【82.最後の手段】
奴の魂を抜き出すことは出来ない。
エミリーの身体ごと倒すこともしたくない。
そんな悩みを一気に解決する方法が、一つだけ存在する。その魔法の存在を、ゲーム既プレイのリタは知っている。
だからこそ奴を相手に啖呵を切ることが出来たのだけど――本当は出来るだけ使いたくない。今もまだ迷っている。
「『水属性初級魔法:アーキュン』!」
効かないと分かっている魔法を仕掛けて、一瞬でかき消される。
それを何度か繰り返していると、リュギダスが苛立たし気に右手を振り上げた。
瞬間、周囲が爆風に襲われ、リタの体はあっけなく吹き飛ばされてしまった。
「あんな大見得を切った割には、さっきから低俗な魔法ばかりですね」
「……初級魔法だって、積み重ねればダメージになるかもしれないじゃん」
「そんなのありえない事くらい分かってるでしょう?」
優秀な魔法使いは、相手の持つ魔力を大体察することが出来る。
そもそも奴はゲームのラスボス。初級魔法が効くわけないことなんて、最初から分かり切っている。
それでもしつこく撃ってしまうのは、考える時間を稼ぎたかったからだ。
今思いついている策以外の方法で、リュギダスだけを葬る方法はないだろうかと。
「……人間が嫌いなくせに、人間の体を借りて戦うなんてダサいと思わないの? 弱り切った魂だけの状態で戦うのがそんなに恐い?」
「馬鹿ですね。厭んでいる存在だからこそ、道具のように扱うんじゃないですか」
こんな単純な挑発じゃ、やっぱり効かない。
しかし話術に長けているわけじゃないリタの頭では、上手い煽り文句も出てこない。
「それに」
リュギダスが目の前に移動して来た――と思ったら、反応する間もなく、腹部に拳が叩き込まれた。
ぐるりと世界が回って、気を失いそうになったが、堪えた。
代わりに、あまりの痛みにその場に蹲る。
「げほっ……」
思わずむせると、口から飛び出した血が地面を汚した。
殴られて血を吐き出すなんて、前世ではアニメや漫画の中だけの話だと思ってた――と、どこか現実逃避のように考える。
「人間は友好関係にある存在との衝突は嫌う性でしょう? あなたが今この肉体を見て躊躇しているのが何よりの証」
この肉体を傷つけるのが恐いんでしょう――そう続けられた言葉は、全て図星だった。
世界を滅ぼせるほどに強大な力を持っていた悪魔のくせに、それに驕ることなく随分と用意周到というか。人間のことをきちんと理解して戦いに挑んでいるのは、リュギダス本来の性格故なんだろうか。
「さて、そろそろあなたの相手は終わらせないといけませんね。誰かが来るよりも先に、あなたの目の前でアイリ・フォーニを……いや、とりあえずここにいる全員を殺してから、最後に彼女を残して、あなたの目の前で殺す方が確実ですかね」
恐ろしいことを言いながら、リュギダスは満足そうに微笑んだ。
「今から楽しみですよ。人を殺すのなんて久しぶりですし……あの泣き叫ぶ声をまた聞く事が出来るなんて……ああ、そうだ。人間の肉体はどれくらい弄れば命が尽きるのか、あの女で色々と試して――おっと」
痛む体を動かして、足元に魔法弾を撃ち込むと、奴はそれを簡単にかわしてこちらを見た。その表情は相変わらず笑っている。
「ようやくさっきの威勢を取り戻しましたか?」
「アイリは私より強いから、お前が好きに出来るような相手じゃない」
「ああ、そうですか。……この肉体に入ってから散々思っていましたが、あの女のどこがそんなにいいんですか? 魔族としての事情はさておき……人間の階級的にも、王族をはねのけてまで優先するような存在じゃないでしょう」
「アイリは私の全てだから」
迷わず答えると、奴の目が点になった。
しかしすぐに元の表情に戻り、「やはりあなたは魔族ではなく人間のようですね」と吐き捨てるように呟いた。
「とりあえず満足に動けないよう、片足でも吹き飛ばしておきましょうか。四肢全てだと、うっかり死んでしまうかもしれませんし」
リュギダスが一歩を踏み出すと同時に、リタは早口で唱えた。
「『風属性上級魔法:リ・ウィーサイクロン』!」
奴の足元に出現した魔法陣から飛び出して来た暴風が、周囲の木々や砂などを巻き込んで吹き荒れる。
上級魔法だろうと、今のリュギダスには大したダメージは負わせられないことは分かっている。
ただ風の影響で視界を悪くした隙に、奴から逃げるように林の中に飛び込んだ。
視界から消えようとも、魔力で後をつけられるだろう。
だからすぐに見つからないよう、リタは必死に走った。
アイリは私の全て――改めて言葉に出したことで、ようやく決心がついた。
そもそもこうなってしまったのは、リタの過失だ。
悪魔は恐ろしい存在だと分かっていたのに、組織を壊滅させれば問題ないと思っていた。
復活したとしてもゲーム通りに倒せるはずだと思っていた。
今までだってゲーム通りじゃないことなんて何度もあったのに、最悪の場合を考えなかった。
その詰めの甘さがこの状況を作り出した。
「自分より格上だと分かっている相手を前に逃げ切れると思うなんて、実に愚かな判断ですね」
「うわっ……」
まるで瞬間移動でもして来たかのような速さで目の前に現れたリュギダスを前に、リタは危うく尻もちをつきそうになった。
「今更命が惜しくなったんですか?」
「……」
「そんなに命が惜しいのなら、さっき私の手を取ればよかったのに」
無視を続けながら後ずさるリタを見て、リュギダスは短い沈黙の後「そうですね」と呟いた。
「やはりこちら側につきますか?」
「は?」
さっきハッキリと断ったはずなのに、謎の二度目の勧誘。
ゲーム内でもリュギダスは『アイリ』よりは『リタ』を気に入っている感じではあったけど、それも最初だけで、『リタ』が人間側につくと分かった瞬間から殺意全開で容赦なく襲い掛かってきたはずだ。
「……そ、そんなに私が好きなの?」
ゲームで散々見てきた残虐な奴との違いを感じて、思わず馬鹿みたいな質問をしてしまった。
「何を気持ちの悪い事を――と言いたいところですが、そうですね。……自分のものとは思えないこの感情は、この肉体の意思なのかもしれませんね」
「……エミーの」
体を乗っ取られてもなお、その奥底には持ち主であるエミリーの意思が残っているのかもしれない。
その意思が、リタを救おうとリュギダスの意思に侵入しているのかもしれない。
そうだとしたら、やっぱり他の方法に逃げることなんて出来なかった。
リュギダスは思考を遮るように頭を振り、こちらに向かって手を伸ばしてきた。その動きは非常にゆっくりで、格下相手だと完全に油断している。
仕掛けるなら今しかないと、リタはその手が届くよりも先に、小声で素早く唱え始めた。
「……『闇属性特級魔法:』」
初級から始まり、準中級、中級、準上級、上級、最上級、特級と続く魔法のランクの中の最高位。
以前の授業で、今のリタに使えるのは最上級の魔法までだと分かった――が、この魔法だけは特例だ。
これはⅡのラミオルートで、ラストバトルに負けると直行することになる、とある派生エンドで使用される魔法。
リュギダスを前に成す術がなくなった『リタ』は、以前ラミオに見せてもらった王家に代々伝わる魔導書の中にあった魔法の存在を思い出し、一か八かでそれを繰り出す。
結果、奇跡的にその魔法は成功するのだが、そのルートの結末は、ハッピーでもノーマルでもなくバッドエンド。
「『ファーナラモール』」
その魔法名を唱え終えた瞬間、ドクンと大きく心臓がはねる感覚がした。
目の前にいるリュギダスが、驚いたように顔を歪める。
「な、何故お前が、そ――」
その後、リュギダスがなんて言いたかったのかは分からなかった。
奴は地面に倒れ、悶え苦しむようにうごめいた後、そのまま動かなくなったから。
闇属性特級魔法、ファーナラモール。
これは特定の魂を滅する――死に至らせる魔法だ。
エミリーの体の中には二人分の魂が存在していて、この魔法の効果があるのはリュギダスに対してだけ。だから次に目が覚めた時、エミリーの体は彼女のものに戻っているはずだ。
「っ……」
心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。
サァッと血の気が引く感覚がして、リタも地面に膝をついた。
何故リタが特級魔法を行使出来たかというと、この魔法は特殊で、魔力を必要としないからだ。
相手の命を奪う魔法の対価――それは術者自身の命。
前述のラミオルートでも、リュギダスは滅びたものの『リタ』も死んでしまうという、まさにバッドエンドにふさわしい結末になっている。
「……」
どさりと音を立て、その場に倒れる。
呼吸が止まり、意識が徐々に薄くなっていく中、ぼんやりと思い出すのは家族や友達のこと。
こういう光景が、いわゆる走馬灯というやつなのかもしれない。そういえば前世で命を落とした際は、あまりにも一瞬で、こういうものを見る暇すらなかった。
一度は死んでしまった自分が、次の生をもらえた――しかも自分の大好きな世界で。
それだけで十分すぎるほど、自分の人生は恵まれていたと思う。
ただ決定的な心残りは、アイリの今後のこと。
リュギダスの脅威はなくなったものの、退学の展開がなくなったのかまでは、流石に現時点では分かりようがない。
本当は生きてアイリが卒業する時まで見届けたかった。幸せになる姿を見ていたかった。
だからこそリタは一瞬だけ、エミリーの体を犠牲にして応戦することも考えてしまった。けどそんなことをしてしまえば、エミリーと友人関係にあるアイリを悲しませることになる。
それに、リタの詰めの甘さのせいで巻き込まれる形になったエミリーを切り捨てるようなことは、どう考えても出来ないと思った。
こういう結末になってしまった以上、今のアイリならきっと大丈夫だと、信じることしか出来ない。
二度目の死が恐くないと言ったら嘘になるが、人類を滅ぼすかもしれない悪魔の脅威を、人一人の犠牲で取り除けたと考えれば、この死には十分な意味がある。もしかしたら自分がこの世に転生したのは、この時のためだったのかもしれないと思えるほどに。
リタの意識は、そこで途切れた。
どうか、アイリがこれから先もずっと幸せに過ごせますようにと、強く願いながら。
続く




