第 十 章 兵(ツワモノ)
老人となった今も筋骨逞しいロンヴァル(崙婆瓏)・ウェイ・ヘミング少佐。
スパルタクス帝国の西部ガスパーニュ地方の古い貴族の出身である。貴族と言っても、すっかり零落して、庶民の富裕層以下の暮らしであったが。そもそもガスパーニュ地方は独立国家であった。スパルタクスに蹂躙された民族の一つで、征服された王国の一つでもある。
日焼けした、短い白い髪に、白く短い顎鬚を生やし、歴戦の老将は節くれ立った太い指に皺を刻んでいた。その指を組んで、逆さに立てた剣の柄頭に乗せ、じっと地方官憲の話を聞いている。
聞き終えると、聞いた内容を書記官に書き取らせて報告書をまとめさせつつ、今日までの労苦を思い返していた。
「ルイ(累)少尉」
少尉は少佐にお付きの将校である。
ルイは呼ばれて応え、
「は、ここにおります。少佐」
「いやはや、耄碌したものか。最近、過去を振り返る。
我らが栄光の帝国スパルタクスから、ここに至るまで、いくつかの国を通過せねばならなかったが、それを思い出しておる。交渉もしたが、力で脅かしもし、遂にアカデミアの守護者を自称するクラウド連邦の勢力内であるハグレーポルガに到達し、戦争をしながら北上してきた]
「尋常な労苦ではございませんでしたから」
「兵たちには長く辛い思いをさせておる」
ルイ少尉はじっと老将を見つめた。
『いったい、この戦争に何の意味があるのか』
少佐の口調がそう言っているように聞こえたからであった。あたかも眼でその言葉を制止しようとするかのように。
『その言葉丈は言ってはいけません。皇帝はそれを言わせようとしているのですから。西部の人間を片っ端から、潰そうとしているのですから』
歴戦の結果、神慮に富んだ老将は微笑した。
「だが、兵とはそういうものだ。
予備隊(庶民から徴兵され、二年間の兵役を義務づけられた者たちで編成される)ならともかく、帝国正規軍ならばいかなる艱難辛苦も堪えねばならん。わしも幾十年、辛酸を舐めた」
「はい」
「さて、アカデミアへの道はさらに過酷だ。東の壁は人間には登れぬ。北から攻めるには、北極の海を渡って、クロウミー海に入らねばならぬ。流氷で、到底、進めぬ」
ルイ少尉もうなずき、
「西ルートは我々にとっては大きな遠回りであり、クラウド連邦直轄領をまともに横断しなければなりません。
必然的に南ルートで大河を溯り、最短でクラウドの勢力下を縦断し、峡谷を遡行するしかありません」
老将は諦めなような歎息をし、
「いずれにせよ、難儀なことだ。
これによって、何千何万の人生が奪われる。一人の人間にとっては、その生が世界の始まりであり、終わりであり、すべてであるにもかかわらず。
家族を、仲間を、愛する者を、信じる者を護るためと言っても、純粋な戦争など存在しない。
その他のすべての現実と同様に、無数の思惑で動く。官僚の辻褄合わせであったり、政治家のパワーウォーズであったり、利権や大企業の金儲けであったり、思い込みや自己満足であったりするのだ。
その中に愛国や正義への思いや自己犠牲の精神なども入り交じるから、さらに複雑だ。現実は常に複雑な、ごった煮で、一様なことなど、かつて一度もない。
願わくば、独り皇帝陛下のお考え丈が、掛け替えのない人生と引き換えてもよいものであることを信じたい。
多くの人間が自分の命と家族の運命を犠牲にしても、それに値するだけの正義と真実と世界のための真実真義であってほしい。皇帝の御意向が。
皇帝のお志が聖なる使命であって欲しい。せめて。
あゝ、我ら軍人はそう考え、そう信じるしかないのだ」
そうあってくれれば、どれほど気が楽か。
だが、それは望み得ない望みであった。絶望的な望みであった。