第 七 章 新たなる革命 Revolution Remain the Same
闇を走っていた。
人を殺して逃亡している。
免れたい、生き残りたい、是非善悪などかなぐり捨て、生存のための羅刹と化していた。
ギラギラした野獣の双眼と、艶の濃い黒髪を乱し、こけた頬、鞣革のような皮膚、伊香鎚磨迦はがむしゃらに奔っていた。自分のやらかしたことだが、やっちまったんだからもうしょうがないじゃないか、俺は悪くない。そんな想いで無我夢中に、やみくもに奔っていた。だが、その時だ。
黒い巨漢が突如、立ちふさがった。土佐犬のような、闘争心が滾って荒度胸の坐った不敵な眼だ。北欧の峻厳なる神々のような過酷なまなざし。だが、熱くはなく、凄みある冷厳さを湛えていた。
その威容たるや、暗い山中の夜に迷って突如見る、武神の依代なる大巌のようである。爛々たる眼は睜かれていた。
「ひ、ひえぇ」
マカは腰が抜けた。黒い男は赤い眼でぎょろりとにらむ。
「懼れることはない。おまえは我らの仲間だ、イカヅチ・マカ。
おまえは欲望した。それは神の与えたもうた機らきだ。天然の真義に沿うものだ。それは長い歴史で否定され続けていた。現実には、それが世界を席巻し、動かし、支配していたのに。
禁欲的理想主義が生の原理を否定するのは、ルサンチマンに他ならない。弱者の強者への復讐だ。結局、誰もが王様になりたいのだ。それこそ生の原理だ。
おまえは思いどおりにならない者を排斥した。遂げられない想いは人を苦しめる。人は皆、苦しみから遁れることを希う。おまえは想いを叶えてくれない者へ復讐した。生の原理だ。
我らは新たなるルネッサンスである。
最も古い価値観であり、今となっては新たな価値でもある。
いずれにせよ、革命者だ。古くて新しい真理を謳う。
何もわかるまい、イカヅチ・マカ。
おまえは怠惰だ。おまえは身勝手だ。
激しく欲望しながらも、それを得るための努力や工夫、すなわち、自己抑制や彼女を喜ばせる企画を怠った。
ただ、彼女からの完璧な愛丈を求め、思いどおりにならないことに自己の存立の基礎を揺さぶられ、存在不安に駈られて憤り、その激しい生存への執著から、確かさを求めて根拠もなく執拗に彼女を疑い、甚だしく邪推し、妄想で妬み、責め立てて非難した。
そして、殺して逃げている。おまえは我らの仲間だ。獣よ。来るがよい。古代の暴君のように、無慈悲に高貴であれ。
暗所に安らいで、その湿潤な環境に蠢くおまえの魂、その自然はあまりにも長い間、無礙に否定され続けていた。
時代は変わる。誰もそれを止められない。月の精を受けて、闇と湿潤に生きるおまえは我らのエリートなのだ。
そして、混沌たる混濁の闇と、優しい癒しの生暖かい温もりと、鬱屈した湿り気が生存の実態である。
古くて新しき革命よ。
我らはいずこから来れるや、又いずこへ赴くや。天然自然の理に遵って生き、死す。天知る、地知る、吾知る、君知る」
さてさて、山賊の一人が隠れ家に戻って行った。
「どうしたんでい、貴様、その様子は」
「てえへんだあ、親方、てえへんでえい」
「親方はもうやめろやい、隊長と呼べ。俺たちゃ、一昨日までとは、違うんでえい。昨日、山賊大連合がなった。この辺一帯の大物山賊の頭が手を組んだんだ。
俺たちも軍隊みてえに組織された、再編だ、いや、新たに編成、初めて組織化したんでい、それが合理的で強力だからな、意味があるんでい」
「へい、親方、わかってらあい」
ごつんと兵を殴って隊長は言う、
「で? どうだったんでい」
「へい、お見込みのとおりで。
ちょいと手強そうなあの砦も、この急斜面でっさあ、少しばっかし上へ登ってみなせえ、そっから眺めりゃあ、塀なんざ、ないも同然、足下に砦の屋根が見渡せますや」
「じゃ、決定だな。大将に報告する」
「どうするんで?」
「ばっかやろ、わかってねえのか。
夜襲だよ。
決まってんだろ。夜の寝込みを襲うんでい。上から火矢で攻めりゃ、いちころよ」
山賊連合の頭に押されたイマニュエルが腕を組んで唸る。
「聖剣がどういうものかは知らん。しかし、スパルタクス皇帝が犠牲も顧みず北上している。
あのシルヴィエでさえも、実は虎視眈々と狙っているって言うじゃねえか。
こりゃ、凄いものだ。歴史が変わるのかもしれん。計り知れない価値だ。それを山賊でしかない俺たちが手に入れる。すべてが引っ繰り返るだろう。世界に革命が起こるだろうな。
そうさ、奇襲の夜は革命の夜だ。
山賊が皇帝になる日が来た」
イユは魘された。
兄の夢を見ていた。葬儀、殺された街の路傍の風景、亡骸、大学に通って人工知能の研究をすることが夢だった。しかし、それは突然、途絶えた。
軽薄な少年たちの無知と愚行のせいで。
絶対に赦せなかった。弁護士を同罪だと憎んだ。家族の気持ちが理解できたら、わたしが弁護士なら断るだろうと考えた。
眼を覚まし、明けの明星と月光がならぶのを見る。遙かな、在処離れであった。人は皆悪夢を生きる。※あくがれ……在処を離る。
人狼沙門は皆、貪欲な餓狼の頃の面影を濃く残し、陰刻(くぼみ彫、沈み彫)のように痩せて、跳梁跋扈するしなやかさを持ち、背が高い。
かくして、人の姿になっても、狼としてのスキルは健在であった。狩りでは一日に数十㎞を移動して毎日、大量の獲物を捕らえ、貯蔵用の倉庫に溜めていく。毛皮は高価に売れた。夜も昼も山野や人里を廻って、あらゆる情報を収集する。
或る日、リカオンは龍肯の城砦よりも高い位置で、小さな目印をつけたり、雪洞を作ったりしている山賊を見たことを報告した。山賊たちは砦の人間に見つからないように夜間に大きく迂回して、そこまで来たらしい。
「でも、何もない大斜面ですからねえ、バレバレでっさあ」
リカオンは嘲り笑った。
マコトヤは言う、
「予想どおりだな。ふ。
斥候や工作部隊だ。恐らく、完成した砦の出来映えを見て、正面からぶつかっては味方の損失も大きいと判断し、奇襲を考えたってところか。
奴らの考えは手に取るようにわかる。この山の地形を活かして、この砦よりも高い位置に秘かに登り、上から奇襲をかける、夜にね」
暖炉の周りに屯していたガリオレとリヨンらがにやりとした。
「早速お楽しみだな。山賊大連合の噂は入手している。その一端だろ。
奴ら袋の鼠だ。一気に掃除ができてよいね」
イリューシュがひょいっと立ち上がった。
「何だか、外が騒がしくないか。俺、ちょっと見て来らあ」