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結衣

「ねえねえ、直哉!」


そのメッセージが届いた瞬間、俺は条件反射でため息をついた。


経験則が告げている——この“ねえねえ”の先に、平穏はない。




「見たい映画があるんだけど、課金しないと見れないの。どうしよう?」


「ずっと同じ服着てると、なんか気持ち悪くなってきたんだけど…」


「外だと音が聞きづらいから、イヤホン貸してくれない?」


「……なんでもいいから、今すぐ会いたい」


まるで呪文のように繰り返される“お願い”の数々。ネット課金くらいならまだしも、物理法則を無視したような無茶ぶりも混ざってくる。




……にしても最後のは反則だな。






バイトはサボりがち、課題は手つかず。 さすがにヤバいと思って集中できるのは、あのスタバが閉店して、結衣がWi-Fiを拾えなくなる時間——つまり、23時以降。


寝不足で頭がぼんやりしてる中、またスマホが震えた。 今度は何だ。どうせまた、無茶ぶりだろう。


「ん?」


そっけなく返した俺のラインに、すぐさま返事が来る。


「ねえ!今日うちに泊まりにこない?」


(ブッ)


コーヒー吹いた。マジで。


「泊まりにって、お前……家ないだろ」


「だからさ!キャンプみたいに!星空の下で語り合う夜って、ロマンあるじゃん?」


(いや、お前のせいで俺は完全に寝不足なんだが)


そう思いながらも、俺はスマホを見つめた。 結衣の“お願い”はいつも無茶苦茶だ。でも、なぜか無視できない。


まぁ一応、言いたいことだけは最後まで言わせてやろう。そう思った。




「だってさ、直哉って大学の時間はライン見てくれないし……。 かと言って、私と話してくれる人なんて直哉しかいないし……」


結衣の声は、いつも通りの甘え混じり。けれど今回は、何かが違った。


「いや、にしてもさ。あんな一般道でテント張るとか、無いだろ」


「うん、だから……何とかして!一晩だけでいいから!あたしここから動けないんだから!」


「一晩って、お前……一応JKだろ」


「うん!でも幽霊だから安全安心じゃん!ね!」


(何の“ね!”なんだか、さっぱりわからん)


「だって、もう決定なんだから!夜が寂しい私を直哉が慰めに来るお泊り会なんだから!」


一歩も退かない結衣。


俺はスマホを見つめながら、深く息を吐いた。 結衣のお願いは、いつも予測不能。


しかし今回のはもはやレベチである、この子が生きていたらさぞかし付き合っている男は振り回される事だろう。




でも——それで彼女の気が済むなら。 それに、言われたらつい実現方法を考えてしまうのが、俺の良いところでもあり、悪いところでもある。




「……テントって、そもそもどこで売ってるんだ?売ってたとして、あんな場所に張れるのか……?」


疑問を抱えたまま、俺は新宿南口の山用品専門店へ向かった。


夜の街を歩きながら、頭の中では結衣の“お願い”がぐるぐる回っている。


そして、ひらめいた。




「……この形なら、何とか……運が良ければ……」


そう思って選んだのは、細長い段ボールハウスと、2巻の寝袋。 ロマンも何もない。けれど、現実的にはこれが限界だった。


天下の公道にテントなど張れるわけがない、しかしこれなら。




夜の23時30分。人通りが減った歩道の隅。 この時間、この場所なら——一晩くらいなら、何とかなる。


「ええええ!なんか全然ロマンチックじゃないんですけど!むしろよくこんなの思いついたわね直哉!」




結衣の声が、段ボールの隙間から響く。 俺は肩をすくめて答える。


「仕方ないだろ。歩道を塞がずに横になれる方法なんて、これしかないんだから」


「だって……これって……」


結衣は言葉を濁す。 彼女の“理想”とは違ったかもしれない。でも、俺の目は本気だった。


これは、俺なりの“応え方”だ。


無茶なお願いでも、叶えようとする姿勢だけは——嘘じゃない。




「俺はもう寝るからな!明日1限からだから早いんだよ!」


「えええええええええ!」


結衣の叫びを背に、俺はさっさと細長い段ボールハウスに潜り込む。 寝袋は……うん、意外と暖かい。枕代わりの大学用カバンも悪くない。 風呂は家で済ませてきた。俺は風呂は夜派なのだ、清潔は担保されている。




スマホには結衣のラインが連打されてい。


「えええ……えええええええ……えええええええ!」


延々と流れる「え」の連打。


「だって……だって……!」


彼女が思い描いていたのは、広いテントで向かい合ってお酒なんか飲みながら蝋燭の光に照らされてゴロゴロするロマンチックな夜。 でも現実は、密着必至の段ボールハウス。




「恥ずかしい~~~~~!」


顔を真っ赤にして叫ぶ結衣に、俺は中から声をかける。


「結衣、いるのか?寝ちまうぞ」


「い、いいいい行きますよ!入ればいいんでしょ!」


意を決して、ふわりと天井をすり抜ける。 彼女用の寝袋もちゃんと用意してある。 「よいしょ」と入ると、ほんのり暖かい気がした。


「ふわぁ……お布団で寝るなんて、どれくらいぶりだろう……」


そう呟いて視線を上げると、数センチ先に端整な直哉の顔。




「ええええええ~~~~~~無理無理無理無理!!!!近い!近すぎる!」


叫ぶ結衣。顔は真っ赤。 でも逃げ場はない。段ボールハウスは、狭くて、静かで、あたたかい。


直哉は枕元にスマホを置き、結衣の次のメッセージを待っていた。




目の前に、ふわりと空気が揺れた。


「……やっと来たのか」


俺がそう呟くと、段ボールハウスの中に“気配”が満ちていく。


トトト……トトトト……


「近すぎるわよ!もっと大きく作れなかったの?!」


スマホ越しに結衣の声が響く。 彼女の姿は見えない。でも、確かに顔を真っ赤にして騒ぐ結衣は“そこにいる”。


「しょうがないだろ。俺からは見えないし、結構広々してるけどな」


俺の感覚では、寝袋とカバンでちょうどいいサイズ。 でも結衣にとっては、まるで密室。いや、ほぼ密着。


彼女はまるで自分が裸でいるかのように、顔を耳まで真っ赤にして恥ずかしがっていた。


けれど俺には、何が起きているのかまったく分からない。


「で、話があるんだろ」


「う、うん!たっくさんあるんだから!今日は寝かさないんだから覚悟してよね!」


そして——マシンガンのように言葉が溢れ出す。 過去のこと、家のこと、学校のこと、誰にも言えなかったこと。


まるで、直哉に“全部”を知ってほしいかのように。 この狭い段ボールの中で、結衣は自分の世界を開いていく。




数センチ先に、直哉の唇がある。 結衣はドキドキしながら、話し続けていた。


「……で、そのアヒルどうなったんだ?」


「それがね!私のスマホ咥えて、そのまま池に逃げちゃって!」


笑い話が続く。 段ボールの中は狭くて、暖かくて、どこか秘密基地みたいだった。


でも、話題は少しずつ変わっていく。




「……そうか、ママが大好きなんだな」


「うん……ママに会いたいよ……寂しいよ」




結衣の声が、ふと震えた。 直哉は何も言わず、スマホを握りしめたまま、彼女の言葉を待つ。


午前3時。 段ボールの外は静かだ。警察も通行人も、誰も声をかけてこない。


それもそのはず。 段ボールの表面には、直哉が大きく書いた文字がある。




「●●大学社会実験中、翌朝には全撤去します。ご協力お願いします、連絡先●●●・・・」


その一文が、二人の夜を守っていた。


通り過ぎた警察官も少し首をかしげながらもその場を去っていった。




結衣は、直哉にすべてを話したかった。 笑いも、涙も、過去も、孤独も——全部。


そして今、彼女はその“全部”を、少しずつ差し出していた。




「……さすがにもう眠いんだが……そんなに寝られないけどな」


ちらりと時計を見る直哉。


「うん……なんだか私も眠くなってきちゃった」


「寝るか」


「うん」


段ボールハウスの中、寝袋の中。 静寂が、二人を包み込む。


「ねえ、直哉?」


「どうした、寝るんじゃないのか?」


「私のために……本当にありがとね」


「そんなこと、気にするな」


直哉は目を閉じる。 その横顔に、結衣はそっと手を伸ばす。


「ん……」


頬に手を添え、唇を重ねてみたい衝動にかられる。 (気づく……かな?)


直哉は、何も言わない。 気づいていないのか、それとも——気づいていて、黙っているのか。


(私も……いいかな)


結衣は、すり抜ける身体を活かして、直哉の寝袋にそっと移動する。 今までも密着状態だったが、今度は——完全に、同じ寝袋同じ空間。直哉の体温と鼓動を感じている気がする。


まるで正面から抱きしめられているような、そんな感覚。


(恥ずかしい……!これは本当に無理かも……!でも……!でもでもでも!)


次の瞬間。 直哉の腕が、そっと結衣の背中に回る。


驚きと、安心。 結衣は、直哉の胸に頭を預ける。


(でも……とてもあったかい。ありがとう、直哉)


段ボールの中、午前3時。 世界は静かで、二人だけが、確かに生きていた。






およそ3時間後——


ピピピピピ。


スマホのアラームが鳴る。 段ボールハウスの中、直哉と結衣は同時に目を覚ました。


「う……ん」


「おはよう、直哉」


結衣のメッセージがラインに届く。


「おう。よく寝られたか?」


「うん。こんなに安心して寝られたの、はじめて!」




それもそのはず。


普段の結衣は、壁も天井もない花壇の上で眠っていた。


寝ていたら目の前で小便をする酔っ払いがいたり、犬は結衣に気づく事が多く深夜の散歩の犬に吠えられることなどしょっちゅうだ。




でも今夜は違う。


安心できる段ボールの密室、スマホの明かりだけの空間。 そして、直哉が用意してくれた寝袋。


そして目の前には大好きな直哉が自分の為に野宿までしてくれている、それが何よりも嬉しかった。


その寝袋の中で、結衣は直哉の首にそっと手を回す。


「本当に……ありがとう、直哉。大好きなんだから」


その言葉に直哉が無意識に返した言葉は——


「あー、腰が痛い!」


期待していた「俺も大好きだよ」は来なかった。 結衣は少し不満げに頬を膨らませる。


「んじゃ、段ボール片付けなきゃな」


寝袋を畳み、段ボールを折り始める直哉に、結衣が慌てて叫ぶ。


「あーーーその段ボール捨てないでね!またやるんだから!」


「はぁ?またやる?」




「第一回お泊り会はこれにて終了!第二回、第三回と続くんだから!だからそれ捨てちゃダメなの!」


「……まぁ……いいか。わかったよ、結衣」


少し照れながらも、口角が上がる直哉。 その微笑みを、結衣は見逃さなかった。


「直哉だって良かったでしょ!こんなピチピチの女の子が添い寝してくれるんだから!本来こんなの有料だから!お金取るから!」


「はぁ!有料とか何言っちゃってんのお前!」




朝から騒がしい二人。 その様子を、遠くから見ていたのは早朝ジョギング中の武雄だった。


「直哉、何やってんだ……こんどはホームレスごっこか?」


そう呟きながらも、あまりにも幸せそうな表情に、邪魔せぬように道を迂回してまわり道するのだった。

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