【84.それからのこと-2】
「……二人の世界なところ悪いんだが、ちょっといいか?」
「「うわぁっ!?」」
いきなり聞こえてきた声に、リタとアイリは揃って声を上げて体を離した。
見ると、いつからそこにいたのか、いつも通り退屈そうな顔をしたウィルが立っていた。
「ウィ、ウィル……いたなら声かけてくれたらいいのに」
「二人が訳あり気に抱き合っていたから、流石の俺も空気を読んでいた」
「それはごめん……」
別に訳ありってわけでも……いや、あるのだろうか。
ウィルはカーテンを閉め、リタたちのいるベッドの近くまで歩いて来た。
「それよりもうすぐ先生が戻って来るかもしれないから、あまりこの話は続けない方がいい」
「あ、そうなんだ……先生、どこに行ってるの?」
「廊下で他の先生と話してる。今回の件は不可思議なことが多すぎて、先生たちも混乱しているらしい」
あの時リュギダスは、認識阻害とやらで自分たちの姿は見えなくしてあると言っていた。
デラン先生たちからすれば、ずっと会場内を監視していたはずなのに、気が付いたらリタとエミリーが倒れていたということになる。
リタが事前に下手に匂わせていたこともあり、そりゃ混乱もするだろう。
「……そういえば今って、あれからどれくらい経ったの?」
「正確な時間は分からないが、試験はとうに終わっているくらいの時間は経っている」
「そっか……、あ、アイリたちの試験はどうなったの?」
「理事長と話さない限り確定は出来ないらしいが、デラン先生的には、この件で影響が出た俺たち全員を再試験してくれるつもりらしい」
「よかった……」
リタはともかくとして、アイリたちやエミリーは巻き込まれただけだから、このせいで失格なんて言われたら堪ったものじゃない。
「じゃ、俺は様子を見に来ただけだからもう戻るけど……アイリはどうする?」
「私はまだここにいようかな」
ウィルは「そうか」と短く答えた後、リタの方を真っ直ぐ見てきた。
「なに?」
「リタ、あの時俺たちがしたことは、君にとって正しかったか?」
「え、えっと……」
それは、一体どういう意味の問いかけなのか。
ウィルはもちろんアイリが何の魔法を行使したかも知っているはずだから、そのことだろうか。
「アイリの話によると……どういう理屈かは分からないが、君はこういう事態になることをある程度予期していた。でも、あの女子が俺たちに助けを求めてきたのは恐らく偶然で、教師より先にあの場に辿り着いたのも偶然。……だとすると、それの出番は、自分に対してではなかったんじゃないか?」
それ、と言いながら指さした先は、アイリが手にしているお守りの袋。
メモに書かれている魔法は、本来リタに行使するものではなかったのではないか、と聞いているんだろう。
流石、賢いというか、大正解だ。
「そう思いながらも俺は、アイリが魔法を使うのを止められなかった。……君があのままでよかったなんて思わないけど、今の結果の方が君にとっては負担じゃないかとも思うんだ」
「そのことで私が何か言えることはないよ。……負担がかかっちゃったのは、むしろアイリの方だろうし」
リタは命を懸けて自分の仕出かしたことの責任を取っただけ。
一方アイリには、その尻ぬぐいをさせてしまう形になってしまった。
「……」
「……アイリ?」
「あ、ご、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」
一瞬、俯いていたアイリの表情がすごく悲しそうなものに見えた気がしたけど、彼女も諸々の疲れが溜まっているのかもしれない。
顔を上げたアイリは、先ほどのリタの言葉に対し、首を振って否定の意を示した。
「私は負担なんて感じてないよ。リタを助けられたんだから、むしろ嬉しいと思ってる」
「でも、私なんかと命がリンクしてるなんて嫌じゃない……?」
「……リタは逆なら嫌だと思うの?」
「ぜんっぜん思わない!!」
「だったらそれと一緒だよ。リタが私のこと思ってくれるのと同じくらい……か、それ以上に、私だってリタのこと思ってるんだもん」
「アイリ……」
え、天使なのでは? 自分の命が人と繋がって、相手が死んだら自分もその巻き添えで死んでしまう体になってしまったっていうのに、この笑顔。アイリはこのエクテッドに舞い降りたただの天使なのではないだろうか?
――と、馬鹿な考えで頭が支配されかけていたリタは、ウィルのわざとらしい咳払いで現実世界に戻ってきた。
「君たちは本当に仲が良いな。すぐに他人が入り辛い世界にいってしまう」
「ご、ごめん……それにウィルにも心配かけてごめんね」
「いや、別に。俺も今の話題は野暮だったから。……今にして思うと、あの時アイリを本気で止められなかったのは、俺も君が死んだままなのは嫌だと思っていたからなんだろう」
「え?」
突然な言葉にポカンとしていると、そんなリタを見て、ウィルは軽く笑った。
「俺は君のことを良い友人だと思ってるってことだ。きっと他の何人かもな。だからあまり自分の命を粗末にするような行動は控えた方がいいよ」
その体になった以上は嫌でも無茶は出来なくなるだろうけど、と付け加えて、ウィルは保健室を後にした。
ウィルが出て行った後、入れ違いで先生が戻ってきた。
ゲームには立ち絵がないので、そういえば初めて見た保健室の先生は、アップスタイルにしたダークブラウンの髪が印象的な、派手目の美人だった。
立ち絵こそないものの、本編では保健室に訪れるシーンは多く、主人公たちはその都度先生の美貌に見惚れていた。そして攻略対象たちはそんな先生に見惚れることもなく、一途に主人公を愛でてくれていたものだ。
「うわー……綺麗」
思っていることを口からこぼしてしまう癖がいつまで経っても治らないリタは、馬鹿正直にそう言っていた。
先生はその言葉に目を丸くした後、軽く笑った。
「ふふ、ありがとう。そんなお世辞を言えるくらいなら、体調は大丈夫そうね」
「あ、全然大丈夫です! ……単なる寝不足だと思うんで」
アイリが使った魔法のことは、恐らく出来るだけ秘密にした方がいい。
だから黙っていよう、という思いを込めてアイリにアイコンタクトを送ろうとしたら、目が合った途端、何故か逸らされてしまった。
「単なる寝不足、ね。……なら、これは何かしら?」
先生はリタの腕にそっと触れた。そこには綺麗に包帯が巻かれている。
アイリやウィルとの会話ですっかり痛みを忘れていたが、リタはリュギダスに腕を負傷させられていたのだった。
「あ、こ、これは、鋭い枝木で、つい……? いつの間にか? 切っちゃって……」
「嘘が下手で可愛いわね、あなた」
「はは……」
全然褒められている感じがしなくて、乾いた笑いが漏れた。
しかし今はこの傷について問い詰めるつもりはないらしく、先生はリタの腕から手を離し、にこりと微笑んだ。
「ところで、エミリー様は気分が優れなさそうだったから病院にお連れすることになったけど、あなたはどうする?」
「平気です。怪我も腕だけですし、このまま部屋に戻――」
「るのは、少し待ってもらえる? あなた、運び込まれた時、かなり顔色が悪かったのよ」
立ち上がろうとしたリタは、先生に肩を掴まれて強制的にベッドに戻された。
その際、ネックストラップのようなものに下げられた名札に「ローザ・ハリトマン」と書かれているのが見えた。ゲームでは保健室の先生としか書かれていないから、名前も初めて知った。
「とりあえず熱だけでも測ってもらっていい? 後で倒れちゃったら大変だから」
「あ、はい」
ちなみにこの世界には、仕組みは謎だが体温計が普通に存在するので、リタの前世と同じ方法で熱を測ることが出来る。
手渡されたそれを脇に挟んで大人しくしていると、ローザ先生はアイリの隣の椅子に腰かけ、話しかけてきた。
「さっき言ってた寝不足っていうのは、試験勉強のし過ぎってことよね?」
「はい」
「フォーニさん、それは本当?」
「えっ、あ……はい。最近、あの、遅くまで頑張ってたみたいなので……」
「なるほどね……その割に、あなた達がアルベティさんを連れてきた時の焦りようはすごかったし、目が覚めるまで泣きながらつきっきりだったけど」
「そ、それは……あの、だって、友達が急に倒れたので、ビックリしますよ、うん!」
はたから見ても「ああ、嘘なんだろうな」と分かるくらい態度に出ているアイリ。
嘘がつけないところも可愛いとは思うけど、このままじゃ先生に詰められるかもしれない。
「あ、あの先生」
「まあ、ここでは詳しくは聞かないわ。けど、然るべき場所では素直に話さないとダメよ」
と思ったら、想像よりも遥かにアッサリと引き下がってくれた。
アイリのあからさますぎる態度から、深入りしてほしくない話題だということを察してくれたのかもしれない。
話している間に、ピピピと鳴った体温計を取り出すと、表示されていたのは平熱と呼べるラインの数値だった。
「うん。じゃぁ部屋に戻って、今日は早く寝ること。約束できる?」
「はーい」
「あ、デラン先生から伝言だけど、アルベティさんは明日の朝、授業が始まる前に職員室に来てほしいって」
「……はーい」
先生からの呼び出し……一体何を言われるんだろうか。
ローザ先生とは違って、その場にいたからこそ、何があったのかと問い詰められるかもしれない。
リタは、あのおっとりぽわぽわした先生から問い詰められる場面を想像して、まあ何とかなりそうだ、と失礼なことを思った。
保健室から寮に戻る途中、窓を見ると、外の景色は夕焼けに染まっていた。
試験が始まったのが昼前だったことを考えると、自分はどれくらい眠っていたんだろうか。アイリはその間ずっとつきっきりだったということだが、昼ご飯はちゃんと食べたんだろうか。
そんなことを考えつつ窓からアイリの方に視線を移すと、ちょうど視線がぶつかった。
「あ……そういえばエミーって目を覚ましてから病院に行ったんだよね。その時どんな感じだった? 体調悪そうだった?」
「熱はなかったけど、少しぼんやりしてる感じだったかな。それになんか記憶が混乱してるみたいで……今朝起きてからの記憶がないとかなんとか」
「そっか……心配だね」
あの時リュギダスが倒れたのは確認したし、リタ自身も命を落としたことから、魔法が成功したのは間違いない。
とはいえ、長い間悪魔に取り憑かれていたことによる弊害が体のどこかに起こらないとも限らないし、何事もなければいいのだが。
「私はリタの方も心配だけど……本当に病院行かなくても大丈夫なの?」
「へーきへーき。元々外傷はこの腕だけだし」
あとは何発か蹴られた気がするけど、今は痛みも感じないし、素人判断だが問題ないだろう。
「……で、結局さっきは流しちゃったけど、リタが相手にしてた不審者って誰だったの?」
「うーん……」
改めて考えてみると、アイリは命を懸けてリタを助けてくれた。
そんな相手に対し、多くの秘密を持つのはあまり良くないことなのかもしれない。
もちろん、転生やらゲームのことやら、伝えたらアイリの常識が破壊されてしまいそうなことは引き続き伝えない方がいいと思うけど。
「……とんでもないこと言っても、頭おかしい奴って思わないでくれる?」
「何を言われたって、リタのことそんな風に思ったりしないよ」
笑顔で即答してくれるアイリの信頼感が、胸に染み渡る。
けど、流石に内容が内容だけに、人気が少ないとはいえ誰に聞かれるか分からない場所でするような話じゃない。
「あんまり人に聞かれたくないから、部屋に帰ってからでもいいかな?」
「……うん!」
自分で聞いておきながら、リタが本当に話してくれるとは思っていなかったんだろうか。
アイリは一瞬驚いたような顔をした後、どこか嬉しそうに頷いた。
続く




