表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/25

スマホ

「とりあえず、もうてっぺん超えてるしさ。明日また話そうか」


直哉がスマホを見ながら言う。 夜の空気はひんやりとしていて、花壇の周囲には虫の声すら聞こえない。


『そうね、結衣もなんだか眠くなってきちゃったし』


結衣のメッセージがグループチャットに届く。 声はないはずなのに、その言葉には確かな“眠気”が滲んでいた。


「幽霊も眠くなるんですね、意外です」


武雄がぼそりと呟く。




『あーまた幽霊って言った!』


即座に結衣からのツッコミ。 スタンプが連打され、画面が賑やかになる。


まるで本当に生きているかのように続く会話に、武雄はスマホを見つめながら小さく呟いた。


「……なるほど」


「それじゃ、結衣さん、直哉。また明日」


「俺も帰るよ」


『二人ともお休み〜また明日ね!』


怒涛のお休みスタンプが、画面を埋め尽くす。 その明るさが、夜の静けさと不思議なコントラストを描いていた。


花壇を離れて、5分も歩くとテザリングの電波が切れ、スマホは静かになる。 並んで歩く直哉と武雄。 言葉は少ないが、共有した時間が二人の間に確かな絆を残していた。


「な、ああいう奴なんだよ」


直哉がぽつりと呟く。


「……そうみたいだな」


武雄も、短く返す。


やがて、二人のアパートへと続く分かれ道に差し掛かる。


「幽霊もいいけど、ちゃんと課題やっとけよ、直哉」


「幽霊って言うとまた結衣に怒られるぞ」


そう言って、二人はそれぞれの道へと歩き出す。


時間は、深夜1時を過ぎていた。






翌朝。スタバのシャッターが開く音とほぼ同時に、スマホが震えた。




『おっはよー!!朝だよ!あったらしーいーあっさがきたー!』




Wi-Fiがつながった結衣から、テンションMAXのモーニングコールが届く。


とは言え別に頼んだ覚えはない。むしろ、毎朝恒例の“強制起床イベント”である。


昨日と変化があったのは、今日は武雄も含めたグループライン内で行われたと言う事だ。




「おはよう」


俺はいつものように返す。返さないと、結衣がスタンプ連打で暴れるのだ。


「おはようございます、結衣さん。良い朝ですね」


もう一人の“結衣の理解者”である武雄からも、丁寧な挨拶が入る。


『なんだか武雄さんの方が全然丁寧なんですけどー!』




ワーワーと不服を訴えるスタンプが、俺の個人LINEに次々と送られてくる。 怒ってるのか、ふざけてるのか――その境界が曖昧なのも、結衣らしい。


画面越しの彼女は、今日も元気だ。




俺の親友――と言って差し支えない男、山口武雄。 見た目はシュッとしていて、服のセンスも抜群。 女性への対応も丁寧で、時々口にする臭いセリフすら、なぜか好意的に受け入れられてしまうタイプだが、どういう訳か今まで彼女がいた事は無い。




今日も朝から、結衣のLINEに返事をしながら風呂に入り、食パンを焼き、歯を磨いて髪を整え、大学へ向かう。


「ちょっと待ち合わせしないか、郵便局前で」


武雄から個人LINEが届く。


「おう」


俺は短く返す。 同じ大学、同じ学部とはいえ、履修している教科はまるで違う。


俺は行政職を目指して法学部に入った、普通に公務員試験対策ゼミがあるのでここに潜り込めば就職もなんとかなると思ったのだ。。 一方の武雄は司法試験一直線。 しかも目指しているのは弁護士じゃない。裁判官だ。


正直、これまで似たような教育を受けてきたはずなのに、ここまで差がつくのかと、少しだけ思ってしまう。


郵便局前に到着すると、案の定、武雄はすでに来ていた。 スマホを手に、司法試験の過去問アプリを立ち上げ、何かしらの脳内シミュレーションをしている。








「おう」


「お、直哉。来たな」


武雄はスマホの画面を閉じ、俺の隣に並んで歩き出す。 この通学路を二人で歩くのは、もう何度目だろう。 変わらない風景、変わらない距離感――俺はこの時間が、けっこう好きだった。 たぶん、武雄もそう思ってる。


「ところでさ」


「うん?」


声のトーンで察する。 結衣のことだろうな――と思ったら、やっぱりだった。


「もしかして、彼女」


「うん」


「藤本結衣さんを殺した犯人が見つかったとして、逮捕されるとするだろ」


その言葉に、俺は一瞬、足を止めそうになる。 武雄に結衣の苗字を教えた覚えはない。 それなのに、フルネームで語り出したということは――


(調べたんだな、あいつなりに)


ニュースか、ネットか。 どこかで“藤本結衣”という名前に辿り着いて、事件の概要を把握したのだろう。


武雄は、俺が何も言わなくても、動いてくれる。 そういう男だ。




「ああ」


俺はその問いに、特に何かを付け加えることはしなかった。 武雄の言葉が、静かに夜明けの空気に溶けていく。


「その後、どうなるんだろう?有体に言うと、大抵その後は成仏しそうなもんだけど」


「ああ、本人にも聞いたよ。お前、成仏すんの?って」


「そしたら?」


「『そんなもんしない!お断りだ!』って言ってた。……自分で選べんのかな、そういうの」


「ハハハ……結衣さんらしいね」


武雄が少し笑って、声のトーンを落とす。 その笑いには、驚きと、ほんの少しの敬意が混ざっていた。


「まぁでも、言ってたよ。どうして自分を殺したのか、ちゃんと聞きたいって。文句の一つも言いたいんだと」


「ほう……」


「別に恨んでるとか、ちょっとはあるけど。『呪い殺してやる~~~!』ってほどでもないし、って」


自分が殺されたというのに、どこか他人事のように語る結衣。 その言葉の軽さに、逆に重みを感じてしまう。


武雄は、眉をひそめながら小さく呟いた。


「……不思議な人だな。いや、幽霊か」


その言葉に、俺は苦笑する。


「また怒られるぞ」




そうこうしているうちに、校門が視界に入った。 直哉は左へ曲がってB棟へ。 武雄は真っすぐ進んでC棟へ。 それぞれの講義へ向かう時間だ。


「ま、時間ができたら俺も結衣さんから話を聞いてみることにするから」


その言葉に、俺は一瞬だけ胸の奥がチクリと痛んだ。




……これは、ジェラシーってやつなのか?




結衣が、俺のいないところで武雄と会話する。 それを想像しただけで、なんだか少しだけ寂しくなった。


(俺って、こんなに束縛男だったのか?)


いかんいかん。 武雄は試験勉強で忙しい中、結衣のために動いてくれてる。 それに、俺ひとりじゃ見落としてることもあるかもしれない。


そう思い直して、俺は言葉を返す。


「ああ、頼むよ。結衣、あそこから離れられないみたいだからさ。行ってスマホ開けば、向こうからギャンギャン話しかけてくると思うし」


俺の一瞬の間を、武雄は確かに読み取った。


けれど、そこに触れないのが、こいつの良いところだ。


余計なことは言わない。 でも、ちゃんと受け止めてくれる。


「もしかしたら、そのスマホのヒビ? 手がかりになるかもしれないしね」


「俺もチェックしてみたけど、特に不自然なところはなかった。敢えて言うなら……割れてること自体が不自然なんだけど」


武雄は、目の前の直哉をじっと見つめた。 その瞳は冷静で、でもどこか複雑な色をしていた。


小さな頃から、直哉の直感力と行動力には敵わなかった。 同じ女の子を好きになっても、いつもその子は直哉に惹かれていった。 武雄は、祝福する側だった。 それが、いつしか“慣れ”になっていた。


そして今――


直哉が「これだ」と言ったスマホのヒビ。 それが何かを示しているなら、もっとよく調べてみる必要がある。


武雄は、そう冷静に分析していた。






この日、直哉の方が先にあの花壇に到着していた。


空はどんよりと曇って今にも一雨きそうな感じを漂わせていた。




『雨ふりそうだけど大丈夫?』


「一応折り畳み傘は持って来てるけどな・・・でお前、幽霊だろ。雨で濡れたりすんの?」


『うん・・多分濡れない。でも……なんか、空が泣きそうだと、ちょっとだけ心が寂しくなるよね』


「……それ、俺より詩的じゃん」


『ふふん。結衣は感受性豊かな幽霊なのです』




俺は花壇の縁に腰を下ろし、スマホを見つめながら苦笑する。 この曇り空の下で、幽霊ととりとめのない会話をしているなんて、誰が信じるだろう。




「てかさ、昨日の武雄どうだった?」


アバウトに切り込む俺の問いに、スマホが震える。


『ううん、全然嫌な人じゃなかったよ。スマホ取られた時にちょっとだけだったけど……あの人、すごく真面目だね』


昨日、武雄に対して「ヘンタイ! 拾い乞食! スケベッ!」と叫びながら、顔面にグーパンチを放った結衣。 その記憶は、どうやら彼女の中ではすでに“なかったこと”になっているらしい。


「俺のことは?」


少しだけ期待を込めて聞いてみる。


『うるさい。あと、ちょっとだけ心配性』


「ひどくない?」


『でも、好きだよ。直哉のそういうとこ。結衣のこと、ちゃんと考えてくれるから』


スマホの画面に、にこっと笑うスタンプが送られてくる。 曇り空の下、少し冷たい風が吹いたけれど―― その言葉だけで、心の中はほんのり温かくなった。




「……お前、幽霊なのに、妙に人間くさいよな」


『幽霊だって、心はあるもん。それに、こうして話してると……生きてるみたいで、嬉しい』


その言葉に、俺はふと空を見上げる。 灰色の雲が広がっていて、ぽつりと冷たい風が頬を撫でた。


「雨、降るかもな」


『うん。でも、ここにいるから大丈夫』


スマホの画面に、結衣のスタンプがぽん、と送られてくる。 傘を差した女の子が、にこっと笑っていた。




そうこうしているうちに、スマホ片手に「月刊ジュリスト」の電子版を読んでいた武雄が、花壇に合流した。 直哉にとっては全く用のない雑誌だが、司法試験を目指す武雄にとっては“頭の栄養”みたいなものらしい。




「おう」


「うん、こんにちわ結衣さん」


武雄が花壇に向かって挨拶すると、ライングループに即座に返信が届く。


『こんにちわ武雄さん!』


「おいおい、武雄だけ“さん付け”かよ? 結衣」


『別にいーじゃない!何妬いてんの?直哉?』


地縛霊とは思えない軽口に、武雄は思わず苦笑する。


「……幽霊って、もっとこう、静かで神秘的なもんじゃなかったっけ?」


『結衣は地縛霊じゃなくて、地元系アクティブ幽霊なの!』


「新ジャンルすぎるだろ」


直哉がツッコミを入れると、画面には“ドヤ顔スタンプ”が連打される。


曇り空の下、花壇の周囲には少し湿った風が吹いていた。 でも、スマホの画面の中は、いつも通り賑やかだった。




「そうそう、ところでさ。結衣さんの事件で一つ気になることがあるんだけど」


武雄がそう言って、ライングループに一枚の写真を貼り付けた。


「これ……事件当時の?」


画面に映っていたのは、警察が立ち入り禁止線を張って現場を捜査している写真。 報道では見たことのないアングル。 武雄がSNSを一枚ずつ漁って見つけた、誰かが偶然撮った一枚だった。


『……うん、私もずっと見てた』


結衣の文字が、静かに画面に浮かぶ。


「で、この写真なんだけど、左下に何か黒い影が見えるでしょ?」


俺も画面を覗き込む。 確かに、解像度は荒いが、地面に落ちた何かの影が見える。


「これ、結衣さんのスマホじゃないかなって思うんだけど」


言われてみれば、サイズ感も形もそれっぽい。


「でも、結衣はスマホ握ったまま殺されたって……」


「そう。つまり――」


「犯人が、結衣の死体から奪い取った……」


画面の向こうで、結衣の顔が青ざめるのが想像できた。


『……そんな……』


「そして何かをして、地面に落としたんじゃないかと思うんだ。 本当は叩きつけたかったけど、壊したら壊したで何か問題があるって恐れて思いとどまったとかさ」


「ま、警察が回収するだろうな、不自然に壊れてたらさ。それに女子高生がスマホ持ってないとなったら総力あげて探し出そうとするだろうし」


武雄の声は冷静だったが、その奥には確かな怒りが滲んでいた。


「ちょっとスマホ借りていいかい?結衣さん」


『……どうぞ』


武雄は、花壇の隙間から結衣のスマホをそっと取り出す。 その手つきは、まるで“証拠品”を扱うように慎重だった。


曇り空の下、風が少し強くなった。 空気が変わったのは、天気のせいだけじゃない。


「一応チェックはしたんだけどな」


俺がそう言うと、武雄が眉をひそめた。


「どんなチェックをしたんだ?直哉」


「ネットの履歴とか……何か調べた形跡がないかと思って」


武雄は深くため息をついた。


「お前さ、犯人の気持ちになってみろよ。人一人殺してるんだぞ」


「どういうことだ?武雄?」


「つまり、結衣さんが何か知ってる。それを隠蔽したいって思ったってことなんじゃないのか?」


「……隠蔽?」




「見るべき所は写真のフォルダじゃない。何を消したか、だ」


そう言って、武雄は結衣のスマホの写真アプリを開き、管理画面を操作する。 画面の下部にある「最近削除した項目」をタップすると、ロックがかかっていた。


『Face IDを利用してこのアルバムを表示』


「Face ID……私、もう顔ない……」


結衣がぽつりと呟く。 その言葉に一瞬、空気が沈黙する。


だが武雄はすぐに別の設定画面を開き、言った。


「結衣さん、ここにパスコードを」


『……うん』


結衣が入力すると、削除されたアルバムが開いた。




「おお、こんなフォルダあるの知らなかった」


「本当!勝手に消せば消えると思ってた!」


結衣も直哉もこのフォルダの事は全く知らなかった。




「そんなはずないでしょう。完全に消える前に、フォルダに一時保存されるんですよ」


武雄は慎重にフォルダの中をまさぐる。


「よし……ビンゴです」


そう言って、復元ボタンをタップする。


「それは?」




「結衣さんが殺された時に、犯人が削除したファイルです」


武雄の言葉とともに、スマホの画面に復元された2本の動画ファイルが表示された。


俺も武雄も、言葉を失った。 結衣は、画面越しにじっとそれを見つめていた。 その表情は見えない。けれど、空気が変わったのは確かだった。


「おそらく、このスマホのパスを知っているのは結衣さんだけでしょうし、亡くなってしまえばFace IDも使えなくなりますから」


「データを消して、安心ってことかな?」


「でも、フォルダを表示させればその場で完全消去できるんだけど……」


「パスも知らずに、Face IDも使えなきゃ無理だわな。それで犯人ムカついてスマホを地面に」


「多分そうだと思います。目を閉じてればFaceIDは使えませんから。では――結衣さん、この動画に心当たりはないですか?」


武雄が静かに問いかける。 そして、再生ボタンを押した。


俺たちは、唾をのんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ