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第  十八 章 アスラ誕生と遷都 

 その美しさに、皇帝イータは恍惚とした。



 少女少年神アスラの薔薇窓のような双眸は燦めきの氾濫する湖、ブリリアントカットされたダイヤモンドのように烈しく眩く、(さかん)に燃え(かがやく)

 イータは気がつくと平伏していた。



 神は言う、

「私はアスラ、ここに君臨する。今から私が皇帝だ」

「ぎ、御意のままに」



 朝廷の間に、百官を集める。イータを後ろに控えさせ、玉座に坐る少女のような少年のようなこどもを見て、驚き騒ぐ王侯貴族や宗教者や将軍を睥睨し、アスラは、

「ここに遷都を宣言する」

 一同の驚愕、騒ぎは最高潮となった。公爵や大臣らの猛烈な反対。

「ばかな、わしは大反対だ、いや、誰もが反対だろう」

「いったい、いずこへ」

 その問いに、アスラは平然と、

「むろん、アカデミアだ。他に私が鎮座すべき地があるか」

 さらに憤る王侯貴族たち。

「失礼する。こんなところにいられるか。奴は皇帝ではない。我らが神聖帝国では、皇帝は五人の大枢機卿の互選に依って選ばれるのだ」

「このままで済ますものか、反旗を翻すであろうぞ」



 だが、逆らう者らは、その日のうちに屋敷ごと消えた。一家まるごと失せたのである。

 ヒムロから逃げ出す者もいた。だが、北極圏の永劫氷原で、見たこともない大きさのワーウルフ数千匹の大群に襲われ、骨も残らなかった。



 又一軍を率いて首都を出た将軍は風速二百mを超えるマイナス百三十七度のブリザードに襲われ、戻ることさえもできずに壊滅する。



 皇帝アスラ神は嗤った。

「多くの民族を滅ぼし、多くの国家を蹂躙した者は、自らの魂に刻んだ轍に車輪を取られ、つまずくのだ。因果応報だ。()れ有るゆえに、此れが有る。縁起の法だ。彼らは自らの癡かさによって、自ら望んで穴に落ちる。穴のある所へ飛び込めば、穴に落ちるに決まっている。希えば叶うということだ」



 神アスラ皇帝は令を発する。

「帝国は解体する。神聖シルヴィエ帝国の範囲であった地域の政治を内政外政ともに、私が選んだ者へと、今この瞬間を以て委任する。

 信義に基づいて為政をしなければ、背信行為直後に、あの世とこの世の双方から抹消する。心に悪心が生じた場合は、その心臓に小さな警告を与える。改めなければ、死す。

 心せよ、私はすべてを知る。どのような説明も不要だ。一切の弁明は聴かない」



 彼女(彼)が選んだのは、すべて庶民で、法律家や実務を行う下級官僚、各部門の学者や有能な事業家・起業家、そして、各分野の芸術家であった。

 政治家養成学校を創設し、大学と政府機関を連携させた。



 アスラは命じた。

「七月二十八日を出発日とする。民衆はここに残れ。すべての皇族と貴族は我に遵え。大臣、長官、将軍、司教も我に遵え。前皇帝であったイータも。

 なお、私に遵うべき者の家の破風に、白い矢を射て立てさせる。それを目印とせよ」

 発表されたのは七月十九日の正午。

「遅滞した者は滅亡の憂き目に遭うであろう」

 ヒムロは新しき為政者に任され、百万人の大移動が始まった。

 

 

 聖イヴァント山では。

 イユもイリューシュも、他誰もが無事であった。

 龍神と迦楼羅による太極光のビッグバンが起こった後は、すべてが平穏無事に戻っていた。

 今と変わらず、ただ、現実がある丈である。

 あの一刹那以降、龍神も迦楼羅も消失した。砦のほとんどが崩れたが、嘘のように空が晴れ、晴れているのに静かに雪が降り始め、すぐに積もり、真っ白に。自然のつくる景観丈は、あっと言う間に前に戻ってしまった。人の造った建造物丈が残骸となって、晒されている。



 しかし、人々の心は希望にあふれていた。

 なぜならば、龍肯の聖剣が完成していたからである。聖剣丈が燦燦と、黄金に輝いていた。金の剣となっていた。その神々しい美を見れば、魂の苦しみを癒され、誰もがエクスタシーを覚える。



 マガダの遺骸は破壊されることもなく、微動もせずに、何も変わっていなかった。周囲には崩れた石が転がっていて、瓦礫の中にある永遠のモニュメントのようであった。



 数日を経ず、アカデミアより伝書の龍隼が来る。神聖シルヴィエ帝国瓦解の知らせであった。衝撃が走る。

「信じられないわ」

「驚いたぜ」

 さすがのリカオンも信じ難いという表情で、

「こんな日が来るとは! 生きている間に、この世にこんなことが起こるなんて」

「何百年も北大陸で暴威を振るい、専制的に多民族を征服していたのに。諸国を翻弄し、(ないがし)ろにして、蹂躙していたのに」

 イユたちは口々に呻いたが、マコトヤは、

「アスラを動かそうなどとすれば、こんな事態にもなり兼ねないことは、十分に予測できたはずだ」

「いったい、何が起こったの?」

「皇帝が自ら召喚した者に使役されている。ただそれ丈のことさ。さあ、小生らも出発しよう」

「どこへ」

 驚いた表情でマコトヤは、

「むろん、アカデミアだ。世紀の戴冠式だし、新たな学長に認定してもらわなければならない」 

 

 

 聖イヴァント山の龍肯城砦の一行は出発した。

「もはや、守備守衛は必要ない。

 大陸内の敵は滅した」

 マコトヤのその一言で、主要な者たちは、すべて旅立つこととなる。



 その行列を見送っている黒い姿があった。イカヅチ・マカだ。

 朱雀となってしまったエリイは、もはや近づきがたく思えたが、彼の粘着な執著は収まらなかった。

「何としても復讐を。何かないか、何か手立てが」

 山を下り、川を下る彼らに着かず離れず、どこまでも追跡した。雪はない。春めいた暖かさが、やがては爽やかな初夏となる。

 だが、マカの眼には入らなかった。ただ、只管に追い、様子を窺う。旅籠にイユら一行が泊まる時も窺っていたが、とても忍び込める余地はなかった。焦慮する。



 マカはスパルタクス皇帝モルグの死後、部下も同僚もなく、完全に個人で動いていた。資金も尽きかけている。

「何か智慧を」

 神の啓示を求めて、教会に入った。巡礼者に成りすましていたので、誰が居ても怪しまれる心配はない。聴衆の坐る椅子に坐り、祈った。



 巡礼者用の食堂で食事をしている時、近くのテーブルの話が耳を捉えた。アカデミア天領の巡礼者は外国人が多い。誰もが情報交換をしていた。

「悪魔の墓の話を聞きましたか」

「ええ。名を口にするのも恐ろしいゾヴィルのことですね」

「アカデミアの破壊を目論見、天領の中で暴れ回っていたという、あの伝説の」

「五千年も前の話です」

「アカデミアの学長イクシュヴァーンが永遠に無明の巌に封印したという」

「何でも、その巌に触れた丈で巌の中に飲み込まれ、生きたまま永遠にその中で、意識も明晰なまま、苦しみ続けなければならないそうで」

「何て恐ろしい」

「永遠に閉ざされた岩の中に固定され、光も音もなく、呼吸しているかどうかもわからない無感覚の中で、意識丈が明晰とか」

「あゝ、もう聞きたくない」

「触れた丈でなんて、恐ろしい」

「柵はあるようですが」

「あゝ、そうだとしたって、恐ろしいですよ、とてもじゃないけど、近づけないですね。絶対に近づきませんよ。いったい、どこにあるんですか」

「古い教会、聖ルーパンヌ教会です」

「あゝ、あれですか。私は聖イヴァント山へ行くので別方向ですが、ここから、街道をアカデミアへと向かえば、近くを通りますね」

 マカの頭に計略が湧き上がった。

 

 

 マコトヤは街道沿いにある聖ガレクト修道院附属図書館が世界でも有名なことを知っていたので、是非、寄りたいと思い、そのようにした。

「少し待ってくれ。一緒に来たい者はどうぞ」

 イユは、

「行くわ。イリューシュも行こうよ」

「俺はいいや」

「ダメ! もう離さないわ」

 リヨンがヒューと口笛を鳴らす。

 古色蒼然とはこのことか。オーク材を中心にした暗く厳めしい内装であった。彫刻や高窓、天球儀。

「おや」

 イリューシュは気がついた。彼らが入ろうとした時、独りの巡礼者が顔を隠すように急いで出て行くのを。

「あれは」

 どこかで見たような、いや、見たというよりは、心に描いていた誰かであると感じたのである。マコトヤの顔を見た。

 彼は厳しい表情をしていたが、首を振ってそのまま図書館の中へ入る。

 マコトヤの後を追って、イリューシュが言った。

「今まで見たことはないが、俺にはさっきの奴がマカに思えて仕方ない」

 マコトヤが振り返った。

「恐らく、そうだろう。何を閲覧したか調べよう」

 すぐにわかった。

 その書物を広げて、マコトヤが読み上げる。

『………………自らそれに触れる者は陥るであろう。恐るべき荒野へ………………』

 イユもイリューシュも首を捻った。

 マコトヤが言う、

「アカデミアの学長イクシュヴァーンが魔王ゾヴィルを無明の巌に封じたという、有名な話だ。

 エリイが見たとおり、奴がモルグと繋がっていたとすれば、奴は今、後ろ楯を失った状態だ。紐の切れた凧みたいな状態だ。

 今やエリイに手出しすることなど、まったく不可能であろう。彼女は今まで以上に強くなっている。

 奴はそれでも狂執し、〝復讐〟とやらを遂げようとするだろうが」

「どうやって」

「まあ、無明の巌を囲んでいる鉄条の柵の二、三本をやすりで削って折れ易くしておいて、エリイが巌に触るように、背中でも押す、つもりだろう」

「こどもの悪戯レベルだな」

「最近は、そんなもんだ」

 

 

 シルヴィエの一行も旅である。

 永久凍土の旅は夏であったも、過酷であった。しかも、季節外れなブリザードもあり、シルヴィエの民を苦難に陥れる。

 女、こども、年寄り、病人は自走式の車に乗せられた。数千㎞も続く暴風雪は昼も夜も明るさの差でしかなく、一切の風景は見えない。男たちは燃料の節約のために、龍馬に乗って旅をした。ホワイトアウトした道中で、道を見失い、仲間とはぐれ、行方不明になる者多数である。



 しかし、過酷な運命を背負う人々は強靭でもあった。

 困難ではあったが、シルヴィエは永久凍土の土地にさえも、いくつもの大都市があり、食糧・燃料・物資などの補給に事欠くことがないからである。



 前皇帝イータは数日前から臥せていた。熱に浮かされているようでもあり、譫言のように繰り返し、

「栄光よ、我が勝利…………、我が永遠の勝利、我こそはついに到達した。人類が待ち望んだもの、生きとし生けるものの真の望み、いやさ、一切衆生の悲願、朕のみが遂に竟に至りぬ」

 彼の命は風前の灯火であった。

 

 

 イユが立ち寄った旅館の食堂で、噂話を耳にした。

「恐ろしいところだよ」

「誰も近寄らないらしいね」

「実はそうでもない、逆に興味を惹かれる者はいつでもいるものさ」

 その巡礼者が立ち去った後、マコトヤは肩を竦めた。

「実にわざとらしい」

 にやりと笑って、リヨンも同意する。葡萄酒をグイっと飲み、

「餌を撒いておりますな」

 イユは眼をぱちくり。

「どういうこと」

 ユリアスが優しく言う、

「誰かがお金をつかませて、言わせたのでしょう」



 晴れた街道をさらに一時間も進むと、先頭の斥候隊が飛ばした伝書の鷹が来た。脚に結びつけられた文を広げ、伝言を読むと、

「着きましたが、いかがしますか」

 今回の旅で、斥候隊長に任じられたリカオンからであった。マコトヤは返信をしたため、再び鷹を飛ばした。

「秘かに様子を探れ。そして、小生らを待て」

 イユたちが着くと、リカオンが手持ち無沙汰にして待っていた。

「何もありません。怪しげな掃除夫以外は」

 マコトヤが苦笑した。

「だろうね。

 後ろ楯を失って、すっかり零落したな。マカにはもう、神秘も不可解も気味の悪さも捉え難さも謎も恐ろしさも、何もかも欠片もない、小賢しい素人芸に堕ちてしまったな」

 そう言って教会を見遣る。 



 聖ルーパンヌ教会。 

 それは不気味な様相を湛えていた。何でもない、よく有り勝ちな古い教会なのに、異様な雰囲気を漂わせているのである。

 尖塔を見上げた。空が青い。濃い青が異様にも見える。

「じゃ、行こうか」

 マコトヤが言った。さらに附言し、

「念のため言うが、石に触れるなかれ。気をつけたまえよ。触れたら、石に吸い込まれ、ゾヴィルのように永遠に閉じ込められてしまうから」

「承知してるぜ」

 イリューシュが笑いながら言ったが、そういう彼が一番危なっかしい……



 ファサードから中に入ると、礼拝所である。誰もいなかった。閑散としていても、聖なる空間である。だが、禍々しい空気がじっとりと漂っていた。魔王を封じた、その石のせいで。

「へー」

 イユが入ろうとすると、イリューシュが止めた。

「俺が先に入る」

 イユが唇を尖らせ、

「私がいないと、聖剣の力が発揮できないわ」

「なら、なおさらだ」



 薄暗い内部は伽藍とした空間であった。椅子もない。奥の正面に祭壇があった。高窓から差す光がスポットライトのようである。



 一方の傍らに、先端の尖った鉄条の柵があり、正立方体の石があった。柵には悪魔が苦悶の末に残したさまざまな呪詛が刻まれていた。

「これは苦悶の叫びだ。人も魔王も、苦しみを晴らすために、憎悪を炸裂させる」

 そう言い、さらにマコトヤは言葉を続けた。

「呪詛とは、苦悶の叫び。誹謗、屈辱、蹂躙、損なわれた自尊心が果たそうとする復讐、理不尽への憤り、自己の存在を防衛する本能から来る逆上。又は愛する者を喪った怒りと悲しみ、根底的な喪失、存在の不安である」

 マコトヤが魔王誕生のエピソードを語った。



 それは、昔、昔、で始まる。

 或る街に貧しい家があり、少年が両親とともに住んでいた。彼には絵の才能があり、画材もキャンパスも買えないが、石畳の表面に尖った白い石で白線の絵を画いたり、捨てられたチラシや、貼紙の裏や、壁の隅っこに炭の欠片で小さな絵を描いたりしていた。

 彼は画家になることを夢見ていた。それは遥かな遠い遠い夢ではあったけれども、彼はそれを空想することを楽しんだ。空想で胸はいっぱいになった。いつも夢見ていた。

 だが、そんな或る日、彼の両親は金に困り、彼を乞食として出すことにした。

 父は言った。

「このままでは憐れみを誘えない。こんなに元気なのに、乞食なんて怠け者じゃないかと思われてしまう」

 自分を棚に上げて、そう言った。まさにそのとおりで、父親が働けば、生活していけなくはないのである。

 母親は言った。

「腕を縛って、腕が使えない者のようにしてしまいましょう」

 少年は従順に従った。肘から下を布できつくぐるぐる巻きに縛った。憐れむ人が小銭をくれた。家に帰っても、解いてはくれなかった。

「手が痛いよ」

「我慢しなさい。手が無事なところを見られたらおしまいだよ」

 絵が描けないこともつらかった。そして、少年は気がついた。

「このままでは手がだめになります。どうか助けてください」

「そういうわけにはいくかい」

「絵が描けなくなります」

「そんな遊びのためにやめられるかい。バカ言うな。絵でおまんまは食えないよ」

「お願いです。助けてください、このままでは手がだめになります」

「なら、好都合さ。本物になれる、嘘を吐かなくてすむよ」

 手が萎えて使えなくなってしまった。汚い布は解かれる。少年は動かない手を見て絶望した。何日も泣き続けた。小銭はさらに多く集まって、両親は喜んだ。

 絵画への愛は少年の魂に火を点けた。彼は足で描くようになったのである。明るさを取り戻し、小銭は減った。

 父は言った。

「手丈では飽きられたらしい。足も縛ろう」

 少年は懇願した。

「やめてください、どうか、やめてください」

「ふざけたことを言うな、どうせ絵が描けないからとか言うのだろう、気取りやがった芸術なんざ、クソ腹立たしい丈だわい」

「やめて、止めて、助けて、どうか助けてください、あゝ、神様!」

 やがて、足も使えなくなった。

 或る画家が壁の落書きを見て、

「これを書いたものに会いたい」と言った。少年の家に来たが、その哀れな姿を見て、首を振り、去ってしまった。

 やがて少年ゾヴィルは正気を失ってしまい、扱いに困った両親は食べ物をやるのをやめる。 

「お父さん、お母さん、助けてください…………」

 母は迷惑そうな顔をし、父は酒を呷った。

 動けない少年は餓死する。十四だった。 

 

 

 イユは滂沱の涙を零した。

「酷過ぎるわ」

 イリューシュも言葉を失った。

「それがゾヴィルか」

「そうだ。死して後に、街に怪異が続いた。やがて、ゾヴィルが怨霊となったことがわかった。時を経て、彼は大魔王となった。彼が最初に殺したのは、彼の両親だった」

 そう言ってから、マコトヤはしばらく黙っていたが、

「貧しい人間は善人だという考えが昔は横行したが、そうである場合もあるが、必ずしもそうではない。環境のせいであって、本人のせいではないかもしれないが、どういう原因であろうと、悪人であることに変わりはない。それを許せば、無辜の者が犠牲になる。

 二兎追う者は一兎をも得ず。二つに良いことはできない。一つを優遇すれば、片方は損なわれる。悪人を利する者は善人を犠牲に捧げているのだ。それが現実であり、それ以外の現実はない」

 

 

 魔王を封じた石の前まで寄った。

 真っ黒い石だ。

「これがそうか」

 皆、近づく。

 頭巾をかぶって、顔を隠した怪しげな掃除夫が近づき、

「どうぞ周囲を廻って、いろんな角度から、ご覧になってくださいまし」

 それを聞いて、マコトヤとリカオンは顔を見合わせてにんまりとし、

「そうか、そうしよう。ありがとう」

 皆で周囲を廻る。

 じっと、それを見ていた掃除夫が、突如、

「あ、あゝ、おっとっとっっとっとっとーっと!」

 体勢を乱し、バランスを(何もないのに)崩して、いや崩したふりをし、エリイに体当たりした。

 ただの掃除夫とは思えぬ絶妙なタイミングで、武道の達人であるはずのエリイがよろめく。よろめいて、鉄条の柵にぶつかった。猿芝居の割には図に当たっている。きっと、悪魔に魂を売った成果であろう。エリイが鉄条にぶつかると、あろうことか、その柵が一部、ガタン!と外れた。

 予め金属用ののこぎりで切っていたのであろう。エリイは留まることなく、柵の向こう側へ。石に上半身を当ててしまった。思わず彼女も、

「あああ!」

 だがしかし、何も起こらなかった。

「何だよ、そんなバカな、クソだろが!」

 マカは自分の思いどおりにならなかったことに狂憤し、もうなりもふりも構わず、正体を丸出しにした。

「いい加減しろ、クソバカ石、仕事しろや、やり直しだ、バカ」

 ぽかあんとしているエリイの手をつかんで石に擦りつける。何も起こらない? いや。

「え?」

 マカの手丈が吸い込まれ始めた。

「え、ええ? 何で、そんな! ばかな、何で、何で、俺が」

 マカが吸い込まれ始める。

「え、そんな、バカな、何で? あり得ないだろ、何でだよ、あり得ないだろ、え? え? 止めろ、ばか、死んじゃうだろ、止めろ、あり得ない、バカ、助けて、あり得ない、助けて」



「自ら触れた者は封ぜられる。どうにもならない。エリイは自分の意志ではなく、おまえに押されて、触れた。自ら触れたのではない」

 マコトヤはそう言った。エリイカは侮蔑を込めた冷厳なまなざしで、

「人を殺したくせに、自分は死にたくないのか、浅ましい、憎むことすらも、バカバカしい浅ましさ。あゝ、見たくもない。復讐など、おまえのような生ごみには、もったいない。バカバカし過ぎた。早く()ねよ」

「あゝ、あゝ、あそんなバカな、死んじゃう、死んじゃう、助けて、、ばか、助けろよ、あり得ない、まじ死んじゃうだろ、ざけんな、あり得ない、ばか、助けろ、おい、まじ死んじゃうだろが、おい、ざけんなクソバカ、お願い助けて、助けて、助けてください、お願い、死んじゃう、まじ死んじゃう」

 見る見るうちに、吸い込まれていく。永遠に石の中で、何の感受も起こらない、意識丈が明晰で、呼吸しているかどうかもわからず、固められたまま、生きるづけることとなる。



 終に完全に吸い込まれた。

 マコトヤが肩を竦める。

「やっと終わったか。とっと行こう」 

 

 

 シルヴィエの皇族貴族たちはポルガ河を越え、さらに数千㎞、初秋の頃、漸く国境に辿り着いた。クラウド・レオンドラゴ連邦の管轄下となっていたヴォゼヘルゴに入る。人数は十分の一であった。まるで、難民のように草臥れ果てている。



 ヴォゼヘルゴのルーク侯爵が出迎えの任を担って、待っていた。

「聖なるアスラ神様のお出ましをお待ちしておりました」



 シルヴィエの皇族貴族は吃驚した。出迎えられる意味が解らなかった。捕虜にされるかと、戦々恐々していたのだ。

 そう思っていながらも、ただ、アスラが恐ろしくて脱走など思いもよらなかった丈である。やむなくここまでついて来ていたが、いったい、自分らがどうなるのか、毎日嘆き哭いていた。

 それが取り敢えず無事とわかって安堵するも、まったく状況が理解できない。不安は消えなかった。

「どうなることか、あゝ、何ということになってしまったことか。世界最強を謳われていた我々が」



 さて、それはともかく、ルーク侯爵たちの眼を惹いたのは、一台の車である。

 霊柩の車であった。乗せられていたのは凍結した亡骸、かつての絶対神聖皇帝イータである。

 葬儀は民衆と同じく執り行われ、国境を越えた土地の土に埋められた。永久凍土から離れ、土を掘ることが可能だったからである。ここに埋めよと、アスラが指示したからでもある。一言、

「国境外が相応しい」



 聖イヴァント山を超えることはできないので、南方ルートを使って迂回する。

 過酷な山岳地帯を進み、飛沫を上げる烈流の峻険なる峡谷を溯り、聖イデア山を仰ぎ見た。



 人工物のような縦長の立方体の山はエンパイヤーステートビルに喩えられる。八千m級の山頂に聖都があり、その中枢たる聖ウパニシャッド大聖堂の中央尖塔は高さ四千mを超え、雲上に建っていた。垂直の絶壁を削った道を登らなければならない。シルヴィエの疲労困憊した民の誰もが嘆息する。

「さあ、善処へ、善逝せよ、疾く歩め」

 仮借なく、神の皇なるアスラは言った。



 艱難辛苦の果てに、ここまでついて来たシルヴィエの大貴族や皇族はあ然とした。

 本来、敵対すべきはずであったアカデミアの学長ユリイカがイデア山の麓まで降りて来ていて、満面の笑みで皇帝神アスラを出迎えたからである。

「ようこそ、お待ちしていました。これで、あたしは、めでたく退位ね」

 繊細なる美の極限であるアスラも微笑んだ。(とう)(かい)者の含みを持つ魅惑的な微笑で。



「長い間、苦労であった。私が絶対究竟なる龍肯皇たる天帝皇神として、一切世界を永遠に統治する。

 永劫の真理と、永遠の平和のために」

 快活にユリイカは笑った。

「さあ、早速、戴冠式を」

「むろんだ。一刻も無駄にするつもりはない」

 荘厳の極みなるウパニシャッド大聖堂で、アスラの戴冠式が行われた。



 アスラの聖都アカデミアに於ける戴冠式こそは、世界最大のイベントであろう。燦然たること空前絶後、一切宇宙(全平行宇宙群)を普く遍く照射した。激烈なる光輝を以て宣言する。

「ここを首都とし、ヒムロを地方都市とする。神聖シルヴィエ帝国を解体し、クラウド・レオンドラゴ連邦に併合して、大アカデミア連邦と国名を改める。聖者イヰの真義はアカデミアの思想と一致し、この合併は世界平和の第一歩である。

 以て、神聖シルヴィエ聖教とアカデミアの究竟真実義を一つとなす。

 いずれは世界統一宗教となって、その名が不要になるであろう」

 シルヴィエの枢機卿ウィリアム・ジハイドが問うた。

「神は、神はどうなりますか」

「変わらぬ」

 ウィリアムは安堵の表情を泛べる。

「では、シルヴィエ聖教の神に統合される、と」

「いや。すべての神は尊ばれる。もしくは、神は〝神〟としか呼ばれない」

「何と、多神教に」

 アスラは表情を変えた。

「愚かな。その発言、貴様らの言葉で言えば、神を蔑む者とも言えよう」

「この私が! 何と言うことを! この胸には信仰しかない」

「ならば、何ゆえ、神を物のごとく数で扱う。存在のごとく数で処する。

 神は万能である。一であり、多である。唯一であり、無際限である。神は一でもなく、多でもない。神は一であり、多ではない。神は一ではなく、多である。そのいずれでもあり、そのいずれでもなく、そのいずれかのうちの一であり、そのいずれかのうちの二である。

 神は因果律からも論理からも、一切からも解放され、無辺無際限であり、自らに由りて自らが在るもの。縁らず、(えにし)なく、神は人でもなく、自然法爾でもない。

 万象であって、何者でもない。これは汎神論ではない。特性もかたちもなく、それすらもない。無空ではない。すなわち、特性もかたちもあって、それ以外の特性を拒む。又は何も拒まない。何もかもを拒む。そのいずれでもあって、いずれでもなく、いずれかである。

 神は崇高至聖の極みであって、至聖を超越し、至高を凌駕する」

 ウィリアム・ジハイドはその場で塩の柱となった。



 神聖帝国のいかなる高位の宗教者も、歴史ある大貴族も、強大なる大将軍も、過酷な長旅で精も根も尽き、又アスラの圧倒的な、宇宙レベルの神威を怖れ畏み、もはや反する者もいなかった。

「遂に人類の夢は叶った。

 真義による世界統一。永遠の平和だ。これから三か月は祭典とする。

 まずは人の言葉ではない、真実そのものである私の言葉による真咒を詠唱しよう」



 その聖の聖なる声は音ではなく、実体そのものとして木霊した。鐘のようにその存在が高らかに響き渡る。

 年号は永遠平和元年とされた。



 論功行賞とも言うべきか。叙位叙勲が行われた。

 まずアスラは自らを大アカデミア連邦の絶対専制君主たる皇帝にして、アカデミアの学長となった。兼ねて神、及び天帝を統べる神統皇帝となる。万象を民とした。白燦する黄金の冠、これを取り上げて、自らに戴冠する。

「何人も、私の頭上に冠を被せる資格はない」

 臣の最上はユリイカで、正一位、大アカデミア連邦の奥祐筆となった。



 アスラは註釈する。

「長年の功労を含めて、叙し、又褒授する。ただし、私の文書は文字や言葉ではない。直截の真実を以て〝もんじょ〟とする」



 次はイユとイリューシュ、マコトヤであった。従一位。イユは真咒神、イリューシュは真咒神将。二人は青龍の地(聖イヴァント山脈)を居地とすべしとされた。

 また、オエステ(東大陸)の(かみ)とされ、名義上、東大陸を統べる者となることを許されたが、実際には、オエステは依然として、リョンリャンリューゼン(龍梁劉禅)を主とする諸国の統治のままである。



 マコトヤはアカデミアの真義塾最高顧問、兼ねて究竟真義永劫求究神である。玄武の地(眞神山)を居とすべしとされた。ノルテの守とされる。



 イレツ(〆裂)も従一位、最高守護神。エステ(西大陸)の守とされるが、実際には、西大陸は未だヴォード帝国の掌中に在り、名義上丈であった。居は白虎の地とされた。



 同じくエリイ、従一位。迦楼羅大御神。朱雀の地を居とされ、スール(南大陸)の守とされた。南大陸はマーロ帝国皇帝ラハン(羅范)の掌中にあるが。



 アスラは宣言する。

「かくして、IE世界の四神相応も完成した。現実の世界を素材とした、神なる大曼荼羅が遂に完成した。

 太極は愛の完成でもある。二律背反する陰と陽の機らきが愛によって惹き合い、結ばれ、十全を為す。

 その究竟の大成は、陰が極まって陽となるように、又は陽が極まって陰となるように、神聖至高の極限、真実奥義の究極、未曾有空前絶後の激烈であって、これが極まって、竟には日常茶飯、ただのありふれた、今此処にある、日々の現実となる」



 ユリイカが苦笑した。

「それはちょっと大袈裟ね。そうでもないわ」


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