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あの世ならぬこの世へ

夜の住宅街は、まるで息を止めたかのように静まり返っていた。

カーディガンを肩にかけ、帰宅途中の彼女は袖をぎゅっと握りしめながら、足を早める。街灯に映る自分の影が、いつもより細く震えて見えた。


彼女の名前は藤本結衣。18歳の普通の女子高生だ。

成績も特別優秀というわけではなく、サークルにもあまり関わっていない。


ごく普通のキャンパスライフを友人と楽しく過ごしていた。


家族は三鷹の駅から歩いて10分ほどの、少し大きな一軒家に暮らす四人家族。


会社を経営する父と母、そして結衣の妹。見た目も家も、周囲からは“理想の家庭”に見えており結衣自身もそう思っていた。




今日はカラオケ屋でのアルバイトを終え、やっと帰宅するところだった。


「あー……もう、酔っぱらいってほんとやだ……」


頭の中で小さく呟く。

歌声に合わせて大声で騒ぐ客。

注文をなかなか決められない女の子たちのグループ。

そして、飲みすぎて絡んでくるおじさん……。


「あー、さっきのウーロンハイキャンセルでレモンサワー、あと美香? ウーロンハイ追加でレモンサワーキャンセルしてくださーい!」


聞くだけ無駄なドリンクオーダーに、結衣は思わずため息をつき、肩を落とす。



「また来週~」


とバイトをあがった結衣。


疲れた体に加え、夜道の静けさが妙に心地よい。



結衣はバッグを握り直し、足早に家路を急ぐ。






通りすがりの家々から漏れる明かりは、ほんのり温かく見えた。

でも、どこか遠く、手の届かない場所にあるような気がして――心がすこし寂しくなる。

(はやく家に帰りたいな……晩御飯なんだろう)


結衣は肩をすくめ、バッグをぎゅっと抱き直した。

ふと、街灯の影の奥で、微かに揺れる気配を感じる。

思わず足を止め、息をひそめて辺りを見回す。

──誰か……いるの?



小さな胸の奥で、冷たい不安がざわりと波打った。




──誰かにつけられている?


背後に気配を感じた瞬間、振り向こうとした首筋に冷たい風が走った。

次の瞬間、背後から荒々しい腕が伸び、口を塞がれる。


「……っ!」


息が詰まり、悲鳴も上げられない。

暗がりの中、銀色の刃が月明かりを反射して光った。


「やめ──!」


言葉を絞り出す間もなく、刃が胸に突き立った。

焼けつくような痛みが広がり、息が止まる。さらに何度も、何度も……鋭い衝撃が全身を貫いた。


視界が赤に染まり、夜空の星がにじんで揺れる。

(どうして……? 私、何も……)


犯人の顔を必死に見ようとした。

けれど、視界は徐々に霞み、ぼんやりと輪郭だけが残る。


「グフ!!!」


口から大量の出血。


倒れた勢いであおむけになった結衣の腹に深々と太いダガーナイフが突き刺さる。



彼女の目に最後に映ったのは、サングラスとマスクで顔を隠した男の残像――それだけだった。




血で真っ赤になった手を、ゆっくりと上げながら呆然と見つめる。


体から流れる血は

「何だか……寒いな……それに……体中が凄く痛いよ……ママ……」




数分後――


まるで壁一枚隔てた別の世界から聞こえてくるような声が、夜の街に響いた。

「大丈夫か! キミ! どうしたんだ!血だらけじゃないか!」


通りがかりのサラリーマンが、心配そうに声をかけてくる。


結衣は口を動かすが、声は出ない。

「見たらわかるでしょ……大丈夫じゃないよ……」


心の中で必死に訴えるも、届かない。



やがて意識は、闇に溶けるように消えていった。






……冷たい。


結衣は地面に横たわっていた。


アスファルトの感触が頬に伝わってくるはずなのに、冷たさ以外の何も感じられない。

結衣はうっすらと瞼を開いた。




夜道は街灯の光が白々と道を照らしている。

ただ数分前と一つ違うのは──そこに横たわっている“自分の体”だった。


「……え?」


ブラウスは真っ赤に染まり、血溜まりが広がっている。

それを見ているのは、今、立ち尽くしている“自分”。


結衣は慌てて手を伸ばした。しかし、その手は自分の体をすり抜けてしまう。

掴めない。触れない。何も感じない。




「やだ……なに、これ……!」


声を上げても、返事はない。

ただ夜風が吹き抜けるばかりで、周囲の家々の窓は固く閉ざされ、誰も気づかない。


(私……死んじゃったの……?)


胸の奥を締め付ける絶望と、言いようのない孤独が押し寄せる。

逃げ出したくても、足はそこから離れられなかった。まるで見えない鎖に繋がれているかのように──。





こうして結衣は、地縛霊としての最初の一歩を踏み出したのだった。




どうして……どうして動けないの……?


結衣は必死に足を踏み出そうとした。けれど、地面を蹴る感覚がまったくない。

電信柱に置いた手は、するりとすり抜ける。冷たい感触も、痛みも、何もない。


「誰か……! 助けて……!」


叫ぼうとするけれど、声は出ない。口を動かしても、誰かの耳に届くのは自分のヒューヒューという呼吸なのか声なのかよくわからない音にもならない空気の「ゆらぎ」だけ。

視界の片隅に、自分の体が倒れているのが映った。着ていた服は血に濡れ、頬には血が伝っている。


見開いた目は恐怖にひきつり、虚空を見つめている。




(これ……私……死んじゃったの……?)


信じたくない。けれど、感覚は嘘をつかない。

体がない。重力もない。温もりもない。目の前の世界は、まるで映画のスクリーンの中に閉じ込められたみたいに、冷たく、静かで……誰もいない。




周囲を見渡すと、街灯が並ぶ夜道はいつもと同じ。でも、空気がどこか違う。

風の匂いも、車の音も、遠くの犬の鳴き声も……全部、遠くから眺めているだけで、触れることも感じることもできない。


「いや……いや……いや……!」


必死に叫んでも、誰も来ない。振り返って走ろうとしても、地面を蹴ることすらできない。

結衣は、自分が現世に縛られたまま、誰にも届かない存在になってしまったことを理解した。


(私は……ここから……逃げられない……)



胸の奥に、言葉にできない恐怖と悲しみが渦巻いた。

ピッコマノベルズ応募作品になります。

はじめての作品応募でしたので何が何やら、ただ読んでくれた方の感想をPDFで頂けるのですね。

「続きを読みたい」とコメント入れて頂いた多くのみなさん、とても励みになりました。

ありがとうございます。


と言う事で、一応完結作品として書きましたのでご指摘いただいた部分など修正しながらのんびりと上げさせて頂こうと思います、どうぞよろしくお願いします。

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