第二章 紅獅子海賊団とゆかいな仲間たち
船の牢は広かった。紅獅子海賊団十一人。アリエ。オヨネ。ツタ。エスエス。合計十五人がはいっても全員が横になれる広さがあった。
しばらく全員が無言で目をそらしあう。すると船が動きはじめた。
紅獅子海賊団船長のリオンが天井を見あげた。まだ酔いが残っている声を出す。
「王都レイクシティに向かうんだろうな。ま。いまさらじたばたしてもはじまらねえやな。自己紹介でもしようぜ。おれはリオン・リチャード。紅獅子海賊団の船長だ。お前はなんて名前だぼうず?」
リオンが右目眼帯のアリエに水を向けた。
アリエは一瞬つまる。ニコラス・ニジンの子として育てられた。村ではアリエ・ニジンと名乗っていた。しかしグリーン格闘拳の達人ニコラス・ニジンは有名すぎる。とっさに偽名を考えた。
「おれはアリエ・セリナ。十五歳。武者修行の途中だ」
いきなり紅獅子海賊団にいれてくれと切り出すわけには行かない。ここは牢内だ。取りあえずリオンたち紅獅子海賊団の面々を観察しよう。アリエはそう考えて自己紹介を終えた。
リオンがうなずく。
「さっきの技。あれはグリーン格闘拳だよな? ミッドクロス皇帝に反旗をひるがえして継ぐ者がたえたと聞いたが生き残ってたのか?」
「細々とね。いまではおれひとりになっちまった」
アリエの言葉に女剣士のエスエスが反応した。
「おいおい若いの。もうひとりいたぞ。白銀の手袋をつけた男がな。ハヤブサ団の団長カシムもお前とおなじ技を使ってた。しかもカシムの技量のほうがお前より上だったぞ?」
「えっ? ま。まさか?」
アリエはカシムを見ていない。グリーン格闘拳の最後の使い手ニコラス・ニジンはセントラル王国の戦士長だった。セントラル王国をミッドクロスが乗っ取ったときニコラスは王都を去った。一歳のアリエを抱いてだ。以来グリーン格闘拳は皇帝に刃向かう邪拳として弾圧された。
リオン船長があごをなでた。
「グリーン格闘拳で白銀の手袋をゆるされるのは認定者だけだと聞いてるぞ。十五年前にグリーン格闘拳はニコラス・ニジンをのぞいてみな殺しにあったはずだ。あのカシムって男はそれでミッドナイト皇国をうらんでるのかな? それともカシムはいまなお逃げのびてるニコラス・ニジンの教え子か?」
育ての親のニコラス・ニジンにそんな教え子はいない。そうアリエは思った。けど訂正するわけにはいかない。
紅獅子海賊団のひとりが口をはさんだ。
「それにしては船長おかしな点がありますよ。あのカシムって男はハヤブサの仮面をかぶってた。グリーン格闘拳の紋章はクマだ。ハヤブサはセントラル王家の紋章ですぜ。セントラル王家にゆかりの者ではないでしょうかね? おっと。おれはコニカール。航海士だ。よろしくな」
コニカールが頭をさげた。横縞のシャツを着ている。首には白のスカーフだ。やせっぽちで身軽そうだった。歳は三十くらいだろう。コニカールがオヨネに目を向けた。女剣士のエスエスは有名人だ。グリーン格闘拳をかじったアリエが皇国にさからうのも納得できる。旅の少年にしか見えないオヨネと中年女のツタはどう見ても場ちがいだった。逮捕される顔ではない。
オヨネが頭をかいた。どうしてこんな羽目になったんだろうと。
「ボクはオヨネ。十五歳だよ。叔母といっしょにマズツタ島に行く途中だったんだ」
コニカールたち紅獅子海賊団全員がいっせいに手を打った。十一人の声がそろう。
「わかった! そこのオバサンの名はツタだ!」
エッとオヨネが目を丸めた。
「な? なんだよそれ? どうしてツタの名前がバレたのさ?」
コニカールがふふふと笑う。
「マズツタ島の出身者でこの体型をした女はみんな名前がツタなんだ。そういう一族なんだよ」
なるほどとオヨネはツタを見た。
ツタが咳ばらいをした。
「オホン。体型は関係ありませんわ。伝統ある一族なだけです。たしかにわたしはツタ。ツタ・マズキトです。マズツタ島のマズキト一族の直系ですわ。マズツタ島行きの船を待ってただけなのにこんな騒ぎにまきこまれてしまって。どうしてわたしまでが牢獄に? なんてことでしょ」
キイイとツタが歯ぎしりをした。持ちこみをゆるされた小さなカバンからツタがパンを取り出す。カバンの中は食べ物しかはいってない。近衛師団長のヨーゼフじきじきに中身を確認してツタに持たせたカバンだ。
ふとリオン船長が思い出した。女剣士のエスエスに目を向ける。
「おいエスエス。お前の剣はボギー三日月剣だろ? 月の光のように冷たい切れ味が信条な剣のはず。さらにミッドクロス皇帝のもと親衛隊長だ。お前は相当な剣の使い手だろう? なのにあんな賞金かせぎの頭目ごときに手こずったのはどういうわけだ? あんなへなちょこ。お前なら一撃じゃないのか?」
エスエスの目はツタの持つパンに釘づけだ。エスエスのおなかがグルルと音を立てた。
「すまぬ。実は五日もメシを食ってない。目がくらくらして立ってるのもやっとだ。面目ない。ボギー三日月剣の真髄はたしかにあんなものではない。わたしの不覚なだけだ」
オヨネがハッとした。ツタのほうばりかけたパンを口の前から取りあげる。
「ごめんエスエス。命の恩人にこんなものしかあげられない。でも食べて」
オヨネがパンをエスエスにさし出した。
エスエスがパンを前にためらいを見せる。ツタが恨みがましい目でにらんでいた。剣士としてデブのオバサンのパンを取りあげていいものか? そんなゆれる目だ。
リオンが声を出した。
「食え。体面を考えてるときじゃないぞエスエス。おれたちも凪の海を三十日さまよったことがある。食い物がなくなって死ぬかと思った。あと三日だ。三日風がとまったままならおたがいを殺して食いあいがはじまってもおかしくなかった。いまは食え。王都につくまでに死ねば話になんねえぞ」
なおもエスエスがためらう。
オヨネがパンをエスエスの口に突っこんだ。
「食べろよエスエス。あんたはボクの命の恩人だぞ。さっさと食え」
そんなオヨネにアリエは思った。命の恩人になんて言葉づかいだと。しかもエスエスのほうが年上だし。
エスエスがパンをかじった。目から涙がこぼれはじめる。オヨネの親切がうれしいのか。五日ぶりに口にした食べ物に自然と涙がこぼれたのか。もしくはその両方か。
オヨネがツタのカバンも取りあげた。中の食べ物を次から次にエスエスの口にいれる。エスエスが泣きながらツタのカバンを空にした。
食べ終わったエスエスがオヨネの手をにぎった。
「かたじけないオヨネどの。あなたこそわたしの命の恩人だ」
「えっ? こんなものでお礼を言われちゃやだなあ。でもエスエスって剣の達人なんでしょ? 皇帝暗殺未遂ってどういうことよ? どこでしくじったわけ? 親衛隊って皇帝のそばにつく職じゃない?」
そう言えばそうだとみんなが首をかしげた。親衛隊の隊長が皇帝の暗殺に失敗する? それっておかしかないかと。
アリエがひとつ気づいた。
「皇帝が影武者だった? それで暗殺したあと本物があらわれた?」
エスエスが否定した。
「いいや。ちがう。皇帝は本物だった。黒の王が流星剣の使い手だったんだ。黒の王はノースランド州の領主だ。暗殺部隊のもとじめだな。わたしの流派はボギー三日月剣。剣速と切れ味が特徴だ。月の光に舞う木の葉のようにヒラヒラと斬りつける。それに対して流星剣は手数が多い。剣のきっ先が流星雨のように見えるからその名がある。剣速も向こうが上だった。わたしが皇帝に斬りつけた剣はことごとくはねのけられた。黒の王は影のような男だ。いつもひっそりとたたずんでてな。いるかいないかわからない。その日もわたしの視界に入ってなかった」
リオンが感心した。
「ほう。黒の王とやったのか。よく逃げられたな。おれの師匠が言ってたぜ。黒の王ノーマン・ノルディカはとてつもない天才だってな。修行時代クモの巣をまっぷたつに切ったそうだ。剣に糸がくっつく間もなく一刀両断にな。とんでもない剣速がないと無理な芸当だぞ」
「たしかにぶじではすまなかった。皇帝暗殺をあきらめたわたしは黒の王と向きあった。圧倒的にやつのほうが上だったよ。ただわたしのほうが若かった。わたしが狙った皇帝ミッドクロス・ミッドナイトは三十五歳だ。黒の王は四十歳だった。わたしは二十歳だ。体力はわたしの勝ちだった。最後にやつにひと太刀いれた。わたしも深手を負わされたがね。わたしがその場から逃げ切れたのは黒の王にひと太刀あたえたせいだ。黒の王に傷をおわせた剣士をとめる愚か者はいない。立ちふさがる兵士は全員腰が引けてたよ」
エスエスがとつぜん胸をはだけた。はちきれんばかりの乳房に横一文字の傷跡がある。
男たち全員が目を皿にした。
リオンがうなる。
「すげえ。いい乳」
オヨネがリオンをにらんだ。
「おいオッサン。そっちかい。ただのすけべじじいだなこの船長。エスエスも女なんだからさ。そんな簡単に肌を見せちゃだめだよ」
オヨネがエスエスの服をもとにもどす。
エスエスがけげんな顔でオヨネを見た。
「えっ? そうなのか? わたしはずっと男たちといっしょに生活してきたぞ? 着がえも男たちといっしょにやってたが?」
オヨネがエスエスの顔をうかがう。からかっているふうではなかった。皇軍だから男ばかりだったのだろう。
「以前はそうでもいまはだめ。あらためなさいエスエス。あなたは剣士である前に女だよ。男の前で服はぬぐな」
「は。はい」
エスエスが納得して男たちはがっかりした。
オヨネがリオンに顔を向け直す。
「ところでね船長。ボクさっきから気になってたんだけどさ。この七人どうしておなじ顔なわけ?」
オヨネが七人の船員に目を流す。ひとりは顔の右半分を黒髪でかくしている。次のひとりは左半分に髪の毛がたれている。その次の男は両目にかぶさる髪の毛だ。四人目は鼻から下をスカーフでおおっている。五人目は帽子を目ぎりぎりまでかぶっていた。六人目は大きな色メガネをかけている。七人目は顔じゅうを包帯でまいていて出ているのは目だけだった。
リオンがおどろいた顔でオヨネを見た。
「どうしておなじ顔だとわかる?」
「いや。おなじ顔っしょ? 見りゃわかるじゃん」
アリエは思った。見てもわからないと。
オヨネに指摘された七人が素顔をあらわした。歳は二十五くらい。たしかに七人がおなじ顔だった。誰が誰やら区別がつかない。
七人がいっせいに口をひらく。
「おれたちはバオバブ兄弟。七つ子だ。フォレストガルド王国のバオバブ村で生まれた。全員がおなじ日にな。オヨネお前はすごいやつだ。おれたちの顔がおなじだとよくぞ見やぶった」
オヨネが口を丸めた。
「おっとびっくり。全員がおなじことを同時にしゃべれるんだ。それって打ちあわせてるわけ?」
七人が目くばせをしあう。
「あたり前だ。七つ子といっても考えることは全員がちがう。勝手にしゃべればそろうはずがない」
「なるほど。で。誰がなんて名前?」
ひとりが口をひらいた。顔中を包帯でぐるぐるまきにしていた男だ。
「おれが長男のケヤキ。次男がヒッコリー。三男が三号。四男が四号。五男が五号。六男が六号。七男が七号」
「はい? なにそれ? 手ぬき?」
「ちがう。親がおれたちの名前をわすれるんだ。長男と次男まではおぼえてる。しかし三男以下はおぼえられない。それで三男以下は木の名前をやめた。元々はついてたんだがな。三号四号五号六号七号だとわすれっこないだろ?」
「たしかにそうだね。一度でおぼえられる。ということはあなたの正式名称はケヤキ・バオバブさんか。むしろケヤキさんとヒッコリーさんがおぼえにくいよ。いっそ一号と二号にすればよかったのに」
「それだと手ぬきだ」
「三号四号五号六号七号だけでじゅうぶん手ぬきだよ。いまさらじゃない?」
そうかも。そんな顔で七人が顔を見あわせている。
残る紅獅子海賊団のふたりが口をひらいた。どちらも五十歳くらいだ。
太ったほうが先に自己紹介をする。
「わしはナツメグ。料理長じゃ。本名はもうわすれた。なんにでもナツメグをいれるのでナツメグと呼ばれておる。わしはナツメグが大好きじゃ」
やせた男があとを受けた。
「おれはハンマー。船大工だ。武器の手入れもお得意だぜ。おれはすて子で名前がない。物心ついたときにはハンマーをにぎって船の修理をやってた。ところでエスエス。どうして親衛隊長が皇帝を暗殺しようなんて思ったんだい?」
ハンマーがエスエスに目を向けた。
エスエスがすこし考えた。
「親友を奴隷にされたからだ。幼年舎からずっといっしょの男を」
エッとオヨネが首をかしげた。
「あのさエスエス。奴隷って別の国からつれて来たり元々の身分じゃないの? 途中から奴隷になっちゃうわけ?」
「ふむ。オヨネどの。あなたはミッドナイト皇国をよく知らぬようだ。そもそも十五年前に奴隷はいなかった。皇帝ミッドクロス・ミッドナイトは大陸をひとつに統一しようとたくらんでる。五百年前にセントラル一世が統一王朝を建てたようにな。皇帝は戦争をして周辺の六つの王国を飲みこもうと考えてるわけだ。そのため重税を課した。税金の払えない者は奴隷として重労働に駆り出される。戦争の準備として皇都ミッドピアを高い壁でかこむ工事が進行中だ。奴隷はその現場につぎこまれる。しかし大工事のためうまく進まない。そこでさらに税金をあげた。奴隷をふやす目的でな。国民は重税に苦しんで奴隷に落ちて死ぬ者があとをたたない。そのうえ皇都を守る壁が完成すれば大陸全土をまきこむ戦争がはじまる」
「それで皇帝をいまのうちに殺そうとした?」
「ああ。大陸のはしにちらばる六つの王国はミッドナイト皇国の百分の一にもみたない。そんな小さな国を戦争までして取ってどうなる? 大量の人間を殺して大陸を統一する必要がわたしには感じられなかった。奴隷を大量に作って壁をきずかなくても皇都ミッドピアを攻める大軍などどこの王国も持たない。皇帝ミッドクロスはむだなことに国民の命をけずってる」
リオン船長が咳ばらいをした。
「皇帝ミッドクロスにとっちゃむだなことでもないのさ。十五年前ミッドクロスはセントラル王国の一軍団長だった。辺境で山賊や海賊から国民を守る仕事をしてたんだ。ところが山賊や海賊が国境を越えてしまうとつかまえられない。ミッドクロスは国王に進言した。六つの王国を併合して山賊や海賊の逃げ場をなくせとな。正確に言うと多島海を領土に持つスターダストガルド王国もあるから七つだがね。国王は相手にしなかった。山賊や海賊の被害は戦争にくらべれば大したものじゃない。死傷者の数も圧倒的にすくない。たしかに山賊や海賊に襲われた人々は悲惨だ。しかし周辺の国々を攻めほろぼしてまで山賊や海賊を全滅させることを王はえらばなかった」
アッとエスエスが声をもらした。
「それで皇帝は大陸の統一にこだわってるのか?」
「職務に忠実な男なんだ。それとささいなゴミでも落ちてるとがまんできない性格でもある。自分に逆らう者は小さな子どもでも見のがせない潔癖さを持っててな。神経質な男なのさ。国王の器じゃねえ。ゆるすというおおらかさを持たない男だよ。犯罪者を追ってるだけのときはよかったんだが」
オヨネが疑惑の目をリオンに向けた。
「どうしてそんなことを知ってるのさ船長?」
「昔の話だがな。おれはやつの上官だった。セントラル軍東方出張所支部長。それがおれの前身さ。あいつはつかまえた海賊の首をすべてはねた。そんなあいつとおれは対立した。海賊にだっていいやつはいるとな。しかし中央政府はやつの肩を持った。まあとうぜんと言えばとうぜんだ。海賊退治の専門家が海賊の弁護をしちゃいけねえやな。おれはクビさ。やつはそのまま出世の階段を駆けあがった。そして十五年前に四人の賛同者と五人のうしろだてをえて王国を乗っ取った。五百年の平和になれきった王国はあっけなく乗っ取られた。四人の賛同者と五人のうしろだてがいまの四天王と五公家だ。王国乗っ取りのあかつきに広大な領土をもらう約束でミッドクロスに手を貸した。皇帝と四人の賛同者の手にした皇都と周辺四州はこのレイクガルド王国よりせまい。皇国のほとんどが五公家の領土だ。王国乗っ取りに手を貸して最も得をしたのは五公家だろうな」
五公家の名が出てオヨネはギクッとした。
目ざとくアリエはオヨネに声をかける。
「どうかしたのかオヨネ?」
「いや。なんでもないよ。船長ってもと軍人だったんだって思うとこわくなっちゃってさ。ボク軍人ってきらいなんだよな。えらそうなやつばっかだもん」
アリエも思いあたった。
「たしかにおれもいい印象はないな。ろくなやつがいない」
「だろ? ああ船長ごめんね。話の腰をおっちゃって。ほかに船長はどんなことを知ってるのさ? ボク知りたいな。ミッドナイト皇国ってほとんど知らないんだもの」
よしよしとリオンがうなずいた。オヨネやアリエは息子というより孫だ。孫にねだられる祖父の顔でリオンが話しはじめた。
「いまの話でもふれたがそもそもセントラル王国は五十五の州にわかれててな。ミッドクロスの野郎は王都のセントラルシティをミッドピアと改名してそのまま首都と定めた。次に首都を取りまく四つの州を四人の賛同者の領地とした。これが四天王だ。四人とも軍人で皇都を東西南北から守ってる。皇都の東のイーストランド州を治めるのがイグドル・イルパだ。灰色の制服を着た軍団をひきいるから灰の王と呼ばれてる。さっきおれたちが対戦した軍の首領さ。イグドルは裏工作が専門の陰険な男でな。いまは四十五歳だ。おれもすくなからぬ縁がある」
オヨネがリオンの顔を見た。
「またもとの部下?」
「いいやちがう。弟弟子だ。二十五年前はイグドル・イルパじゃなくイズー・イエーガーという名だった。あいつは師匠の娘メリッサに横恋慕した。メリッサの心が動かないと知ると師匠もろとも殺して逃げた。おれはいまでもあいつをゆるせない。名前をかえて軍にもぐりこみミッドクロスに取りいったと知ったのは十五年前だ。以来あいつはおれの手のとどくところにはきやしない」
リオンのにぎりかためたこぶしに無念さがにじむ。リオンの恋人がきっとメリッサだったのだろう。そうオヨネとアリエは思う。
「おっと。話が私ごとにそれたな。要するに首都と周辺の四州を皇帝と四人の軍人でかためたわけだ。その四人はそれぞれ王と呼ばれてる。ミッドナイト四天王とね。これで五州だな。残りの五十州を五人の有力者に治めさせた。これが五公家だ。十五年前の五公家はそれぞれ宝石の産地を所有する金持ちだった。五公家の筆頭がダイヤモンド家だ。いまでもダイヤモンド鉱山を持ってていちばんの金持ちだな。二番目がルビー家だ。三番目がトパーズ家。四番目がラピスラズリ家。五番目がムーンストーン家。それぞれかつての十州をミッドクロスからあずけられた。それが五公国だ。五十五州あったセントラル王国はいま皇都と東西南北四州と五公国の十分割になってる」
オヨネが顔をしかめた。そうなのよねえと。ダイヤモンド家の当主が死んでダイヤモンド家を継ぐのはオヨネだけになった。ムーンストーン家はそれに乗じて独身の息子をオヨネと結婚させようとたくらんだ。そうすれば五番目から一気に五公家筆頭までのしあがれる。三十歳にもなって結婚できないバカ息子の始末もできてねがってもない話だ。
オヨネことターニャとしてはそんな結婚は受けいれられない。あたしはムーンストーン家の尻ぬぐいかっつーのと。オヨネは必死でことわった。しかし執事のヌルヒチがしつようにすすめる。どうしても結婚させる腹らしい。たしかにオヨネは世間知らずだ。性格もハチャメチャだった。大陸の五分の一を治める器ではないと自身で思う。
だがよりによってムーア・ムーンストーンの嫁にはなりたくない。そこで乳母のツタと逃げ出した。オヨネがいなくてもダイヤモンド公国はゆらがない。執事のヌルヒチがこれまでどおりに治めるだろう。
執事のヌルヒチとしてはターニャまで死んではこまると思っているはずだ。ターニャが死ねばダイヤモンド家の血すじがたえる。そうなればダイヤモンド公国はミッドナイト皇国に返上される。五公家が治めている土地は公国と呼ばれている。しかし皇帝からあずけられた土地にすぎない。法律上はミッドナイト皇国の一州だ。
ターニャが生きているうちにムーンストーン家と婚姻関係をむすべばムーンストーン家がダイヤモンド公国を継ぐ。ムーンストーン家は親戚が多い。血すじがたえることはない。執事のヌルヒチはそう計算しているはずだ。ダイヤモンド家の執事としてはとうぜんの配慮だろう。けどターニャ個人としてはそんな結婚は金輪際ごめんだ。
オヨネの回想に関係なくアリエがリオンに質問をはなった。
「黒の王はどんなやつなわけ船長?」
キリを殺して村を全滅させた黒の部隊。そいつらの元締めが黒の王だ。エスエスがひと太刀をあびせたと言ったが死んではいないはず。アリエは皇帝以上に黒の王を殺したい。あの夜の襲撃がはじまったときニコラス・ニジンは口にした。きた。黒の王だと。アリエはエスエスの話を聞いて確信した。養父のニコラス・ニジンを斬ったのは黒の王本人だと。
リオンが渋い顔を見せる。黒の王はエスエスの話からもわかるとおり世界一の剣士だろう。アリエの目には黒の王へのにくしみが見えた。アリエの実力で討ち取れる相手とは思えない。
「黒の王か。ノーマン・ノルディカ。四十歳だ。皇都の北のノースランド州を治める男だな。黒の制服を着た暗殺部隊をたばねてる。おれは直接会ったことはない。師匠から話を聞いただけだ。エスエスの話では皇帝の護衛をやってるようだな。黒の王はミッドクロスがセントラル王国を乗っ取ったあと皇帝に反対する者を次々に暗殺した。グリーン格闘拳の使い手たちを始末したのもこの男だ。おかげで皇帝にさからう者はいなくなった。いや。表に出なくなったと言うべきかな? ハヤブサ団のように暗躍する反皇国組織がいるからな。それでも反対派はいまや絶滅寸前だ。黒の王はいわば皇帝の秘密警察長官だな」
「じゃその黒の王を殺すのは?」
「皇帝を殺すよりむずかしい。そうおれは思うな」
リオンの返答にアリエはがっくりと肩を落とす。
リオンがアリエの落胆を無視して話をつづけた。
「皇都の西のウエストランド州を治めるのがウツロ・ウォーカーだよ。四十歳だ。紫の制服を着た戦闘部隊の長で紫の王と呼ばれてる。だがウツロは武人じゃない。策略家だ。頭はきれるが武術はまったくだめ。アリエに殺せるとすればこの男だろうな」
アリエは肩をすくめた。恨みのない男を殺してもしようがない。殺したいのは皇帝と黒の王だ。
リオンも肩をすくめた。アリエは感情がすべて顔に出る。わかりやすくていいが戦いには向かない。実戦経験がほとんどないのだろう。達人クラスの武術者と立ちあえば簡単に殺される。グリーン格闘拳の師匠はそういう駆け引きを教えてないらしい。
「残る皇都の南はサウスランド州。白の王と呼ばれるサミエル・サライが治めてる。五十歳だ。サミエルも武人じゃない。宣伝を担当してる。皇帝はこんなすばらしい仕事をしてるとか皇国は理想の国だとかな。サミエルは人殺しにかかわる仕事はしない。物資の流通とか産業の育成がサミエルの仕事だ。軍隊に食糧や武器を送りこむのもこの男の役目だな。皇都の周囲に壁をきずいてるとすれば指揮をしてるのはこの男だ。重要人物とは言えないし悪人とも言えない。王と呼ばれる四人の中で最も小心者だ。小悪党ってとこだろうな。この男を殺しても皇国はゆるがない。すぐにあとがまがあらわれるだろう」
オヨネがため息を吐いた。
「殺す価値のない男ってわけね。暗殺されなくていいんだか無価値で悲しいんだかわかんない。どうして皇帝はそんなのを飼ってるの?」
「命令に忠実だからだろう。皇帝にまったく異をとなえない。命令どおりに仕事を進める。どんなひどい命令だろうとそのとおりに実行する。奴隷を一万人生き埋めにしろと皇帝が命令すればハイハイと埋めるんじゃないか?」
「ゲー。ボクそんなのやだ。一生を命令どおりに生きるなんてたえがたいね」
十人の海賊たちもオヨネとおなじ顔をした。気にいらない命令には従いたくない。そのせいで海賊なんかをやっている。そんな顔ばかりだ。要するに白の王サミエル・サライはここにいる者たちと正反対の性格らしい。
そのとき船が大きくゆれた。川をさかのぼりはじめたらしい。川の流れと帆が抵抗しあっている感じだ。
アリエは気づく。自分たちの身の上に。リオンに訊いてみる。
「あのう船長。おれたちこれからどうなるの?」
リオンが目を泳がせた。考えたくない話題らしい。
「レイクガルド王国の法律では治安をみだした者は懲役五年だ。殺人未遂だと十年だよ。アリエはレイクガルド国民になぐりかかったわけじゃないから懲役五年だろうな。だがあの賞金かせぎたちがレイクガルド国民だと十年は牢屋暮らしだ」
アリエは飛びあがった。
「ええーっ! そ! そんなあ!」
「そんなあと言っても法律だからな。あの近衛師団長は頭のかたい男らしい。厳密に法律を守るつもりじゃないか?」
「うげえ。それならさっきお姫さまの提案に乗っとけばよかった」
リオンが牢の外に顔を向けた。
「いまからでも遅くはなさそうだぞ。たのんでみちゃどうだ?」
牢の外から足音がひびいてきた。ローラ姫を先頭に近衛師団長のヨーゼフと鍋をかかえた兵士たちがつづく。
「はーいみなさーん。いまからご飯をあげるわ。レイクガルド王国は囚人を飢えさせるなんてことはしないの。でもおいしくはないわよ。味は期待しないでね」
ローラ姫が兵士たちに命令した。さっさとおくばりと。
兵士たちが牢の格子ごしにパンをさし出す。アリエたちは交代にパンを受け取った。パンの次はシチューだ。やはり交代にシチュー椀を手にする。
全員に行きわたったと見るやローラがアリエに声をかけた。豊かな胸を強調する姿勢で。
「ね。きみ。まだわたしにつかえる気にならない?」
かなりなったアリエだ。アリエは牢の中を見まわした。あっさり心がわりをしてローラに媚びるとどうなる? はずかしくないか? えらそうなことを言って牢をぬけるためならわがまま姫の足の裏まで舐める男? アリエは首をふった。そんな目で見られるなら死んだほうがましだ。
「ごめんなさい姫さま」
ムッとローラがほほをふくらませた。
「なんて強情な男でしょ。パパにおねがいして王室侮辱罪もくわえてもらいます。王室侮辱罪は懲役五十年よ。おじいさんになってから出てらっしゃい」
ローラが背を向けた。兵士たちもローラにつづく。
ひとり残ったヨーゼフが格子ごしにささやく。
「王室侮辱罪はまだ適用されたことがない。安心しろ少年。ただのいやがらせだ」
ヨーゼフが去ってオヨネがアリエを見た。
「適用されたことがないって言ってたけどさ。この国ってそんな法律があるんだ。アリエは適用第一号?」
「や。やめてくれよぉ。五十年も刑務所暮らしなんておれはやだあ」
七つ子の長男ケヤキがアリエの肩に手を置いた。
「いや。そうでもないぜ。レイクガルド王国は船の牢でもちゃんとメシをくれた。懲役五十年ってことは五十年間タダメシが食えるってことだ。おれたち海賊は命がけの仕事をしてもあんがいかせぎが悪い。五十年もタダでメシを食わせてくれる施設は貴重だ。このさい身を寄せるべきだとおれは思う」
残りの六人が声をあわせた。
「そうだそうだ。タダメシを五十年食うべきだ」
アリエは七人を順ににらみつける。
「ならあんたらが五十年はいってろよ」
七人全員がうしろを向いた。いっせいに話題をかえる。
「やあエスエス。お前って五日も食ってないんだろ? おれたちのパンを半分やるから食えよ」
七人がそれぞれエスエスにパンを半分ずつわたす。
アリエはケヤキのうしろえりをつかんだ。
「自分たちは牢に入りたくない。おれには入れ。そういうことかい?」
ケヤキがふり向く。
「とうぜんだろ? 牢に入りたいバカがいるか? 他人ごとだから入ってろって言える。おれはこんなまずいパンを五十年も食いつづけたくない。ま。お前もエスエスにパンを半分やりな」
この野郎と思いながらアリエはパンをわった。
リオンもパンをわる。
「そうだ。ちゃんと食えエスエス。そのでけえオッパイがしぼんじゃもったいねえぞ」
オヨネとツタと七つ子がリオンをにらんだ。九人が同時に船長を糾弾する。
「船長。それ。セクハラ」
エッとリオンが目を丸くした。
「おいおい。ほんとのことじゃねえか。おれはただ」
オヨネが人さし指を立てた。
「ほんとのことでもエッチなことを言っちゃいけないの。まったくぅ。オヤジなんだから」
リオンが頭をかいた。
当のエスエスはセクハラなんて気にしない。全員のパンをもくもくと食べるだけ。結局エスエスは味が薄いパンをことごとく食べた。本当に飢えていたんだなとアリエは感心した。
そんな中ツタがひとり悲しげな顔をしている。エスエスにまたパンを取られたせいだ。オヨネがツタの表情に気づき自分のパンをまわした。それを見たアリエと七つ子が自分のパンの半分を順番にオヨネの口に突っこむ。
オヨネが悲鳴をあげた。
「こらあ! ボクをツタみたいなデブにする気かあ!」
ツタが恨みがましい目でオヨネをにらんだ。お嬢さまそれはないでしょと。
コニカールと七つ子が笑い転げる。船長たちオヤジ組とエスエスもほほをゆるませた。
アリエは思った。こいつらみんないいやつかもと。
そのとたん涙がこぼれはじめた。
アリエの実の両親が殺されたのはアリエが一歳のときだ。育ての養父母が殺されたのはつい二週間前だった。チェロック村は村そのものがアリエひとりを殺すために全滅させられた。いっしょに育ったキリがアリエの身がわりに殺された。キリは親友とも兄弟とも言える男だった。キリがかえ玉になったおかげでアリエはひとり生きのびた。
もっとも。それはあとで知った事実だ。当夜は大混乱だった。ミッドナイト皇国の黒の暗殺隊が四方からチェロック村に殺到した。月のない深夜を狙ってだ。
アリエとキリは同い年だった。顔立ちも背かっこうもよく似ている。ゆいいつちがうのは右目だ。アリエは右目に黒の眼帯をしている。のばした金色の髪で眼帯の右目をかくしていた。だがすける金髪ではかくしきれていない。
襲撃がはじまったときアリエはキリの父ニコラス・ニジンの手で土に埋められた。頭をなぐられてだ。死んだらどうするんだ? 気絶する瞬間アリエの頭に浮かんだ言葉はそれだった。結果としてアリエは生き残った。だが撲殺されてもよかったのだろう。死ぬのがその夜のさだめだったはずだ。生死の境をさまよう仮死状態だったから生き残った。そんな思いが強い。
気がついたときアリエは土の中で窒息しかかっていた。あわてて這い出すと村は廃墟だった。おびただしい血と焼け焦げ。見知った人々の死体。徹底的に破壊された家々。
たったひとり首から上のない死体がキリだった。自分とおなじ体格をした少年の首なし死体。それを見たときアリエはすべてをさとった。キリがアリエの身がわりとして殺されたと。十五年前にほろぼされたセントラル王国の王子アリキエル・セントラルとして。
アリエは死体を前に泣いた。養父母。顔見知りの村人たち。幼い子どもたち。身体中に矢が刺さり刀傷や槍傷だらけの死体ばかりだ。特にひどいのはキリの父でありアリエの養父であるニコラス・ニジンの死体だった。同一の剣によるすさまじい数の刀傷がきざまれていた。傷は深く浅く無数と言えるほどの手数で養父をさいなんでいた。養父のニコラス・ニジンは格闘拳の達人だ。そのニコラス・ニジンを斬った者もただ者ではないはずだった。
アリエはひとりずつの前で手をあわせた。涙がいちいち落ちてきた。
村人全員の遺体を埋めおえてアリエは確認した。生き残ったのは自分ひとりだと。全滅させられる原因であるアリエだけが残された。
おれが十五年前に死んでいれば。そうアリエは歯をかみしめた。
次にこぶしをかためた。ゆるせないと。
しかし相手は皇帝直属の暗殺部隊だった。自分はもと王子だ。けどたったひとり。大人ですらない。セントラル王国は十五年前に解体された。キリや養父母の仇を討とうにも手も足も出ない。
アリエは廃墟と化したチェロック村をぼうぜんと見まわした。疑問がひとつ胸に湧く。
あしたからおれはどうすればいい?
焼け跡にたたずみふとひらめいた。右目の眼帯が目立たないのは海賊くらいだと。
海賊がおもに狙うのはミッドナイト皇国の船だ。ミッドナイト皇国は大陸のほぼ全体を占めている。しかし大陸の縁は六つの王国に取りかこまれている。つまりミッドナイト皇国は海を持たない。要するに商船は持っているが海軍がない。そのうえ最も豊かな国だ。海上の武力がなく金持ち。海賊がカモにしたがるのもうなずける。海賊になれば仇は討てないまでも皇国へのいやがらせはできる。
アリエは決めた。海賊になってミッドナイト皇国の船を襲ってやると。
アリエは育った村に別れを告げた。大陸のはずれを目ざす。川と湖の国レイクガルド王国を。レイクガルド王国はミッドナイト皇国と親密ではない。うわさではレイクガルド王国に害をあたえない海賊は黙認らしい。黙認どころか海賊に便宜をはかっているといううわさもある。
港町ポルトミラはレイクガルド王国の南端に位置する。海賊の巣くう多島海への玄関港だ。海賊たちはこのポルトミラによく立ち寄る。物資の補給と獲物を売りさばくために。
アリエはポルトミラの港で乗せてくれる海賊船を探そうとたくらんだ。船代がなく仲間もいない自分では多島海にわたることができないからだ。
育ての養父母をふくめてチェロック村はみんなあたたかだった。第二の故郷を焼かれたあとアリエはひとりぼっちだった。あたたかな人間にふれると涙が知らぬ間にこぼれた。
あらためて思う。黒の王ノーマン・ノルディカと皇帝のミッドクロスを殺してやると。