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第   六 章  聖賢者マコトヤ・アマヤス、究竟を語る。

 イリューシュは夢を見た。



 よく見る悪夢である。ただし、この世界に来てからは見ていなかった。夢は我々に、いったい、何を為そうとするのか。忘れ得ない過去の記憶がデ・フォルメされた夢だった。悔悛の情、罪の意識。



 跳ね上がるように布団を飛ばし、上半身を起こす。

「はあ、はあ」

 隣でイユやリンレイやアヴァがすやすや眠っている。

 マガダの骸を出て、丸太小屋の暖炉の前に坐った。

 先に坐っていたマコトヤが訊く。

「どうかしたか、悪い夢でも」

 イリューシュはマコトヤが悪夢を見せたかのような不快な表情で、

「あゝ、そのとおりだ」

 マコトヤは黙った。どんな夢か訊かないのか、と言おうとして、イリューシュはやめた。なぜ、そんなことを訊く? 構って欲しいのか? そんなバカな。バカバカしい。



 二人とも、そのまま黙っていたが、マコトヤが、

「答は自分で探すしかない。冷暖自知(暑さ寒さは言葉で説明しても理解できない。体感することでしか知りようがないということ)と言うし。又は経験知でしか見つけられないのかもしれない。或いは、肚で理解するしかないのかも。本当の納得のためにはね」

「人それぞれ、答は違うものなのか。答は一つではない、ということか」

「それも一つの答だ。おまえが腹の根底からつかんだ揺るぎない答がそれならば、それが答だ」

「なるほど。かたちはない、ということか。空か」

「それもかたちだ。空がもし、小生らが慣習的に、普通に思うような空であるならば、それは空ではない。空という特性を持つからだ。いや、かたちがない以上、それさえも言えまい。

 かたちがないすら言えない。かたちがあるとすらも言えるのだ」

「答は自分で探すしかないとは、そういうことか」

「いや、ただ、現実丈しかない」

「そうだな、誰でも知ってることだな」

 又も沈黙。



 唐突にイリューシュが、

「仏陀は病に罹って、喉の渇きを訴え、水が飲みたいと言い、最後には窶れて衰え、沙羅双樹の下に横臥して死んだそうだな」

「そうだ」

「偉大だ」

「あゝそうだ。だが、それが解っても、何の意味もない」

「そうでもない」

「それがおまえの答だ」



 イリューシュは暖炉に吊るされた鍋で煮えていたスープを、浅い杓で掬って、慎重に啜った。

「偉業を遂げて名を残しても、人類が滅びたら、栄光は意味がない。すべては無に帰し、消えてしまうな」

「そうとも言える」

「皇帝たちは無意味なことをしている」

「そうだな。スパルタクスも、シルヴィエも。他にもマーロ帝国のラハン皇帝や西大陸のヴォード帝国のユナイ皇帝もね。王国の王たちも、そうさ。ロードやフロレンッチェの王たちも」



 そんなことから、話は国際情勢に及んだ。

 イユが目を覚ましたので、マコトヤは話を打ち切る。

 しかし、瞼を擦りながら、イユはごねた。

「ねえ、ちょっと待って。

 もう少し話してよ。教えてほしいわ。わたしたちしかいないんだって思っていたけど、国がいくつもあって、たくさんの人たちがいるのね。ねえ、町もあるの?」

 割り込むように、暖炉の前に坐る。

「そりゃあ、あるよ。町どころか、帝国があるくらいだからね。たくさんの大都市がある。

 あなたたち同様に、昔から、現象世界(現実世界)から、多くの人たちがこの真如の世界へ来たのさ。

 もしかしたら、こちらからも向こうへ行っているかもしれないが、そこのところはよくわからない。そこまでは知り得ない。

 さらに想えば、この真如の世界から現象世界へ行った者たちのうち、何人かがまたこちらへ来ているかもしれない。往来が繰り返されていたかもしれない。

 憶測でしかないが。小生とても、すべてを知っている訳ではない。でも、そう考えると辻褄の合うはことがたくさんあるのも事実だね」

「そうなの? わたしたちが思っていたこととは、全然、違うのね。皆、わたしたちと同じなのかしら。ねえ、わたしたちの体験を聞いてよ」



 イユは自分がここに来た経緯を話し、それがどういうことかを問い尋ねた。マコトヤは答える。

「我々はここに来るときに、人間が生まれてから、存在を自覚するまでの再経験をする。しかも、体験を記憶に残す。

 誕生に関して言えば、真如の世界と現象の世界との差は、記憶するかどうか丈だ。他は変わらない。

 現象世界では、自分の生誕した瞬間の意識がない。ここでは、人は自分がどんなふうに意識を始めたかを記憶する。

 言わば、どこから来たのかを、感覚的に確信し、知る」

「そうだったかしら。どこから来たのかなんてわからないわ。何もなかった。無よ」

「そうそう、それを記憶しているじゃないか。記憶がなかった訳ではないということだ。

 論理的に規定される無は(何もなかった、ということも同じですが)一つのかたち・様式・性質・特性を以て差異を做る。

 すなわち、それは理論上、無ではない。もし理論上の無であるならば、差異を成さないものでなければならないから。

 又差異がないことも、差異がないとは言えない。差異がないということは、差異があるものとの、差異を做るから。

 これは論理という思考の進行を規定する法則が原的に孕む自己矛盾さ。ふ。論理がなくば、この矛盾はないが。

 しかしながら、論理思考以外の思考は小生ら、普通、ないからな。どうしようもないがね」

「じゃ、何なの。どうしたらいいの」

「どうしようもないね。矛盾が矛盾して矛盾を許さない。じゃ、許されないなら、しちゃいけないってことだから、矛盾しなくてもよいのか、と言えば、そうはならない。なれない、と言うべきか。そうもなれない。

 アンチノミー(二律背反)だ。解決不能さ。そういう設定、仕様なのさ。

 尾を噛む原蛇の喩えは永遠に解決しない。

 尾を噛む蛇は喰らうのか、喰らわれるのか(むろん、四次元の世界ではあたりまえのように成立するが、三次元の世界では絶対的に矛盾する)。

 さて、ちなみに、解決不能とは、どういうことか。未だ解決を遂げず、いかなる見解にも収まらない。未遂不収さ。

 中途、ただ、遣り掛けな丈だ。

 ただ、現実丈しかない状態だ」



 イユは唇を尖らせた。

「ふうん。

 どうにもならない話ね。って言うか、『とてもかくても候』な話ね」

「何だ、それ」

 イリューシュは眉を上げて疑義を呈した。

「あら、知らないの?

 法然とか念仏行者三十数名の言行を聞き書きで集めた『一言芳談抄』って本にある一節ね。鎌倉の終わりか、南北朝時代のものよ。

 比叡山の社に、偽って神薙の真似していた女が鼓を打って歌った一節。とてもかくても候、って言うのは、どうあっても宜しゅうございます、って意味らしいわ」

「それはわかったが、繋がりが、まったく何もわからん」

 マコトヤは清ました顔で、キャラバッシュ・パイプに火を点け、

「つまり、そういうことさ、現実丈」

「さっきの話に繋がる訳か」

 とイリューシュが言うと、イユは、

「さっきの話って? 何を話していたの?」

 そう尋ねた。

 

 


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