【81.リュギダスとの対決】
「そろそろ呆然とする時間は終わってもらっていいですか?」
その声にハッとして顔を上げると、リュギダスがこちらに歩み寄って来ていた。
思わず後ずさるが、今の奴からは何らかの魔力や敵意は感じ取れない。
「前に言っていましたよね、あなたの夢。もっと強い魔法を使えるようになる事だと」
「……」
「あなたには完全な魔族になれる適正がある。人であることなど捨て、私と共にこの世を手に入れませんか」
台詞の多少の違いはあれど、似たような誘いはゲーム内にもある。
魔族の血が流れている『リタ』は、その詳細は分からないが、人間であることを放棄して魔族になることが出来る。
なのでリュギダスに同族だと認識され、仲間にならないかと誘われるのだ。
「私は……」
もちろんこんな誘い、お断りだ。
ただ、奴の強さは想定よりも上だった。
試験会場は広く、今自分がどこにいるかも分からない状態。それに加えてレイラもいるし、自身の腕も負傷した状態。奴から逃げ出すのは容易なことじゃないだろう。
ここで嘘でも頷けば、奴の隙が生まれて逃げ出せる確率が上がるかもしれない。
「……ああ、そうだ。手始めに、その後ろにいる女を殺してみてくださいよ」
そんなリタの心を見透かしたかのような提案に、心臓が凍り付いた感覚になった。
振り返ってレイラを見ると、まだ意識を取り戻す気配はない。
ここで彼女を犠牲にしてでも奴を信頼させた方が、後々有利に事を進められる。
レイラとはクラスメイトだけど、そこまで交流があるわけじゃない。リタが一番大事にすべきはアイリとその周辺の人たち。万が一、今奴の関心がアイリに向かって彼女が危険な目に遭うくらいなら、いっそ、
「――バカか私は!!」
バチンッと、この場に似つかわしくない快音が響いた。リタが自分の両頬を思い切り叩いた音だった。
「気でも狂いましたか」
「気ならこの学校に来る前から狂ってるのかもしれない」
「は?」
「『出でよ土の鎖』」
出現した鎖がリュギダスの両足首を捕まえる。それを確認したリタは、痛む腕を必死に動かし、レイラを背負って走り出した。
「こんなもので私の気が逸らせるとでも?」
「『雷属性初級魔法:フラッシュ』!」
眩い光が辺りに広がる。完全に油断していたらしいリュギダスはその光をモロに受けて、目を覆った。
その隙にリタは出来るだけ早く足を動かし、奴との距離を開く。
細かいことはよく分からないが、いくら奴が魔法を使って認識阻害をしていようとも、ここが試験場内であることに変わりはない。だったら走り続ければ、いつかはこの謎空間の終わりが見えて来るはずだ。
その予想は当たったようで、何分か走った先に、薄っすらと灰色の膜のようなものが見えた。あれが奴の保護魔法か何かだろう。
「『風属性上級魔法:リ・ウィンドエッジ』!」
魔法陣から、巨大な半円状の風の刃が現れる。真っ直ぐ飛んで行ったそれは、シールドにぶつかり消えたが、微かにシールドの一部にひび割れのようなものが出来た。
いくら奴が強いとはいえ、保護魔法まで反則級に強力なものが貼られているわけではないようだ。
「『風属性中級魔法:ウィーギラス』!」
今度は先ほどよりも控えめな風の刃を同じ場所にぶつけると、シールドを一部分だけ破ることが出来た。
魔力を足に込めて蹴りを入れると、さらにその破壊部分を大きくすることが出来た。人一人が通り抜けるには十分な大きさだ。
それを確認したリタは「ごめんレイラ!」と叫びながら、勢いよく彼女の体をシールドの外へと放り投げる。
派手な音と砂埃を立て、地面に投げつけられたレイラは、小さな悲鳴を上げた。
「いっ! たぁ……な、なんですか、ここは……?」
「レイラごめん、細かいこと説明してる暇ない! 誰でもいいから先生に伝えてここまで連れてきて! 不審者が入り込んでるって!」
「は? 何を――」
彼女の返事を待つ暇もなく、リタは急いで踵を返した。
他の生徒たちが周囲にいる中で、この外にリュギダスを出してはいけない。せめて先生たちが事態を把握してここに到着するまでの間は、何としても足止めしなければ。
そう考えながら走っていると、奴はさっきの位置からあまり変わらない場所で待っていた。
「あれ、戻って来るなんて意外ですね。単に彼女を逃がしたかっただけですか?」
「まあね」
「上手く使えばこちらの隙を作れるかもしれなかったのに、利用価値のあるものを自ら逃がすなんて、理解し難いですね」
さっきから、こちらの考えを見透かしたような言葉に気持ちの悪さを覚えつつ、リタは首を振った。
「それも一瞬考えたけど、レイラに何かあったらアイリが傷つくかもしれないから」
リタとレイラの関係性はそれほど深くない。
しかしさっき、不意に思い出してしまったのだ。ウィルやラミオガールズたちと話していた時、アイリが「楽しい」と言っていたことを。
あの言葉に深い意味なんてないかもしれない。けどアイリが少しでも悲しむ可能性があることを、リタがするわけにはいかなかった。
「ああ、あの女ですか……あんなのに絆されるなんて、魔族の風上にもおけませんね」
不愉快そうに歪むリュギダスの顔。
奴は魔族の血が流れている『リタ』には比較的好意的だが、『アイリ』のことは大嫌い――という設定だ。
そう考えると、近頃エミリーとアイリの仲がギクシャクしているように見えたのも、全てこいつが中にいた影響だったんだろう。
「つまり、先ほどの提案は断るという事でいいんですか?」
「うん。私が目指してるのは強い魔法使いであって、悪魔じゃない」
「……たかだか数百年で、随分とまあ腑抜けた血になってしまったものですね」
「残念ながら人にとっての数百年は、たかだかじゃなくて果てしなく長い時間だから」
「そうですか。ならここで死ぬといい」
リュギダスが一歩踏み出した――と思ったら、目の前に金色の髪が見えて、慌てて後ろに下がる。
さっきまでリタの顔があった場所を通過した奴の手が地面に触れた瞬間、黒い炎に包まれる。
それはアイリと初めて会った日に見た、増強剤を飲んだ男が使ったものに似ていた。つまりあれに触れられたらリタの体もドロドロに溶けてしまう可能性があるわけで、なんとも恐ろしい。
「……いや、簡単に殺すのはもったいないですね」
言いながら伸びてきた手が、リタの腕を掴み、そのまま抵抗する間もなく腹部に奴の膝蹴りが飛んできた。
「そうだ。ここにあなたのお友達とやらを連れてきて、一人ずつ目の前で殺していってあげますよ」
「げほっ……趣味悪……」
「誉め言葉ですか?」
笑いながら蹴りを入れられる前に、起き上がってそれをかわす。
「『土属性初級魔法:ティエダ』!」
地面の砂が水しぶきのような形で吹き上がって奴に襲いかかるが、シールドのようなもので全て弾かれた。
「さっきから目くらましの魔法ばかり小賢しい。愚かにも人間を名乗るのなら、正々堂々戦ったらどうですか?」
この分かりやすい挑発に乗って、上級魔法を連発するのは簡単だ。戦いようによっては勝負にもなるかもしれない。
ただそれは出来ない。奴がエミリーの体に取り憑いている限り、倒すどころか、怪我をさせるような魔法を撃つことすら躊躇われる。
「まずはアイリ・フォーニ……あのクズ女からですかね」
「っ……その体で、アイリのことをそんな風に言うな」
「ああ、この肉体と彼女はお友達、ですもんね? ふふ、アイリはどう思うでしょうね? リタ様が私と殺し合ってるのを見たら」
奴はこちらに手の平を向けて、黒い塊を撃ってくる。
「『風属性中級魔法:ウィーギラス』!」
魔法と塊が衝突して、相殺される。
瞬間、少しだけリタの足元がフラついたのは、連続して魔法を撃ったせいだろうか。
自分の残りの魔力量を正確に把握するこは出来ないが、このまま魔法をぶつけ合ったら先に魔力切れを起こすのが自分だということくらいは、馬鹿なリタにも分かる。
「……一つ聞いてもいい?」
「また時間稼ぎですか?」
「やたら私との距離が近くなった時から、ずっとエミーの中にいたの?」
「ずっとではありませんよ。他にやりたい事もあったので、その都度別の肉体にも移動してました。この肉体は私の魂と相性がいいですが……それでも人間の体は脆いので、あまり長く留まると不具合を起こしかねませんし」
リュギダスは何かを思い出したように、突然笑った。自分から話を振っておいてなんだが、気味の悪い奴だ。
「いつかの授業の前、この肉体が話があると言っていた時があるでしょう? あの時は彼女自身でしたから、時折記憶がなくなっている件であなたに相談したかったんでしょうね」
「……」
つまりそれは、あの授業の時リタが無理をして気絶したから、その間にリュギダスが体に戻ってきてしまって、話を聞く機会を逃してしまったということだろうか。
ああ、なんだ本当に全部私のせいじゃないか――とリタは後悔した。
あの時、エミリーの話をきちんと聞いていれば。そもそも彼女の様子がおかしくなった時点で、ちゃんと気を配っていれば。リュギダスの憑依先を特定出来たかもしれないのに。
奴が原作にある魔法が効かないくらい強力な状態で復活してしまったことだって、封印が解けるのが早まったらどうなるかをちゃんと考えれば、その可能性に思い至ることも出来たかもしれないのに。
「…………ダメダメだ、私」
「絶望するのは早いですよ。あなたはこの先、もっと凄惨な光景を目にする事になるんですから」
近付いて来たリュギダスに蹴られ、リタはその場に力なく倒れ込んだ。
「ああ、それと、あなたが待っている教師共が万が一ここに駆けつけたところで、どうにもならないんですよ」
「……どういう意味?」
「この肉体の素敵なところはね、疑いを抱かれにくい立場にいることです。仮に多少疑われたとしても、この国の第一王女に躊躇なく攻撃を仕掛けられる人間は、果たしてどれくらいいるんでしょうね」
「それは……、っ」
頭を踏んづけて地面に押し付けられてしまい、リタは続きの言葉を喋ることが出来なくなった。
「それに、くだらない感情とやら的にも……、あなただってそうでしょう? 機会があったとして、私をこの肉体ごと殺せるんですか? リタ様」
「……」
こちらを見下ろして来るその顔は、確かにリタが大好きな友人のものだ。
王族だからとか関係なく、リタにはエミリーを殺すことなんて出来ない。
例えば目の前にアイリがいて、危害を加えられそうになって初めて手が出せるかどうか、それくらいの強い情を抱いているかもしれない。
――でも、それはあくまでエミリーに対しての話だ。
「『風属性準中級魔法:ウィンインパクト』!」
地面に向かって、強風の魔法を撃つ。風圧でリュギダスは数歩足が動き、その隙にリタは起き上がった。
リュギダスに向かって杖を突きつけると、奴は目を丸くして驚いたような顔をした。
「お前はエミーじゃない。だからお前は私が殺す」
「……へえ? なんだ、腑抜けになったかと思えば、友人を手にかける事くらいなら躊躇わないんですね」
面白い、と言って笑うリュギダスを見て、リタは自分の中の決意を固めながら杖を強く握り締めた。
続く




