【75.休息の後】
「リタ様は、私に近付かれると落ち着きませんか?」
落ち着くか落ち着かないかの二択なら、落ち着かない気持ちの方が強い。
だがこれはエミリー自身がどうというより、王族である彼女と不必要に密着しているのを、万が一誰かに見られたらどうしようという不安から来るものだ。
そんな心配のない場所でなら、むしろ落ち着くのかもしれない。彼女のことは友人として純粋に好きだと感じているから。
「えっと……」
しかし、ここはなんて答えるべきか。
「落ち着かない」と言えば傷つけるだろうし、かといって「落ち着く」と言うのも、恋愛感情としての好意を向けてくれているエミリーにはどうなんだろう。
そこまで思考を巡らせて、ふと目の前のエミリーを見て、先ほどと似た違和感を覚えた。
「エミー」
リタが口を開くのと、『ぐううー』という間抜けな音が鳴り響いたのは、ほぼ同時だった。
それがリタのお腹から鳴ったものだと認識したエミリーは無言でリタから離れて、背を向けた。
その肩が若干震えているように見えるのは、リタの見間違いではないだろう。
「……笑うならいっそ声出して笑ってくれていいんだよ」
「ふふ……すみません……でもお腹が空くのは元気な印ですから、安心しました」
お上品な笑い声と共にこちらを振り向いたエミリーの表情からは、先ほどの違和感は消えていて、雰囲気的にも全てがリセットされてしまったような気分になった。
さっきまでの妙な雰囲気と答えにくい質問からも逃げられたし、結果的にはこれでよかったのかもしれない。ただリタが恥ずかしい思いをしただけで済んだ。
「もしかしてリタ様も、一緒に食堂に行きたかったですか?」
「確かにお腹は空いてるけど……体動かすのがしんどいって気持ちもあって、半々かも」
「それなら、ここに軽食でも持ってきましょうか?」
「いや、そこまでさせるわけには……」
「何をおっしゃいますか! 私とリタ様の仲に遠慮なんて不要です! じゃあ行ってきますね!」
何か言うよりも先に、リタが食べたいものを聞くことも忘れ、飛び出していくエミリー。
遠くなっていく足音を聞きながら、一人室内に残されたリタは、先ほどの妙な空気を思い出し、首を傾げた。
「なんか……やっぱりどこか変な感じがするんだよなぁ」
「エミーのことか」
「うひゃっ!?」
完全に独り言のつもりだった言葉に返事が来たことに驚きすぎて、リタは冗談じゃなく心臓が飛び出そうなほど驚いた。
入口の方を見ると、派手な金色の髪が見えて「またか」と、一瞬ゲンナリする。
「ラミオ様……出来れば突然現れて突然声をかけるのはやめていただけませんか?」
「そうだな。今回は完全に身を潜めていた俺様の方に非がある」
「潜めてたんですか?」
「ああ。もっと直球に言うと、覗き見ていた」
なんて堂々とした覗き見発言なんだろうか。
勝手に見ないでくださいと言いたいところだったが、その文句を忘れるくらいの威厳があるように思えた、何故か。
「よく今、エミー様と鉢合いませんでしたね」
「隠れていたからな。それよりも……その、リタたちは、いつもああいう感じのスキンシップをしてるのか?」
「まあ、最近は……やっぱり距離感変ですよね?」
「ああ……俺様に対しても、小さな頃だってあんな風に密着して来たことはない。むしろ以前はもっと距離があったくらいだ」
ラミオ自身が把握しているのかは分からないが、エミリーは前までラミオのことを恋愛的に好きだった。
そして今はその感情をリタに抱いている。
だとしたらこの差は一体何なのだろう――パッと思いつくのは性別の違いだが、友人間の話ならそれで距離感の違いがあるのは自然なことだが、「好きな人」の場合はどうなんだろうか。
「ただ、妹は昔から同性の友人が少ないところがあってな。俺様たちは立場上、なかなか気を許せる友人を作ることも難しかったし……リタとは色々あったから、信頼している故の甘えなのかもしれない」
「……そうですね」
エミリーが自分のことを恋愛対象として見ているとは流石に言えず、リタはとりあえずその意見に納得したフリをすることにした。
「ところで、ラミオ様もお見舞いに来てくれたんですか?」
「無論。未来のフィアンセに何かあったら大変だからな」
「フィアンセになった覚えはないですけど……」
「なに、未来の話だ。今は気にするな」
本人もこう言ってくれていることだし、遠慮なくスルーさせてもらうことにしよう。
「……そういえばな、リタをここに運んだのはアイリ・フォーニなんだ」
「え、そうなんですか?」
「ああ、先生は授業を中断するわけにもいかなかったからな。決着がついた途端、リタの方に駆け寄って心配そうにしていたぞ。その後も授業には戻ってこなかったから、ずっとそばについていたんだろう」
「そうなんですか……って、もしかしてそれを伝えるためにわざわざ来てくれたんですか?」
ラミオは「うむ」と大仰に頷いた。
「彼女は謙虚なところがあるからな。自分からは言わないだろうから、伝えておいた方が良いかと思った。伝えないままというのも美徳ではあるが……リタの性格を考えると、把握しておきたいかと思ってな」
「ラミオ様って……良い方ですね」
「そう率直に褒めるな、照れる」
全く照れていなさそうな顔をしているが、うんうんと何度も頷く様子を見ていると、照れているのは本当なのかもしれない。
「ところでこれも余計なお世話かもしれないが……あまり無茶するのは良くないぞ」
「すみません、ご心配をおかけして」
「……あの魔法が今のリタの全力なんだな」
「はい。なんかつい、試してみたくなっちゃって……」
「そうか……俺様と同じ年齢で上級魔法を使えるだけで随分驚いたのだが。初めて戦った時から、俺様も自分なりに成長しているつもりだったが……まだまだ遠そうだな。流石俺様の見込んだ人間だ」
満足げなラミオには申し訳ないが、リタのこれは、あくまで『リタ』の才能を借りたものでしかない。
もちろん授業や自主練などを含めれば何もしてこなかったわけではないけど。日々それ以上の鍛錬に励んでいるんであろうラミオから褒められるのは、何だか居心地が悪かった。
「俺様も呑気にしている場合ではないな。リタの無事も確認したことだし、これで失礼することにしよう」
「あ、はい。わざわざありがとうございました」
「ああ。これからも妹と仲良くしてやってくれ」
堂々とした足取りで立ち去っていくラミオを見送ってから、リタは考えた。
いつか校内に潜入して来るであろう組織に備えての心積もりはしていたが、対リュギダスについてはまだだった。
奴の復活は変えられない出来事かもしれないという可能性は考えていたが、まさか入学して三ヶ月足らずでゲームのラスボスが現れるなんてことは、夢にも思わなかったからだ。
「……とにかく頑張ろう」
入学してから、ロクな修行もせずにいた自分を悔やんだって仕方ない。後悔したところで時間が過ぎていくだけなのだから、前向きに対処していくしかない。
目指す最高ラインは、リタ以外の生徒が誰も傷つかず、教師たちに異常事態を認識して対処してもらうこと。
最低ラインは――あまり考えたくないが、とにかくアイリの無事が最優先。
他の誰かを守って行動できる余裕はないかもしれないが、出来る限り尽力したい。
よし、と気合いを入れ直すのと同時に、またも室内に響くお腹の虫の音。
我ながら締まらないなぁと思いつつ、空きっぱなしのお腹をさすりながら、リタはエミリーが戻ってきてくれるのを待った。
◆ ◆ ◆
「あ! アイリー! 次の授業一緒なの!?」
五時限目の授業が行われる教室に入って来るアイリの姿を見つけたリタは、席から立ち上がり、飛ぶような勢いで彼女の方に近付いて行った。
そんなリタを見て、目を丸くして驚いた顔をするアイリ。
「リタ……体、もう大丈夫なの? 今日はもう部屋に戻った方がいいんじゃない?」
「全然! ただの魔力切れだから、いっぱい寝て食べたら元気いっぱいだよ!」
「そういうものなの……?」
「そういうものなの!」
不安そうな顔をするアイリは、恐らく魔力切れを経験したことがないから分からないんだろう。
ただでさえ彼女の魔力量は莫大だし、座学ばかりを学んでいては使う機会もほとんどなかったはずだ。
「こっちこっち、隣座ってよ」
「……なんか久しぶりだね。リタの方から誘ってくれるなんて」
「ま、まあね!」
例の実技の授業の時から、アイリが他の生徒と交友出来るようにと、校内では少し遠慮がちになっていたことは、彼女も流石にもう気付いているはずだ。
しかし今日は相当心配をかけてしまったようだし、きちんと元気であることをアピールしておかないといけない。
「さっきの魔法、すごかったよ。あんなのいつ覚えたの?」
ゲームをしている時です、とは言えず、曖昧に濁しながら先ほどの席に戻る。アイリもその隣に腰を下ろした。
「それより、アイリが私を保健室まで運んでくれたって聞いた。ごめんね、迷惑かけちゃって」
「ううん、全然。……それより先生がちょっと怒ってるように見えたから、そっちの心配した方がいいかも」
「えっ、なんで先生が?」
最上級魔法をぶっ放すのが危険なことは承知していたから、怒られないためにもきちんと事前に確認したはずなのに。
考えて、リタはある可能性に思い至った。
「もしかしてあの魔法で相手の誰かが怪我したりとか……」
「それは大丈夫。先生が保護魔法で防いでたから。それより、魔力切れで倒れちゃったことの方じゃないかな……多分」
「ああ……、今日はHRない日だし、職員室に寄って帰ろうかな……」
「それがいいかも」
ガックリと項垂れるリタを見て、アイリは「あの」と言いかけて、言葉を止めた。
「どうかした?」
「いや……話したいことがあったんだけど、長くなりそうだから、帰ったら聞いてくれる?」
「え……うん」
長くなりそうな話、なんて言われるとお説教の類かと疑ってしまうのだが、何かした覚えはない。
先生にも怒られ、アイリにも怒られることになったら、流石に悲しすぎて泣いてしまうかもしれないと、リタは鬱々とした気持ちになってしまった。
続く




