【92.エミリーとカーラ】
二人の会話を立ち聞きする形になってしまったリタは、エミリーの発言に「あ、そこは隠さないんだな」と思った。
「あなた本気で言っているの!? 相手をちゃんと見てる!? 庶民よ!?」
「庶民で一括りにするのやめなさいよ……貴族にだって、良い人とそうじゃない人がいるのと同じでしょ。身分とか関係ないの」
「はぁ……昔からあなたの不出来さには呆れていたけど……今回ばかりは愛想も尽き果てるわ……」
「私に対する愛想なんて最初からないでしょ」
「大体!」
ビシッと、エミリーの目の前に指が突きつけられる。
人を指差すという行為だけでも失礼なのに、それを第一王女にやってのけるなんて……いくら親戚とはいえ、命知らず過ぎる。
というよりも、エミリーとラミオが彼女に対して甘すぎるのかもしれない。
「ちょっと前まで、うるっさいくらいお兄様お兄様って言ってたのに何なの!? 今更ラミオとか気安く呼ばないでくれる!?」
「私、一応ラミオとは双子なんだけど……」
「あんなに夢中だった相手からアッサリと乗り換えるなんて淑女の風上にも置けないわね! しかもその相手があんな行儀の悪い頭の悪そうな女だなんて……どうかしてるわよ! 誰でもいいわけ!? 所詮今も昔もあなたは恋愛ごっこがしたいだけなんでしょ!!」
よほど腹が立っているのか、この夜中にすごいボリュームで叫び続けるカーラ。淑女を語るのなら、もう少し声量を落とした方がいいと思う。
「……私のことは別に何て言ってくれてもいいけど、リタ様のことをよく知りもしないのに馬鹿にするのはやめて」
「食べ物にがっつく卑しい人ってことは知ってるわよ」
「そ、それは……食べるのが好きなお方だから……」
昼食時のリタの食べ方が行儀のいいものではなかったのは誰の目にも事実なので、大分苦しい返しをさせる羽目になってしまった。
「とにかく、リタ様は素敵な人だから。優しいし、美しいし、強いし、カッコいし、愛らしいし、何拍子も揃ってるもん」
「はあぁ? …………ま、ちょうどいいわ。前からあなたがラミオを好いていたのは不愉快だったから。ただし、くれぐれもあの庶民たちが私のラミオに近付かないよう注意しておきなさいよ!」
「分かったから、もう帰って」
エミリーが手で追い払うような仕草をすると、カーラは「ふんっ」と言って、自分の別荘があると思われる方向に向かって歩いて行った。
その姿を見届けてから、エミリーも別荘の方へと戻ってきた。
立ち聞きしていたことがバレたらマズいので、リタはより一層身をひそめていたのだが、彼女が扉を開けたタイミングで気が付いた――このままじゃ締め出される可能性があるということに。
「ま、待って! 閉めないで! 私もいるから!」
「ひゃっ……り、リタ様……? なんでこんな時間に、外に?」
「いやー眠れなくて……散歩でもしようと思ったんだけど、寒くて断念しちゃった」
エミリーと共に室内に戻ると、ようやく凍えるような寒さから解放された。
「そうですか。…………聞こえちゃいましたか?」
「……はい……ごめんなさい……」
流石に誤魔化せるような状況ではないので、情けない表情で立ち聞きしていたことを謝ると、エミリーは手を振って笑った。
「別に謝られるようなことじゃありませんよ。……むしろ、リタ様にとって気分のいい内容ではなかったですよね」
「ああいうのあんまり気にしないから、それは大丈夫。にしても、本当にラミオの前では大人しい方だったんだね」
「そうですよ。あの兄妹、どっちもそうなんです。ユージャも、ラミオがいないともっと偉そうですし」
「はー……すごいね。王女様の前なのに」
「そういう立場とかを理解するよりも前に知り合ってるからというのもありますけど……私、ナメられてるんですよ。あの二人だけじゃなくて、周囲にいる人たちの大半に」
「それはまた……」
なんて返したらいいものか、言葉に迷った。
明らかに、優秀過ぎる長男と次男の影響なのだろうけど、慰めるようなことを言うのも違う気がした。
それにしても、境遇や本人の性格などを含めて考えると、エミリーは色々と生き辛そうだ。
ゲーム内で本編開始前に彼女が親と仲違いしてしまっているのも、こういうことの積み重ねが原因だったのかもしれない。
「ま、あの二人みたいに分かりやすく態度に出して来る人は少ないですけどね。それよりリタ様、そんなに薄着で外に出て、体が冷えてませんか?」
「うん、ちょっとだけ」
「だったら一緒に紅茶でもどうですか? 私でよければ淹れますよ」
「いいよ、わざわざ悪いし」
それに、エミリーにそんな雑用みたいなことをさせたとスピネルにバレたら、ものすごく怒られそうだし。
「私も少し冷えてしまったので、リタ様と一緒に飲みたかったんですけど……ダメですか?」
「……」
まるで漫画に出て来る女の子のような、きゅるんとした瞳で見つめられると、断るのが逆に失礼に思えてきた。
「それなら、ありがたくご相伴に預からせてもらおうかな」
「はい! じゃぁキッチンの方に……って、それよりリタ様、そんな薄着じゃ廊下でも寒いですよね。私のコートお貸ししましょうか」
「いやいや、いい! 大丈夫だから!」
エミリーの上着を貸してもらって万が一彼女が体調でも崩したりしたら、それこそスピネルに刺されてしまう可能性が出て来る。
そんな恐怖から全力で拒否するリタを見て、何をどう勘違いしたのか、エミリーはしょんぼりと肩を落とした。
「そうですよね……私の上着なんて、リタ様には相応しくないですね……」
「えっ、いや、そういうことじゃなくて……エミーの体が冷えたら大変だと思って」
「あ、そういうことですか? 私は全然大丈夫ですよ」
言いながら、エミリーはリタが止める間もなく、いそいそと黒いコートを脱ぎ始めた。
そして脱ぎ終えたそれを手渡すのかと思いきや、即座に肩に羽織らせてきた。
拒否することを許されない行動に苦笑しつつ、リタは有難く上着で暖をとらせてもらうことにした。
「……えへへ」
「なに?」
腕を通すリタを見て、エミリーは思わずという風に笑った。
「そうしていると、何だかリタ様が私のものになったみたいで嬉しいなぁと思いまして」
「……ハハハ」
「リタ様って、返答に困ったら笑って誤魔化せばいいと思ってる節がありますよね」
「バレてた?」
「そりゃ何度も繰り返されれば流石に。……迷惑ですか? 私がこういうことを言うの」
迷惑と表現するほど嫌なわけではないけど、返答に困るのは事実だ。
しかしここで「迷惑」なんて言おうものなら、エミリーが傷つくのは間違いない。かといってその気もないのに気を持たせるようなことを言うのもどうなんだろうか。
「……困らないってわけでもないけど、嫌でもないよ」
絞り出した答えは、どっちつかずもいいところだった。
「嫌じゃないんですか!?」
「え……う、うん」
前半部分を軽くスルーされたような気がするけど。
勢いに負けて思わず頷くと、エミリーの表情がみるみる明るくなった。
「私、頑張ります! じゃぁリタ様、早速行きましょう! 美味しい紅茶をお淹れますね!」
「あ、うん……」
もしかして返事のチョイスを間違ったんじゃないだろうか。
そんなことを思う間もなく、エミリーに手首を掴まれ、キッチンの方へと連行されていった。
◆ ◆ ◆
またアイリに迷惑をかけないようにと、早めに目を覚ませるよう心がけて眠ったら、何とか無事に起きられた。
ベッドから出て、ぐーっと背伸びをして体をほぐす。
「――あ。そういえばラミオたちのパーティーって今日だっけ」
出発前、エミリーがパーティーに着ていく服も用意があると言っていたけど、まだ実物を見てはいない。
アイリのものは一体どんな物なんだろうか。きっと彼女なら何を着たって可愛いんだろう。
様々なドレスを身にまとうアイリを妄想しながら楽しく着替えを終えて廊下に出ると、ちょうど同じタイミングで出てきたラミオと鉢合わせた。
「おお、今日は早いんだな。おはよう」
「おはようございます。流石に二日連続で寝坊はまずいと思いまして」
「良い心がけだが、ここには休暇で来ているんだから、別に気にしなくて良いんだぞ」
そうは言われても、人の別荘にお邪魔している身で寝坊を連発というのはどうかと思う。
「……ところで昨日の夜中だが、エミーとカーラが話しているところに遭遇していたな」
「え、見てたんですか?」
「なんとなく眠れなくて、外に出ようかと窓を見ながら考えていたら、たまたまな」
そういえばラミオも夜中にふらりと出かける癖があると、ゲームで言っていた気がする。
昨日、夜の散歩を「陰鬱なあなたらしい」趣味だと言っていたカーラが聞いたら、どう思うのだろうか。
「……こんなことを聞くのも野暮だが、あの二人が何を話していたか聞いたか? もちろん言える範囲でいいが……」
「えっと……」
言える範囲というのは、果たしてどれくらいだろう。
エミリー曰く、カーラはラミオの前では猫を被っているらしいので、あまり本性的な話はしない方が良さそうだが。
しかしエミリーがリタに心変わりしたことや、それについて叱責されたことも、ラミオに言うのは憚られる。
「エミー様とラミオ様の関係性の変化について、とかですかね」
悩んだ結果、それしか出てこなかった。
「ああ……、しかしそんなことでわざわざ夜に会いに来るとは……カーラは相変わらずだな」
「……もしかしてカーラ様がラミオ様の前では、その、大人し目なこと、気が付いてますか?」
「俺様はそこまで鈍くないからな。ただ俺様の前で大人しいというより……カーラはエミーの前では特に大きな態度を取りがちなんだ」
ナメられている、と言っていたエミリーのことを思い出す。
「……あいつは誰かに嫌なことをされても、前の俺様みたいに立場を振りかざして抵抗したりしない。だから標的にされやすいのだろう」
ラミオは「少し近付くぞ」と前置きをして、顔を近付けてきた。それから小声で続ける。
「こんなことをリタに頼むのも変だが……万が一エミーに何かあったら、力になってやってくれ」
「あ……はい、もちろん」
スピネルにも似たようなことを頼まれたが、カーラはそこまでエミリーに危害を加える可能性があると思われているんだろうか。
「エミーは昔から俺様には頼ってくれないからな……いや、誰に対してもそうなのかもしれないんだが。しかし、リタになら違うかもしれない」
確かにリタは一度エミリーの窮地を救っているし、そういう意味では他の人よりは頼りやすい立場にいるのかもしれない。
「本来なら、家族である俺様が何とかしてやるべきなんだがな……本人が黙っている以上、踏み込みにくいものがある」
「きっとエミー様は、ラミオ様に心配をかけたくないんですよ」
「うむ……納得はいかないが、それがあいつの考えなら仕方ないな」
複雑な表情でラミオが頷いた時、扉が開いてニコロが出てきた。
彼はリタを見て、驚いた顔を隠さずに「リタがこんな早くに起きてるなんて珍しいね」と言った。
寝坊したのは一日だけだというのに、なんという率直で失礼な感想だろう。
「おはよう、ニコロ。良い朝だな」
「おはようございます、ラミオ様」
「お前は相変わらず堅苦しいな。そろそろラミオと呼んだらどうだ」
「なかなか勇気とタイミングが……」
ニコロに近付いて行ったラミオを見ながら、リタは色々な人たちのために、今度こそこれ以上カーラたちに遭遇しませんようにと祈らざるを得なかった。
続く




