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 第七章 青サソリ海賊団のシモーヌ・シコロ

 その深夜だ。事件は起こった。

 アリエはベッドで首にチクッと痛みをおぼえた。首を手でパシッとたたく。蚊に刺されたような痛みだ。しかし蚊より痛い。海の上で蚊に襲われたことはない。けどとアリエは考えた。ここは無人島がすぐ近くにある。蚊は無人島から飛んできたのかもしれない。

 アリエは目がさめたついでにトイレに行こうと思った。そのとき異変が起きた。足が動かない。頭はもう目ざめた。なのに足に力がはいらない。腰から下に感覚がない。手は動く。顔の筋肉もすべて動く。腰から下だ。しびれたように感覚がない。なにが起きたんだろう? アリエはあわてた。眼帯をはずそうと右手を顔にはこびかける。しかし腕までがしびれはじめた。あれっと思っていると舌からも感覚が消えた。声を出そうにもしゃべれない。うわあたいへんだあと叫んだがフガァモガモゴォとくぐもった音しか出なかった。

 アリエがベッドでもがいているときオヨネは髪の毛を引っ張られた。サル吉だ。サル吉はオヨネにすっかりなついてオヨネとツタの部屋で寝ることになった。木箱に毛布を敷いてサル吉の寝床を作った。しかしいつの間にかオヨネのベッドにもぐりこむ。オヨネはまあいいかとサル吉をそのままにして寝た。そのサル吉が髪の毛を引っ張っている。

「どうしたのサル吉? トイレに行きたいの?」

「ちがう。オヨネなにか変だ。妙な虫がいまオヨネに向かってたぜ」

「虫? ボク虫きらい! やっつけて!」

「安心しな。もう殺した。でもよ。小さいサソリみたいだったぜ。あっ! ほらそこにも!」

 サル吉がオヨネのベッドをおりた。ツタの首すじに手をのばす。オヨネに虫は見えない。サル吉は暗がりでも目が見えるらしい。

 オヨネとサル吉の話し声を耳にしてツタが目をあけた。

「首がチクッとして痛いわ。蚊に刺されたのかしら?」

 ツタがベッドから身を起こそうとした。しかし腰から下が動かない。

「キャーッ!」 

 ツタの悲鳴が紅獅子号にひびきわたった。

 食堂で酔いつぶれていた船長たちも起きようとした。やはり首すじにチクッとした痛みが残っている。足が動かない。紅獅子号じゅうでウワアとかヒエーとかの声があがった。

 そのとき甲板に飛びおりた靴音が聞こえた。多人数が甲板をドタドタと走ってくる。船室への階段に向かって。

 オヨネは部屋から出た。ナイフを手にサル吉を肩に乗せてだ。そこへ足音のぬしが走ってきた。先頭に立つのは髪の長い女だ。剣をかかげてオヨネを見た。女のかぶる帽子にはドクロのマークがついていた。海賊だろう。女のうしろには水夫服を着た男たちが十人つづいている。

 女の足がとまった。オヨネと女がにらみあう。女が口をひらく。

「ほほう。あんたはぶじだったのかい? よくあたしのサソリをかわしたね? 見たところ新顔だね? 船長はどこだい?」

 オヨネは勇気をふりしぼった。女たちは明らかに敵だ。とてもこわい。自分が海賊船に乗っている実感が足先から這いあがってくる。それでもオヨネはがんばった。

「そんなにいっぺんに訊くな! どれから答えていいのかわからないじゃないか!」

「おやおや元気のいい子とサルだね。なら訊き直そう。船長はどこだい坊や?」

「教えてやるもんか! ここは紅獅子海賊団の船だぞ! さっさと出て行け! リオン船長は獣王剣の達人だ! おまえなんかまっぷたつだぜ!」

「ふふん。リオン船長ねえ? その船長も足が動かないはずさ。あたしの可愛いサソリたちがちゃんと仕事をしてくれたろうからね。ねえ坊や。あんたはどうやってあたしのサソリをかわしたんだい? まさか殺しちゃったんじゃないだろうね? あたしの可愛い可愛いサソリちゃんを? おっと。忘れてた。あたしの名前はシモーヌ・シコロ。青サソリ海賊団の船長さ。坊やの名前はなんてえの?」

 シモーヌは明らかに紅獅子海賊団が戦闘不能におちいっていることを知っている。これだけドタドタと騒いで誰ひとり顔を出していない。シモーヌの言葉どおりリオン船長は足が動かなくなっているのだろう。ツタが悲鳴をあげたのも足が動かない恐怖かららしい。

「ボクはオヨネだ! 肩にいるのはサル吉! とにかく出て行け! でないとひどい目にあわせるぞ!」

 オヨネがナイフをかざしてすごむ。肩の上のサル吉もウーと歯をむいた。

 しかしシモーヌがひるまない。むしろ剣をさやに収めた。オヨネは十五歳の女の子だ。少年として見た場合は背も低いうえきゃしゃだった。青サソリ海賊団の誰が相手をしたってオヨネにまける者はいない。肩の上のサル吉はペットとしては可愛い。けど小さなサルだ。問題外だろう。ゴリラが乗っていればシモーヌはひるんだだろうが。

 シモーヌがうしろをふり向いた。うしろの男たちに指示をあたえる。

「面倒だ。オヨネをふんづかまえて船長をお探し!」

 男たちがシモーヌを追いぬく。オヨネに向かってきた。

 オヨネはナイフを男たちにふりまわす。しかし男のひとりに手をつかまれた。肩のサル吉がその男に飛びつく。男がサル吉に引っかかれながらもオヨネのナイフを取りあげた。別の男たちがオヨネとサル吉を取り押さえる。オヨネとサル吉に縄を打つ。

「おかしら! つかまえやした!」

「よくやった。あたしは船長を探す。おまえらの半分でお宝を探しな。倉庫にいれてるはずだよ」

 言いながらシモーヌが食堂に足をはこぶ。しばられたオヨネとサル吉も食堂へ引き立てられた。

 シモーヌが食堂のドアをあけた。

「やっぱりここかい。おやおや。情けないかっこうだねリオン」

 船長。ハンマー。ナツメグ。七つ子。合計十人が立ちあがろうと努力していた。床に転がって手だけで身体をささえている。船長は剣を手にしていた。だが立てなくては剣を使えない。七つ子もそれぞれ腰の短剣をぬいていた。しかし役立たずだ。

 ハンマーが手にしていた酒ビンをシモーヌに投げつけた。だが手投げだ。腰がはいっていない。シモーヌがサッとよける。

「こら! むだな抵抗はおよし! このオヨネって坊やが死んでもいいのかい? あんたらが歯向かうならオヨネを殺すよ」

 短剣を投げようとかまえた七つ子の手が床に落ちた。

 シモーヌが指を立てて船長たちの頭数を数える。

「ひいふうみい。全部で十人か。オヨネをいれて十一人。紅獅子海賊団はたしか十一人だったね? ひとりぬけたから新顔をいれたのかい? ここにいるのがこの船の全員かい?」

 船長が酔いとマヒで弱った声を出した。

「そうだ。ここにいるので全員だ」

 実際はあと四人いる。コニカール。アリエ。エスエス。ツタ。しかしわざわざ教えてやることはない。特にエスエスの足が動かなくなっていると厄介だ。エスエスには一億ガルの賞金がかかっている。殺して首だけをミッドナイト皇国に持って行っても賞金はもらえる。シモーヌがエスエスに気づかないにこしたことはない。青サソリ海賊団は緑狼海賊団ほど非道なやつらではない。お宝さえうばえばよぶんな人殺しはしないはずだ。

 そこに倉庫を調べに行った五人が食堂にやってきた。ひとりが代表して報告をする。

「おかしら。倉庫には小ぎたない樹皮のつまった袋が二十あるだけでしたぜ。あとは食い物ばっかだ。宝石も金貨もありゃしません。どういうことでしょう?」

 シモーヌが眉を寄せた。

「おいリオン。どうなってるんだい? おまえらがモガイナ島から出てきたのをあたしは遠メガネで見たんだよ。お宝を山ほど手にいれたんだろ? だからあたしがサソリをはなしても気づかないほど浮かれて宴会をやった。なのにどうしてお宝がないんだい? お宝をどこへやった? さっさと吐いちまいな。でないとオヨネをしめあげるよ」

 リオン船長が苦い顔を作った。苦笑いに見せかけるために。

「ははは。シモーヌ。おまえかんちがいをしてるぜ。おれたちが宴会をやったのはお宝がなかったせいだ。ありゃやけ酒よ。モガイナ島にお宝なんかひとかけらもなかったぜ」

 シモーヌが怒鳴った。

「ウソだ! そんなはずはないよ!」

「おいおいシモーヌ。じゃなんでおれの船にお宝をつんでねえ? お宝があれば船の倉庫はいまごろキンキラキンだ。そうじゃねえのかい? おまえはおれらがモガイナ島から出るところを見てたんだろ? そのあと船をとめて宴会してただけだぜ? お宝をかくすひまはねえしどこにも立ち寄ってねえ。ちがうのかい?」

 シモーヌも苦い顔になる。リオンの指摘どおりだ。この船にお宝がない以上モガイナ島にお宝がなかったことになる。しかしそれを認めたくない。リオンたちが宴会中に可愛いサソリをこっそりはなして紅獅子海賊団の自由をうばうのに成功した。ここまでうまくはこんだのもめずらしい。ところが肝心のお宝がないときた。いままでの努力はなんだったのか? わざわざこんな海まできてそれはないだろう?

「ウソよ! ウソウソ! お宝はあったはずよ! さっさとお出し!」

 シモーヌがヒステリーを起こした。青サソリ海賊団の男たちは困惑顔をかくせない。倉庫にお宝はかけらもなかった。海賊船の私室はとてもせまい。そんなところにかくせるお宝ではたかがしれている。それに海賊がお宝を手にすればその晩はお宝をサカナに飲んでいるはずだ。この食堂にたった一個の宝石もないのが財宝のなかった事実を物語っている。

 誰も答えずシモーヌの頭がすこし冷えた。やはりお宝はなかったのかと気持ちを切りかえる。泣きたくなったがしかたがない。シモーヌがリオンを見た。

「そうかい。お宝はなかったのかい。じゃしかたがないねえ。あんたの首をもらおうかい。たった一千万ガルだがないよりましさね。リオンあんたが抵抗しないで殺されるならほかの船員たちは助けてやろう」

 七つ子の長男ケヤキが叫んだ。

「だめだ船長! この女はウソつきに決まってる! 最後までおれたちは抵抗するぜ!」

 ケヤキがまた短剣をふりあげた。

 シモーヌがしばられたオヨネを自分の前に出す。

「オヨネにあたってもいいなら投げな。ねえリオン。あんたたちに使ったサソリはね。あたしの故郷デザートガルド王国のサソリでさ。親指の先ほどの小さな小さなサソリなんだ。このサソリは動物の体温を感じて毒針を刺す。毒は即効性で足先からしびれはじめる。だんだんと上半身にマヒが広がり舌までしびれてしゃべれなくなるんだ。このサソリに刺された獲物は一週間は身体の自由がきかずに死ぬ。サソリたちは獲物が死んだあとで獲物の肉を食らう。あたしはその解毒剤を持ってる。リオンあんたがあたしに殺されてくれるなら解毒剤をあんたの部下たちにくれてやるよ。どうだいこの取引で? いやならあんたたちを全員殺すか一週間後にまた来よう。あんたたちの全身に毒がまわって死んだころにね」

 ケヤキが短剣をおろした。そろそろ腕までしびれはじめた。少年のアリエとちがって大人は身体が大きいから毒のまわりが遅いらしい。

 リオン船長が口をひらく。

「わかったシモーヌ。おれの命はくれてやろう。だから部下たちの命は助けてくれ」

 シモーヌがニヤッと笑った。サソリの毒が一週間効くのはウソではない。一週間は身動きが取れなくなる。人間以外の動物は一週間動けなければエサが食べられずに死ぬ。しかし人間は誰かに食べさせてもらうのも可能だ。シモーヌの使ったサソリは小さい。毒も弱い。身体を一週間マヒさせるだけの毒だ。一週間がすぎれば自然に回復する。シモーヌはできれば人を殺したくない。夢でうなされるからだ。もっとも。それは冷静なときの考えだ。シモーヌが人を殺すときは頭に血がのぼって興奮状態にある。殺したあとでしまったと思うだけだ。頭に血がのぼったときは自分でも歯どめがきかない。

「しょうがないね。一千万ガルでがまんするか。おいおまえたちリオンの首をおはね」

 シモーヌが部下たちに命令した。男たちが動く。

 しばられたままのオヨネが首をシモーヌにふり向けた。

「シモーヌ。ボクと勝負してよ」

 シモーヌがオヨネの顔をにらみつけた。

「勝負だって? しばられてる見習いがなにを言ってるのさ? そもそもあんたがあたしに勝てるものなんかないだろ? 船長より先に死にたいってのかい?」

「そうじゃないよ。ボクはたしかに剣はだめ。でもギャンブルは自信があるんだ。ボクとポーカーの勝負をしよう。シモーヌも海賊ならポーカーくらいできるだろ?」

 リオン船長に駆け寄った男たちがシモーヌをふり返る。オヨネはいいところを突いた。青サソリ海賊団の船長シモーヌ・シコロはギャンブルが大好きだ。しかもポーカーはとても強い。部下の男たちはいつもカモにされている。とうぜんおかしらはその提案を飲むぜと男たちがリオンの首を切る手をとめた。

「ポーカーかい? あたしにポーカーなら勝てると? いいよ。やってやろうじゃないか。でもねオヨネ。あんたがまけたらどうするんだい?」

「ボクが勝つに決まってるじゃないか。ボクが勝てばシモーヌは解毒剤をくれる。ボクがまければ船長の首にボクの首もつける」

「あはははは。オヨネの首はいらないよ。そんな一ガルにもならない首をもらっても腐って臭いだけさ。よしわかった。オヨネが勝てばあたしは解毒剤を置いてこの船を去ろう。誰の命も取らない。けどオヨネがまければ船長の首はいただくよ。それでいいね?」

 オヨネは食堂にいる紅獅子海賊団全員の顔を見まわした。みんなうなずいている。アリエやエスエスは部屋から出て来ない。すでに全身がしびれて動けないのだろう。中途半端に這って来られてはかえって足手まといだ。そのまま自室でおとなしくしていてほしい。

「いいよ。ボクがまければ船長の首を持って帰れ」

「よーし。よく言った。なら三回勝負にしてあげよう。一発勝負じゃあんたが不利だ。楽しむための勝負じゃないから単純に手札の強弱で勝敗を決めよう。チェンジは一回。カードはオヨネが用意しな。新品のカードがいいと思うね。カードを配るのはうちの者にやらせる。一勝負ずつカードをかえよう。三組の新品のカードがあるかい?」

 ケヤキが戸棚を目線で示す。あるらしい。

「あるよ。じゃ三回勝負だ。まけても文句なしだぞ。さあシモーヌ。勝負だぜ」

 オヨネの縄がとかれた。テーブルをはさんでオヨネとシモーヌが向きあってすわる。オヨネのうしろの床には紅獅子海賊団だ。シモーヌのうしろには青サソリ海賊団だった。

 カードが用意された。とめてある紙の帯をシモーヌの部下がはずす。シャッフルされた。シモーヌがオヨネをうながす。カードを切れと。オヨネがカードを四つにわけた。上下とまん中をいれかえる。五枚のカードが配られた。

 オヨネの手には一・二・三・四・七。通常は七を捨ててストレートを狙う手だ。ところがオヨネは二を残して四枚をチェンジした。七つ子たちがいっせいにおどろきの息を飲む。そいつはまずいだろと。しかしきたのは一・一・二・二だった。一と二のフルハウスができた。七つ子たちがあっけに取られた。船長とハンマーとナツメグは表情を殺している。シモーヌにオヨネの手をさとられてはまずいと。駆け引きのない勝負だから表情に出してもいい。けどいつものくせだ。

 シモーヌが眉を寄せた顔で一枚をチェンジした。配られた一枚を見てシモーヌの眉がもとにもどった。いいカードがきたらしい。

「さあオヨネ。カードをお見せ。あたしはフラッシュだよ」

 勝ちほこってシモーヌがカードをテーブルに置く。

 オヨネが無言で五枚のカードをシモーヌに見せた。シモーヌの顔色が青くなる。

「ウソ? 四枚もカードをチェンジしたんだよ? それでどうしてフルハウス? あんたイカサマをしてるんじゃないの?」

 青サソリ海賊団のディーラーが顔をしかめた。イカサマを疑われるとすればカードをくばっている青サソリ海賊団だ。オヨネは一度カードを四分割しただけだ。

 シモーヌがいかりを押さえて次のカードを用意させた。またオヨネがカードを切る。

 ディーラーがくばった。

 今度のオヨネのカードは一・一・三・三・四。最初からツーペアだ。四をすててフルハウスを狙うべき。七つ子たちはうしろから見てそう思った。しかしオヨネの指がつまんだカードは一と三。七つ子がいっせいに顔をしかめた。ツーペアを両方くずしてどうするんだ? そんな顔だ。しかしオヨネに配られたカードを見てびっくり。二と五だった。ストレートの完成だ。七つ子たちは自分がパンツ一枚になるまでむしり取られた理由がやっとわかった。この男は常識でははかれないカンを持っていると。本当は女だけど。

 シモーヌが眉を寄せて三枚チェンジした。くばられたカードにシモーヌの眉がほころぶ。またいいカードがきたらしい。

「今度はあたしがもらったね。さあオヨネあんたのカードをお見せ」

 シモーヌはカードを見せない。オヨネはカードを見せた。

 シモーヌのひたいに青すじが立った。シモーヌが自身のカードを天井に投げあげる。

「きいい! おまえたち! オヨネを殺しておしまい!」

 目をあげたオヨネが見たシモーヌのカードは一のスリーカードだった。

 男たちがいっせいに動く。剣を手に。

 オヨネが食堂のすみに飛びずさった。

「ひ! 卑怯だぞシモーヌ! まけても文句なしって約束したじゃないか!」

「ふふふ。あまいわね坊や。海賊が約束なんか守ると思ってんの? さあおまえたち。ひと思いに殺しておしまい。あたしに恥をかかせたバチだよ。ついでにリオンの首も取っちまいな」

 男たちが剣を手にオヨネにせまる。男たちがオヨネをつかまえた。剣の刃がオヨネの心臓の上にきた。いまにも突き立とうと。

 そのときシモーヌのひたいを脂汗がひとすじ流れた。シモーヌが声を張りあげる。

「おやめ!」

 剣を持つ男の手がとまった。シモーヌに顔を向ける。

「どうしてですおかしら?」

「よく考えたらだね。いまオヨネを殺せばあたしは永遠にオヨネにまけっぱなしだよ。オヨネは生かしとかなきゃならない。でないとあたしは一生オヨネにまけたままだ。次はあたしが勝つ。そのためにオヨネを生かしときな。しょうがないからリオンの首もおあずけだ。ええいこんちくしょう! まけたまけた。さあみんな引きあげるよ。こんな気分の悪い夜は初めてだ。山ほどお宝が手にはいるはずだったのに空っけつだしね。さあ船に引きあげて一杯やって眠っちまおう」

 シモーヌがポケットから小ビンを取り出した。青い液体がゆれている。

「こいつがサソリの解毒剤だよオヨネ。全員に一滴ずつ飲ませてやんな。そもそも死ぬほどの毒じゃない。一週間身体がマヒするだけの毒さ。サソリたちは部屋のすみなんかの薄暗いところにいるよ。探して殺せばいい。この解毒剤を飲んでたらサソリに刺されてもチクリと痛むだけですむ。船を涼しい場所に持ってってもサソリたちは死ぬ。暑い国の生き物だからね。ただし解毒剤を飲んでもしばらくはマヒしたままだよ。回復には個人差があるのさ。じゃ邪魔したねオヨネ。次はほんとに勝つ。首を洗って待ってるがいい」

 オヨネはひとつ疑問に感じた。

「次にシモーヌが勝てばなにを取るわけ?」

「そうさねえ。もう船長の首はいらないからオヨネあんたをもらおうかい? あんた可愛い顔だからあたしのペットにしてやるよ。そうだね。そいつがいい。次はあんたをもらいにくるとしよう。あーあ。ここまでむだ足かあ。港にもどるころにゃメシ食うカネもねえや。どうすりゃいいかなあ?」

 シモーヌが食堂を出ようとする。

 オヨネはちょっと気の毒になった。シモーヌはそんなに悪い女ではないらしい。紅獅子海賊団は身体がマヒしているものの誰ひとり傷ついてはいない。話に聞く緑狼海賊団ならいまごろ全滅だ。この船は死体だらけの幽霊船になっている。

「シモーヌ。ちょいと待っててね。ボクおみやげを用意するよ」

「ほう。貯金箱でもくれるのかい?」

 シモーヌが気乗りのしない顔でふたたびイスに腰をおろす。

 オヨネが食堂を出た。自室に飛びこむ。ダイヤモンドの原石の袋をつかんで食堂に取って返す。

「ほら。これをあげるよシモーヌ。これだけあれば海賊船が十隻は買えるよ」

 息をはずませてオヨネがテーブルの上にダイヤの原石を転がした。全部大粒で八つだ。

 シモーヌが眉を寄せた。

「なんだいこれ? きたない石ころじゃないか? オヨネの宝物かい?」

 ダイヤは原石だとにごった石にしか見えない。研磨を重ねてやっと光りかがやく。

「ダイヤモンドだよこれ」

 シモーヌが笑い飛ばす。

「あはははは。ウソだろ? ダイヤがこんなきたないはずないじゃんか。ねえオヨネ。ダイヤモンドってのは宝石の王さまだよ? キラキラかがやいてるのさ。こんなきたない石じゃないよ。ありがとうね。気持ちだけもらっとくよ」

 シモーヌが立ちあがった。自分の船に帰ろうと。

 オヨネが口をとがらせる。

「でもシモーヌ。これほんとにダイヤなんだよ? きたないのは原石だからさ。みがけば光るんだ」

 シモーヌがオヨネの顔をまじまじと見た。どうすればこれがダイヤではないとオヨネにわからせることができるか? そう考えている顔だ。きっとオヨネはどこかの悪徳商人にこれがダイヤの原石だとだまされて売りつけられたんだろう。初めてもらった取りぶんをすべてこのきたない石にかえちまったんだ。かわいそうなオヨネ。しかしいまこの石がダイヤではないとわからせないとまただまされる。心を鬼にしてオヨネの夢を打ちくだこう。シモーヌはそう考えた。

「誰か。ダイヤの簡単な見わけ方を知らないかい?」

 青サソリ海賊団のひとりが手をあげた。

「おかしら。あっしが知ってます」

「なんだ? 言ってみろ」

「燃やすんでさ。もったいねえから誰もやらねえが火をつけるとダイヤは跡形もなく燃える。ガラスやただの石は燃えねえ」

「ただの石が燃えない。それはわかる。けどほんとにダイヤは燃えるのか?」

「まちがいありやせん。一度この目で見やした。襲った船の女客が首にかけてたダイヤの首かざり。引きちぎったひょうしにロウソクの上に落ちたんでさ。一瞬で跡形もなく燃えつきやした。あとに残ったのは金具だけでしたぜ」

「ふむ」

 シモーヌがテーブルにちらばる石を見た。いちばん小さな石をえらぶ。マッチをすった。火を石に近づける。石があっという間に白熱化した。燃えている。石の色が赤にかわった。次に跡形もなく消えた。残ったのはテーブルにきざまれた焼けこげだけだ。

 シモーヌがおどろきの声をあげた。

「わーおっ! なんてこったい。本当に消えちまったぞ。なにも残ってない。灰すらないぞ?」

 紅獅子海賊団の一同もびっくりだ。石が燃えて跡形もなくなるなんて初めて見た。

 ダイヤのテスト方法を口にした男が目を丸めてテーブルに残る原石を見る。

「おかしら。こりゃ本物のダイヤですぜ。正真正銘のダイヤモンドだ」

 全員がオヨネを見た。紅獅子海賊団も青サソリ海賊団もだ。

 シモーヌがオヨネに疑惑の目を向ける。海賊船の見習いふぜいが海賊船十隻分のダイヤの原石を持ってる? それっておかしいだろと。

「おいオヨネ。おまえ何者だ? どうしてダイヤの原石なんか持ってる?」

 その他の海賊たちも不思議でならない。磨きあげたダイヤモンドを持っているならわかる。誰が見てもきれいだ。しかし原石を持っていてその価値まで知っているとなると素人ではない。海賊家業を長年やっているがダイヤの原石なんか見たことはない。

 オヨネがとっさに言いわけを考えた。まさかミッドナイト皇国のダイヤモンド家のひとり娘だとは言えない。しかも原石はすべて特大だ。ひろったなんてウソは通用しない。

「この原石はね。ポーカーでまきあげたのさ。ミッドナイト皇国のダイヤモンド鉱山の持ち主からね。ボクのポーカーの腕はすでに見ただろ? 鉱山主のおっさんボロまけしてさ。現金をもどしてくれって泣いてたのむから原石と引きかえにしたの。現金よりダイヤのほうが高そうだったからね」

 なるほどとみんながうなずく。オヨネのポーカーの腕にはみんな痛い目にあっている。オヨネがついこないだポーカーをおぼえたばかりということはもう誰の記憶にもない。

 シモーヌが安心した。テーブルに転がる七つの特大原石にほほずりをはじめる。

「そういうわけか。それならありがたくもらっとく。オヨネおまえはいいやつだ。あたしにたのみたいことがあればいつでも来い。おまえのためならなんでもしてやる。さあ野郎ども引きあげだ! 早く帰って宝石屋に行くぞ! このダイヤで世界一豪華な首かざりを作るんだ! あたしは巨大ダイヤの首かざりを首にまく海賊の女王さまになってやる!」

 青サソリ海賊団の男たちがいっせいに肩を落とした。がっくりと。ダイヤをカネにかえないんですかおかしら? そんな顔ばかりだ。

 紅獅子海賊団はいっせいにため息を吐いた。女だねえと。男ならダイヤを手にしたらカネにかえて飲めや歌えのどんちゃん騒ぎだ。ダイヤで身をかざろうなんて誰も考えない。

 テーブルに転がるダイヤの原石を集めてウキウキとシモーヌが引きあげて行った。

 オヨネはホッと胸をなでおろす。ダイヤの原石をやったのはシモーヌがかわいそうに思えたせいだ。しかしシモーヌが船室まで家さがししないかとおそれたせいもある。小銭でもいいからかき集めようとしてエスエスを発見されるとまずい。エスエスには一億ガルの賞金がかかっている。シモーヌはエスエスの首を取るだろう。そこでシモーヌは思うはず。ひとり殺すもふたり殺すもいっしょだと。リオン船長の首もはねる。次にシモーヌはこう考える。ふたり殺すも全員殺すもいっしょだと。船長を殺された海賊はかならず復讐を考える。自分が殺されないためには紅獅子海賊団を全滅させなければならない。海賊船十隻分のダイヤの原石に目がくらめばそんな物騒なことは考えまい。そうオヨネは判断した。

 オヨネは自分の計略が成功して安堵のため息を吐いた。次にサル吉の縄をといてやる。サル吉と手わけして全員に解毒剤を飲ませた。

 最初に回復したのはアリエだ。すぐにもとどおりになった。しかし大人たちは身体が動くようになったものの足にマヒが残った。船長とツタとエスエスが最も重症だった。足に力がはいらないらしい。ヨタヨタとしか歩けない。次によたつくのがハンマーとナツメグだ。七つ子もすぐに足の力がぬける。比較的ましなのがコニカールだった。走れないが歩ける。大人は新陳代謝が遅いのとふだんの酒の量が影響しているらしい。

 アリエとオヨネとサル吉で船じゅうのサソリの駆除に乗り出した。夜明けまでかかってやっと最後の一匹を殺せた。

 昼になってコニカールの指示でアリエとオヨネで舵をにぎった。イカリをあげて船を出す。

 よく考えればモガイナ島が宝島だといううわさは誰もが知っている。青サソリ海賊団だから命が助かった。緑狼海賊団ならみんな死んでいた。モガイナ島に近いこんなところをウロウロしていれば襲ってくださいと言っているようなものだ。特に船長たちがヨタついているいま無理をしてでもこの海域をはなれないとまずい。どんななまくら海賊団に襲われても全滅するのはまちがいない。なにせこの船には賞金首がふたりも乗っている。エスエスが乗っているとシモーヌが気づかなかったからシモーヌはあっさり引きあげた。ダイヤのエサに釣られたせいもあるが。

 アリエとオヨネでコニカールの指示どおり船を動かした。天気は回復している。海もおだやかだ。風は追い風だった。無人島にぶつかりもしないで航海をした。

 アリエとオヨネが舵をにぎって二日目だ。無人島四十五号が見えてきた。オヨネは思い出す。無人島四十五号にはバナナとマンゴーとイチジクがなっていたことを。

 紅獅子号が浸水したとき倉庫の食べ物も水につかった。あのとき船底にあいた穴から流れ出した中に果物があった。いま船倉に果物はほとんどない。

 アリエとオヨネはコニカールに相談した。ふたりで無人島四十五号に果物を取りに行ってもいいかと。

 コニカールがうなずく。

「パンも水につかって食えなくなったからな。バナナやマンゴーがあれば助かる。悪いけど行ってくれるか」

「はい」

 アリエとオヨネで返事をした。

 サル吉がオヨネの肩に飛び乗った。

「おいらも行く」

 オヨネが肩からサル吉をおろす。

「ごめんサル吉。あんたは船に残っててよ。満足に動ける人がひとりは船にいないとね。まだ立てないツタと船長とエスエスの面倒を見てやって」

 サル吉が顔をしかめた。しかししぶしぶうなずく。

「早くもどって来いよオヨネ」

「わかった。サル吉もよろこぶあまーいバナナを取ってくるからね」

 ふたりで小舟をおろした。無人島四十五号の砂浜に向けてこぐ。

 砂浜からジャングルに入った。今回は大きな袋を持っている。いっぱいまでつめようと思う。

 前回バナナを見つけた地点にたどり着いた。しかし前回に取ったせいで残っていない。

 アリエとオヨネはさらにジャングルの奥に進む。無人島四十五号は中心に山を持つ島だ。進むにつれて道はのぼりになった。ポツリポツリとバナナやマンゴーの木がある。しかし袋いっぱいにはならない。イチジクは特に実が小さい。数は多いが量はすくない。

 山をのぼりながらふたりは果物を集めた。取り進むうちふと気づいた。バナナの木にもがれた跡があることに。

 アリエとオヨネは顔を見あわせた。おれたちまだこの木のバナナは取ってないよなと。誰かが先にこの木のバナナをもいだのだろう。アリエとオヨネ以外の人間がこの島にいるということだ。まずいかもしれない。そう思ったときには遅かった。

 斜面の草がガサガサと音を立てた。十人の男が姿をあらわす。右手に剣を持っている。見た目が海賊だ。左手にはバナナの形にふくらんだ袋。やはりバナナやマンゴーを取りに上陸したらしい。

 先頭の男が声をあげた。

「なんだこいつら! おれたちのバナナを横取りしようってのか! ふてえ野郎どもだ! 緑狼海賊団をなめるんじゃねえぞ!」

 緑狼海賊団と聞いてオヨネが青くなった。アリエはオヨネの手を引く。逃げようとした。しかし足がもつれた。まだサソリの毒が体内に残っているらしい。

 男たちがいっせいに剣をかざした。

 アリエはオヨネを背中にかばう。両手に銀の鎖であんだ手袋をはめた。

 先頭の男がアリエに斬りつけた。アリエは剣を手で受ける。アリエが剣を受けたすきに次の男が突いてきた。アリエは胸で剣をとめる。鎖カタビラがかろうじて剣先をはじく。しかし三人目がアリエの首を狙ってきた。アリエはひとり目の剣をはなす。首にきた剣をつかまえる。だが四人目が突進してきた。アリエは足を出す。四人目をけった。男たちはあと六人残っている。このままじゃ殺される。

 アリオは背後のオヨネに怒鳴った。

「オヨネ! おまえひとりで逃げろ! ここはおれが食いとめる!」

 オヨネが吠えた。

「バカ野郎! そんなことできるか! 死ぬときはいっしょだ! ボクら仲間じゃないか!」

「誰が死ぬつもりだと言った? おれはこれから奥の手を出す。だが問題があってな。敵と味方の区別がつかなくなるんだ。それでおまえに逃げろと言った。オヨネこれからしばらくおれが近くにきたら逃げろ。おれはおまえとあいつらの区別がつかなくなる。おまえも殺しちまうかもしんねえ」

 オヨネがひるんだ。

「そ? そういう意味だったの? わかった。ボク避難しておくよ」

 アリエが男たちの剣をさばく。その間にオヨネがアリエからはなれた。オヨネが避難したのを確認してアリエは右目の眼帯をはずす。右目で世界を見るのはひさしぶりだ。

 アリエの右目は赤い。血のようにまっ赤だ。

 赤い目で見た世界は狂気だった。周囲がすべて敵に見える。破壊衝動がとめどもない。喜びが身体の芯から突きあげた。いかりとにくしみが両手のこぶしで膨張する。身体が軽い。脳みそが踊りはじめた。サソリの毒など吹っ飛ぶ。

 剣をつかんだアリエの口が半びらきになる。口のはしからよだれがたれた。きひひ。笑いが肺の奥からこみあげる。ははは。高笑いをあげると剣をつかむ手に喜びがうつった。剣がパキンとおれる。剣を持つ男ののど笛にこぶしを突きいれた。男が血を吐いてのけぞった。

 次の男の剣がきた。アリエは剣をよけない。剣先を見切って男の鼻にこぶしをたたきこむ。男がゴフッとくずれた。

 アリエの身体が勝手に動く。バク転をかけた。三人目と四人目にバク転でかかとをけりこむ。ふたり同時に頭頂にかかとを受けた。ふたりが前のめりに倒れる。

 五人目六人目が左右からかかってきた。アリエははねる。右足でまわしげりをはなつ。同時に身体を倒して左手の手刀で敵ののどをくだく。

 楽しい。こぶしでつぶれる肉や骨の感触がたまらなく心地いい。キリを殺された恨みがアリエの筋肉をはねさせた。ニコラス・ニジンを死なせた無念さが非情の足げりにこもる。こぶしを突きこむたびにみな殺しにされたチェロック村の村人たちの顔が浮かぶ。頭がガンガンした。目はなにも見ていない。赤い右目も青の左目もだ。ジャングルの影だけがアリエの脳裏に映っている。目はアリエの意識に達する前に身体を勝手に反応させた。耳の周囲に渦まく風にこぶしが直線を描く。足の裏からひびく足音につま先が宙に舞う。戦っているのはアリエだ。しかしアリエの意識とはかかわりがない。アリエの意識にはうすい膜がかかっている。別人のアリエがアリエの中にいた。人間をくだくことがひたすら楽しい人間失格のアリエが。本来のアリエは目のうしろからその人間失格者の動きを見ている。

 七人目八人目の頭を左右から手でつかんだ。ふたりの側頭部を左右から打ちあわせる。

 九人目十人目が背中を見せた。逃げはじめる。そのふたりのすぐうしろに貼りつく。

 ひひひひひ。口から笑いが噴き出す。男ふたりの髪の毛をつかんだ。髪の毛ごとふたりをうしろに引き倒す。アリエの両手に男たちの髪の毛がごっそりと残る。倒れた男ふたりののどにひざを落とす。男ふたりが声もなく悶絶した。敵がいなくなる。

 オヨネは木の影からアリエの戦いを見ていた。こわい。いつものアリエじゃない。あんなのアリエじゃないよ。オヨネはふるえた。

 アリエがふり向いた。アリエの赤い目が木の影のオヨネをとらえる。アリエが飛んだ。

 オヨネはせまるアリエの赤い目に初めて気づいた。セントラル一世が思い浮かぶ。伝説の赤目の王だ。たぐいまれな戦闘力で大陸を統一した英雄だった。しかし平和な時代に生まれていたら厄介者だったはずの男。

 アリエがすごいスピードで自分に突進してきた。あたしも殺される!

 オヨネは悲鳴をあげた。

「やだーっ! やめてぇ! アリエぇ!」

 アリエのこぶしがかためられた。オヨネの顔に一直線にアリエの腕がのびる。

 そこに横から人影がわりこんだ。アリエの腹にこぶしがたたきこまれる。アリエ自身の突進の力もくわわってアリエがぐったりとくずれた。

 オヨネは人影のぬしを見た。ハヤブサの仮面をつけた男だ。オヨネは名前を思い返す。

「えーと。反皇国組織ハヤブサ団のカシムだっけ?」

 カシムは両手に白銀の手袋をつけていた。そのこぶしでアリエをなぐったらしい。痛そう。

「ほう。よくおぼえていたな。そのとおり私はカシムだ」

 オヨネはあたりを見まわした。ここは無人島だ。ミッドナイト皇国とはなんの関係もない。なぜ反皇国組織の団長がこんな島にいるのか?

「ねえカシム。どうしてこんなところにいるのさ?」

 カシムが倒れたアリエの息をたしかめる。死んではいない。暴走したせいで体力をしぼりきったらしい。アリエは眠っている。カシムがオヨネに仮面の目を向けた。

「仕事だ。レイクガルド王国にきたのはエスエスをつけてたせいだ」

 オヨネは眉を寄せた。エスエスはまだ身体にしびれが残っている。敵に襲われたら絶体絶命だ。

「なんのために? 団の資金あつめ? 一億ガルの賞金が目あてなの?」

「ちがう。ハヤブサ団に勧誘しようと様子をうかがってた」

 オヨネは安心した。口が軽くなる。

「ひっどーい。初めて会ったときエスエスは五日もご飯を食べてなかったんだよ。どうしてもっと早く手を打たなかったのさ?」

 カシムが周囲に目を流す。緑狼海賊団の男たち十人はウンウンうなっている。死んではいないがダメージがひどい。しばらくは戦えないだろう。アリエとオヨネはバナナとマンゴーを集めに上陸したらしい。カシムは近くに落ちていた袋に木からバナナをもいでいれはじめた。オヨネも思い出してマンゴーの実をつむ。

 カシムが次のバナナの木に手をのばしながらさっきの答えを口にする。

「スパイかもしれん。そう疑ってたからだ。ハヤブサ団は腕の立つ者がほしい。親衛隊長なら剣の腕はたしかだろう。その親衛隊長が皇帝暗殺に失敗しておたずね者になった。ハヤブサ団がそんな人材を見のがすと思うか?」

「思わない」

「だろ? ところが考えてみると不自然さが目立つ。親衛隊長が皇帝の暗殺にしくじるってのがまず変だ。親衛隊は皇帝の身辺警護が仕事だぞ。皇帝に最も近い位置にいる剣の達人が暗殺に失敗する? ありえない」

 袋にマンゴーをつめながらオヨネが頭を働かせた。

「つまりエスエスをおたずね者にしたのは罠じゃないか。そう推測したわけね?」

「そうだ。皇帝に最も近い信用のおけるエスエスにあえて裏切り者の汚名を着せる。かならずハヤブサ団はエスエスに接触するはずだ。皇帝暗殺未遂のすご腕の剣士だぞ。これを反皇国組織に取りこまない手はない。もしエスエスがスパイならハヤブサ団は簡単に壊滅する」

「なるほど。それで様子をみてた。けどエスエスってそんな奥の深い人間には見えないよ?」

「ひと目でスパイとわかる者なら潜入してもすぐに始末されるさ」

「それもそっか。でもあのエスエスがねえ。くふふ」

 オヨネの笑いにカシムが眉を寄せた。

「なにがおかしい?」

「スパイにしちゃマヌケすぎるんだもの。あれってただの剣ひとすじバカだよ」

「私がスパイならバカをよそおうが?」

「そりゃあんたはハヤブサのお面をかぶって人前に出る人だもん。はっきり変態だよね」

 カシムの肩が落ちた。カシムはショックを受けたようだ。

「変態? 私は正義の味方だとばかり思ってたが。そうか。私は変態だったのか。ううむ」

「いや。そんなに落ちこまないでよ。助けてもらって感謝してるんだからさ。前回もお礼を言う前に消えちゃうしさ」

「ぐずぐずしてるとつかまるだろうが? 私は十億ガルの賞金首だ。簡単につかまらないから十億ガルまで値があがった」

「それって自慢?」

「すこしな。エスエスをどうすべきか悩みながらおまえたちをここまでつけてきた。まあ海賊船にスパイを送りこむ必要はないだろうな。ただずっと皇軍の中で生きてきた女だ。そう簡単に信用はできん。いまは皇帝に恨みを抱いてるだろう。だがかつての同僚などに説得されて皇帝がわにつくというのもありえる。油断はしないことだ。裏切り者はいつかまた裏切る。本人にその気はなくても周囲の者はその疑惑をすて切れない」

「そうだね。それはよくわかるよ。つらいねエスエスも。一生誰にも信じてもらえない過去を背おうなんてさ」

「自身ではどうにもならないことだ。周囲の人間の気持ちはエスエスに関係ない。二度と裏切らないと行動で示す以外にないだろう。そういう意味でもエスエスはきみたちと行動するのがいいみたいだな。ところできみ。名前はなんという?」

 オヨネは自己紹介がまだだったことに気づいた。

「ボクはオヨネ。こいつはアリエ。けどさカシム。アリエの右目見た? 赤かったよ?」

「ふむ。きみはもう気づいてるわけだな? 推測どおりだ。こいつの本当の名はアリエじゃない。アリキエル・セントラル。セントラル王家の王子だ」

「ウソ! アリキエル・セントラルは十五年前に殺されたはず!」

「それはミッドナイト皇国がそう宣伝してるだけだ。実際はグリーン格闘拳の達人ニコラス・ニジンがつれて逃げた」

 オヨネは腑に落ちた。

「それでアリエがグリーン格闘拳を?」

「たぶんな。ニコラス・ニジンに教わったのだろう。私もその点が引っかかってた。いまどきグリーン格闘拳を使う者がいるとはと。赤い目を見て納得がいったよ。こんな島まで追ってきたのはエスエスに気を取られたからだと思ってた。だが実はこの眼帯少年が気がかりだったのかもしれん」

「じゃさ。アリエって本当ならいまごろ王さま?」

「ふむ。ミッドクロス皇帝を殺してセントラル王国を復活させればな。だがこのたよりなさでは王はまかせられん。自身の右目が制御できてない。あと十年は修行をつんでもらわねば危険すぎる」

「そっか。それもそうだね。じゃアリエをハヤブサ団に勧誘しないの?」

「しない。こいつは素直に育ったらしい。暗躍するがらじゃない。いずれ王にふさわしい度量が身についたら王位につける」

「王さまかあ。アリエが王さま。アリキエル・セントラルか」

 オヨネは肩をガックリと落とした。アリエの父を殺したのはオヨネの父だ。十五年前ミッドクロスと手を組んでセントラル王室をほろぼした。ダイヤモンド家は最も多く資金援助をしたと聞いている。アリエがオヨネの正体に気づけばきっとにくむ。オヨネはアリエを見る目がかわった。ダイヤモンド家の娘に生まれたことが悔しくてならない。名もない家に生まれていればアリエをもと王子さまとしてあこがれのまなざしで見ることもできたろう。ダイヤモンド家のターニャとセントラル王家のアリキエルではにくみあう以外に道はない。

 カシムがふと気づいた表情を見せた。

「そうそう。きみにも追っ手がかかってるぞ。注意したほうがいい。ムーンストーン家とダイヤモンド家が莫大な懸賞金を闇でかけてる。生きてつかまえた者には十億ガルだと。私と同額だな」

 エッとオヨネはカシムを見た。

「カシムあたしの正体を知ってるの?」

「バカにしたものでもないぞ。私は反皇国組織のリーダーだ。皇国内のことは常人より多く知ってる。こんなうわさを耳にした。ダイヤモンド家のお嬢さまが結婚をきらって逃げ出したと。マズツタ島出身の乳母といっしょにな。乳母はマズツタ島直系の中年女だそうだ。そこから推測するとデブで酒乱で名前はツタだ。ふたりで逃げる場所はマズツタ島だろう。となると港町ポルトミラにあらわれる公算が大きい。私はターニャ・ダイヤモンドという娘の顔は知らない。しかしきみのかたわらにはいつもツタなる太った中年女がいたと部下から報告を受けた。偽名を使うなら乳母の名前もかえるべきだ」

「なるほど。ツタが目印になったわけね?」

「そうだ。言っては悪いがきみは身体の前面と背面の見わけがつかない。男か女か見わけるのは困難だ。きみひとりだとターニャ・ダイヤモンドだとはわからなかっただろう。アリエの赤目を見ないかぎりアリエがアリキエル・セントラルだとわからないように」

「あのう。それ。あたしに胸がないってことを遠まわしにおっしゃってるわけ? 要するにペチャパイだと?」

「そのとおり。そうおっしゃってるわけだ。エスエスほど胸があれば最初から男になど化けられまい。その点きみの変装は完璧だ。誰が見ても男にしか見えない。上半身をはだけてもたぶん見やぶれないだろう」

 オヨネの手がカシムのほほにのびた。カシムのほほをつねる。カシムが悲鳴をもらした。

「いたたた。痛い。なにをする?」

「すっごく複雑! あんたはあたしを女だと見やぶったんだからそこまで言うことないでしょ! これでもとっても気にしてるの! 胸がとぼしい女に胸がないなんて言うな!」

「いや。それで遠まわしに」

「だーかーら! 言・う・な! 遠まわしもあとまわしもだめ! 言わないで!」

「なるほど。今度から注意しよう。ところで胸の大きい女に胸が大きいとほめてもしかられると思うか?」

「それってセクハラ。そんなほめ方はしないほうがいいと思う」

「ふむ。わかった。さりげなく花でも贈ることにしよう」

「あれ? カシムの気になる女って胸が大きいの?」

「いや。ただの一般論だ。私の話じゃない」

「ウソだ。ねえねえ。おなじ団の人?」

「ちがう。ハヤブサ団に女はいない」

「じゃ誰なんだろ? あたしの知ってる女?」

「その質問には答えられない」

「あたしの知ってる女かあ。誰なんだろ?」

「なんでそうなる? 質問には答えられないと言っただけだぞ?」

「あたしの知らない女ならきみには関係ないって答えが返ってくるのよ。あたしが知ってる女だから答えられないって返したわけ。ですよね団長?」

「そ。そうかも」

「ところで団長。あなたいったい何者? その仮面の下はどんな顔? どういう恨みがあって反皇国組織をやってるわけ?」

「その一連の質問にも答えられない」

「そんなあ。あたしの正体だけ知ってそれはずるーい。そういやカシムもグリーン格闘拳を使うよね? それって誰に教わったわけ? 十五年前にグリーン格闘拳を使う人間はみんな殺されたって聞いたけど?」

「それくらいなら教えてもいいだろう。私の師匠はニコラス・ニジンだ」

「えっ? そういえばひとりだけいまも逃げつづけてるって。その人まだ生きてるの?」

「私は知らぬ。ニコラス・ニジンとは十五年前に別れたきりだ」

 そのときやぶがガサガサと音を立てた。オヨネが身がまえる。カシムも白銀手袋のこぶしをかためた。

 やぶの中から平凡そのものの顔をした男が姿をあらわした。

「団長。まずいですよ。緑狼海賊団の船長ゾイル・ソーマトロープがのぼってきます。船員たちが遅いのでしびれを切らしたようです。早く逃げたほうがいい」

 カシムがうなずいた。男はハヤブサ団の一員らしい。

 次にカシムがアリエのポケットをさぐる。眼帯を取り出す。眼帯をアリエの眠る右目にかけた。

「こいつの右目は危険だからな」

 そこに山の反対側からのぼってくる男の声がひびいた。男たちの名前を呼んでいる。部下を捜しに来たゾイルだろう。

 カシムが眠るアリエとオヨネを草影にかくした。

「ゾイルは餓狼剣の使い手だ。餓狼剣は剣術というよりだまし打ちの集大成に近い。まともに相手をしないほうが賢明だな。ゾイルは卑怯な手しか使わない。見つかったらとにかく逃げろ。見つかるまではじっとかくれてるんだ。わかったな?」

「うん。けどカシムたちはどうするの?」

「私たちはおとりになる。きみがアリエといるかぎりまた会うこともあるだろう。ではまた」

 ゾイルの声が近づいてきた。若い男だ。目がこわい。さっきのアリエの目よりもっとこわい。

 ゾイルが倒れた男たちを発見した。

「おい! おまえら! 誰にやられた!」

 ゾイルに抱き起こされた男の顔がオヨネたちのひそむ草影に向く。ゾイルが立った。こちらに走る。

 わっ! もうだめ! オヨネはかたく目をとじた。眠るアリエを抱きしめながら。

 そのときカシムと部下が山頂に向けて駆け出した。音に反応したゾイルが顔をあげた。

「カシムか! おのれハヤブサ団め! よくもおれさまの部下をひどい目に!」

 ゾイルがカシムたちを追って山をのぼって行く。部下たちをほうりすてたまま。オヨネだったら部下の手あてを先にする。

 かわいそうと思いながらオヨネはアリエをゆさぶった。すぐにアリエの左目がひらく。

「あれ? オヨネ? おれどうしたんだ? ああそうか。あれをやっちまったんだったな。オヨネ。おまえおれの」

 アリエが言いよどむ。

 オヨネはアリエがなにを訊きたいのか察した。

「ううん。見てない。ボクなにも見なかった。こわくてふるえてたんだ。ボクが目をつぶってるあいだにすべてが終わってた」

「そうか。ならいいんだ。さあ船にもどろう」

 アリエは立って自分の右目に眼帯がかかっていることに気づいた。バナナとマンゴーのつまった袋をかかえるオヨネに手を貸す。敵と戦う前この袋は半分もつまってなかったはず。そして自分の眼帯を誰かがつけた。アリエはさとる。オヨネはおれの右目が赤いのを見たんだと。

 前を行くオヨネにアリエは声をかけた。

「おれおまえに乱暴しなかったかオヨネ?」

 ふり返らずにオヨネが答える。

「う。うん。大丈夫だったよ。ボクはただふるえてただけ。なにも見なかった。絶対になにも見てないからね」

 アリエはオヨネのうしろめたげな背中にオヨネの気持ちを読む。そこまで念を押すのは見たからだ。おれの正体を。しかしオヨネが見なかったと言う以上気づかないふりをしよう。

「そうか。じゃ早く帰ろう。あいつらの親分があいつらを捜しにくるとまずい」

「そうだね」

 もう捜しにきてカシムを追いかけて行っちゃった。そんな言葉をオヨネは飲みこんだ。

 密林の切れ間から島の向こうの海が見えた。小さい船が大きい船に追われている。大きい船の旗は緑にオオカミの顔が描かれていた。緑狼海賊団の船らしい。小さい船はハヤブサ団の船だろう。カシムの船は小さいぶんだけ速い。ゾイルにつかまるとは思えない。オヨネはひとつ疑問を持った。ゾイルはこの島で苦しんでる部下たちをどうするつもりだろう? 置き去りにしちゃうのかな? 自分たちを襲った敵ながらあわれに思うオヨネだった。


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