第一章 海賊志望の元王子さま
アリエは夏の港町をくだっていた。このひとり旅のあいだアリエは十五歳になった。性別は男だ。右目に眼帯をして右目を見えなくしている。
港町ポルトミラは坂が多い。両手を広げれば指が左右の壁にさわるせまい道だ。行きかう人々は肩をこするようにすれちがう。くだり坂では人通りがたえなかった。人々の顔には夏の太陽にふさわしい陽気さが浮かんでいた。レイクガルド王国は暮らしやすい国らしい。
坂の下に広場が見えた。露店がならぶ広場の先に海がさざ波を立てている。帆をたたんだ船が三隻見えた。いちばん立派な船の旗にライオンが描かれている。真紅のライオンだった。うわさに聞く紅獅子海賊団の船だろう。船長のリオン・リチャードは勇猛果敢な海の男だという話だった。情にあつく殺人をきらう海賊として人々の口にのぼる。アリエの第一希望の海賊団だ。
よしとアリエは足を速めた。そのとたんうしろからドンと押された。アリエは前に倒れこんだ。手で身体をささえたからかろうじて顔を地面に打ちつけずにすんだ。
アリエを押した男はそのまま前方に駆けて行く。石畳に手をついて顔だけあげたアリエは男の背中に文句を投げた。
「ごめんなさいくらい言ったらどうだ!」
そのアリエのうしろから数人の足音が駆けてきた。アリエはハッと複数の足音を見た。
五人の男たちが叫びながら坂道をおりてくる。五人とも長剣をふりかざしていた。
「どけどけ! おれたちは賞金かせぎだぞ! ミッドナイト皇国から脱走した奴隷を追ってる最中だ! 邪魔立てするとただではおかんぞ!」
アリエを突き飛ばした男が脱走奴隷らしい。脱走奴隷の走る先には四人の一般人が見えた。帽子をかぶったデブの中年女。アリエと同い年に見える線の細い少年。このふたりは旅装をしていた。髪はふたりとも黒だ。手に大きなカバンをさげている。旅行者だろう。多島海にわたる途中らしい。
残りのふたりは子どもだった。六歳と五歳くらいの男女だ。服装から見て地元の子らしい。港にあそびにきた兄妹に見える。
黒髪の旅行者ふたりはサッと脱走奴隷の進路から身をよけた。まきこまれたくないと。
周囲にいた大人たちも足の方向をかえた。子どもたちだけはなにが起きているのかわからないようだ。子どもふたりの周囲にぽっかりと穴があいたみたいに石畳が露出した。
脱走奴隷の行く手は海だ。広場は町の最も底にある。広場から逃げるには坂をのぼらなければならない。栄養満点の奴隷などいない。のぼり坂で賞金かせぎと駆けっこをして勝てるはずはない。栄養不足の奴隷では体力がつづかないからだ。脱走奴隷は追いつめられた。
追っ手たちもそう思った。追っ手の五人の顔に笑みが浮く。手の剣が自然とさがった。
「ふふふ。おとなしくつかまりな。悪いようにはしねえ。ミッドナイト皇国につれ帰って片手片足を切り落とされるだけだ。命まで取りはしねえよ。きひひひひ」
賞金かせぎ五人が奴隷ににじり寄った。奴隷の顔から表情が消えた。あきらめだろう。放心顔に見えた。
賞金かせぎたちが奴隷の手をつかもうとした。そのとき子どもが声をあげた。兄妹の兄のほうだ。
「待ちな! ここはレイクガルド王国だぜ! ミッドナイト皇国なんか知らねえ! よそ者が好き勝手な真似をするんじゃねえ! 手と足を切られたら痛いじゃないか! そんなひどいことするな!」
男の子が奴隷をかばって両手を広げた。町の大人たちが目をかたくとじる。ミッドナイト皇国は大陸のほとんどを占める大国だ。どんなむちゃをしようと文句はつけられない。傍若無人だ。殺されれば殺されぞんになる。
賞金かせぎ五人がいったんさげた剣をまたふりあげた。
「おれたちはミッドナイト皇帝のお墨つきだ! ガキだろうと容赦しねえ! たたっ斬ってやる!」
周囲の大人たちは目をそらすだけだった。露店の商人たちもうつむいた。
肩を動かしたのは旅装の黒髪少年だ。帽子をかぶったデブ女が少年の腕をつかんだ。少年の耳にささやく。
「ターニャお嬢さま。あなたはいま五公家の跡取り娘ではありませんよ。このツタの甥で旅の少年オヨネです。正体がバレるようなことをなさってはいけません。ダイヤモンド公国につれもどされてしまいますよ? いいんですか? あのトカゲみたいなムーンストーン家の極道息子と結婚させられても?」
乳母のツタの指摘にウッと男装のオヨネが身をこわばらせた。十五歳年上のムーア・ムーンストーンと結婚するのだけは絶対にいやだった。しかし目の前で子どもが殺されるのも見たくない。
オヨネことターニャ・ダイヤモンドは箱入り娘だった。ミッドナイト皇国を守る五つの大国である五公家筆頭ダイヤモンド家のひとり娘だ。ついこのあいだ両親が馬車の事故で死ぬまでオヨネは家の外を知らなかった。オヨネの世界はほのぼのとした砂糖菓子でできていた。登場人物は善人ばかりだ。飢えも悲しみもない世界をオヨネは生きてきた。
しかし一歩そとに出ると世界が一変した。見るにたえがたい悲惨な状況ばかりだ。町は泥棒と貧困の巣窟だった。善人などどこにもいない。子どもたちはみんなすねた目をしていた。ミッドナイト皇国をぬけてやっと子どもの目が子どもらしくなった。
皇国内の子どもが皇国にたてつくことはありえない。子どもはほんらい反抗的な生き物だ。オヨネはいま奴隷の前に立ちふさがっている男の子こそ本来の姿だと思う。
そもそも皇国に奴隷がいるとオヨネは知らなかった。五百年前セントラル王国が大陸を統一したさい奴隷は廃止されたはずだ。伝説の赤目王セントラル一世が戦乱の時代を斬りふせて誰もがしあわせに暮らせる大陸を作った。十五年前ミッドクロス・ミッドナイトがセントラル王国を乗っとったときも奴隷を復活させたとは聞いていない。
だがとオヨネは思う。自分が十五年間聞かされてきた世界と現実の世界はまったくちがう。誰もがあたしに教えなかっただけで奴隷はずっといたのではないか?
オヨネはどうすべきか悩んだ。その間に賞金かせぎたちが周囲を見まわした。町の者たちはみんな見て見ぬふりをしている。子どもふたりの親はこの場にいないらしい。
賞金かせぎ五人がうなずきあった。このガキを斬り殺しても誰からも文句は出ねえと。
ミッドナイト皇国の力は絶大だ。しかし町の人間がすて身でかかってくる事態もまれにある。こちらは五人だ。町じゅうの人間が総出で来たら勝てるはずがない。殺されて誰も知らない土地に埋められればそれまでだ。賞金かせぎ五人がどうなったかなどミッドナイト皇国が気にかけるはずはない。
賞金かせぎ五人が剣をふりあげた。殺意が剣先にやどる。
そこに声がきた。
「待てよオッサンども! おれが先に相手をしてやるぜ!」
アリエだった。両手に銀の鎖であんだ手袋をつけている。肌身はなさず持っている手袋だ。
賞金かせぎたちがふり向いた。一瞬だけたじろぐ。けど相手は右目に眼帯をつけた十五歳の少年ひとりだった。すぐに余裕を取りもどす。五人がいっせいに剣先をアリエに向ける。五人が順番にアリエに斬りかかった。
アリエは顔をしかめた。こいつらなれてやがる。
五人が同時に斬りかかってくれると同士討ちをさそえる。しかし五人がひとりずつ順番にかかってくると受けるのがやっとだ。乱戦に持ちこまないと一対五の格闘は不利だった。アリエの育ての親のニコラス・ニジンはグリーン格闘拳の達人だ。セントラル王国では戦士長をつとめていた。アリエもグリーン格闘拳を教えられてはいる。しかしまだまだだ。特に右目に眼帯をしていると相手を倒すどころではない。
ミッドナイト皇国をふりかざす連中にむかっ腹が立って声をかけたアリエだ。けど大人の賞金かせぎ五人を相手にするのは無謀だったらしい。銀鎖の手袋と胴体に着こんだ鎖カタビラがいまは刃をふせいでいる。だがすぐに賞金かせぎたちも気づくだろう。露出している首を狙われるともたない。
せめて奴隷とふたりの子どもが逃げてくれれば。
だがそのアリエの思いはとどかなかった。奴隷とふたりの子どもはすくんだようにアリエに顔を向けている。逃げるという奥の手に気づかないようだ。
チッと舌打ちをしながらアリエは剣をよけた。こちらから手を出すすきがない。五人の連続攻撃をよけるだけだ。
グリーン格闘拳は鎖であんだ手袋で刃物を受ける。剣は持たない。武器は銀鎖の手袋をにぎったこぶしと足だけだった。剣士のふところに飛びこんであごやのどの急所を一撃する必殺拳だ。しかしいまのアリエにはふところに飛びこむ技量がない。
アリエはひとり目ふたり目をかろうじてよけた。練習とちがい実戦は体力をけずる。足が思うように動かなくなりはじめた。
三人目の剣がほほをかする。血が霧のように舞う。
四人目の剣が頭上からふりおろされた。アリエは両手でがっしり受ける。しかし大人の腕力に身体がくずれた。石畳にひざをつく。右手も石畳についた。防御に使えるのは左手一本だ。いま斬りかかられたらアリエの首はストンと落ちるだろう。
頭目らしい五人目もおなじ読みをした。笑いながら剣をふりあげる。
そこへ黒髪のオヨネが動いた。足をあげる。デブの中年女ツタのとめる間もない。
「この卑怯者! 決闘は一対一でしなさい!」
オヨネが頭目の背中をけった。思いきりだ。
頭目が前につんのめった。うしろからの攻撃は予想していない。剣が投げ出されて顔から石畳に突っこんだ。
石畳にひざをついていたアリエは左目をしかめた。痛そうだと。他人ごとながら顔から石畳に突っこみたくはない。黒髪の少年は可愛い顔をしているくせに過激な男らしい。
けられた頭目が涙目で剣をひろった。鼻から鼻血をたらしながらだ。周囲のレイクガルド人たちがクスクス笑っている。
頭目がオヨネにふり返った。目標がアリエからオヨネに切りかわった。いかりで顔がまっ赤だ。頭目が剣をオヨネにふりあげた。はずかしさのあまりか剣先がブルブルふるえている。
オヨネがぼうぜんと口をあけた。
「えっ? ウソ? あたしが標的なの?」
乳母のツタがオヨネの袖を引く。
「お嬢さま。あたしではなくボクです。あなたはいま女の子ではなく男の子なのですから」
「ツタ! そんな注意をしてる場合じゃないでしょ!」
オヨネも突っこんでいる場合ではない。オヨネの頭上から頭目の剣が急降下してきた。頭頂からオヨネをまっぷたつにする勢いだった。
よけられもせず全身が硬直するだけのオヨネだ。誰もがオヨネの死を予想した。
そこへ人影がわりこんだ。
キン!
刃と刃がかみあった。かわいた金属音が港町にひびく。オヨネの頭上五センチで頭目の剣はとめられた。
「義によりて助太刀いたさん! いざ!」
そりのきつい三日月剣をかざした女剣士がオヨネを突き飛ばした。オヨネの位置にわりこんで頭目の剣を払いのける。長い銀髪の女だ。歳は二十歳前後だった。大きな胸が服をパンパンにふくらませている。
頭目がさらに頭に血をのぼらせた。
「何者だ? てめえ?」
アリエのうしろで息をととのえていた手下のひとりが頭目に声をかけた。
「そ! そいつ! 賞金首ですぜおかしら! 一億ガルの賞金首! エスエスだ! ミッドナイト皇国のミッドクロス皇帝暗殺未遂の重罪人! もと皇帝親衛隊隊長エスランジュ・エストですぜ!」
頭目のみならず見物人たちの目も丸くなった。露店のパンひとつが百ガルで売られている時代だ。一億ガルあればパンが百万個買える。一日にパンを十個ずつ食べても二百七十年以上食べつづけられる金額だ。
頭目が目をむいて銀髪の女剣士を見た。逃亡奴隷をひとりつかまえて一万ガルにしかならない。この女ひとり殺すだけで逃亡奴隷一万人分だ。一億ガルなんて大金を目にしたことはない。
頭目の目の色がかわった。女剣士エスエスしか見えていない。はっきり言うと女にも剣士にも見えない。金貨の山にしか見えない。
頭目が服で手の汗をぬぐった。剣がすべらないようにがっちりとにぎり直す。
エスエスもそりの強い剣をにぎりかえた。みね打ち用だった剣の刃を表ににぎり直す。
「ほう。一億ガルに目がくらんだか。殺されても文句はない。そういうことだな?」
「そのとおり。だが死ぬのはてめえだ!」
頭目がエスエスに斬りかかった。エスエスが頭上で剣を受けた。火花がエスエスの顔にふりかかる。エスエスがオヨネと子どもたちに左手で合図を送った。行け。逃げろと。
オヨネとツタで奴隷と子どもふたりの手を引いた。その場から逃げ出そうと。
そのとき広場に大勢の足音が近づいた。灰色の制服を着た男たちだ。十字の紋章の旗をかかげて広場に行進してくる。オヨネたちの行く手をふさぐように。
オヨネの顔が青く染まった。
「なによこれ? ミッドナイト皇国の正規軍じゃない? しかも灰色は裏工作部隊。灰の王配下のイーストランド州の兵士だわ。どうしてそんな連中がレイクガルド王国に? ありえなーい!」
ありえないと言ったところで軍隊が目の前でとうせんぼをしている。ミッドナイト四天王のひとり灰の王の部隊がオヨネたちをつかまえようと手をのばしてきた。
オヨネはあとずさる。女剣士のエスエスは賞金かせぎの頭目と対戦中だ。アリエは四人の賞金かせぎたちの足をとめている。オヨネたちを助ける者はもういない。
ミッドナイト軍の兵士の数人がオヨネたちを取りかこんだ。兵士たちが縄を取り出す。逃亡奴隷ごとオヨネたちをひっくくろうと。
そこへ酒ビンが飛んできた。石畳にパリンとわれた。兵士たちが身を引く。
宿の窓から酔っぱらいのダミ声が降ってくる。
「おーっと待ちな。デブの中年女でも女は女だ。女に手を出すバカはゆるしちゃおけねえ」
ミッドナイト軍の兵士長が宿の窓を見あげた。
「なにやつだ!」
宿の窓から男十一人が次々に飛びおりた。いちばんに飛びおりた真紅の髪の大男がタンカをきる。五十歳くらいだ。
「紅獅子海賊団船長リオン・リチャードと十人の海賊たちだ。多勢に無勢は卑怯だぜミッドナイト野郎。そもそもおれが朝から酒かっくらってるのを邪魔するんじゃねえ」
赤毛の大男が大剣をぬいた。アリエは襲ってくる剣をよけながら見た。あれが伝説の獣王剣の使い手リオン・リチャードかと。獣王剣は力まかせの剛剣でどんなヨロイもまっぷたつにしてしまうと聞いている。リオンの首にミッドナイト皇国がかけた賞金は一千万ガルだ。一日にパン十個で二十七年分になる。
ミッドナイト軍の兵士たちも獣王剣のうわさは知っているらしい。あとずさりをはじめた。
兵士長が兵士たちに怒鳴る。
「逃げるな! 逃げた者は首をはねるぞ!」
兵士たちは思い直した。紅獅子海賊団の船長リオンよりミッドクロス皇帝がおそろしいと。
兵士たちが次々にリオンに斬りかかった。紅獅子海賊団の十一人が兵士たちをむかえ撃つ。
しかし紅獅子海賊団が不利だ。船長のリオンは剣をぬいた。だが斬る気はない。人殺しはきらいだ。剛剣のうわさで逃げてくれればいい。そう思ってぬいただけだ。殺す気は最初からない。一方ミッドナイト兵たちは紅獅子海賊団を殺さなければ自分たちが死刑になる。そのうえ船長のリオンを斬れば一千万ガルだ。剣先にあまさがない。
広場は大混乱におちいった。けど露店の商人たちも町人たちも逃げてはいない。一般人に被害が出ないと知って全員が高見の見物だ。ハラハラしつつ目がはなせない。
紅獅子海賊団とミッドナイト軍。女剣士のエスエスと賞金かせぎの頭目。アリエと四人の賞金かせぎたち。それぞれが対戦している混乱にまぎれてオヨネたちは逃げようとたくらんだ。こっそり足音をしのばせる。広場の出口までぶじにたどり着いた。そこで賞金かせぎのひとりに気づかれた。
アリエを三人の賞金かせぎが同時に取りかこむ。アリエが助けに行けない状況を作った。その間に残りのひとりが奴隷の手をつかんだ。
「おーっと。逃がさねえぜ。一億ガルの賞金首なんてそう簡単に取れるはずがねえ。おれは堅実な男だ。目先の一万ガルがほしいんでな」
堅実な賞金かせぎが剣をふりあげた。オヨネたちを斬る気だ。
もうだめ。オヨネは観念して目をとじた。自分たちを助けに入った者たちは全員いま手がふさがっている。オヨネ自身は剣の心得も格闘の技術もない。とうぜん乳母のツタもだ。六歳と五歳の兄妹に期待できるはずもない。逃亡奴隷は衣服すらボロボロだ。戦えるくらいなら逃げてないはずだった。
ガシャッ!
妙な音がした。じゃらついた金属で剣を受けとめた音だ。
オヨネは目をあけた。ひたいのまん前で賞金かせぎの剣先がとまっている。剣をとめているのは白銀の鎖で作った手袋だった。アリエの手袋は黒っぽい銀色をしていた。オヨネの目の前にある両手の銀はまっ白い。夏の太陽をギラギラ反射している。
オヨネは手袋のぬしを見た。仮面だ。ハヤブサのお面をかぶっている。素顔はわからない。鼻から下だけが露出していた。敵ではない。そう思う。しかし正体不明の怪人だ。ことによると変態かもしれない。こんなピンチでなければ近づきたくない人物だ。
ハヤブサの仮面が声を出した。男の声だった。声は若い。二十歳くらいだろう。
「私は反皇国組織ハヤブサ団の団長カシムだ。ミッドナイト皇国を倒す男とおぼえてくれ。ミッドクロス皇帝につく者はすべて私の敵だ。この男は私が引き受けた。早く逃げるがよい旅の者よ」
オヨネはちゅうちょした。アリエをふり返る。アリエはまだ三人の男たちと戦っていた。右目が不自由なうえに一対三だ。アリエは剣も持たずに戦っている。このままあたしたちが逃げていいの? あの眼帯少年を助けるべきじゃ?
ツタがオヨネの手を引く。しかしオヨネの足は根がはえたように動かない。その間に逃亡奴隷と子どもふたりを町の者が広場から押し出した。レイクガルド国民に扮装していたがハヤブサ団の者らしい。
カシムと対戦している賞金かせぎはおどろいた。頭目に声を張りあげる。
「おかしらぁ! 今度は十億ガルの賞金首ハヤブサ団のカシムですぜぇ! おれたちゃ大金持ちだぁ! 一日パン十個で二千七百年は食いつなげられるぅ!」
男はすっかり賞金を手にしたつもりでいる。億単位の賞金がつくようなおたずね者を倒すのは容易でないと自身が口にしたはずなのにだ。
一方でオヨネがためらう間にアリエは追いつめられた。一対三は荷が重い。アリエの息はあがっている。昼メシを食わずにポルトミラまで来た。着いた早々この乱闘だ。実戦経験が皆無なアリエにはきつすぎた。
なんて皮肉な運命だ。ミッドナイト皇国の黒の軍隊に殺されずにチンケな賞金かせぎに殺されるのか。そうアリエは観念した。幼な友だちのキリが身がわりになってまで守ってくれた命をこんなバカなことで手ばなすのかと。
賞金かせぎの剣が頭上から降ってきた。そのとき誰かがアリエに体あたりをかけた。
「バカ! 最後まであきらめるな! 男だろ! 死ぬまで抵抗しろよ!」
飛びこんできたのは黒髪の少年オヨネだ。ふりおろされた剣がオヨネを襲う。アリエは右手をのばした。剣をつかむ。力をこめた。
パキン!
剣がおれた。おれた剣を持つ男の顔にこぶしをたたきこむ。オヨネを背中にかばう。残りの男ふたりに向きあった。息を吐く。気息をととのえた。オヨネの言葉にうなずく。
そうだ。こんなところで死んでたまるか。キリの仇を討つまで死ねない。何年かかろうがミッドナイト皇国に復讐してやる。
アリエの形勢は逆転した。しかしその他の戦況はかんばしくない。紅獅子海賊団は劣勢だ。女剣士のエスエスは足がフラフラだった。ハヤブサ団の団長カシムは賞金かせぎのひとりを倒して紅獅子海賊団に加勢していた。だが軍隊相手では相手が多すぎる。カシムひとりががんばっても次から次へと兵が補充される。
紅獅子海賊団がミッドナイト軍に取りかこまれた。ついにだめか。そう思われたとき海からドラの音が鳴りひびいた。
みんながいっせいに海に目を向ける。大船団が港に入ってきた。川と湖を簡略化した旗がひるがえっている。レイクガルド王国の海軍だった。
旗艦が港に接岸した。船をおりたレイクガルド兵団がミッドナイト軍に殺到する。
着かざった軍服を身にまとった男が先頭に立ってミッドナイト軍に呼びかけた。
「私はレイクガルド王国の近衛師団長ヨーゼフ・ヨハンセンだ。お前たちはなにゆえわが国で騒乱を起こす? ここはレイクガルド王国だ。ミッドナイト皇国ではないぞ。わがレイクガルド王国内で軍を動かすとはなにごとだ。さっさと引くがよい」
ミッドナイト軍の兵士長が怒鳴り返した。
「われらはおたずね者を追ってきただけだ! そこにいる女は皇帝暗殺をくわだてた重罪人! 全皇軍に皇帝じきじきの指令が出ておる! その女エスランジュ・エストをつかまえよとな! 邪魔をしないでもらおう近衛師団長どの!」
近衛師団長のヨーゼフはたじろがなかった。
「そうはいかぬ。それはそちらの事情にすぎん。その女はわが国土内で剣をふるって民衆をおびやかせた。私はわが国の治安を王からあずかっておる身だ。わが国の治安をみだす者は逮捕する。たとえミッドナイト皇国の軍隊であろうと目こぼしはせん。いまなら血は流れておらんようだ。お前たちがおとなしく退散するなら逮捕はせん。抵抗するようなら全力をあげてたたきつぶす」
ミッドナイト軍の兵士長の顔色がかわった。
「ま。待て。われらはミッドナイト軍だぞ? そんなまねをすれば全面戦争になる。ミッドナイト皇国と戦争がしたいのかきさま」
「私は職務をまげたりはせん。ミッドナイト皇国と戦争になろうと私の知ったことではない。私が守るのはレイクガルド王国の治安だ。私の仕事をはばむ者はたとえミッドクロス皇帝といえどもゆるさん」
もしここにミッドクロス皇帝がいれば笑いはじめただろう。おもしろい。では戦争をするかと。しかし一兵士長が戦争にふみ切れるはずはない。兵士長が脂汗をひたいににじませた。
「わ。わかった。われらは手を引こう。だがその女だけはわたしてくれ」
「だめだ。その女はわが国の法に反した。王の前で取り調べねばならん」
「そんな! 賞金を横取りする気か!」
「賞金? 私はカネなどいらん。何度でも言うが私は私の職務をまっとうするだけだ。わが国の治安をみだした者は逮捕する。お前たちも逮捕してほしいのか? わが近衛師団はお前たちの十倍はいるぞ? お前たちは船の牢に入り切らぬから見のがしてやろうと言っておるのだ。目こぼしはせんが隣国といさかいを起こすのは得策ではないからな。ただし斬りすてて死体にすれば船につめる。もう一度言おう。さっさと立ち去れ。でないと死あるのみだ」
「ち! ちくしょう! お! おぼえてやがれ!」
兵士長がクルリと背中を見せた。兵士たちもいっせいに兵士長を見ならう。ミッドナイト軍が広場から引きあげた。
残ったのは賞金かせぎ五人とアリエたち。それに紅獅子海賊団。一方でハヤブサ団の団長カシムはすでに姿が見えない。ドラが鳴った時点で逃げたらしい。逃げ足の速さも十億ガル相当だ。
レイクガルド王国の兵士たちがアリエたち全員を包囲した。兵士は百人ではきかない。アリエたちは抵抗をあきらめた。ひとりずつ縄で縛られる。
船に連行される途中でオヨネが声をあげた。
「ボクらは関係ないよ。ただの旅人だ。騒動にまきこまれただけなんだ。ボクとツタは逮捕しなくていいだろ近衛師団長?」
近衛師団長のヨーゼフが首をかしげた。たしかにオヨネとツタは旅装をしている。ツタなどデブのオバサンにしか見えない。オヨネも線の細い少年だ。あらくれ者には見えない。武器も持っていないし。
ヨーゼフがオヨネの説得に納得しかけた。そのとき船から声が飛んできた。
「ヨーゼフ! だまされるんじゃないわよ! その子も活躍してたわ! わたしは遠メガネで見てたの! その子は賞金かせぎたちのおかしらをけり飛ばして鼻血を流させてたわよ!」
十五歳くらいの少女が船の甲板から声をかぎりに叫んでいた。ヒラヒラのドレスを着ている。お姫さまとしか思えない。
ヨーゼフがオヨネに顔を向けた。ふふふと笑いながら。
「無関係な旅人? 聞いてあきれるな。共犯者じゃないか」
オヨネが目をそらせた。肩をすくめる。お姫さまに怒鳴った。
「なんだってそんなところを見てるんだよ! わざわざ告げ口すんなよな!」
船の甲板でお姫さまがニッコリと笑った。意地の悪そうな笑顔だった。
ヨーゼフも肩をすくめた。
「あれがわがレイクガルド王国の王女ローラ姫だ。おてんばでこまってる」
さしずめ近衛師団長のヨーゼフはローラ姫のお守り係らしい。
オヨネとツタも船に連行された。
アリエ。女剣士のエスエス。紅獅子海賊団。オヨネとツタ。それらはおなじ船に乗せられた。ローラ姫の待つ旗艦だ。賞金かせぎたち五人は別の船へ追いやられた。
アリエたちが船に足をふみいれるとローラ姫がいちいちスカートを持ちあげてお辞儀をした。ゆたかな胸をゆらしながら。
「ようこそレイクガルド王国へ。あなたたちはこれから王都レイクシティに連行されるわ。レイクシティは百塔の都と呼ばれる水上都市よ。船でなければ行けないの。鉄格子のついた快適なお部屋をあなたたちには用意してあるわ。ここちよい船旅をお楽しみになってね。うふふ」
オヨネが吐き捨てた。
「けっ! 根性の悪い女! きっとあまやかされ放題のわがまま娘だね!」
ツタが横目でオヨネを見た。それはお嬢さまもでしょと。
ローラがオヨネに近寄った。指でオヨネのあごを持ちあげる。
「あらあら。遠くから見ると可愛かったけど近くで見るとそうでもないわ。もうひとりの男の子のほうがよさそうね」
ローラがアリエに目を向けた。右目の黒眼帯が気になるがいい男だ。あと五年すれば苦み走った男になりそう。王家を継いでもおかしくない顔をしている。
ローラがアリエに寄った。
「きみがわたしに忠誠を誓うなら牢にはほうりこまないわ。働きしだいでわたしの側近に取り立ててもあげる。どう? わたしの家来にならない?」
アリエはとまどった。わがまま姫のごきげんを取って牢いりを免除してもらうか? しかしこの姫に気にいられたら王宮のとりこになるのではないか? おなじカゴの鳥なら罪人のほうが釈放される目はある。なにしろ自分はレイクガルド国民をただのひとりも傷つけてない。騒動にまきこまれただけだ。
「姫さま。もうしわけありません。おれにはもう忠誠を誓った人がいます。ふたりにつかえるわけにはまいりません」
ローラが目尻をつりあげる。期待した答えではなかった。
「ふん! なら勝手におし! ヨーゼフ! こいつらをさっさと牢にぶちこめ!」
船底に作られた牢に全員がつめこまれた。