第 十一 章 一騎当二千の女戦闘士ジン・メタルハート(瞋・鋼鉄心魂)
ジン・メタルハートはあの敗北の後、たちまち十㎞あまりも下って、標高四千mにある上イヴァント村の近くに着いた。
村は古の街道沿いにならぶ、玄武岩を積んだ三階建ての建物が中心である。窓が少なく、あっても小さく、鉄仮面のような無表情で、素材のせいもあり、厳めしい。
ちょうど街道を底にした小さな谷のような景観であった。
ちなみに三階建てと言ったが、街道から見れば三階建てであっても、傾斜地に建つゆえに、谷側に建つ家の裏口から見れば三階は五階であり、山側に建つ家の裏からは三階が一階であった。
いずれも風雪に耐えた古いものである。
中には、昔ながらの山小屋もあり、そちらの方が本来は古い家であったが、建築素材の性質上、数百年に一度は建て直しを行うので、物的には石造建築よりも新しい建物となっていた。
丸太を組んだ素朴な木造建築を見れば、この村が元々は、猟師や樵の住居や集会場であったことがわかる。
様子を窺う。怪しい気配はないようであった。
だが。
ほとんど人影のない街道、寒風吹き荒び、村人の姿もない。それなのに、バルの入口の階段に坐る、酔いどれふうの男が一人。
ジンはその男の前にったった。その影で坐っている男を翳す。
感情のない縦に細く裂けた瞳孔の蛇眼が睥睨する。
その威圧は尋常ではない。
そんなジン・メタルハートを見ても、坐っていた男は驚くふうもなく、親指で自分の背後を指差した。入れという意味だ。
うなずきもせず、つかつかと入った。
中は薄暗く、カウンターに五、六人の厳つい男たち。
「ジン・メタルハート、ロンヴァル少佐の連隊に属する斥候隊隊長プログレス少尉だ。
皇帝が何を依頼したかは知らない。ただ連隊長から金を渡せと言われた。それがこれだ」
重い金貨の皮袋を置く。ジンは奪うように取った。
言う、
「一つ丈教えておこう。少佐へ伝えろ。イヴァント山の山頂近くで、物は確認した、とな。それ丈言えば、わかる」
ジンは去った。
無敵の彼女も深慮した。さすが最高の聖剣、大宇宙の究竟と言われる丈のことはある。神ならぬ身なれば、勝てようはずもない。依頼主の依頼の意図を疑った。まことに我が勝つと思うて依頼したか。
「そう思えば、神聖シルヴィエ帝国の絶対神聖皇帝イータの意図すらも、計り知れない」
疑念は無限にループする。それを強靭な魂魄で制止した。
「ふ。
いかようなことも、疑うならば無際限に疑える。空疎な絡繰りにしかず。力丈が信に足る。我唯足るを知る」
我唯知足とは、不足を知らず、すなわち執著を厭離した結果、満足しか知らずの義であるが、彼女は敢えてそれを曲げて使った。
すなわち、実践的な充足を齎すもののみを知ればよい、他は知る要もない、と。
「復讐、おお、忘れるものか。あの大戦で、我とシルヴィエとはともに勝利を目前に壊滅した。血が滾るわ。必ず斃す。
アカデミアを斃すためには、シルヴィエの力が必須だ。又報酬も莫大である。我は判断す。
暫時、行動する。様子を見る。捨てるべきは捨て、殺すべきは殺す」
超絶的最高級の傭兵(百万の兵と対等の価値があると言われる)である彼女は二重に契約していた。
むろん、主契約はシルヴィエ。スパルタクスとの契約は、シルヴィエの計略の一部であった。モルグはイータに紹介されてジンを雇ったが、それはイータの罠である。
数か月前のことだ。
北緯七十度、神聖シルヴィエ帝国の首都ヒムロの中央にある皇帝の宮殿であり、聖イヰ教の聖堂であり、朝廷及び政務の中枢であるヒエログリフ大聖堂にある皇帝の謁見広間、天井は見えぬほど高く、正方形の床の広さは五百m四方。
その巨大な空間に、ジン・メタルハートと、鬚のない端正な顔立ち、大理石の彫刻のように滑らかな白皙の肌の絶対神聖皇帝イータとは対面していた。前の皇帝レオン・フランシスコ・デル・シルヴィエ皇帝を廃位に追い込み、至高の玉座に就いた智謀のクーデター皇帝からの依頼はシンプルであった。
「スパルタクス帝国の皇帝モルグとは密約を交わしている。ともにアカデミアを挟撃し、征服しよう、とな。
朕がおまえをモルグへ紹介する。奴の命令に遵い、働け。それ丈だ。
スパルタクスを支援せよ。
奴は龍肯の聖なる剣を簒奪しようと朕に呼び掛けた。だが、奴の真の目的がそれでないことはお見通しだ。奴は究竟の太極を顕現させようと計っておる。朕がそれを知るとも知らずにな。
奴は、おゝ、その秘儀を全うし、朕を、いや、神聖シルヴィエの上に君臨し、全世界の頂点に立とうと謀っておる」
「愚かな」
「秘儀に関する研究に関しては、こちらに百年の長がある。
数千人の研究者や各界の専門家を擁する巨大な研究所を百数十年前に構築し、以来、微細緻密、精妙かつ柔軟に、広範囲に調査研究しておる。
モルグがいかに天才とても、一代の、独りの超人の成し得ることには限りがある。百人の人間が成し遂げる仕事は一人の百倍ではない。千倍にも万倍にもなる」
イヴァント山にて。
皆が各居室に下がっても、イリューシュは毛皮の敷物に半ば横たわり、羊毛の袋にもたれ、暖炉の炎を見つめながら、問う、
「たとえば、聖剣に限って論ずるとして、神聖シルヴィエ帝国は、どのくらいつかんでいるのだろう」
マコトヤは応えた、
「すべてだ。
彼らは百年以上前から研究機関を構築し、古今東西の文献を収集し、各界の人材を集め、又調査のために何十年もかけて優秀な探究者を現地に派遣し、精密なシミュレーションを描いている。
彼らは既に絵を完成している」
イリューシュは感心した。
「大したもんだ。昔から、考える人間はよく考えるもんだな。
だが、一人で、対抗できるあんたは、もっと凄い」
「光栄だな」
マコトヤは片眼鏡を指で直しつつ、
「だが、彼らが聖剣をどのように使おうとしているかは不明だ」
「そうか」
「剣は龍肯(又は究竟神)の金剛界的な力の顕現だ。恐るべき兵器ではあるが、イユがいなければ機能しないし、今のところイリューシュ、おまえ以外に触って無事な奴もいない。
スパルタクスはともかく、シルヴィエはそれもこれも承知のはずなんだが。どう運営するのか見当もつかない。だが、長年の研究によって、何だかの知見に達し、何だかの方策を見出しているはずだ」
「俺をさらって部下にするとか?」
「無理そうだな」
そう言うと、マコトヤはかんらからから笑う。
暫時、和やかであったが……
憂鬱な黒いまなざしのガリオレが入室し、
「夜分に失礼、宜しいですかな。我々には準備が必要です。シルヴィエの空軍やスパルタクスの陸軍に対抗するためです。
東の壁、青龍なる聖イヴァント山は越えられないという常識は間もなく崩されるでしょう。奴らはウイルスのように進化します。
さあ、時間は少ない。しかし、まだまだ絶望的ではありません。
まずは砦です。もっと強固にしましょう。少なくとも、今のままでは上からの攻撃に弱い。飛行機は已むを得ないとしても、歩兵にすら上から攻撃されるようでは話にならない」
「塀を強固に、城壁のようにして、なおかつ高くするのか?」
「足りませんね。嶺に城砦を造ればよいのです。その上はありません。嶺に沿って横に広がった、嶺の上の背鰭のような城砦を造ればよいのです」
「ここを放棄するのか? マガダの亡骸を」
「いいえ。
砦を強化するに当たっては、もっと都市としての機能と軍隊としての機能を充実させなければなりません。もっと装備の規模を大きくし、人を増やす。
砦を拡大し、軍事都市としなければなりません。そのためには、面積を拡大しなければならないのです」
「嶺の砦を造って、ここも拡大するのか」
「それ丈ではだめです。物資を麓から輸送しなければ、ここは何もないから、とても成り立ちません。下からの物資を、少なくとも、この砦と嶺の砦とに上げるシステムが必要です」
「そんなに、いろいろできるのか」
「三つを一つでするのです。
輸送のための踏み固めた滑らかな道を作り、橇で引き上げるのです。次第に発展させ、最終的にはレールを麓から嶺まで引きます」
「こんな急斜面を車輪とレールじゃ登れないぞ。だいたい、鉄がそんなにたくさんあるもんか」
「時間をかけましょう、最初は橇で。
物資が豊かになれば、木材でレールと車輪を、最終的には鉄のレールと車輪を使うようにしましょう。
ただし、木も鉄も、車輪は歯車にして、レールには歯を刻み、歯車と噛み合わせさせ、ケーブルカーのように綱で牽いて登らせるようにすることを考えています。
車輪の歯車は逆回転防止の処置を施しましょう。
当面は大型の長毛牛を動力とし、大きな巻き上げ機を回させ、巻き上げるように引き上げるのです」
「しかし、砦の拡大は」
「防衛のために道の両脇を、塀、又は城壁で防護します。そして、壁の内側を街にするのです。麓から嶺までの細長い街が出来上がります。円形に広がった街に比べて連絡に時間がかかるようにも見えますが、どこにいても、交通機関のすぐ傍なので、お互いの連絡は速い。
そうです、この砦と嶺丈ではなく、ポイント、ポイントで駅となる街を置くのです。
後でレールの本数を増やす必要があることを考慮し、最初からそれを想定した設置の仕方をします。そのために、用地の確保をしておく必要もあります」
「なるほど。物資と人材と時間があればできるかもしれない。
防衛と都市としての発展と輸送が同時に構築できるって訳か」
「最終的には巨大なT字型の都市となるでしょう。道もいきなり嶺は無理です。少しずつ延長するのです。
いずれにせよ、私の知る限り、できる丈、大量の職人を集めましょう。鍛冶や大工や石工や。建築士や測量士なども必要です。
そのためには、食糧を始めとする、さまざまな物資が必要です。お金もね」
「どうやって集める」
「自然に集まるでしょうね」
「え?」