び込んできたのは、手入れの行き届いた静かな庭の緑だった。
あの日――結衣の部屋で母親が人目もはばからず涙を流していた光景が、ふと脳裏をよぎる。
玄関先に立つその人は、今はもう涙を拭い去った顔で、俺を迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。結衣のお友達なんですってね」
その声は、やわらかく、ほんの少しだけ掠れている。
なつみを通じて事前に連絡が行っていたからか、それとも元々きれい好きな性分なのか。
玄関は隅々まで整頓され、花まで生けられていて、訪れる人を迎える準備が行き届いていた。
その整った空気は――あの時、忍び込んだ結衣の部屋の雑然としたベッド周りや、出窓に積み上げられた本や小物のカオスぶりとは、まるで別世界だった。
本当にこの人の実の娘なのかと、思わず疑いたくなるほどに。
俺は深く頭を下げた。
「お忙しいところ、ありがとうございます。今日は……お線香をあげさせていただければと思って。片桐直哉と申します」
母親は一拍の間を置き、静かに頷いた。
「ええ。結衣も、きっと喜びます、来ていただいてありがとう・・・直哉さん」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
「喜ぶ」なんて、そんな未来形で語られることが、どうしようもなく切なかった。
なぜなら――その結衣は、ずっと“あの場所”にいるからだ。
実家の仏壇から家族を見守っているわけでも、お墓で静かに眠っているわけでもない。
線香をあげた所であげられた本人は喜ばない。
あげられた本人は「まだ生きてるみたいなものだから!」と聞く耳を持たず、むしろキーキー怒り出すに決まっている。
だからこそ、結衣には事前に言い含めておいた。
「必要なことなんだ」って。
武雄と何度も相談し、作戦めいた打ち合わせまでして。
……そうしなければ、この先へ進めない。
この家の奥に――結衣が“殺された真実”が眠っているのかもしれない。
一階の客間に置かれた小さな仏壇。
そこには位牌と線香立て、そして結衣の写真が飾られていた。
写真の中で、結衣は屈託のない笑みを浮かべている。
突然のことだったから、遺影を準備していたわけじゃない。
きっと家族の誰かが、スマホに残っていた写真を急ぎ引き伸ばしたのだろう。
まるで今にも「ねぇねぇ!」と騒がしく動き出しそうな写真に、胸がちくちくと痛んだ。
滞りなくお線香をあげ終えると、「お茶でもどうぞ」と母親に誘われ、居間へ。
香ばしいほうじ茶の湯気がふわりと立ちのぼる。驚くほど香り高く、口に含むとほっと胸が緩んだ。
「結衣さんとは、ちょっとしたことがきっかけで……」
俺は、事前に結衣と打ち合わせておいた“筋書き”通りの話を口にした。
「とっても元気だったのに……僕も、未だに信じられないです」
母は相槌を打ちながら耳を傾ける。
「……それで、彼氏彼女という形は続かなくなったんですが、その後も友達として」
「そうですか。結衣のこと、面倒を見てくださってありがとうございます。あの子、色々と大変でしたでしょう?」
(やっぱりそういう認識なんだな……扱いづらい娘、ってやつか)
「いえいえ。でも……本当に楽しかったです。結衣さんは、そういう人でしたから」
その一言に、母の目にじんわりと涙がにじむ。
口元には、ほんのひとかけらの微笑みさえ浮かんでいた。
しかし、その母が口にした一言は――当の結衣すら気づいていなかったことだった。
「直哉さんとは……初めてお会いしましたけど、結衣とはどれくらいの期間、お付き合いされていたんですか?」
「……半年弱だったと思います」
俺は、あらかじめ用意していた答えを崩さぬよう、落ち着いて返す。
母はうなずきながらも、目の奥に微かな違和感を灯した。
そう――あの“ライン魔”の結衣が、半年近くも付き合った相手の話を、母にも妹にも一切しなかった。
そんなこと、あるはずがない。特に、あの結衣に限って。
けれど、それは当然のことだった。
なぜなら――俺と結衣が出会ったのは、彼女が殺人犯に命を奪われてから、三週間後のことなのだから。
母の視線がわずかに鋭さを帯びる。
降って湧いたように目の前に現れた大学生――俺を見つめながら、もしかしたら、と考えたのだろう。
「直哉」という男は、結衣の事件に何か関わっているのではないか、と。
半ば本能のように、母はそう疑っていた。
「部屋を……見ていかれますか? まだ、そのままにしてあるのですけど」
とはいえ、今のところ目の前の男――俺に、確たる証拠はない。
「本当ですか? ぜひお願いします」
母は計ったわけではない。けれど、深いところでは感じていた、いや期待していた。
“結衣の部屋”を見せれば、この大学生の言葉に、どこかほころびが出るかもしれない――と。
その視線は、静かに、冷静に、観察する人のそれだった。
通されたのは実は二度目の結衣の部屋。だが俺は、初来訪の顔を崩さない。
「はじめて来ました。……ここで暮らしていたんですね」
そこそこの演技力をまとい、視線だけで部屋をなぞっていく。
「この春用のスーツ。おろしたてなんですってね。着るの、楽しみだったって聞いてます」
前回、忍び込んだときに撮っておいた部屋の写真。
あとで本人に見せて「エピソードをくれ」と頼んだら、
『このスーツ着たかったなー! まだ袖も通してなかったのに!』
――結衣は笑って、そう言っていた。
(確かに、この夏服はサイズ替えで仕立て直して……結衣は一度も着ていない)
母のまなざしは、揺れない。余計な感情をそぎ落とし、事実だけを拾い上げる冷たさを帯びていた。
(あまりあちこち触るのも疑われるだろう)
直哉は母の様子を観察しながら、わずかな隙を探していた。
タイミングさえ掴めれば、やるべきことはひとつ。
そんな時――。
「ピンポーン」
玄関チャイムが鳴った。宅急便だろうか。
「あら、ちょっと待っててくださいね直哉さん」
母はにこやかに言い残し、階段を下りていく。
(……チャンス!)
直哉の心臓がドクンと跳ねた。
すかさずポケットからボールペンのような細長い物体を取り出し、乱雑に詰め込まれた机の引き出しを開けて滑り込ませる。
ーー盗聴器。
それは武雄が「何かの証拠が掴めるかもしれない」と託してきたものだった。
最新式の省バッテリー仕様、さらに周囲の物音を感知すると自動で高感度録音を開始する優れもの。
結衣の殺人事件――。
直哉と武雄、二人が疑い続けている“真実”に近づくための、小さな一歩。
見えない糸をたぐり寄せるように、二人は確実に核心へとにじり寄っていた。
階段をトントンと上がる音――そして部屋に戻ってきた母は、無言でスマホを掲げた。そこにはLINEのQRコード。
「避ければ、結衣との写真とかあったら頂けないかしら?」
まるで最後の審判を下すかのような声音だった。
(やっぱり来たか……)
直哉の心臓がドクンと大きく跳ねる。半年も付き合っていたなら、一枚も写真を持っていないのはどう考えても不自然。母の疑念は正しい。
しかし直哉の脳裏に、結衣の笑顔と声が甦る。
「お母さんはね、超〜〜細かい性格だから!」
そう笑って言った彼女のことを。
「お母さんに送ってない自撮り写真、直哉に送っておくから!」
そうして彼女は、友達と遊んでいる時の安全な写真を次々と「アルバム」で送りつけてきていた。
母との関係は良好。でも厳格な母を相手に、しかし結衣は「遊びたい」。
そのために数十枚のアリバイ写真をストックしていたのだ。
しかも
「ちょっと僕にも何枚か頂いていいですか?」
と武雄が手持ちの写真で俺と結衣が一緒にいるかのようにAI合成してくれたりもした。
「今、ご飯中」「図書館で勉強中」――そんな本来なら結衣が母に送る予定だった在庫と、直哉と結衣が並んで撮影しているような合成写真を、直哉のスマホから母に転送することで、追及をかわす。
直哉はスマホを操作しながら、心の中で呟いた。
(さすがだな、結衣……、ありがとう武雄)
母の目は、直哉の手元と表情を交互に追っていた。
まるで一瞬の仕草や微かな反応も逃さずに見定めようとするように。
(……この子、何か知っているのかもしれない)
直哉が結衣の写真やアルバムを扱う手つきは、ぎこちないところがなく、自然で、何の矛盾も見当たらなかった。
それでも、母の心の片隅には、薄い不安の影がくすぶっていた。
(直哉君……結衣の事件に、もしかして関わっている?)
その予感は、理由もなく生まれたわけではない。
目の前に座る大学生は、あの突然の殺人事件の後に現れ、結衣との関係も不鮮明だ。
もし彼が本当に何も知らない、関わっていないなら、こうして自然に振る舞えるはずもない――母の理性が、疑いを押し戻す。
しかし……。
直哉は今回の「試し」にも、尻尾を一切出さなかった。
(……いや、違うのかもしれない。)
(考えすぎだったのかも……)
母の心に、わずかに安堵の気配が広がる。
けれど、瞳の奥の警戒心は完全に消えたわけではない。
何かがまだ、――あるのかもしれない。
しかし、目の前の少年が犯人なのだとすると何故今急に姿を現したのか?
妹のなつみが言うので家にあがって貰ったが、そもそもなつみはどうやってこの男と知り合ったのか?母にとって謎は深まるばかり。
そんな微妙な表情を浮かべる母を前に、直哉は深く頭を下げた。
「今日はお線香をあげさせていただき、ありがとうございました」
言葉に、感謝と敬意を込めて。
母は静かに頷き、深々とお辞儀を返す。
その仕草に、直哉の胸がわずかにチクチクと痛んだ。
(……何かを隠しているようで、何も知らないようで)
しかし、その感覚の奥に潜む違和感は、まだこの時点では微かなだけだった。
だが、この一連の訪問――お線香をあげ、写真を確認し、母の視線を交わした出来事――
それが直哉、武雄、そして結衣の三人に、急速で不可解な異変をもたらすことになる。
誰も予測できない、次の展開の始まりだった。
少なくとも俺達の誰も予想し得なかった。




