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✜ Epilogue(えぴろーぐ) ✜

 えっ、なにもみえない。



 くらい、まっくら、しっこくのやみだわ、えっ、そ、そんな…うそっ。あゝ、上もない。下もない。左右も、前後も、身も裂けそうな狂亂。存在以前の世界。


「あり得ないよっ。

 これは、もう終わったはず……」


 メタルハートの哄笑が響く。


 いや、やめて。耳を塞ぎ、悲鳴を上げる、身を裂くような絶望の叫びを……



 

 朝だ。

 眼が醒めた。 


「夢か……」


 イユはびっしょり汗をかいていた。あゝ、明るい。窓も開いている。爽やかな乾いた微風。あゝ、幸せだ。隣のベッドでは、イリューシュがまだ昏睡していた。しかし、安らかな顔だ。傷はまだ痛むが、気分は爽快であった。



『死といふ儼』はメタルハートと同時に失せた。皆、無事に元へ還った。「神のご加護だ」と敬虔につぶやく儼肅な言葉に、否を唱える者はいなかった。



 眼を醒ましてからのイユはずっとイリューシュのベッドの傍につきっきりで食事もあまり摂らなかった。もう心配はいらないと言われたが、付き添わずにいられなかった。

「うう、む」 

「眼醒めたのね、イリューシュ」


 イユの頭には、包帯が巻かれていた。血が滲んでいる。顔が窶れていた。寝ずに看ていてくれたのだとイリューシュは想う。


「俺は。

 なぜ、生きているんだ」


 イユが微笑した。


「どっちの意味?

 あなたが存在する理由を問うているの? それとも、どうして死なずに今、生き残っているかを問うているの?」


 イリューシュは眉を顰めた。


「なぜ、あの時、死なず、殺されずに今、生きているか、それを問うているに決まっているぜ」


 応えず、イユはアヴァを指差した。燦々然と坐し、微笑まずとも瞭らかに欣然としている。眩い菩提薩埵騎獅像のように。


「彼女も生きているわ」


 イリューシュの唇が震える。


 聖なるアヴァが聖剣の復活に合わせて降臨したのだと如実に感じた。だから、白き巨象は感慨に囚われたのだ。


「そうか、人間じゃないからな。

 俺も」


 輝くように美しいイユの悲しみと歓喜との綯い交ぜとなった表情が語る、「そうね」と。


 イリューシュはその意味を考え、想い、そして、言った。

「つまり、ジン・メタルハートも甦るということだ」 


 イリューシュのベッドの周りで皆が喜び合う。




 その日の朝、目醒める。

「夢?」

 ああ、今日も平和な日の続きだ。幸せな朝だ。

 そうわかるときの安堵感、嬉しさ。

 幸福で、いっぱいになる。

「そうよ、しかも、今日は皆で食事する日だわ」

 ゆっくり湯浴みし、午前中は庭を見て過ごし、午後に支度して、何度も鏡を見る。

「さあ、行こう」

 


 厳粛な実験のように、キュイジーヌが精密な、料理という名の科学に基づいて調理した暖かな夕餉の支度が整うと、東の青龍、イユとイリューシュはテーブルに着いた。


 今宵は四神が揃う大晩餐会だ。


 眩いスターリング・シルバーのナイフやフォークが美しくならび、白さが光り輝くようなナプキン、ちょこんと置かれた可愛らしい茹で卵の容れ物。


「幸福ね」

 イユは輝く瞳で、イリューシュに微笑む。

 逞しくなった少年は少しはにかんで、無表情を装った。それを見て、イユはさらに微笑みを輝かせる。


 坐るべき椅子のないアガメムノンやマハールーシャは直接に床へ坐ってテーブルに着くも、他より遙かに高い。テーブル面は臍の位置だ。


 イユはおかしくて笑う。 


 栄養ドリンクに入っている程度の、微かなアルコール分が入った飲み物がシェリー酒用の小さな銀の器に注がれた。アペリティフだ。


「リンレイ、あなたも飲むのよ」

「僕は苦手なんです」


 大人たちには、本物のシェリー酒が給仕された。ガリオレは食事の前の祈りを神に捧げる。

 酒類が出ると、男たちの顔はほころぶものである。

 もっとも、バロイやジヴィーノなどは、食前酒など気に入らない。

「おい、そこのバカでかい彩色陶磁器の、金の蓋つきジョッキに黒ビールをなみなみ注いで、四、五杯持って来い」


 リヨンとリカオンは、

「コニャックだ。グラスにいっぱいな」


 ガリオレは、

「ヴィノ(葡萄酒)でいい、赤だ。いや、気が変わった。グラッパにしておこう」


 リュージュ(龍咒)というアカデミアの傭兵も、

「スコッチで。シングル・モルトをくれ」


 アガメムノンは彼らのわがままな要求を聞いても、自分は言わず、じっと大人しく我慢していたが、そんな面子など顧みないマハールーシャは、

「何だ、いいのか。じゃ、俺はバーボンだ。ああ、そのピッチャーに入れてくれ。加水してない、樽出しのままの奴な、アルコール度六十の奴だよ」

 皆どっと笑い、緊張が解れた。


 アヴァン・アミューズが出た。大きめのスプーンに盛られた小さな料理で、小さなサーモンとスフレ、チョコの粉末がスプーンの縁に微かに振られ、仄かな香りづけがされていた。


 ちなみに、アヴァンとは、前にということで、アミューズ・ブーシュの前に出る料理だが、アミューズ自体がアトレ(又はオードブル。前菜のこと)の前に出るものである。


 さて、アミューズ・ブーシュ(直訳「口の楽しみ」)は茹でてから冷ました海老に、ゼラチン入りソースを華やかにかけて、トリュフを添えたもの。


 イリューシュがぺろりと食べるのを見て、

「ちゃんと味わいなさい」

 渋面を作ってから、笑う。


 イラフは給仕されたオードブルをニコニコして食べる。

「シンプルだが、味わい深いね。とてもおいしい。塩が良いように感じる」

 その料理は、オリーブの実が添えられ、極上のオリーブオイルのたっぷりかかったプロシュートであった。リカオンが自慢げに、

「ふむ、ふむ、うん、うまい。

 おっしゃるとおりですな。

 実は、これ、オリーブは南から取り寄せましたが、肉は地元の農家の豚で、最近、見つけたんです。ええ、イラフ様。

 やい、からかうなよ、ジヴィーノよ。ふん、こう見えてもな、農家を廻って、掘り出し物を探すことも、割と好きなんだぜ。

 おい、どうだい、イリューシュ、これは輸出できるよな」


 スープとパンが給仕される。カナッペがついていた。心和ませる湯気に、絵柄すらも清らかな皿である。

 スープを匙で啜りながら、皿の上のパンにカナッペを塗りたくり、

「メインはまだか」

 沙門であったプライドから、清々した雰囲気を保ってきていたアガメムノンもさすがに焦れてきたようだ。

「ともかく、俺にもビールをくれ。そのピッチャーで、ああ、そうだとも、三つともくれよ。そのぐらい、平気だぜ」


 香草を添えた白身魚のポワソン。ユリアスは慎重に解剖するような手つきで、

「クロウミー海で獲れる鱈ですね。大きいのに大味ではなく、繊細で深みがあり、滋味に富んでいるのが特徴です。骨は小骨までピンセットで完璧に抜いてあるようですね。

 うん、おいしい。南大陸でも南極産の鱈を食べますが、風味が違いますね」


 リンレイは掌を合わせてから、

「イリューシュ、食べませんか?」


 第一のメインディッシュと第二のメインディッシュの間に出てくるソルベ(シャーベット)は木苺から作ったもので、濃いソースが掛けられていた。一舐めで食べてしまうジヴィーノは肉料理が運ばれてくるのを見ると、


「やっと来たか。おい、マハールーシャ、バロイ、俺たち用に、超絶弩級の特大々肉もあるようだぜ」


 ヴィアンドゥ(第二のメインディッシュ、肉料理)は牛肉とトリュフとホアグラを重ねたロッシーニふうで、普通サイズで、美しい絵柄の皿に盛ったものは、繊細なデザインのような、細い鮮やかなソースが掛けられていたが、特大のものは子豚が乗りそうな銀の皿に、五㎝はありそうな厚い肉が十数段重ねられ、湯気を立てている丈であった。


「これ、これ」

 バロイががぶりと喰いつく。

「おい、ビールだ」

 黒髪のリュージュが顔を顰め、

「いや、ここはタンニン強めの渋い赤ワインだろうな。雨が少ないと、水分を護ろうとして、葡萄は皮を厚くするんだ。そういう奴はタンニンが多く含まれている」

 リンレイは戸惑った表情で、イユに向かい、

「食べませんか、僕はちょっと」

「え、いいの? 食べたいけど。でも、何で? 菜食主義だから?」

「殺生は」

「あら、野菜にも命があるわ。動物や魚貝は殺しちゃだめだけど、野菜は殺してよいの? 細菌やバクテリアやウイルスは殺してよいの? 理不尽だわ」

 イリューシュが仕方ないなという顔で、

「イユ、今頃、気がついたのか、リンレイの菜食主義に。自己中だな。しょうがないだろ。あまり理詰めにするな。って言うか、その人の自由だろ」


「そうなの? 納得できないわ。殺さなきゃ生きていけないから、私は殺すわ。そして」

 イリューシュが眉を顰めた。

「そして?」

「愛するものを護るわ」

 黙ってたくさん食べていた南の朱雀、エリイがうなずいて、

「あたしも同感だ。生きていけないんだからな。生きなくてもよいなら、生まれて来はしないだろ」

 リカオンは顔を顰め、

「単純だな。そんな理窟のはずがないだろ。ま、どんな思慮も単純だがな」

 イリューシュは嗤い、

「くだらねえ、飯がまずくなるな。消化に悪いぜ」

 北の玄武、マコトヤも笑い、

「イリューシュの言うとおりさ。しょうがないな、イユもエリイも。だが、まさに君らの言う、そのとおりなのさ。理不尽ではあるがな」

 イヴィーノが眼を丸くする。

「理尽も理不尽もないぞ。いや、待ってました、俺の好物だ。これ、これ。まあ、そういうことさね」


 銀のワゴンに乗せられ、さまざまな色彩や質感・形状のフロマージュ(チーズ)が運ばれる。好きなものをいくつか選ぶのだが、

「全部、この皿に乗せろ。このロココ調のブランコの絵が見えなくなるくらいな」

 そう言ったのは、アガメムノン。絵が気に食わないらしい。食欲も同時に満たせるから一石二鳥だ。


 可愛らしいアヴァン・デセール(デザートの前のデザート)が給仕され、その後にデセール、最後にコーヒーで、お茶うけとも言えるプチフールは小さな焼き菓子だった。


「うーん、とても満足よ、キュイジーヌを称讃するわ」

 リンレイも笑顔で、

「素晴らしいですね。いつになっても慣れないし、飽きない。あの頃と、あまりにも違い過ぎて。毎日、感動しています」


 こんな時は、リカオンの表情も柔らかく、善人のようだ。マコトヤは愉快そうにパイプを燻らし、リヨンはコニャックをボトルで七本要求し、ガリオレ相手に議論しているが、今日のガリオレは微笑むばかりで、あまり語らない。


 ソンタグやバロイやカノンは、どうにか特製の椅子に坐るも、やはりテーブルが臍の位置なので、どうにも坐りが悪く、落ち着かないので、無作法ではあるが、立ち上がって談じ始め、お互いの剣を自慢していた。

「名工と呼ばれる刀鍛冶のアウグスティスが鍛えたこの刃こそ、天下無双、世に類まれな、優れたるものなるぞ」


 無表情なメタルを光らせて、実に楽しげだ。やがて、詳細な刀剣談議になった。耳を傾けつつも、木刀を愛用する、西の白虎、イレツは、

「ふん」

 と鼻で笑い、日本酒をグイっと呷る。


 イリューシュは幸福そうなイユを眺め、幸せに浸る。イユの笑顔は薔薇よりも美しい。太陽の薔薇よりも、鮮やかで美しかった。


 幸福というものの解釈を誤らなければ、幸福こそが望むもののすべてである。さにあれば、あなた方の幸福を祈り、最後に聖の聖なる『いゐ』の神聖文字を記して置こう。それは現実という透明〝文字〟である。次のとおり、


 













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