第十章 新婚初夜はハチャメチャに
その夜どうすればいいかを全員で議論した。しかしなにも決まらない。ローラが図書館でクグツ草の特効薬が書かれた本を探すと決まっただけだ。エスエスはサル吉の知っていた薬草のせいで快方に向かいはじめた。ローラをふくめた全員が一週間後にミッドナイト皇国とレイクガルド王国の合併調印があるとは知らない。だからあと二十日以内に特効薬を見つければいいだろうと思っていた。王さまにクグツ草を仕掛けたと思われる占い師はしばらく前に消えた。また旅に出ると書かれた貼り紙を残して。
一週間後はオヨネの結婚式だ。午後八時から結婚の塔の最上階で行なわれる。アリエはオヨネを無視しようと決めた。オヨネの裏切りがゆるせない。オヨネがほかの男と結婚すると思うとさらに胸がしめつけられる。
翌日からローラは図書館での調べものに時間をさいた。ローラはお姫さまだ。レイクガルド王国の国王には男しかなれない。ローラの王宮教育は花嫁修業だ。家庭教師が朝から夕方までつきっきりでローラを教育する。お姫さまも楽ではない。
一方アリエたち紅獅子海賊団は外に出られない。特にアリエと船長は目立つ。アリエは眼帯少年だ。船長は赤毛の大男だった。ローラが持ちこむ図書館の本を調べるくらいしかできない。
六日間がなにもつかめないまますぎた。ローラがどれだけ図書館の本をあたってもクグツ草の特効薬が書かれた本が見つからない。たしかに途中まで読んだ記憶があるのに。誰かが借りて行ったのだろうかとも思う。あせればあせるほど見つからない。
そんな六日目の夕方だ。ローラのその日最後の授業は料理だった。
机にひじをつくローラの前にひらかれた本はレイクガルド王国の伝統料理集だ。なんでこのいそがしいときに料理なのよと思いながら先生の講義を聞く。どうせなら料理を作らせてほしい。ローラはイライラしながら料理の本をめくった。とあるページが目に飛びこむ。クグツ草の料理法。そんな文字が踊っていたように思う。あれ? ローラは手をとめた。
ページをもどした。クグツ草の料理法とその注意点。そう書かれていた。ローラは読んだ。そうかこの本だったんだと思いながら。どうりで図書館の本をいくら探しても見つからないと思った。図書館の本はクグツ草自体については書かれていた。けど特効薬は書かれていなかった。特効薬の部分はこの教科書にのってたのか。一日にいろいろな本を読まされるものだから記憶がごっちゃになったのね。
ローラは一字一字を読みいそぐ。見つけた。クグツ草の夢をやぶる方法。
「カプサカイエン!」
ローラのあげた叫びに家庭教師がけげんな顔を向けた。しかしローラは気にしない。両親の生死がかかった一大事だ。クグツ草の夢をやぶるにはカプサカイエンを生で食べさせるべし。そう書かれていた。なるほどとローラはうなずく。ノックアウトピーマンでノックアウトすれば夢からさめるってわけね。
「先生! ごめんなさい! わたし気分が悪くなりました! きょうはもうおしまいにして!」
どう気分が悪いんだよと突っこまれそうな勢いでローラは部屋を飛び出した。レストランに駆けこみ激辛ピーマンのカプサカイエンを買って袋につめる。次に王宮内で両親を捜した。けどどこにもいない。
どういうことだろうと思いながら顔見知りの大臣にたずねた。大臣があきれた顔をする。
「知らなかったのですか姫? すでに王夫妻は北の離宮に向かわれました。王室が重大な儀式をする前はみそぎによって身をきよめるのです。あしたはミッドナイト皇国とレイクガルド王国が合併する調印を行なう日。調印とは王宮四階の調印の間で双方が書類をかわす儀式をそう呼びます。王はあすの昼に王家の井戸と呼ばれる湖で身をきよめる予定です。セントラル一世が戦いにおもむく前にも身をきよめた。そう王史に書かれてますよ」
ローラはおどろいた。
「あしたミッドナイト皇国とレイクガルド王国が合併するの?」
「いえ。そうではありません。合併の調印をむすぶのです。つまり合併の契約書類に双方が署名をするわけですね。王宮四階の調印の間で午後九時に。相手はミッドナイト皇国四天王のひとり。灰の王と呼ばれるイグドル・イルパさま。あしたは書類の交換だけです。実際の合併は調印から半年後になります。その半年間で合併の準備をします。レイクガルド王国はレイクガルド公国になると聞かされてます。五公家と同等の立場を維持できると」
ローラは顔色がまっ青になる。おかしいとは感じていた。イグドル・イルパほどの大物がたかが結婚式に他国までくるなんて。調印をしにくるわけね? 結婚式はついでなんだわ。
ローラは無言で王宮を飛び出した。大臣がとめる間もない。ヨーゼフ家に足を飛ばす。
ローラはヨーゼフ家に駆けこんだ。大声で聞いたばかりの情報を説明する。
それを耳にしたアリエがひたいに青すじを立てた。外に出られないためにみんないら立っている。自然とアリエの声が荒くなった。
「なんでそんな大事なことが前日までわからなかったんだよ!」
ローラも怒鳴り返した。
「いくらお姫さまっていってもね! 国の行事は深く教えてもらえないのよ! 男だったら国王になるから教えてくれるかもしれないけどね!」
それはそうかとすこしアリエの頭が冷えた。
「じゃどうするローラ?」
「あしたパパはみそぎに行く。王家の井戸と呼ばれる湖までね。このレイクシティから北に二時間の湖よ。レイクガルド王国一深い湖なの。昼間その湖で身をきよめて夜の結婚式と調印式にのぞむわ。王家の井戸でパパにカプサカイエンを食べさせればいい」
「よし。ならあしたその王家の井戸に行こう」
しかしひとつ問題があった。船がローラ号しかない。ローラ号は五人乗りだ。それ以上乗るとスピードが極端に落ちる。王家の井戸は川の上流にある。流れに勝つためにも定員は守るべきだろう。協議の結果。ローラ。アリエ。船長。コニカール。ケヤキ。その五人で行くことになった。男全員が女装してだ。みっともなくて死にたくなるがしかたがない。
オヨネの結婚式当日の朝だ。アリエたちはイライラしながらローラを待った。起きあがれるようになったエスエスも玄関で待つ。サル吉はエスエスの肩の上だ。
昼近くになってもローラがあらわれない。アリエは朝から何度くり返したかわからない質問をまた口にした。
「ローラは?」
うんざり顔でコニカールが答える。
「家庭教師とお勉強だろ」
ケヤキがそっぽを向く。
「のんきだねえ」
「しかたがないだろ。王家の姫さまだ」
そこへ息を切らせたローラが飛びこんできた。合い言葉を交わすひまもない。
「さあ行くわよ!」
船長とコニカールとケヤキが声をあわせた。
「よしきた! がってんでえ!」
ローラ号が追い風にあおられて川面をすべる。一時間で王家の井戸の入口に着いた。船をとめて歩くことさらに一時間。目の前にとつぜん湖がひらけた。深い湖は青が濃い。
しかし人の気配がなかった。王も護衛の軍隊も見えない。遅かったかとローラはくちびるをかむ。ローラがきのう最後の授業を途中でぬけ出したために監視が強化された。それでどうしても昼まで王宮をはなれられなかった。レストランの激辛料理が食べたい。そうだだをこねて昼休みに逃げ出すのが精一杯だった。
ローラが肩を落とす。そのときローラはふと思い出した。図書館で調べた本の中に水のしもべについて書かれた本もあった。水のしもべを呼ぶには王家の井戸でネーナを吹け。そう書かれていた。ローラが首からつっている縦笛のネーナを吹く。来いと三回吹いた。
音が湖面をわたってひびく。しかしなにも起きない。しばらく待った。やはりだめ。
湖面に顔を向けたままローラがアリエに声をかけた。
「しかたがないわね。帰りましょうか」
まだチャンスが消えたわけではない。調印は夜の九時だ。それまでにカプサカイエンをパパに食べさせれば調印は阻止できる。そしてパパの命も助かる。
アリエが返事をする前に密林がザザザと音を立てた。木がゆれる。なにか大きなものがせまってきた。密林の草がわれた。顔を出したのは巨大なヘビの頭だ。密林からヘビが全体をあらわした。全長が三十メートルはある。頭は人間の背丈より大きい。
うわあっと紅獅子海賊団がいっせいに逃げ出した。女装のスカートをひるがえらせて。
ローラが金切り声を立てた。
「キャーッ! 化けヘビよぉ! 食われるわぁ!」
ローラが腰をぬかす。身体が動かない。お尻をつけたまま湖にあとずさった。
巨大ヘビが舌を出した。長い舌でローラをなめる。ペロペロと。
「キャーッ! 味見されてるぅ! 食べられちゃうぅ!」
アリエはその様子を見て肩の力をぬいた。ヘビなので表情はわからない。だが敵意はなさそうだ。敵意があればすでに襲われているはずだった。
「ローラ。ヘビは味見なんかしない。食べるときは丸飲みだよ」
ヘビがローラの胸にさがる笛をなめはじめた。
アリエは眉を寄せる。
「まさか? いや。そんなバカなことってないよな?」
ローラがヘビに至近距離からにらまれたまま声をふりしぼった。こわくて必死だ。助かる手段があるならワラにもすがりたい。
「なによアリエ? 気がついたことがあるなら言いなさいよ!」
「この巨大ヘビ。呼ばれたからきたんじゃないか?」
ローラがヘビを見あげた。次に自分の胸にさがる笛を見おろす。
「呼ばれた? まさか? でもそうかも」
ローラが笛を口にくわえた。おすわりのメロディを吹く。ヘビが頭を地面につけた。頭の上に乗ってくれとさそっているかのようだ。ヘビの背中にはツノのようなでこぼこが頭からシッポまでならんでいる。川面のさざ波に見えなくもない。
ローラがヘビの頭に乗った。おそるおそる。前に進めのメロディを吹く。ヘビが頭をそっとあげる。前進をはじめた。湖面をすべるように泳いで行く。
「きゃー! この子だわ! この子が水のしもべよ! レイクガルド王国の守り神だわ!」
ローラが笛を吹いてヘビを岸にもどした。ローラがヘビの頭から陸に足をつける。そのときヘビが妙な行動を起こした。湖の水に長い舌をのばす。なにかをさそうようにチロチロと舌を踊らせている。湖の底から二メートルの黒い影が急浮上した。ヘビの舌に食いつく。ヘビはその黒い影をパクッとひと飲みにした。ヘビの口からはみ出た尾っぽがビチビチとヘビの鼻をたたく。二メートルの黒い影は淡水魚の川スズキだった。一瞬見た感じでは丸々と太っていた。ヘビが上を向く。川スズキをゴックンと飲みくだす。
アリエとローラは顔を見あわせた。ローラがホッとする。
「このヘビ。魚を食うヘビなんだ。よかった。人間を食うんじゃなくて」
アリエが陸にあがってきたヘビを見あげた。
「この湖。こいつのエサ場なんだ。サルがサル吉だったからヘビはヘビ吉だな」
ローラが抗議の悲鳴を湖面にひびかせた。
「いやー! そんなダサい名前はだめぇ! この子はローラ二号よ! わがしもべのローラ二号。なんて可愛いんでしょ」
よく似たダサさだとアリエは思った。それについさっき化けヘビだと言ったくせに。
船のローラ号はヘビ吉を先導してレイクシティにもどった。ヘビ吉は陸のヘビらしく水中では息ができないようだ。泳ぎはできるが潜水はすこしの時間だけだった。一時的に川や湖にしずみはするが長時間はもぐってられない。魚を取りにもぐるていどらしい。しかたがなくローラはヘビ吉をレイクシティの近くに広がる密林にかくした。本当ならレイクシティの市街までいっしょにきてほしい。でもそんなことをすればレイクシティが大混乱におちいる。
レイクシティの街に入ると灰の王の軍団が街にあふれていた。灰の王自身はまだ着いてないようだ。
ローラは女装したアリエたちをヨーゼフ家にもどした。次にローラは男装をして王夫妻を捜す。午後の授業はすべてサボリだ。あとでこっぴどくしかられるだろうがやむをえない。しかし王宮に王夫妻はいなかった。夜の結婚式と調印式にそなえて衣装あわせでもしているのだろうか? その場合は街の仕立屋だ。
ローラは男装をといた。女装したアリエだけをつれ出す。船長やコニカールたちは女装しても女に見えない。アリエは黒髪のカツラですっぽり顔をおおえばなんとか女に見える。眼帯もかくせるし。
すでに夕闇がせまろうとしていた。街はオヨネの結婚式に浮かれる市民と灰の王の軍団でごったがえしている。お祭り以上の大騒ぎだ。
午後七時がすぎても王夫妻の足取りがつかめない。ローラとアリエは歩き疲れた。不意にローラのおなかが鳴った。しかたがないとレストランに入ることにした。こうなれば午後九時の調印式に王宮に押しいるしかない。そう覚悟を決めた。
カプサカイエンを使った激辛料理をローラが注文した。アリエには子ども用だ。ふたりでハフハフ食べた。そのときうしろのテーブルの大声が聞こえてきた。男のふたりづれだった。ダイヤモンド公国の訛りがある。酔っているらしく上機嫌だ。
「叔父上もよくやるよな。いくらムーンストーン家から働きかけられたとはいえよ。まず主人夫婦を馬車の事故に見せかけて殺したんだぜ。次にひとり娘のターニャをムーア・ムーンストーンと結婚させるんだからな。ターニャはかわいそうによ。両親は殺されるわムーアみたいなトカゲ野郎と結婚させられるわでさんざんだ。叔父上は極悪非道だぜ」
「いやいや。もっとひどいこともやったぜあのおっさんは。どうしても結婚がいやだとしぶるターニャをおどすのに海賊の小僧を使ったんだ。牢で出す小僧のメシに毒をいれるとおどしてターニャに結婚を承諾させたんだぜ。一方で海賊小僧にはターニャが紅獅子海賊団を海軍に売ったと思いこませたらしい。ターニャはその海賊小僧に惚れてるってのにな。人間じゃねえぜヌルヒチ叔父貴はよ。ターニャは惚れた男の命を助けるために泣く泣くムーアと結婚するって決めたんだぜ。男装して逃げるほどいやな男だものな。そのムーアを旦那さまと呼ばされて奴隷あつかいにあまんじてるって話だ。ところがその惚れられた海賊小僧はターニャをにくんでるんだからな。ターニャこそ自分たちを海軍に売った裏切り者だと。紅獅子海賊団の全滅にターニャは無関係だってえのによ。こりゃひでえぜまったく。ターニャは惚れた男のためにいやいや結婚するってのにな。まさにふんだりけったりだ」
「ははは。だがそのひどい叔父のおかげでわれら一族はあまい汁がすえる。ムーアがダイヤモンド家を乗っ取ったらよ。ダイヤモンド家の財産の十分の一をムーンストーン家がおれたちにくれる密約になってるんだからな。おれたちゃ一生左うちわだ。笑いがとまんねえぜ。さあ。名物料理をさっさとたいらげておれたちも式場に行こうか」
アリエは頭をガンとなぐられたように感じた。おれはオヨネに命を救われたのか。なのにおれってやつは。
アリエは席をけった。ローラがとめる間もない。うしろの席の男ふたりをぶんなぐる。鎖の手袋ははめなかった。素手だ。しかし男ふたりは吹っ飛んだ。テーブルで頭を打って目をまわした。
ローラがあわててアリエをレストランの外に押し出す。
「ちょっと。女のかっこうであれはないわよ。でもさ。あれじゃ気がすまないんじゃない?」
そのとおりだ。アリエは男ふたりをなぐった。だが胸の炎は燃えさかる一方だった。特にゆるせないのが自分だ。オヨネがおれたちを裏切るはずがないじゃないか。初めて会った執事の言葉を信じてともに旅をしたオヨネを信じてやらなかった。その後悔が猛烈に胸を焼いた。オヨネはおれの命の恩人だったんだ。そのオヨネをおれは。
ローラがアリエの肩に手を乗せた。
「さあヘビ吉を呼びましょうか。とうぜん行くわよね?」
ああとアリエはうなずいた。
ローラとアリエはヨーゼフ家にもどった。ネーナを三度吹き鳴らす。夜の湖水を音がわたる。ヘビ吉が水路を音もなく泳いできた。船長とエスエスをはじめとした紅獅子海賊団十二人とアリエとローラ。それにサル吉がヘビ吉の頭に乗った。男全員が男の服装で。
三十メートルの大ヘビが夜の水路を結婚の塔に向けて泳ぎはじめた。
結婚の塔では結婚式がはじまっていた。塔の周囲には野次馬と兵士がいっぱいだった。塔の中からは華麗な音楽がもれてくる。
そこにヘビ吉が水路から立ちあがった。野次馬と兵士たちの悲鳴が夜の闇にとどろく。
「うわあっ! 化けヘビだぁ! 食われるぞぉ!」
ローラがヘビ吉の頭から逃げまどう野次馬たちを見おろした。ひと言コメントをつける。
「まあ。なんて失礼な」
アリエは思わず突っこんだ。
「あんただろ。最初にそれを言った失礼なやつは」
「あら? そうだったかしら? もう忘れちゃった」
ローラが笛を吹く。ヘビ吉が金ピカの結婚の塔にまきついた。塔の上へとまわりながらのぼって行く。ヘビ吉の頭が塔のてっぺんにたどりついた。塔の内部は兵士だらけだ。一階から階段を使うと最上階の二十階には着けなかっただろう。ヘビ吉が巨大ヘビだからできた芸当だ。
アリエがかけ声をかけた。ステンドガラスの窓をわりながら。
「行くぞ野郎ども!」
おうと全員がわった窓から結婚式場に飛びこんだ。
式場の中心に白のドレスを着た花嫁と礼服のおっさんがいた。オヨネとムーアだ。
式場に足をつけたアリエはオヨネに声を投げた。
「オヨネ! おれと来い!」
オヨネの目から涙があふれる。オヨネの足が動く。駆けた。アリエに向かって力のかぎり。オヨネがアリエに飛びつく。しがみついた。思いのたけをこめて。
次にアリエを怒鳴りつける。
「バカ! どうしてきたのよ!」
アリエは意外。
「あのおっさんと結婚したいのかオヨネ? おれってお邪魔虫?」
「バカ! きみが殺されるって言ってんの! きみを死なせないためにあたし。あたし」
涙であとがつづかない。
その間に式場は大乱闘だ。紅獅子海賊団と灰の王の部隊が斬りあった。エスエスが一閃でダイヤモンド家執事のヌルヒチを斬りすてる。しかし血が出ない。みね打ちだ。
ローラは両親を捜す。ママを見つけた。感情のない顔でぼんやりとすわっている。ママの鼻の頭は薄紫だ。ローラは駆け寄った。ママの口に生のカプサカイエンを押しこむ。すぐにママが気絶した。
となりにすわる大臣にローラが声をかける。
「パパはどこ?」
「王宮にもどられました。灰の王といっしょに。いまごろ調印してるんじゃないですか?」
ローラが声を張りあげた。
「たいへんよみんな! うちのパパと灰の王は王宮だわ!」
紅獅子海賊団がハッとローラを見た。ローラが窓を指さす。ふたたびヘビ吉の頭に乗れと。ハンマーとナツメグがまず窓に走った。つづいてコニカールと七つ子。船長とエスエス。抱きあっているアリエとオヨネにローラが走ってきた。アリエたちも窓に向かおうと身体をはなす。そのときアリエは気づいた。オヨネの胸が立派だ。アリエは目を見張った。
「すげえ。おまえ胸が大きかったんだ」
ウエディングドレスのオヨネが顔をしかめた。
「ごめん。これあげ底。ほんとはない。胸のかわりにジャガイモをいれてあるの」
そこに新郎のムーアが追いかけてきた。
「待てー! おれのダイヤモンド鉱山を返せぇ!」
オヨネのひたいに青すじが立った。
「あたしはダイヤモンド鉱山だったのかい! このトカゲ野郎! よくも旦那さまだなんて呼ばせやがったなあ!」
オヨネが自分の胸に手を突っこんだ。ジャガイモを二個取り出す。ムーアに投げつけた。一個が見事にムーアの鼻に命中した。ムーアが床に転がった。そのムーアの顔にサル吉が飛びつく。サル吉がムーアの顔にとどめの爪を立てた。ジャガイモがぬけたオヨネのドレスの胸はスカスカだ。そんな三人にツタが駆け寄った。サル吉がツタの肩に飛び乗る。アリエはオヨネとツタをかかえて窓に走った。ツタをヘビ吉の頭に押し出す。
ツタが悲鳴をあげた。
「キャーッ! なにこれ! 化けヘビぃ!」
つづいてアリエもヘビ吉の頭に乗った。ドレス姿のオヨネをお姫さま抱っこして。
「ちがう。こいつはヘビ吉」
ローラが窓から身を乗り出して文句をつけた。
「ヘビ吉じゃなーい! ローラ二号!」
全員が乗ってローラが笛でヘビ吉を王宮へ向けた。ヘビ吉が結婚の塔をスルスルと逆もどりする。
王宮の門もなんなくヘビ吉が乗り越えた。めざすは王宮四階の調印の間だ。
王宮の兵士たちもヘビ吉に逃げまどう。ヘビ吉が王宮の塔にまきついた。四階にとどく。四階の窓を七つ子が力まかせにわった。ツタを残して全員で調印の間に踊りこむ。
大臣たちと兵士たちがいっせいにこちらを向いた。中央では王と灰の王が署名をかわそうとしている。灰の王は大男だ。リオン船長とおなじくらい大きい。
ローラが叫んだ。
「灰の王の横にいるのが旅の占い師よ!」
エスエスが訂正をくわえた。
「ちがう! あれは灰の王の右腕ヤドログ・ヤシンジだ!」
察するに皇都の皇立博物館で灰の王がクグツ草を見つけたのだろう。次にレイクガルド王国全体で隠密活動をはじめる。自身の右腕を腕のいい占い師に見せかける情報を集めるために。それで港町ポルトミラに灰の王の部隊がいたようだ。あとは王さまが釣れるのを待つだけだった。王さえたぶらかせばレイクガルド王国は戦争なしで手に入る。
灰の王の兵士と王宮の兵士がいっせいに向かってきた。紅獅子海賊団でむかえ撃つ。アリエは灰の王イグドル・イルパに走ろうとした。そこをリオン船長にとめられた。
「灰の王はおれにまかせてくれねえか? アリエおまえは王さまをたのむ」
アリエはうなずいた。ローラとふたりで王さまに走る。エスエスがアリエたちの露払いを引き受けた。アリエとローラは乱戦の中を王さまにたどり着く。ローラが王さまの口にカプサカイエンを突っこんだ。王さまが気をうしなった。これで調印は阻止できるはずだ。
それを見た灰の王がいかりで顔をまっ赤にした。
「おのれ! よくもやってくれたな!」
灰の王が剣をぬいた。アリエたちに斬りかかる。その剣を左右からリオンとエスエスが剣で受けた。灰の王が剣をもどす。
リオンがズイと前に出た。
「ひさしぶりだなイグドル・イルパ! いやイズー・イエーガー! おまえに殺された師匠とメリッサの仇! いま取らせてもらう!」
灰の王が笑った。
「二十五年ぶりだ。わが兄弟子リオンよ。だがおまえに斬られる私ではない。おまえはもう歳だ。引退して老後を楽しく送ったらどうだ? あと三十年は生きられるぞ? いま死ぬことはあるまい」
「うるせえ!」
リオンが大上段から斬りおろした。灰の王がガシッと受ける。手を貸そうとするエスエスをリオンが目で制す。おれひとりにやらせてくれと。エスエスが一歩引く。逃げようとした旅の占い師こと灰の王の右腕ヤドログ・ヤシンジをエスエスが斬った。今度は血が出た。マジ斬りだ。
灰の王とリオンに駆け寄ろうとした兵たちがいっせいに足をとめた。寄らば斬る。そんな笑みをエスエスが浮かべている。兵たちの足はとまったままだ。
その間に今度は灰の王が剣を横にはらった。ギン! 受けたリオンの剣が鳴る。剣と剣から火花が飛んだ。獣王剣と獣王剣だ。力と力の一騎打ちだった。テクニックはいっさいなし。あたれば大木をも切り倒す剛剣同士だ。受けそこなったほうがまける。
リオンが剣をふるう。灰の王が受けた。かわって灰の王が剣ですくいあげる。リオンが上から剣で押さえつけた。上から斬れば下から受ける。右からはらえば左からむかえ撃つ。どちらも一歩も引かない。技量に優劣がなかった。
ひと太刀ひと太刀が渾身の一撃だ。重い剣をふるふたりのひたいに汗が浮く。息が荒い。心なしかリオン船長の動きがにぶい。五十歳の年齢と酒びたりの日々がまずいらしい。
灰の王が右ななめ上から剣をふりおろした。灰の王も疲れたらしい。剣先にするどさが欠けた。リオンが剣で受けない。身体を引いてよけた。それを待っていた。そう灰の王のほほがニヤリとゆがむ。灰の王がふりおろした剣を下から上へすくいあげた。リオンは上からおろされた剣を受ける体勢のままで身体を引いた。下からはねあがる剣をむかえ撃つ準備ができていない。リオンが剣を上に持ちあげる。しかし遅い。リオンがかまえる前に灰の王の剣が白刃をきらめかせた。リオンの右わきの下から上へと。
ズザッ!
えも言われぬ音が調印の間にひびいた。肉と関節が同時に断たれたいやな音だ。部屋じゅうで戦っていた者たちの手がいっせいにとまる。すべての視線がリオンの右腕にそそがれた。リオンの右腕は剣をにぎったまま肩から切断されて宙を舞っている。リオンの腕のつけ根から血が噴き出した。調印の間が血に染まりはじめる。
リオンが悲痛な絶叫をあげた。左手でなくなった腕の跡を押さえる。
「うごおおぉ!」
アリエとオヨネが同時に叫ぶ。
「リオン船長!」
灰の王が笑った。よゆうを見せてゆっくり剣がふりあげられる。目の前のリオンは左手一本だ。リオンの剣は右手ごと飛んで行った。あとはとどめを刺すだけだ。仕事はすでに終わった。そんな笑みだった。
アリエは肌身はなさず持っている銀鎖の手袋をはめた。船長のもとに走ろうと肩が動く。そのアリエをうしろから男の手がとめた。白銀の手袋をはめた手だ。
「ここは私が行く。おまえは花嫁を守ってやれ」
アリエは男の顔を見た。ハヤブサの仮面をつけている。素顔は見えない。
オヨネが声をあげた。
「カシム! どうやってここに?」
「ヘビの背中をのぼってだ」
そのとき灰の王の剣の先がリオンの頭の上でピクリと動いた。カシムが走る。
灰の王の剣がふりおろされた。人影がリオンの前にわりこんだ。キンキンキン! 灰の王の剣が連続して金属音を立てた。エスエスだ。エスエスが灰の王に連続して剣をあわせている。灰の王の剣が軌道をかえた。リオンのななめ前方の床に灰の王の剣が食いこんだ。
エスエスのそりの強い剣が灰の王の身体を襲う。灰の王が剣を床からぬいてエスエスの剣を受ける。受ける受ける受けた。エスエスが一方的に攻める。灰の王は受けるだけだ。獣王剣は力の剣だ。それに対してエスエスのボギー三日月剣は技の剣だった。手数の多さは流星剣に次ぐ。
エスエスの剣を受けながら灰の王が吠えた。
「卑怯だぞリオン! 一対一の勝負じゃないのか!」
リオンが口をひらく前にエスエスがニヤリと笑った。
「卑怯? わたしは船長の右腕だ。自身の右腕を使ってどこが悪い? 利き腕をなくした剣士と対等に戦おうとする男は卑怯じゃないのか?」
エスエスが灰の王の足をとめている間にアリエとオヨネでリオンの傷口をしばった。
エスエスの息が切れてきた。ついおとといまで寝こんでいたエスエスだ。体力が万全ではない。エスエスは灰の王のところどころに傷をきざんだ。だが致命傷はあたえていない。息が切れたエスエスの剣がとまった。その瞬間をついて灰の王が剣をふりおろした。エスエスは剣の真下にいる。あたればエスエスはまっぷたつ。
ガシャッ!
じゃらついた金属で剣を受けとめる音がひびいた。カシムだ。カシムが両手で灰の王の剣をとめている。
灰の王が叫んだ。
「また助っ人か! 卑怯者どもめ!」
カシムが笑った。ハヤブサの仮面がなかなかオシャレ。
「エスエスが右腕なら私は船長の左腕を名乗ろう。自身の左腕が敵の剣をとめるのはとうぜんだろう? クグツ草を使って国を乗っ取ろうとした卑怯者に卑怯者とののしられたくはないな」
灰の王が剣をもどした。今度は横なぐりに斬った。カシムがまた両手でとめた。そこへ息をととのえたエスエスが灰の王に斬りつけた。灰の王がカシムから剣をもぎはなす。灰の王がエスエスの剣を受けた。そこから一対二の戦いがはじまった。
灰の王が剣をふるう。カシムが受ける。そのすきにエスエスが灰の王に斬りかかる。受けはカシムの担当だ。斬るのはエスエスの担当だった。リオン船長の右手と左手が見事なコンビネーションを見せた。灰の王の息がどんどんあがる。リオン船長との対戦で力を使いすぎた。
そのとき灰の王の戦いをあっけに取られて見ていた兵士たちがハッとわれに返った。紅獅子海賊団の残りの面々やアリエたちに殺到する。斬りかかられたオヨネをアリエがかばった。アリエは斬られたと思った。そのとたん背中でキンと剣があわさる音がした。誰かが兵士の剣を剣でとめたらしい。
オヨネが声をあげた。
「シモーヌ船長!」
青サソリ海賊団のシモーヌ・シコロが兵士と剣をあわせている。
「よぉオヨネ。結婚したんだって? こりゃまた派手な新婚旅行だねえ。なんだってあたしを呼んでくれないのさ? おかげで祝いを買って来なかったよ。ほら見てごらん。あんたからもらったダイヤだ。こんな立派な首かざりになっちまってさ。うらやましいだろう?」
つばぜりあう兵士を足げにしたシモーヌが胸から首かざりを引き出した。大粒のダイヤが七つキラキラと光っている。すいこまれそうなほどきれい。どこの王家にもない豪華さだ。
「けどどうしてシモーヌがここに?」
「ハヤブサ野郎が矢文をあたしの船の甲板に突き立てやがったのさ。ポルトミラに着いたとたんにね。あんたがダイヤモンド家のひとり娘だとさ。それで納得が行ったよ。ダイヤモンド家の跡取り娘ならこの立派なダイヤの原石を持ってても不思議じゃない。あんたにこのダイヤをもらってからあたしはバカづきなんだ。ミッドナイト皇国の船を三隻もカモにしちまった。ぜひ礼を言いたくてやってきたのさ。そしたらハヤブサの手下があたしたちを案内するじゃないか。あげくが化け物ヘビをのぼってけだってよ」
「それでシモーヌが? でも海賊船だと攻撃されるんじゃ?」
「ハヤブサはそれも書いてたね。だからあたしらは観光客に化けてもぐりこんだのさ。船は湖の外にかくしてあるよ。おかげで遅れちまってさ。結婚式に間にあわなくてすまなかったね。さあ。ここはあたしたち青サソリ海賊団にまかせな。あんたはそこの眼帯小僧と新婚旅行を楽しむんだね。騒がしいけどスリル満点でエキサイティングな見世物を見せてあげるよ」
シモーヌを先頭に青サソリ海賊団が兵士たちと斬りむすぶ。
その間に灰の王がエスエスに剣をふりおろした。エスエスの前にカシムが立つ。灰の王の剣を両手でとめた。灰の王の剣をガシッとにぎりしめる。灰の王の剣がピクリとも動かなくなった。
カシムが叫ぶ。
「いまだ船長! こいつにとどめを!」
コニカールに剣をひろってもらったリオンが左手で剣をにぎりしめた。腹に剣尻をあてる。身体ごと灰の王に突進した。獣王剣に突きはない。灰の王は一直線に走ってくる切っ先から身をかわせなかった。灰の王の心臓をリオンの剣先がつらぬく。灰の王の血が噴出した。リオンの顔から腹までをまっ赤に染めあげる。
「ぐふっ! むっ! 無念っ!」
灰の王の口からも血があふれ出た。心臓をつらぬいているリオンの剣にひびく鼓動が勢いをなくして行く。血の噴出がゆっくりになった。タラタラと血が灰の王の服をつたいはじめた。リオンの剣を小きざみにふるわせる脈動が消えた。灰の王の体重がリオンの剣にかかった。灰の王がゆっくりとひざをおった。リオンの剣が灰の王の背中にぬけた。剣がリオンの手をはなれた。灰の王が石の床に前のめりに倒れた。血だまりが灰の王の下に広がった。灰の王の全身をけいれんがつらぬいた。ヒクヒクと手の先がふるえ。とまった。
エスエスがカシムに手のひらを持ちあげた。カシムがエスエスの手に自分の手のひらを打ちつける。
リオンがおたけびを立てた。一本残った左手を突きあげる。
「うおおっ! おれはついに師匠とメリッサの仇を討ったぞぉ!」
リオンが左手でエスエスとカシムを抱きすくめた。
「おまえらのおかげだ! おれの可愛い右手と左手ども!」
エスエスがうれしそうにニッコリと笑った。カシムは仮面で表情がわからない。だが口は笑っている。
灰の王の死で形勢は一気に海賊団有利にかたむいた。エスエスが剣をみね打ちに切りかえる。エスエスとカシムで兵士たちを次々にのばして行く。灰の王の死後は数分でカタがついた。調印の間は倒れた兵士と床でふるえる大臣ばかりだった。立っているのは海賊たちといつの間にきたのかハヤブサ団だ。抱きあっているのはアリエとオヨネ。そのふたりをうらやましそうに見ているのはローラと肩のサル吉。窓からのぞいているヘビ吉はなにを思っているのかわからない。その頭に乗るツタはこわくてふるえるだけだ。
オヨネことターニャ・ダイヤモンドの新婚初夜はこうして更けた。