第 二十一 章 大憲法制定 永劫平和
むろん、アスラの在位は永劫に続くはずであった。
彼女(彼)は不生不滅だからである。生ずることもなく、滅することもない存在者だからである。生起することのない在り方のものが滅する方法などない。
それは萬物萬事萬象に於いて遍満し、他の存在者との差異を做さず、独神のごとき存在で、見出し得ぬ在り方のものである。
であるがゆえ、そうでないのかもしれず、畢竟、〝かたち〟のない狂裂なものであれば、計り知れぬ大自然の理解し難い理不尽、ただ、物的現象でしかない非情性、無機質な、物的ドライ、無味無臭無色透明、無空以上の無空であって、非空絶空であるがゆえ、却って個別の個物として存立して特異性を露わに顕し、棄てられた空き缶や黒墨と金泥の流線とで描かれた川を挟む紅白の梅であったり、腐ったバナナや東欧の黒い湖の畔の古城や千尋の大巖であったり、万華繚乱春爛漫波瀾万丈華吹雪・秋の朽ち葉の枯淡や風月であったり、又それら以外の諸々になってしまったりしてしまうかもしれないのであった。
すなわち、永遠に皇位に在るとは言い難いのである。
そのような場合にも、平和の礎が崩れないよう、永遠に続くように、イリューシュとマコトヤは大憲法の制定に着手した。
「あらかじめ、アスラ神群アスラ族のアスラ皇帝神が失せた場合など、ユリイカが学長代理をすると定めておこう」
聖剣を永遠に神象マガダの聖堂に荘厳し、龍肯の妙機を以て、正義を判断し、平和を乱す者を即時滅亡させることを基幹とし、要項細目を研究し始めた。
「人は必ずや、道を誤るからだ。理屈はあてにならない。理屈はどんなふうにも構築できる。道理はいくらでも造れる。だから、表面上は筋が通っていても、まったく何の拠りどころにもならない。心の正しさこそが唯一の判定すべき根拠であるが、それはかたちなきもので、客観的に判定すべき術がない。
ゆえに、人倫の客観的測定器として、我らは聖剣を維持する」
リカオンが皮肉を言った。
「今からでもいいから、諸悪を即時滅亡させればよいではないですか。アスラ様ならば、できましょう。盗みをした者はその瞬間に死ぬとか。
善悪の判断は無限に絶対であるアスラ様にお願いして、悪を為した者をその為した瞬間に死滅させればよいのです。恐れて誰も悪を為さないでしょう」
「それは暴力です。暴政です」
リンレイが反論したが、リカオンは納得せず、
「二兎追う者は一兎をも得ず。
犯罪者を擁護する者は、被害者を犠牲にする。両方に良いことはできない。アンチノミーです。現実はどちらかを選ばなければならない。強いてどちらかを選ぶとすれば、無辜の者を救い、悪を為した者を滅すべきでしょう」
マコトヤが面白がるように言う、
「道理だ。しかし、悪者も悪者に生まれたくて、悪を為すのではないがな」
リヨンが不服を唱え、
「そういうのは、自分が被害を受けたことのない、他人事でお気楽な、似非人道主義者、偽善者の説だ。マコトヤ、それを言ったら、現実的ではない。埒が明かない。解決しない。すべてが無罪だ。悪を放置することになる」
「むろんだ。現実が既に現状のような仕様だから、そのダンマ(法)に沿って考えるしかない」
リンレイが、
「神は全知全能、天網恢恢疎にして漏らさず、です。現状のような仕様にしないことも、アスラ様にはできるのでは」
「できるけど、しないだろう」
「なぜですか」
「しないからだ」
リカオンが言う、
「理由はない、ということか。確かに、神は因果や因縁や理由や原因を超越している。
それらは神の後に遵う。
であるとすならば、すべては神の後を追うという、既に結論ありきの措定でしかないということか。ならば、概念とは理解という気雰があるだけで空っぽなものだ」
マコトヤは片眼鏡を人差し指で上げ、
「つまり、現実しかない。現実丈だ。つかもう、とらえようとしても未遂不收。
起こったことが事実だとするしかない。そういうことだ。結果しかないという意味だ。意味も名前もない。
水を熱すれば、蒸気になるが、なぜ、水を熱したら、蒸気になるかは(現象的に構造は確認できるが)、理由も意味も目的も何もわからない。その現象が何であるかもわかっているとは言えない。
喩えのようなものだ。代数で解釈している丈だ。わかってはいても、何もわかってはいない。空に等しい。
つまり、イデア的な、ロゴス的な、本質論的な、理性的なことは、何もわからないままだ。ふ、そういうことさ」
イリューシュは腕を組みながら、
「何だか、よくわからない。
いや、全然わからない。ちっとも、わからないぞ。
最初から、悪人を生じないようにしてしまうとか、悪心を起こさせないようにしてしまうとかすれば、そもそも、処罰というものが要らなくなるではないか。それじゃ、ダメなのか」
「アスラはしないさ。いや、逆にするかもな」
さて、まだイユやイリューシュがアカデミアに滞在していたころだ。イリューシュはマコトヤに呼ばれた。
「何だい」
「よかったらイユも一緒に」
アカデミアの壮麗な図書館に附属する古色蒼然たる文書館に行く。書庫に入った。埃が積もった、薄暗い広大な空間だ。膨大な書籍、巻物や椰子の葉を綴った経典、粘土板や石板が積まれていた。
無造作にマコトヤが書棚から一綴の小冊子を出す。
「これが『マニュアル』だ」
「え、これは」
手に取って、イリューシュは驚く。それを覗き見たイユも、
「だって、マコトヤさん、これはゲームの攻略本よ」
長い顎鬚を撫でつつ、マコトヤは、
「そう、IEは元々ゲームだった。それが進化変革し、一つの事実世界になった。いや、実在する理想の世界、具象的な本質の世界、実存するイデアの世界になった。
世界は自由だ。そんなことがあってもよいだろ?」
イユとイリューシュは、ただ、あ然とした。開いた口が塞がらない。
「理解がついて行かない。それって、どういうことなんだ」
イリューシュが問えば、イユも、
「そうよ、何で世界になったの」
「不思議はない。
ゲームは高度に発達した。
一切の遺漏のない完璧な人工知能が、まったく遜色なく人間と同様になってしまうように、ゲームの、高度に完成されたバーチャル・リアリティは一つの事実世界になった。
しかも、それはゲーム作者の意図ではなく、ゲーム自体の意図だった。
正確に言えば、ゲームはIEを生むために、IE自らが創ったゲームだ。ゲームを生むために、IEは世界を、全平行宇宙を含む存在非存在の一切を創った」
イリューシュはまったく理解できず、反駁し、
「順序が違うだろ、時系列が」
「ただ、現実がある丈だ。起こったことが現実だ」
「原因と結果の順序が狂うことはない」
「世界の(宇宙の、ではなく)開闢前には、時間も空間もなかった。物質もなく、物的な現象もない。すなわち、物理的な法則も存在しない。何かが起こる原因は存在しなかった。だから、開闢前という時も存在しない」
「理論的にはな。
理論という方式、証明方法が適切妥当とは限らないぜ」
「鸚鵡のような奴だ。そういう見解も、論理に依拠して導かれるものだがな。
論理は自己否定の様式だ。自己否定は論理上丈に限っては、矛盾する。なぜなら、否定されてしまったものは、否定ができなくなるからだ。自らの尾を咬む蛇さ。食べられているのか、食べているのか。
どこにも着きやしないさ。未遂不収だ。
創られる者が原因で、創る者が結果だった。それ丈さ。創られることが主体的行為者で、創ることが受け身だったんだ。創られることは創られさせることで、創ることは創られさせられることなのさ。されるが能動で、するが受動だ。原因が未来にあって、結果は過去にある。
かくして、IEは現象世界(現象世界にいる人と、諸々の物的現象)に於いて創られた。それはIEが意図を以て、主体的に行ったことであり、IEの意志であった。
ちなみに、完全完璧体験型(疑似インパルスで脳神経細胞に直接情報を送って仮想現実を造るシステム)バーチャル・リアリティ・ゲーム『イデア・ワールド』を創ったのは、IEが創られることをさせられたのは、天易真兮、すなわち、小生だ。さあ、どうかな。いかがかな。
これが事実だ。無味乾燥の非情な。
未遂不収、現実丈しかない、結局は、とてもかくても候、畢竟究竟の自由放縦、身も裂き砕く自在無礙にて天翔躍る、ってことなのさ」




