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ニエミ邸の惨劇

作者: 名取能貫

「こいつはひどいな」

 私達四人と依頼主がニエミ家の邸宅に足を踏み入れた直後に漂ってきたのは、血の鉄臭い兇臭だった。

 床には赤銅色の鱗のサラマンダーの老人が、乾いてどす黒くなった血にまみれた服を着た姿で斃れ、力無く開いた口も生気を失った目も綺麗な板張りの上で永遠に動かなくなっていた。その奥には、この男の奥方と子供三人と思しき死体も見える。

 部屋は荒らされていた。手前の本棚も奥の食器棚も中身が床にぶち撒かれ、窓も割れている。

「なんて事だ……」

 依頼主のリンドーター氏も驚愕の表情を隠せなかった。

「このサラマンダーの老人が、最初の商談相手のカルリ・ニエミさんですか?」

「そうだ。まあ商談っつうか取り立てだが――まさか、家族みんなして殺されてるだなんて……」

 心ここにあらず、という風で気の抜けた声で答える依頼人。彼は目の前に斃れたサラマンダー族のオオトカゲの体を見下ろして立っていた。

 昼頃に冒険者斡旋業者〈赤き戦斧亭〉へ依頼に現れたのが、この金貸しの商人フェリム・リンドーターという茶髭の中年男だった。子供のように小さなブラウニーという種族(スピーシーズ)にしては大柄で、上背が私の脇腹あたりまである。それでも我々他種族から見れば小柄だ。

 依頼内容は護衛。彼は大口の貸付けや返済能力に問題のある顧客の対応は部下だけに任せず、自らが当たるようにしていた。そういう重要あるいは難しい取引が同じ日に集中してしまったので、万が一に備えて護衛を付けたいという。

 通常、冒険者斡旋業の間で護衛の依頼と言った場合は街道を行き来する間の馬車の護衛が通例で、王都市中で事が済むならわざわざ金を払って雇う事は少ない。しかしリンドーター氏はそうではなかった。彼の商売柄、客とのやり取りが揉め事に発展しやすい。商談中もそばに立っていてほしいとの事だった。

 依頼を受理した我らが〈赤き戦斧亭〉の店主は、店に所属するあまたの冒険者の中から私達を選んで彼にあてがったのだった。

 そして手始めに依頼主リンドーター氏の自前の馬車に同乗させてもらい、カルリ・ニエミ会長の家を訪れたところ、私達は彼と共に惨劇の現場に遭遇したのである。

 彼の死体を前にしては、当然ながら、もう取引や商談どころではない。

 私はリンドーター氏に、御者か誰かを近くの衛視の詰所まで走らせるように言った。

 御者が衛視を連れて帰ってくるまでの間、私達冒険者一党(パーティー)は殺害現場を調べている事にした。死者が出ている以上、被害者の関係者である依頼主にもその凶刃が向かないとは限らなかった。それに、依頼主がカルリ・ニエミとするはずだった商談と関わっているとすれば、ぼさっと突っ立っているわけにもいかない。

 まず私は帳面を開き、現場の大まかな状況を簡単に書き留めておく事にした。部屋中に物が散乱していた。椅子は数脚倒れ、本棚からは本が床に落とされている。食器棚の中身も同様だった。奥に散らばった陶器やガラスの破片が手前にも広がっている。帽子掛けも倒れ、そばに帽子と千切れた長い顎ひもが落ちている。

 一見すると家探しをしたような印象だ。犯人は物盗り目的の強盗だったのだろうか?

 その間に、私達四人のリーダーであるベレンガリア・ブリュッケミュンステルが、依頼主の心を落ち着けるためにも、彼から被害者についての情報を聞いていた。白い装束に身を包む神官であり、大盾を構える重戦士という頼もしさのおかげで、彼はすぐに被害者の一人カルリ・ニエミ会長について知りうる限りの事を話した。

 ニエミ家は代々車大工ギルドで高い立場を務めてきた家系であり、カルリはギルドの親方衆の元締めたる会長を務めていた。もっとも、近頃は家業という言葉が我々の市井を縛る力が緩んで世の中がおおらかになって久しいので、家柄よりも腕前で上りつめて得た地位だ。職人としてもギルド運営者としても一流であったがしかし、性格には難があったらしい。彼は技術的にも気っ風の上でも昔気質の職人だった。頑固で喧嘩っ早く、気難しく凝り性で、車輪と馬車だけが全て。それ以外の事は全ておざなりにしがちであった。

 ニエミ会長はすでに自ら馬車職人として槌を手に取る事は無くなっており、若い見習い達の後進育成に注力するかたわら、新たな注文獲得のため富裕層・上流階級の顧客との社交の日々を送っていたそうだ。そのような場に出られる身分まで上り詰めていたとも言い換えられる。しかし現場を離れた後、得た財力で博奕の味を覚えたせいで暮らしを傾かせてしまい、リンドーター氏の金をしばしば借りていたという。彼曰く「お得意様」との事だった。

 フェリム・リンドーターはあくまで金貸しなので、顧客のカルリ・ニエミ会長以外の死体については、彼の家族であるという事を除いては何も分からなかった。彼は何度もニエミ家を訪ねた事があり、その時に顔を合わせた事があって、妻と子供達三人だという紹介だけは受けていた。それ以外については彼は名前も職業も知らなかった。辛うじて、ニエミ会長の妻の趣味が釣りだったという話を生前の会長から聞いていた程度だった。

「この家は見てのとおり、廊下を通って入ってすぐ手前の小さな空間がダイニングルーム、その奥が居間だ」

 リンドーター氏が手で示して言った通り、手前には大きな四人掛けの丸テーブルが、奥には三人掛けソファとランタン台が置かれていた。ダイニングルームと居間は工事で壁が取り払われて一続きになるよう改築されていて、板張りの床材の違いを除いては一つの広い部屋になっていた。

 死体はいずれも奥の居間の方に転がっていた。ダイニングルーム側はダイニングテーブルとして丸テーブルが占拠しており、死体の転がる場所が無かった。

 ベレンガリアが依頼主から話を聞き終わった頃には、私達の中で最も目端の利いて器用な斥候係のキーヴィエが、現場や遺体を簡単に調べ終わって立ち上がったところだった。冒険者の装備だろうと極力おしゃれをしたがる彼女は、自慢の黄色いボディスに少しでも埃が付いた事をいたく気にして手で払っている。

 キーヴィエ曰く、

「亡くなった方々ですけど、たぶん事が起きたのは今朝当たりじゃないかと思います。で、死因はですね~、他の方々はお顔殴られたりちょっと斬られたりして血が少し服についてますけど、首に痕があるのでひも状の何かで絞め殺されたのが直接の死因みたいです。でもひもの太さはみなさんまちまちで、たぶん凶器は一種類じゃないと思います。

 でもカルリさんだけは、みぞおちを分厚い刃物で刺されて死んでます。傷は一つだけですけど、たぶん同じところを二回くらい刺されてますよ。背中まで刃が突き抜けちゃった痕跡が見当たらないので、刃渡りは短めかもしれません。ナイフか短剣くらいの」

「凶器を用意しておいて、急所を狙って一突きで殺した、か。悪質な家探し強盗団の仕事のようだ」

「でも、死体の周りの床には血が垂れてませんね~」

 頭を掻きながらキーヴィエは床を見下ろしつつ、誠に勝手ながらダイニングルームの丸いテーブルの席に座った。

「という事は、死体はここで殺されたわけではない? 彼は別のところで殺されて、その後死体はここに運び込まれたってところか。どう思う、アヴィ?」

 ベレンガリアは腕組みして首をひねった。そして彼女もキーヴィエにつられてダイニングの椅子を引き、動揺しているであろうリンドーター氏を座らせ、自らも隣に座った。

 私も一緒に座る事にした。丸テーブルの席が四席全て埋まり、卓を囲んで全員で顔を突き合わせた。私はその場で思いついた疑問点をベレンガリアに投げかけた。

「ではどこで殺されたんでしょうか。そもそもなんで死体は移されたのでしょう」

「それが分かった時が、事件が解決する時なんだろうな」

 ダイニングルーム側に窓があり、ガラスが割られていた。

「きっとここから犯人は侵入したんだな」

「でしょうね、きっと」

 彼女の妥当な結論を否定するような不自然なものは何も見当たらないように思えたので、私もうなずいた。

 その後私達は各々立ち上がり、キーヴィエは再び部屋を調べ始めた。ベレンガリアもリンドーター氏を連れて席を立ち、ニエミ邸について一階の他の部屋の事を詳しく尋ね始めた。

 私の出番はというと、こういう調査の場面ではあまり無い。私は一魔法使いでしかなく、いくら青いローブでばたばた動き回っても、それらしい物を見つけられたためしがなかった。役に立てるとすれば、何か魔法の行使を頼まれた時、何か鑑定の必要がありそうな物品が出てきた時、魔術師ギルドなどのコネが必要な時、くらいだろうか。あるいは、交渉事に臨むのも私の役目だ。これでも貴族の生まれなので、いざという時は魔法職の一冒険者アヴィとしてでなくヒュスレーム子爵令嬢アルヴェアー・アルヴィンソンとしての身分を盾に出来るからだ。しかし今回の依頼では、そのいずれの役割も果たすような事にはならないだろう。こういう時に出来る私の唯一の仕事は、集めた情報を書き留めておく事くらいだ。

 あとは、私達の一党(パーティー)の最後の一人が、何か変な事をしださないよう、手綱を握っておかねばなるまい。彼女だ。

 ミーナ・セルニャンキサは最近一党(パーティー)に加わった、のっぽな女。いつもお気に入りの緑色のスカーフだか襟巻だかを首に巻いている。技能で表すなら軽戦士。少々訳があって私達が彼女を預かる事になり、その見張りと御守をしなくてはならなかった。

 外国生まれ――嘘はついていないはずだ――である彼女は、おそらく我々に害意や悪意のあるような者ではないと思われるし、物腰柔らかで慇懃、さらに知性の方はかなり頼りになる部分がある事は、これまでの加入経緯と観察結果から分かっている。しかし彼女は時折我々の常識では考えられない行動をとるのだ。

「これは興味深いですねえ」

 そう言いながら、さっそくミーナは好奇心剥き出しにして部屋中のあらゆる場所をひねくり回しすように眺めて覗き込んでいる。まるで王都に出てきたばかりのキーヴィエのようだ。かと思えば故人のソファの座り心地を勝手に堪能したり、家の物を勝手に手に取ってためつすがめつしたりして、興味が止まる様子が無い。

 見るからに危なっかしかった。どうして彼女は目立つような真似をするのだろう。

 彼女はトロール、魔族なのだ。本来人族国家にいていい者ではない。その事がふとした拍子にバレたらどうするつもりなのだろうか。

 妖精界コッティングリアは人族妖精と魔族妖精の支配領域に二分される。我々は何千年もの長い歴史の中でずっと対立し続けてきた。

 にもかかわらず、私達がある日依頼中の旅先で偶然出くわしたこの女、話しかけてみると自ら何ら隠し立てもせず自分がトロール族だとしゃべったどころか、なんと特大魔族国家の近衛軍の情報師団に籍を置くなどとぺらぺらと公言しだしたので、慌ててぐるぐる巻きに縛って王都まで連行したのが彼女との出会いだった。それが、危険性の低さ、得られる情報の有用性、御しやすさなどを検討した結果二重スパイか交渉・外交の窓口に使えると見た王宮おしろはあえて、彼女には監視を付ける以外は好きなようにさせておく事に決めた。その監視役という名の保護者を押し付けられたのは、彼女を連れ帰った私達だった。拾ったペットは最後まで飼えという事か。表向きには私達一党(パーティー)に新たに加わった仲間という事にして、我が〈赤き戦斧亭〉の冒険者という仮初の地位を与えて手の届く範囲に抱え込んでいる。

 しかしこのお妖精(ひと)好しのスパイ、人族に対する悪感情というものが全く無い(だからこそのこの処遇なのだろう)。それに、我々が最初に邂逅(かいこう)した時に起きた事件でもそうだったが、珍しい知識や知恵を持ち、私達とは異なる頭の回し方が出来る。ある面では切れ者と呼ぶ事が出来、軍属という事もあって、冒険者としての働きは中々悪くないのだ。

 ただ最近は、監視されながらの生活を物見遊山でもするように送っており、自らの今の立場を忘れているのではないかと思うような行動が覆い。

「ミーナさん、そんなによその家の物を物色するもんじゃありませんよ」

 私が止めると、ミーナは素直に手に持っていた燭台を置いた。彼女は物が分からない奴ではないのだ。

「そうですねえ、確かに分別ある文化的態度とは言えませんでした。しかしこのロウソク、棚の上でコテンと倒れていたのですが、とても良い匂いがします。こちらの品はやはり面白いものばかりですねえ」

「あんまり変な行動をとらないで下さい。ましてや依頼主の前で……あなただって自分がこの国でどう思われるのか分からないわけじゃないでしょう?」

「これでも私なりに調べているのですよ。ところでリンドーターさんにお伺いしたいのですが、ニエミ氏は皮膚病か何か患っていたのですか?」

 リンドーター氏は聞き返した。「なぜそう思う?」

「いえ、燭台の上に彼のとよく似た色の鱗の剥がれたのが乗っていましたし、ソファの間にも同じ鱗の欠片が挟まっていましたので」

 確かめてみると、確かにソファの座面と背もたれの間にそれらしい皮膚片じみたものが見つかった。

「ああ、これか? 彼は生前あまりよろしくない癖があってだね、よく体をぼりぼり掻いてたんだ。サラマンダー族ってのは、若造の頃までは成長のために脱皮をするそうだが、あいつはジジイになっても鱗を剥がす癖が抜けないんで『体に悪いからやめろ』と方々から言われてたそうだ。他の種族スピーシーズで言うところの、なんだろうな、頭を掻いてふけをまき散らすとか、かさぶたを引っ掻くみたいな感じだろうか。しかも掻いた後の剥がれた鱗をその辺に捨てたり隠したりどこかに押し込んだりするんで、それも嫌がられてた。結局最期までやめなかったらしいな」

「種族特有の問題ある習慣という奴ですねえ」

 キーヴィエもこの悪癖で剥がれた鱗に気づいてはいたものの、気には留めていなかったようで、これを念頭に改めて部屋を確認し始めた。

 それとほぼ同時に、ベレンガリアが窓の割れた穴から顔を出した。

「やはり窓ガラスは外から割られたんだろうな。破片が部屋の中に散らばっている。割った後で手を突っ込んで窓の鍵を開けて侵入した。で、犯人は死体を家に戻した。見ろ、窓ガラスの外にも鱗がある」私が覗き込むと、窓ガラスの向こうは裏庭になっていた。たしかに黒土に一枚落ちている。「こいつはボリボリやった奴じゃなくて、運び込む時に何かに引っかかって剥がれたんだろう――庭の土に足跡が付いている。後で調べてみよう。それに、何かを引きずった跡があるな。二本の線になってる。ちょうど肩幅程度離れているから、運んでいる時に死体の足でも引きずったのに違いない」

「て事は、犯人はカルリさんをこの家の外で殺し、あるいはご家族も全員外で殺されていて、その後窓を割って死体を家の中に運び込んだ、って事ですかっ?」

 キーヴィエは私の顔を見て首を傾げた。私と同じ疑問を感じたらしい。

「それでも結局、なんでわざわざ死体を家まで戻しに来たのかが分かりません」

「ですです! 家探し強盗が、外で一家を殺して、そのご遺体をお家に戻しに来た。すっごく変だと思います」

「だな。どうしてこうなったのか……今はまだまだ不明な点が多い」

 私達がベレンガリアの指差す裏庭へ意識を向けている時、ふとミーナの姿が見えない事に気が付いた。私は彼女が妙な事をしでかさない内に見つけ出そうとニエミ邸の中を探した。

 二階はうって変わって狭く、子供部屋と奥方の部屋らいしか無い。

 ミーナはその一室の前で廊下につっ立っていた。

「何かありましたか?」

「上を調べてたんですが……この男は誰でしょう。というかコレで何人目です?」

 そう言いながらミーナはその部屋へずかずか入っていった。小さな本棚に本読み机、狭いながらも中々居心地の良さそうな私室だ。

 ベッドの敷布団の上に横たえられているのは、ベスト姿の中年男だった。背丈や髭のほどを見るにドワーフ族と思われた。彼も厚い胸板が血塗れで、既に息絶えているのは明らかだった。彼は敷布団の上に本来の姿勢とは垂直に寝かされ、膝から下は床に投げ出され、頭はベッドの縁で力無く傾いていた。しかし敷布団の上にはやはり血痕は広がっていなかった。

 私は急いで一階のダイニングルーム・居間から一党(パーティー)の他の二人とリンドーター氏を二階へ連れてきた。

「ニエミ家には使用人が一人いた。こいつがそうだよ。個室をあてがわれているとかいう話だったから、多分この部屋がそうなんだろう」

 やはりリンドーター氏は使用人の名前を知らなかった。仕事に関係の無い事には興味が持てない質らしい。ところでカルリ・ニエミという男、職人風情にもかかわらず使用人を雇えるような暮らしをしていたのか――私がそう感じてしまうのは、貴族生まれゆえの高慢なのだろうか? 

 ともあれ、リンドーター氏が悲嘆の表情を顔に作ってうつむいている足元で、キーヴィエがしゃがみ込んで使用人・何某の死体を調べている。キーヴィエが顔を上げた。

「見てください! この人、腰にエプロンを巻いてますよ!」

「そりゃあ、彼は使用人なのですからエプロンくらいしますとも」

 キーヴィエは私に指摘されてしょげ返ってしまった。

 私は生家の屋敷で我が一族に仕えていた使用人達を思い出していた。男の使用人がエプロンを外すのは、外出時ぐらいのものだ。

 彼女がすぐに新たな発見をして復活した。

「見てください! この人、靴に土が付いてますよ!」

 キーヴィエが死体の膝を伸ばして足を持ち上げた。私とベレンガリアが覗き込むと、靴のかかとに黒土の塊が盛り上がって付着している。

 それを見たベレンガリアは、我が意を得たりとばかり顔を上げた。

「決まりだな! 死体は何らかの理由で外からこの家に運び戻されたんだ。これは強盗なんかじゃない。彼らは何らかのトラブルに巻き込まれたんだろう。おそらくは、マフィアのような組織的な犯罪集団か何かにだ。でなければ、一家皆殺しなんて事態は起こるまい」

 その時、一階でニエミ家の玄関のベルが鳴ったのが聞こえた。御者が衛視を連れて戻ってきたようだ。

「ちょうどいい、事件の第一発見者の私見として、調べた結果と一緒に我々の見解を述べるとしよう」

 ベレンガリアは使用人の部屋から出て行き、その後ろをキーヴィエもリンドーター氏もついて行った。私も部屋から出ようと思ったのだが、ミーナを置いていく事は出来ず、

「ほら、行きませんか」

 彼女に呼びかけた。しかしミーナだけは、

「変わった家だと思うんですがねえ……」

 一人でずっと首をかしげて何事かを考え込んでいた。



 その後私達は全員、衛視達に詰所までついて行ってカルリ・ニエミ一家殺害事件について一通り事情聴取を受けるはめになった。リンドーター氏もその日は融資の商談どころではなくなってしまったので、仕事の予定は全て後ろ倒しになり、我々を雇う契約も一日延ばす事になった。

 ようやく解放された時にはすっかり夜になっていた。

 リンドーター氏に会ってみると、彼も疲れた顔をしており、

「諸君、今晩はちょっと私の店に来ないかね。ぜひそうしてくれないか、契約を延ばしたい旨の連絡のためにウチの誰かを君達の事務所へよこさないといけない。何よりあんなものを見せられた後では、出先でなくとも身辺警護が欲しくなるよ」

 と言って震えるので、私達は当初の護衛の役目を果たし続ける事にして彼の馬車に乗り込んだ。彼の馬車は不格好ながら頑丈そうな、荷台の大きな四輪馬車だった。積み荷を固定するための細い縄が隅にまとめてある。

「さ、乗ってくれ。コレ一台あれば何でも出来る。優れもんだよ。担保や差し押さえする時だって、大体の家具ならウチに運べる。金を運んでるところを襲われようと、少なくとも馬車が壊される事だけは無い。それだけは安心だ」

「たしかに立派な馬車ですねえ、車大工ギルド様様、ニエミ会長様様ですなあ」

「さすがは馬車屋だよなあ。俺は一度、馬車の相談に乗ってもらう代わりに、貸した分を棒引きにしてやった事があるんだ。ウチの奉公人四、五人と家具を一つ二つ載っけても走れる馬車が欲しいっつってな。それがコレだ」

「故人は良い仕事をなさったようですね」

「惜しい事になったもんだな――さ、着いたぜ。ウォーカー! 後で荷台を綺麗にしておけよ。馬も今日はしっかり休ませろ」

 リンドーター氏が馬車の天井を杖で叩いて怒鳴ると、上でウォーカーと呼ばれた御者が「へい」と返事をして馬車を停めた。

 馬車を降りると、リンドーター氏の貸金事務所は、店舗というより屋敷に近い風情だった。

 私達は応接室へ通された。中々広く、中央にはそこそこの大きさの長机が置かれている。卓上にはすでに歓待のハーブティーの用意がされており、我々四人の分とリンドーター氏の分とが並べられていた。その脇で大柄な奉公人達が柔和な笑顔を浮かべている。

「ようこそ我が事務所へ。あらためて、護衛を担ってくれてありがとう。ウチの奉公人だけじゃちょっと危ない事かもしれないんでね。良くない所からも一緒に借りてる客がウチにいるんだが、そいつらの返済を一気に進めさせるつもりでね、変な逆恨みを買うかもしれない。それで大事を取って諸君を雇った、というのが昼に話しそびれた詳しい顛末なんだが……ニエミの不幸のおかげで、当初の依頼内容より契約日数を延ばさなきゃならない。先に我々(こっち)のビジネスのつじつま合わせをやっつけてしまおう。どうぞ掛けてくれ」

 リンドーター氏は私達四人に腰かけるように勧め、自らも一番奥のブラウニー族サイズの席に着いた。キーヴィエとベレンガリアは着席し、私も座ろうと思った。

 しかしミーナだけは、椅子よりも長机の方に興味が向いており、天板の裏を探るように執拗に触り、その手のひらを鼻に近づけて天板の臭いを嗅ぎとろうとしている。

 私は彼女の妙なみっともない行為をやめさせようと、遠回しに席に着くよう促した。

「……ミーナさん。どこに座ります?」

 しかしミーナは椅子の背もたれに手をかけたまま座ろうとせず、

「そうですねえ、どうしたものでしょうか。せっかくならこうしませんか」

 と言って私が座ろうとしていた椅子とその隣の椅子を引きずって、長机とは反対側の壁際に角度をつけて並べだした。

「一体何をしてるんです、ミーナさん?」

「あの事件がどう起きたのかちょっと考えてみようと思うのですよ。たしかソファがこのようにおかれていたでしょう」

「なるほど、事件現場を再現してるのか」

 ベレンガリアが手を叩いた。そう言われて、やっと私にも応接室が現場のニエミ邸に見えてきた。長机がある側が手前のダイニングルーム。椅子二脚が並んでいる側が奥の居間だ。つまり、私の椅子はミーナの椅子と共に仮装の居間の方へ持って行かれてしまった事になる。

「建物の間尺が違いますから正確な配置はできませんが、まあ、大まかにはせいぜいこんなところでしょう」

「これなら議論するのに現場を想像しやすくて、都合が良いかもしれません」

 と、そこへ割って入ったのはリンドーター氏の咳払いだった。

「調査は衛視の仕事だろ? お前達がする事じゃないんだし、わざわざそんな事しなくても良いだろ。俺は殺しの調査なんて依頼してないぞ」

「我々の職業病です。気になりますし、暇ですから。それに、あなたに関わりのある事件だったのかも知れませんよ?」

 リンドーター氏はしばし黙っていたが、やがて肩をすくめて顔をそむけた。

「好きにしてくれ。明日は調査じゃなくて俺の護衛をしてもらうって事を忘れるなよ」

「ありがとうございます――ああ、どうも。いえ、お茶はそっちの卓上に置いておいてください――さ、現場の事を考えてみましょうか。そちら側の長机がある方がダイニングルームという事にしましょう。そして今私のいる側が居間です」

 ミーナは今自ら並べた椅子に腰かけた。私も隣の椅子に座った。

「さらに部屋の詳しい配置を再現しましょう。アヴィさん、魔法使いですから魔導書を持っていますでしょう」

 急に水を向けられ、私は困惑して答えた。「はあ、そうですね」

「なのであなたは本棚です。本棚のあった場所に、本を持って立ってみて下さい」

 何のつもりなのか私には分からなかったが、とにかく言われたとおりにしてみる事にした。たしかダイニングルーム側の扉の近くに小さな本棚があったはずだ。私は立ち上がり、相当する場所に立った。一応周りに見えるように本を抱えておく。

「次に、そうですねえ。ちょうど今お茶を飲もうとしているキーヴィエさん」

「んぶっ……あたしですか?」

「あなたは食器棚です。お茶のカップを持って、食器棚のあった場所に立って下さい」

 キーヴィエもティーカップを手に立ち上がった。食器棚は広い居間の奥の右端だった。彼女はそこに相当する場所へぴょこぴょこと移動し、なぜかカップを頭の上に掲げて立った。

「ベレンガリアさんは……どうしましょう。誰の死体になりたいですか?」

「死体か、嫌だな」

 そう言って、ベレンガリアは部屋の真ん中に立った。

「たしかカルリ・ニエミ会長はこの辺に倒れていたはずだ。そして他のご家族の方々がこのあたり。で、窓があっちの方だ」

「割れてましたよね~」

「そうだ。おそらくはそこから死体はあの家に持ち込まれた。外で殺されてだ」

「床に血痕が無かったからですよね」

「そうだ」

 我々三人がそう同意しかけた時、ミーナが横から水を差した。

「少なくともニエミ会長はそうですがねえ。しかし他の方々は首を絞められて殺されたので、家の中で殺された可能性は残っていますよ」

「外ではなく家の中で殺された、と?」

「でもほら! 使用人さんを忘れていますよ」とこれはキーヴィエ。「二階で血まみれで殺されていたというナイスミドルさんです。彼もベッドの上に血痕がありませんでいた」

「ベッドの上なら、掛布団の上で殺して血を吸わせて、少し乾いたら掛布団を回収して処分してしまえば血痕は消えますよ」

「しかし踵に土が残っていて、窓の外には足を引きずった跡があったじゃないか」

「靴を脱がせて土の上を撫でてから、再び死体に履かせたのでしょう」

「それを言い出したら何でもありだろう!」ベレンガリアは両手を広げて怒鳴った。「そんな事をして何になる? それにカルリ・ニエミ会長の死体はどうなる? 彼の死体は床の上に寝かされていた。家の中で殺されたのなら、家の中に血痕が残っているはずだ」

「逆に言えば、外で殺されたという根拠があるのは、カルリ・ニエミ会長の死体ただ一つしかないのです。それも今のところは、でしかありません」

「他の死体は殺された後に移動されたか判別不能、一人はその場で殺されたはずが無い。という事は我々は今後、外で殺された事を前提に、実際の殺害現場の場所を探すべきだ。それが妥当な調査手順じゃないか?」

「我々一党(パーティー)の行動方針としては、それがごもっともだと思います。何も言う事はありません。しかし、つまり血痕が見つかれば、その場所こそが彼の殺された場所。ひいてはこの事件の真相、という事ですねえ」

 ミーナはさもありなんと言わんばかりにうなづいた。まるでこの結論に達する事が予定通りだったかのように。私にはその自信の根拠が分からなかった。

 しかし我々三人は、今までの経験から知っていた。彼女の知性は我々と異なる構造をしている事を。時折的外れな事をするかもしれないが、必ず考えがあってそうしてきた。我々とは異なる目と嗅覚で見出した何らかの根拠を元にして。私は尋ねた。

「ミーナさん、もったいぶらないで下さい。何か考えがあるんですか? ニエミ会長が殺された場所は、血痕の場所は、ニエミ邸の外と中のどっちだって言うんですか?」

「その尋ね方ではなんとも答えがたくていけません。その前にひとつ、依頼主に確認を取らせていただきたい事がありましてねえ」

 ミーナは人差し指一本をピンと立て、リンドーター氏の方を見ながらつかつかと長机の方へと歩いて行く。

 リンドーター氏は私達が事件について議論している間ずっと、依頼期間延長の申し出を伝えるために私達の所属する〈赤き戦斧亭〉宛の手紙を書いているところだった。彼は顔を上げた。

「何だ?」

「コレなんですがねえ?」

 その直後にミーナが取った行動は、とてもにわかには信じられなかった。長机の下を覗き込んだかと思うと、なんとその縁を引っ掴んで持ち上げ、長机をひっくり返したのだ。卓上に乗ったままだったハーブティーのカップとポットが床で粉々に砕けた。ひどい壊裂音が応接室中に響いた。驚いたキーヴィエが飛び退いて甲高い悲鳴を上げた。次いでひっくり返された長机が、まるで牡牛の死体のように四本の脚を前にして横倒しにされ、心臓に触る低い大きな音を立てて床へ乱暴に転がった。

 リンドーター氏も私も、その場にいた全員がミーナの突然の乱心と狼藉に取り乱して飛び上がった。しかし当のミーナだけは平然として、確信に満ちた満面の笑顔で今しがた倒した長机の天板を見下ろした。

 ひっくり返された長机の天板の裏面には、生乾きの赤黒い血痕がべったりと付着していた。

 ミーナはその血痕を木目と、天板の縁から入っていた浅い亀裂に沿って撫でてから、リンドーター氏の顔を見やった。

「フェリム・リンドーター殿、この天板の裏の血糊はどういう事でしょうか?」

「この冒険者(チンピラ)風情が!」

 リンドーター氏が顔中を怒気で赤らめていきり立ち、ずっと部屋の隅で控えていた彼の奉公人へ向けてわめいた。

「こいつらをぶちのめせ!」

 瞬間、先ほどまでにこやかだった奉公人共の顔から愛想のよい笑顔が消えた。代わりに懐から出てきたのは鍔と柄頭にほとんど直径の無いロンデルダガーだ。その細身の刀身を抜き晒して私達の方へゆっくりと詰め寄って来る。

 彼らの冷酷になった顔へ、リンドーター氏が唾を飛ばした。

「エドウィン! ゴードン! ランゴ! こいつら全員ここから出すな! 絶対に一人残らず口を封じろ!」

 迫って来る彼らと入れ替わりに、応接室から大慌てで走って飛び出て行って逃げ出してしまった。

 それをミーナは猛然と追いかけて行き、エドウィンと呼ばれた奉公人を突き飛ばして、これまた部屋を出て行ってしまった。

 口を封じる? 私達がリンドーター氏の言葉を問い質す間も無かった。彼の奉公人共がロンデルダガーを振りかぶって間合いを詰めてきた。

 ベレンガリアが慌てて大盾を掲げつつ、彼らのうちの一人、ランゴと呼ばれた奉公人と私の間に立ちはだかった。ベレンガリアが大盾をさらに前へ突き出してランゴの動きを抑制しにかかる。右手で逆手に構え右上段に振り上げたロンデルダガーの振り下ろす先を失ったランゴは、左手を突っ張って盾と押し合いになり、膠着状態に陥る。

 その間にゴードンと呼ばれた奉公人が床を蹴って横をすり抜け、浮足立っていたキーヴィエめがけて刃先を突き出して一直線に突っ込む。

 これを見たキーヴィエは瞬時に冷静さを取り戻し、かつ目にもとまらぬ速さで懐から(ペッグ)のように太く長い投擲ダガーを抜き出したかと思うと、次の瞬間には彼女の手はすでに振り抜かれており、同時にゴードンが鎖骨あたりから投擲ダガーの柄を生やして崩れ落ちていた。

 エドウィンはミーナを追おうか一瞬迷ったものの、結局振り返ってランゴに加勢せんという体勢を取った。

 それより先に私の魔法の詠唱が間に合い、私の白ブナの杖の先から火花が激しく散った。電撃をまともに浴びたエドウィンの体が、一瞬背筋を著しく反らして板張りの上にひっくり返り、そのまま沈黙して焦げ臭い臭気漂わせた。

 これで懸念する事は無くなったとばかりに、ベレンガリアが大盾をランゴの顔面へ強かに叩き付けた。不意を突かれたランゴは体勢を崩し、その場に転倒してしまった。横たわった彼の頭骨へ彼女が体重の乗った膝を落とすと、彼は全身を虚脱させて失神した。

 結局得物を抜かないうちに無血で制圧してしまったベレンガリアは、ようやく片手剣を抜きながら目の動きだけで周囲を鋭く見回した。私もキーヴィエも現況を確かめた。目の前には倒れたゴードン、エドウィン、ランゴの三人のみ。私達は全員を無力化せしめた事を確かめた。

 ベレンガリアとキーヴィエの二人がさらなる脅威が潜んでやしないかと周囲を警戒している中、私は窓から顔を出して外の様子を覗いた。

 事務所の玄関の前で、ちょうどリンドーター氏の小柄な体が玄関から慌ただしくわめきながら出てきたところが見えた。

「ウォーカー、ウォーカー! 馬車だ! 早く馬車を出せ!」

「殺したのバレたんですかい?」

「馬鹿!」

 悪態をつきながら、御者ウォーカーの牽いてきた馬車の荷台のステップの足をかける。

 その後ろから、リンドーター氏の襟首を長い腕が掴んで引っ張った。ミーナが彼に追いつき、逃がすまいと馬車から引き剥がそうとして乗り込むのを妨害していた。

 組み付かれたリンドーター氏が上体をひねって振り向き、懐から彼もロンデルダガーを抜いた。その刃は乾いた血で未だにどす黒く汚れている。リンドーター氏が矮躯からは想像もつかない力でロンデルダガーをめちゃくちゃに振り回した。見た目からは予想外の膂力にミーナは彼を抑え込むのに手間取っている。

 二人が馬車の側面にへばりついて取っ組み合いを始めたのを見たウォーカーが、慌てて馬へ向けて鞭を振るった。馬が歩き出し、車輪が回った。馬車が突然動き出したので、ミーナの体が馬車から剥がれ落ちそうになった。

 このまま馬車を行かせては、リンドーター氏は逃げてしまう。何が何だか未だに分かっていなかったが、とにかくミーナの危機だ。

 私は急いで詠唱をし、白ブナの杖を窓の外へ突き出した。

 今となっては法的に非常にまずい事をしたものだと後悔しているが、私は街中でぶちまけるべきではない火の玉の魔法をとっさに選んで発射した。しかしそれを馬車ではなく、馬の目の前の路面めがけて狙う事になった。角度的に馬車そのものへ狙いをつけるのは難しかったのが幸いした。私が窓から放った火の玉は広がりながら眼下の路面めがけて飛ぶと、石畳に着弾した際に大きな光と轟音を立てて炸裂した。

 目の前で突然石畳が爆発し、さらにその際に火の粉が耳に入ったのか、馬達がたちまち驚いて惑乱し、いなないてその場で浮足立った。遮眼革ブリンカーで視界を制限された馬達は何が起こったのかと何頭も首を振り乱して仰け反り、チームハーネスで繋がった隣の馬がそれで姿勢を崩した。走り出した途端に馬の牽引がめちゃくちゃに乱れた馬車はまともに走れなくなった。すぐに走行方向が逸れ、片輪が側溝にはまって止まってしまった。

 ミーナがリンドーター氏の腕をひねり上げながら馬車のステップから下りてきて、窓から見守っていた私に手を振ってみせた。

「アヴィさあん、アヴィさん、そちらは大丈夫ですか? 大丈夫なら、ちょっと下りてきていただけませんか。御者が頭から落ちてしまって、伸びてしまってるんですよ。いやあ、助かりました……」



 騒ぎを聞きつけた衛視達が屋敷に駆けつけてきたのは、私達が差し当たりフェリム・リンドーターとその奉公人エドウィン、ゴードン、ランゴ、ウォーカーなる御者の合わせて五名を麻縄で縛った後の事だった。捕り物のさなかに負傷した連中に回復魔法なんかの手当をしてやっているうちに、もう外は夜になっていた。

 私達が応接室の真ん中に座っているその周りを、衛視達が取り囲んで立っている。

 彼らは私達が昼に依頼主と共に車大工ギルドの会長とその一家の死体を発見した事は把握していた。しかしその日のうちに急転直下の大事が起きた事に大層驚いていた。

 矢継ぎ早に事情を尋ねられ、私は分かっている範囲で彼らに説明した。依頼主が部下をけしかけて私達に刃を向け、自らは逃走を図ろうとした事。我々は降りかかった火の粉を振り払うため応戦した事。そして結果的にそれが逃走を阻止した事。

 しかし、なぜこうなったのかは、そのきっかけとなる奇行を行った当のミーナ以外、誰も分かっていない。

「一体どういう事なんだ? 何がどうなってるのか説明してくれないか」

 この場にいる全員が今思っている事を代表して、ベレンガリアが口を開いた。

 全ての視線の先で注目を集めているミーナが、組んでいた長い足を振り上げて立ち上がった。

「何、あの部屋を一目見ておかしいという事に気が付いただけですよ」ミーナは語り始めた。「私は外国生まれですので、この国の部屋の作りには詳しくないのですが……私にはどうも、あのニエミ邸に置かれた家具の配置は風変わりに見えました。

 いえ、別にダイニングルームと居間が一続きになっている事を言っているのではありません。本棚がダイニングルームに置いてあり、逆に食器棚が居間の方にあった事です。普通は逆ではありませんかねえ? 食器棚は食事の用意をする時に開けるもので、食事を摂る部屋であるダイニングルームに置いてあった方が便利でしょう。そして本棚は本を読む時に用があり、読書はどちらかといえばダイニングルームではなく居間でする行為です。食事中にはしません。ですから本棚も居間に置いてあった方が気楽でしょう。なのにダイニングルームに本棚、居間に食器棚……。

 もちろん、間取りやご家族のこだわり、生活習慣の都合があってそうしているという事もあるでしょう。なのでそれだけでは私は何も申し上げませんでした。しかしそれだけでは説明がつかないのはダイニングルーム側のあの丸テーブルです」

「ああ、あの四人掛けの」

「ところで、ニエミ一家の家族構成はカルリ・ニエミ会長とその奥方の他に、子供も三人いて五人家族だったという事にはお気づきですか? さらにニエミ家には使用人も一人いました。つまり、あの家には六人が暮らしていたことになります。そんな家庭がダイニングルームに四人掛けテーブルを使うなんて事は、非常に考えにくいとは思いませんか?」

 彼女に指摘されて、私は初めて気が付いた。私とベレンガリアとキーヴィエ、そしてリンドーター氏の四人で、丸テーブルの座席は埋まってしまっていたのだ。

「もしかしたら、自室を与えられた使用人は自室で一人寂しく食事をしていたのかもしれませんが……しかしその可能性を考えても、残りの五人は四人掛けのテーブルでどのように食事をするのでしょうかねえ。

 用途とは逆の部屋に置かれた本棚と食器棚に加えて、ダイニングテーブルにもおかしなところがある。この家の家具はどうしてこうなっているのか? この謎の答えが事件解決の鍵でした。テーブルの不合理な席の数の事を考えると、少なくともそれはニエミ邸の者がそうしたとは考えられません。そう考えた時、私にはやはりこれは犯人の細工の痕跡だと思えました。そして、一つの仮説が思い浮かんだのです」

「どんな仮説です?」

「その内容については後ほどお話しします。この時点では無根拠な思いつきにすぎず、しかも言語化も十分に出来ないほど曖昧模糊としたものでしたから。しかし直後にその仮説を裏付け、いや肉付けしてくれるものが次々と現れました」

「何です?」

「まずリンドーター氏の馬車です。家具と一緒に大人数も運べるほどの物だそうですねえ? あれで私の中で八割がた説明がつくようになりました。さらにこの事務所に入ってすぐに目についたのは、応接室の長机でした。先ほど私がひっくり返したコレです。少なくとも我々四人とリンドーター氏の五人が座れます。それにこの店には屈強な奉公人が何人もいる事ですし、もしも店ぐるみだとしたら『組織的な犯罪集団』というベレンガリアさんの見立てた犯人像にも合致します。これくらいの証拠があれば疑ってかかるには十分。私は自分の仮説に一定の自信を持ちました。

 最後に私は、この仮説が正しいか確認をしました。天板の裏を触ってその手を嗅いでみると、どこを触っても手に血の臭いが付着しました。天板の裏のいたるところに血の臭いが残っていたのです。あとはご当人に正面切って質問するだけです」

「で、あなたは長机をひっくり返したと」

「そうしたらあの騒ぎとなりました。こちらは証拠は天板の血糊しか無かったのですから、彼が言い訳していたら私はそれ以上は追求できなかったでしょうが――あれではほぼ自白したようなものですねえ」

 もし外れだったとしても、冒険者が依頼主と信頼関係を維持する事を考えると、あの血糊の量は問い詰めるには十分な理由だっただろう、と私は思った。我々は犯罪行為には加担しない。

「いい加減、その仮説とやらがどんなものだったのか教えてくれないと、話が分からんね」

「では御開帳といきましょう。私の仮説はこうでした。

 あのニエミ邸のダイニングルームにあった丸テーブルは、元々あそこで使われていた物ではない。犯人はニエミ邸のダイニングテーブルを何らかの事情で現場から持ち去らなくてはならず、それをごまかすためにわざわざ別のテーブルを用意して、本来のものと入れ替えたのだ、と。

 しかし犯人は間違って、あるいは持ち込んだテーブルの寸法が部屋に合わないと感じるかしてあえて、居間にあの丸テーブルを居間にダイニングテーブルとして置いた。そして、元々居間にあったソファは邪魔だったのでダイニングルームの方に移した。すると、あたかもソファの置かれたダイニングルームの方が居間に見え、そして居間もまた、テーブルが置かれたためにそこがダイニングルームに見える。

 ――どうです、これで綺麗に話がつながると思いませんか?」

「居間とダイニングテーブルが本来と逆にされていた、と? 犯人によって」

「そうです。大掛かりで突飛な考えですが、しかしこう考えると食器棚と本棚の場所にも説明がつきます。どちらもあの配置で合っていました。違うのは部屋の方だったのです。我々がダイニングルームだと信じ込んでいた場所は、実際には本棚のある居間。そして食器棚のある側は、実際には居間ではなくダイニングルームだったのです。

 そして、もしもそうだと仮定するならば、こんな事が出来るのはリンドーター氏くらいのものです。大きな家具を現場から持ち出せる大きな馬車とたくさんの部下を持っていますし、ダイニングルームと居間の関係を逆だと捜査関係者に信じさせるには、故人と生前ある程度の関係が無ければ説得力がありません。しかしもしも犯人が会長と十分親しかったなら、居間とダイニングルームを取り違えるような大ポカはしなかったでしょう。

 動機については正直、何にも想像がつきません。しかし金の貸し借りなんてものは、揉め事の専門学校みたいなものですからねえ。それこそリンドーター氏が我々を雇って、身辺を護らせようとする程度には。ですから動機はその辺にあるかもしれませんし、あるいはまったくの無関係だったかもしれません。

 ともあれ、実際の犯行はこんなところだったのでしょう。話の始まりはおそらく今朝頃です。リンドーター氏は部下達と共にニエミ邸を訪れ、まずニエミ会長か使用人のどちらかを刺し、そして口封じに残りの者全員が殺されたのです。想像ですが、おそらくは突発的にニエミ会長を刺してしまったのがきっかけでしょう。その時、床に血痕が残ったら殺しの事実がごまかせなくなると思った彼は、とっさにダイニングテーブルの長机を裏返しにさせ、血が床に滴る前に彼を天板に無理やり寝かせて、その天板の上でとどめを刺したのですよ。このおびただしい血痕も、その時にべったりと広がって付着したのです」

「この長机の裏こそが、カルリ・ニエミ会長が殺された場所そのものだというのか」

「ええ、本物のニエミ邸のダイニングテーブルであると同時に。少なくとも抵抗する男一人の体を、長机の上に乗せるよりは、裏返した後の天板の上に倒す方がまだしやすかったはずです」

「そしてカルリ・ニエミ会長殺害後、殺しの目撃者となった家中の全員も殺害された……彼らの絞殺に使われたひも状の物とは? 太さはまちまちで一種類ではないそうだが」

「さあ? 馬車にあった積み荷を固定するための縄だったのかもしれませんし、あるいはニエミ邸の誰かの服から一本力づくで拝借したのかもしれません。とにかくひもくらい誰の家にでもあるでしょう。そういえば顎ひもが千切れた帽子がありました。その顎ひもが使われた可能性も無くはありません。

 その後、犯行の状況をごまかすため、死体以外の何もかもが正反対に改竄かいざんされました。血まみれになった長机は家から持ち出され、血痕は無くなりました。おそらくは使用人の体の下の掛け布団も血塗れだったので回収されたのでしょう。ニエミ会長を寝かせるために長机を裏返した時に割れた食器類にもっともらしい理由をつけるため、部屋全体が物取りの仕業のように荒らされました。無用に食器棚は割られ、燭台までコテンと倒されて――しかし一家の死の事実は早晩明らかになってしまいます。自分達が犯人ではないかのように見せる工作も必要です。そこで、事件当日に家に来た者ではなくいなかった者の仕業だと思わせるため、家の外で殺されたかのように工作されました。窓が割られ、外の庭の土の上には使用人の靴で引きずった偽の痕跡が用意され、被害者の鱗まで落とされました。家人を家の外で殺した家探し強盗のような矛盾した現場の状況が生まれたのは、こういう事だったのでしょうねえ。そして最後に、代わりのダイニングテーブルとして事務所にあった丸テーブルを馬車に載せて再びニエミ邸へ舞い戻り、あたかもそれがニエミ邸の物だったかのように置き直してから今度こそ現場を去ったのです。椅子も同じように入れ替えたのでしょうかねえ――全てが終わった昼頃には、さぞ馬も疲れていた事でしょう」

「その後、我々を雇った理由は何だろう?」

「彼らの偽装工作は、ニエミ邸の本当の内装を知っている誰かに事件現場の状態を知られたら最後、たちまち水泡と化します。そうなるより先に事件を明るみに出して現場を見せ、事件に誤った先入観を与えたかったのでしょう。あるいは、リンドーター氏はニエミ会長と会う約束をしていたのですから、その予定通りに動かなければ疑われてしまう事情があったのかもしれません」

「なるほど……しかし、これから上手くいくだろうか」

「何がです?」

「証明が不十分だ。一家を殺害した犯人が、ニエミ邸の内装をいじって偽装工作をしたところまでは、判事も納得すると思う。しかし、その犯人がリンドーター氏だという直接の証拠は無い。今のところはただ長机をひっくり返されて激高しただけだ。せめて、長机がニエミ邸のダイニングテーブルだと立証できなければ、言い逃れができてしまう」

「それが無事に証拠が見つかったので、安心しているのですよ。ニエミ会長には鱗をぼりぼり掻いて剥がす悪癖がありましたから。しかし正確には、剥がした後の鱗は放り捨てるだけでなく、ソファのクッションの間のような適当なところに押し込んだりもしていたようですから――」

 ここで言葉を切り、ミーナは未だ横倒しの長机のそばにしゃがみこんで、天板に入った浅い亀裂を指先でなぞった。すると、亀裂から何か薄い物が顔をのぞかせた。彼女が指先でそれをつまみ上げて、私達に見せた。それは被害者カルリ・ニエミ会長の、赤銅色をしたサラマンダー族の鱗だった。

「先ほどひっくり返した時に見つけていたのです。もしも予想と期待に反して一枚も出て来なかったら、今頃私は首が飛んでいたでしょうねえ」

 そう言いながらミーナは、赤銅色の鱗を月明かりと街灯の光の射し込む窓にかざした。


 ところで、衛視達渾身の取り調べの結果、この事件の顛末は概ねミーナの慧眼通りで、計画的なものではなく、最初に殺されたのはニエミ会長だったと判明した。

 供述によれば今朝、支払いの滞っていた会長の家へ差し押さえのために五人で馬車に乗って向かったところ、会長は強硬に反発しリンドーター氏に掴みかかった。揉みあいになった末、リンドーター氏が脅しのために振り回していたロンデルダガーの切っ先が刺さってしまったのが、事件のきっかけだったという。絞殺の方に使われた凶器のひも状の物とは主に釣り糸で、釣りが趣味のニエミ婦人から差し押さえられていた高価な釣り竿がリンドーター氏の店から見つかった。

 それにしても、その事実の隠蔽を迫られた時に、いの一番に一家皆殺しという残虐な手段を採ったあたり、氏は極めて悪質かつ反社会的傾向の強い貸金業者であり、かつ今まで相当うまく立ち回っていたらしかった。しかしそれも彼らがもはや一般死刑という報いから免れない事は、もはや誰の目にも明らかだった。

 リンドーター一味と交戦した際の我々の行為は、私の魔法攻撃も含めて、お咎め無しとなった。特にミーナの行動については、結果論としては市井に隠れ潜んでいた巨悪を一太刀で仕留めた聡明かつ鮮やかな功績として賞賛に値するものの、依頼主の私物――という事になっていた、例の長机である――をひっくり返した事についてはいささか眉をひそめるべき行為であるとして、形ばかりの、本当に形ばかりの注意を受けた。ぽんぽんと肩を叩かれながら、軽口程度に笑って一言言われる程度である。

 しかしながらその際、頭にも軽く手を乗せられた。

 これが、魔族という身の上をひた隠しにしている彼女には少しばかりこたえたようだ。この事件以降、突然極端に常識外れな真似をするような事は少なくなったのである。

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