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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

終わらない冬の終わり

作者: 藍川 千織

ここは、この世の北の果てだった。

一年中、雪しか降らない島、あらゆる暴力しか振るわない人を人とも思わない人間たち・・・。

そんな島に、私は生まれた。父は知らない。母は処刑されたと聞かされた。ここは政治犯(せいじはん)の島なのだと教えられた。


時を告げる鐘がなった。朝の5時、働き始めないと怒られる。震える体をなんとか起こし、着替えようとする。窓から吹き込んだ雪が、着替えの上に積もっていた。それを、あかぎれだらけの手で払う。


「ちょっと!わたしにかかったじゃないの!」

隣のベッドで寝ていた女の子がそう言ってわたしの背中を蹴飛ばした。食べ物をろくに食べていない体は吹っ飛ぶけど、そんなことは日常茶飯事なので気にしない。のろのろと起き上がる。

ここはずっと冬だけど、でも今の時期が一番寒い。


「343番、早く庭の掃除をしろ」

司祭(しさい)の声が聞こえた。名指しで呼ばれたら、走っていかないといけない。私は服を慌てて着て、広間から聖堂に駆けた。


「遅い」

一言そういうと司祭はわたしを拳で殴り、やっと肩まで伸びた髪を、「ジャキンッ!」と音を立てて切り捨てた。こんなことはいつものこと。もう何も感じない。箒を持って外に出る。ああ、私は今日の餌食なんだなと理解する。


今日は、庭の掃除をしろと言われたが、これはその日の司祭の気分で一番気に食わない人間に割り当てられる仕事だ。

だって、雪が止むことなんてないのに、その雪をずっと掃いていろと言われるのだから。それを、司祭の気が済むまでやることが今日のわたしの仕事ーー


「・・・わたしは、何のために生まれたんだろう・・・」


ふと、そう呟いた。ここにはたくさんの島で生まれた人間が暮らしているけど、相手の言葉を聞くのは暴言を吐かれるときぐらい。人は幸せになるために生まれてくるって誰かが言ってたけど、この島から出られないことが決まっている自分には、そんなものが得られると思ったことはない。

手先が凍りそうになるので、頑張って袖を伸ばして手を包んで箒を持った。庭を必死に掃いているけど、自分の後ろにはもう雪が積もり始めている。


「ちゃんとやれよ」

後ろから蹴飛ばされた。司祭の下で働く男だ。この人はいつも偉そうにしている。ただ、司祭に逆らえないからわたしたちで鬱憤(うっぷん)を晴らすのだ。


暗くなって、ようやく許されて聖堂の中に入ると、懺悔(ざんげ)に使われる小部屋から悲鳴が聞こえた。ああ、また女が(なぐさ)みものにされている。わたしは今のところここに入ったことはないけれど、でもいつ連れ込まれるかはわからない。ここにいて身籠(みごも)っても、子どもには自分と同じ生活しかさせられない。何なら、子どもを産むときに死ぬ女も多い。だって、全部自分でやるんだから。


母はここの囚人(しゅうじん)だった。わたしのおかげで処刑(しょけい)の日が延びたと喜んでいるのを頭の片隅で微かに覚えている。あのときにいたのは囚人たちが暮らす建物で、母が処刑されて教会へ連れてこられた。部屋も食べ物も囚人の方がまともだったように思う。だってここは、余計な存在と呼ばれる子たちが、暮らしているだけだから。


いつものようにひとくちにもならないパンと味のないスープを食べて、早めにベッドに入る。深く寝ると凍え死んでしまうから、目を閉じるだけの眠り。凍えないよう、時間だけで夜をしのぐ。


その日、わたしはいつぶりかわからない夢を見た。

暖かな草原、照りつける太陽。見たことのない光景が、そこにはあった。でもそこで自分はなにをするでもなくただ草原でひとり、座っていた。夢の中のわたしは、暖かいとはこういうことをいうんだと、思っていた。


ある朝、鐘の音とともに起き上がったのに、仕事を割り当てられなかった。今日は司祭の機嫌がいいのだろうか。こういうときは、他の人に仕事を押し付けられないように教会からそっと離れることにしている。

なぜだか浜辺の方に足が向いた。氷が流れ着くこともある浜辺で、今の時期は誰も近寄らないとわかっていたからかもしれない。


「・・・誰か、倒れている」

浜辺で、人が横たわっていた。息をしている気配があるので死んでいるわけではなさそうだった。行き倒れる囚人なんていくらでもいるけど、この人もそうなのだろうか。あとで告げ口されると恐ろしいことになるかもしれない。ひょっとしたら殺されるかもしれない。

でも、勝手に身体が動いた。


なけなしの力を振り絞って倒れていた人を引きずる。確か、この先に昔使われていた小屋があったはずだ。あそこなら、かろうじて雪と風は凌げるはずだ。この人は、男の人のようだ。身体が重たい。

小屋にたどり着いたときはもう夕暮れの鐘が聞こえ始めていた。早く戻らないと、また殴られる。息も絶え絶えの男の人に、わたしは小声で話しかけた。

「・・・ここから、出たらダメよ」


精一杯教会まで走ったけど、やっぱり司祭の機嫌を損ねてしまって殴られた。

「お前は痩せすぎてそそらない。それだけで感謝しろ」

うずくまるわたしに司祭は(つば)を吐きかけてそう言った。わたしが懺悔室(ざんげしつ)に呼ばれない理由が、思いがけずわかったけど、そんなことは今はどうでも良かった。

そう言った司祭は叫び声のしている懺悔室に入って行った。ああ、あの中にいる子が誰かは知らないけど、大変だろうな、と思った。


少し俯いて、考えた。

(・・・どうせここにいたって、死ぬのを待つだけ・・・だったら・・・)

お腹を空かせたあの人に、わたしの分のパンをあげようと、即座に心を決めた。


わたしは食堂に行ってひとくちにも満たないパンをこっそりとポケットに忍ばせると、スープを飲み干してまた外に出た。この教会は排泄場所が外にある。夜に外に出てもおかしくない。


「あの人のためにしたことで死ぬんだったら、それも運命なんだ」

わたしはそう呟くと、海辺の小屋に向かった。


月明かりを頼りに小屋に着くと、男の人が目を覚ましていて座っていた。わたしの声が聞こえたのかはわからないけれど、小屋の中で暗い中、いてくれたらしい。


「・・・あの、これっ!・・・少ししか、ないけど」

ポケットからパンを出した。暗闇に目が慣れて、少しだけ彼の表情が見えるようになった。人の年齢はよくわからないけど、彼はわたしより年上かもしれない、とだけ思った。


「ありがとう。優しい子だね。でもこれは、半分こしよう」

そう言ってなけなしのパンを彼は二つに割った。自分の手にパンが戻ってくると思わなかったわたしは、パンを口に入れたら涙が出てしまった。


「よしよし」

そう言って彼は頭を撫でてくれた。司祭に無残に切られた髪も、少し伸びていたけど、彼の手は首筋も撫でた。人とは、温かいものなのだと生まれて初めて知った。

母はわたしのおかげで生き永らえたのに、わたしをそのための道具としか思わず、抱いてくれたことなどなかったから、知らなかった。


その日、恐る恐る自分の部屋に戻ったけれど、誰にも気づかれていないように、思えた。少なくとも次の日には誰にもなにも言われなかった。


そこから、数日に一度、彼のもとにパンを運んだ。昼間は仕事があったし、夜の闇に紛れていくことしかできなかったけど。狼に遭遇しなかっただけ、良かったと思わなきゃいけない。


「・・・君のことは、なんと呼べばいい?」

あたたかな声で、耳に残る声で彼がそう言った。でもわたしは、こう呼ばれたことしかないから、こう答えた。

「・・・343番」

「自分の名前を、知らないの?」

彼の目を見ていたら、涙が止まらなかった。自分の名前なんてあるんだろうか、知らないだけなのか、そもそも元からないのかもしれない。そう思ったらいきなり悲して仕方なくなってしまった。

声を殺して泣くわたしを、彼は抱きしめてくれた。

「大丈夫、大丈夫・・・」

そう言って背中をさすり続けてくれた。人と人は、こうやって言葉を交わして気持ちを交わしていくのかもしれない、とわたしはその日、初めて気づいた。


(・・・ずっとあの人といたい・・・)

人と話をするときには名前が必要なんだと気づいたときには、自分には名前がないと気づいてしまった。それが恥ずかしくて、どうしても彼の名前を聞くことができなかった。


夜の闇の中でしか、ちゃんと顔を見たことがないけど、夢で見た太陽のような人だと思った。あの人と小屋にいれば、ここが監獄島(かんごくとう)なんだっていうことを忘れられた。神様の言っていた「しあわせ」って、こういうことなのかもしれないと、心の中に火が(とも)ったような気分になれた。


そう思っていたから、つい、彼のもとに通いすぎていたのかもしれない。


「お前、夜中にこそこそ抜け出してなにをしている」

ある日、司祭の下で働く男に呼び止められた。いけない、懺悔室の前だ。


「最近、女の顔になってきたよなあ。俺が気づかないと思うか?」

いけない、どんどん隅に追いやられる。でもどれだけ腕に力を入れても、男の腕を払いのけることができなかった。


「お前には、懺悔が必要なようだねえ・・・」

男の後ろから、司祭の声がした。鳥肌と、吐き気と、ありとあらゆる不快な身体の感覚が湧き上がってきた。


逃げなければいけないとわかっていた。でも、自分の細い腕では力が足りなかった。その代わりにわたしはずっと唇を噛み続けることにした。

あのあと起こったことは、自分が想像をしていたよりもずっとずっと恐ろしいことだった。なんで悲鳴が聞こえるのかわかっていたつもりだったけど、わたしは本当は全然わかっていなかったんだと思い知らされた。


悲鳴をあげずに唇を噛み続けるわたしに腹を立てて、あの二人はわたしが力尽きてなにも抵抗しなくなっても、気を失うまで二人で入れ替わり立ち替わり暴力を振い続けた。ありとあらゆる、暴力を。

わたしは気づいたら全身が血まみれになっていたけれど、そのまま懺悔室の中で気を失った。


目が覚めたときには周りが騒がしくて、もう夜が明けているのだということを思い知った。でも、懺悔室の中は窓なんてないから真っ暗だ。


息をするのが、つらかった。口の中が血の味でいっぱいだった。

(ああ・・・やっと死ねる・・・)

そう思っていた。ここは教会だけど、神様はここにはきてくれないと思っていた。もし神様が存在するとしても、自分には縁がないと思っていた。

それでも死ぬことは「救い」に思えた。これ以上、傷つかずに済むのだから。


暗闇の中、見慣れた顔がそこにあった。

「・・・ど・・・して・・・」

彼がそこにいて泣いていた。わたしのことを憐んでくれているのだろうか。でも、司祭に見つかったらきっと殺されるから、彼には逃げて欲しいと思った。


「ジズニ、迎えにきたよ」

彼は言った。ジズニって、なんだろう。聞いたことのない言葉だなと思った。ただ死ぬ前に、一目彼に会えたことが幸せでこの光景を焼き付けて死のうと目を閉じた。


「ジズニ、神に愛された子・・・さあ、行こう」


目を開いたら、あの夢に見た暖かな草原にいた。でもこれが夢でないことはわかる。・・・わたしは死んだのだ。死んだあとの世界がこれほどまでに美しいなんて、知らなかった。


「ジズニ、わたしはここにいるよ」

横を向くと、彼がいた。彼の背には羽が生えていて、まるで、教会に飾られていた天使の絵のようだった。


「わたしのために、本当につらい思いをさせてしまったね・・・すまない」

そう言って彼は頭を下げた。わたしはすぐに首を振る。だって、今ここにいる自分の姿は、憧れだったほどに髪が伸びて、身体中のどこにも痣がないように見えたから。そんな自分の姿は、見たことがなかったから。


「ジズニというのは神があなたに与えた名前だよ」

彼はそう言った。そして、わたしを抱き上げると、その大きな翼を羽ばたかせて空の彼方まで飛んでくれたのだったーー

その瞬間に鐘が鳴った。あれほど忌まわしいと思っていた時を告げる鐘が、ここでは涙が出るほど美しかった。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

静かな夜に、終わらない冬の終わりを。

…そんな読後感を目指して書きました。

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