【71.C対F-2】
彼女たちが分散してまで成したかったのは、恐らくアイリに気を取られたニコロをナタリアの射程範囲に入れることか、エミリーが合流して二対二になる状況を避けること。
真意は分からないが、単にアイリを追いかけるのも彼女たちの思惑通りな気がしたし、実力差のあるアイリと一対一で争うのも避けたい。
要は居場所さえ見失わなければいいのだから、ニコロはアイリを追いかけるのではなく、エミリーと合流するまでの足止めに専念することにした。
アイリの肉体強化にも限度があるから、向かってくる攻撃魔法から走って逃げ切ることは出来ないし、何らかのアクションをとらなくてはいけないはず。
そんなニコロの想定通り、彼女は足を止め、こちらに振り向いた。
「『雷属性準中級魔法:ビーリング』!」
それと同時に、アイリの杖から放たれた魔法でニコロの魔法が相殺される。
「中級を準中でって……つくづく差を痛感させてくれるね」
しかし今優先すべきは、アイリに攻撃を通すことではなくて彼女の足止め。
ニコロは続いて複数の魔法弾を放つ。強い魔法を撃ったところで打ち消されるだけなら、とにかく質より量だ。
しかし魔法弾だけじゃアイリを食い止めることは難しいのか、彼女は軽い身のこなしで避けながら、再びニコロに背を向けて走り始めようとした。
「くっ、やっぱり属性魔法じゃないと……」
アイリを逃がしちゃいけないという焦りからか、ニコロは自分の体のことを失念してしまっていた。
いつの間にか風魔法の影響は弱まり、足が地面に近付いていた。
「『出でよ――」
竜巻を召喚しようと一瞬、自分の足元に視線を移した時だった――何かが迫って来る気配を感じて、ニコロは体を逸らした。
先ほどまで自分の体があった場所を通り過ぎていったのは、見覚えのある矢。ナタリアのものだ。
彼女の弓型魔道具は、あの矢とセットで、矢に魔法を込めて射る。
今飛んできた矢に込められていたのは、恐らく無属性魔法。なので当たったところで、さしたるダメージはない。
それよりも問題は、今の矢がどこから飛んできたのか。
ニコロはとりあえず宙に留まることを諦め、地面に降りて近くの建物に身を隠した。
「……いつの間に」
アイリたちがいた建物の方を伺うと、正面の入り口に弓を構えたナタリアが立っていた。
気にかけていたつもりが、アイリの足止めに気を取られ過ぎて、彼女の射程範囲まで降りてきてしまっていたらしい。
こうなったら、アイリを追いかけている余裕はない。
彼女を見逃すことより、エミリーと合流する前にニコロがナタリアの矢に撃ち抜かれて失格になってしまう方が最悪だ。
ただ、何を考えているか分からないアイリを放置するのは不気味だから、早めにこの場を何とかして後を追いたい。
ナタリア相手に一対一なら、魔道具的に距離さえ詰めればこちらが圧倒的に有利なはず。
「『風属性中級魔法:ウィンドカッター』!」
複数の月形の風がナタリア目掛けて飛んでいく。あれに触れると、刃物で切られたような怪我を負うため、容易には近付けない。
ナタリアの魔法を全て把握しているわけじゃないが、授業で知る限り、彼女は広範囲魔法を得意としていない。だからこういう攻撃に対しての対処は、避けるしかないはずだ。
「くっ……」
想定通り、ナタリアはニコロの魔法をかわすため、その場から駆け出した。
構えられていた弓を下ろした瞬間、魔法弾で追撃を仕掛ける。それを避けるために完全に体勢を崩したナタリアの足元に杖を向け、拘束魔法を発動させた。
短い悲鳴と共に、足の自由を奪われたナタリアがその場に転倒する。
「ったぁ……、……なに? 縛るだけ縛って、最後の一撃はエミリー様任せってこと?」
「この後のことを考えると、あまり魔力は消費出来ないからね」
ニコロは既に二発の中級魔法を撃ってしまっている。
仮に二対一に持ち込めたとしても、相手がアイリである以上、これ以上の魔力消費は避けたい。
「……なるほど、それで拘束も最低限ってわけね」
「ああ。君は近距離戦だと不利だし、魔道具なしの魔法を出した時は対処すればいいだけだから」
とはいえ念のため、手元の自由はニコロ自身の手で押さえつけて封じておこう。
そう思って近づいた時、後ろから足音が聞こえてきた。
振り向くと、こちらに向かって走って来るエミリーの姿。
よし、これでとりあえず二対一だ――と、ニコロは無意識に油断してしまった。
「アイリの幼馴染だっていうのに、甘いわねニコロ!」
「え?」
視線を戻すと、ナタリアは寝そべった状態ながらもなんとか体の向きを変え、手のひらをニコロの方に向け、早口で唱えた。
「『雷属性初級魔法:フラッシュ』!」
魔法陣の中から現れた小さな光の球が瞬時に弾けて、周囲一帯に、目がくらむような強烈な光が放たれる。
雷魔法特有の、目くらましに使われる魔法。物理的なダメージはないものの、この光を間近で見てしまうと、使用者以外はしばらく目を開けることもままならない。
「しまった……」
ナタリアの属性を忘れていたわけではないが、この魔法の存在を失念していた。
ただ、目を開けることが出来ないといっても、所詮はただの強い光。完全に視界が奪われるのは数秒くらいで、本当にただの目くらましの術だ。
その間に出来ることといえば、拘束魔法を破壊して逃げることくらいだろう。
エミリーは、あの位置なら光でこちらの姿は見えなくなっていそうだが、目が開けられないほどの影響は受けていないだろう。
依然としてニコロたちが有利なのは変わらないはず。
「うわっ!? は、なんだ……」
必死に目を開けようとしていたニコロの足元に、上から何かが落ちてきた。
地面で何かが破裂した音――経験則から、それが魔法弾であるのは理解出来たが、一体どこから、誰が。
「『火よ雷よ複合せよ』」
近くで聞こえ始めた詠唱に、ニコロはギョッとした。
この詠唱は、複合魔法だ――書いて字のごとく、複数の属性魔法を合わせて放つ攻撃魔法の一種。
詠唱に時間がかかることと、単独の属性魔法よりも魔力を消費する分それに見合った威力を発揮できる、魔法使いにとっての決め技のようなもの。
だが、ナタリアの魔道具は遠距離専用。対象が遠くにいればいるほど威力を増すため、近距離で決め技を繰り出すメリットは薄い。
ただのやけくそか? それにしてもこのたった数秒で拘束魔法を破壊して弓を構えたのか? そもそもさっきの魔法弾はどうして上から?
ニコロは頭の中で考えながら目をこすり、気合いを入れて、なんとか瞼を開くことが出来た。
「『中級魔法:フレアムスエレキリー』!」
その途端見えたのは、目の前にいるナタリアが弓を射る姿だった。
魔法陣から放たれた炎と雷をまとわせた矢が真っ直ぐに向かった先は――目の前にいるニコロではない。
「しまっ……、エミリー様! そっちに来ます!」
思わず叫んだが、光の影響で視界が狭まっているエミリーに対処しろというのも無理な話だろう。
案の定、ニコロの声に反応したエミリーは詠唱を始めたが、その途中でナタリアの放った一撃が彼女に命中してしまった。
この状況で二対一はまずい……そう思ったのと同時に、ニコロはナタリアの頭部に杖を突きつけた。
「『水属性初級魔法:アーキュン』!」
「いったあぁ……! な、なんですか、今の……」
ダメージ軽減されているとはいえ、複合中級魔法をもろに受けたエミリーは、その場に膝をついた。
痛む腹部を押さえるために腕を動かすと、そこに巻かれていたリボンは既に千切れており、地面に落下した。
『はぁい。エミリー、ナタリア、失格ね』
突如四人のインカムに響くデラン先生の声。
エミリーはナタリアの複合魔法によるダメージで、ナタリアはニコロの初級魔法をぶつけられての失格だった。
リボンは一定のダメージを受けると千切れる仕組みになっているが、その基準は魔法が当たった部位や距離によっても変化する。
ニコロはナタリアに対し、杖の先が触れるほどの至近距離で頭部に向けて魔法を撃ったため、失格に相応のダメージと判断されたのだ。
「女子の頭部を至近距離で撃つなんて、ニコロらしくないわね」
「流石にまた中級魔法を使ったら、これ以降戦える気がしないからね……アイリと」
ニコロが見上げた先は、向かいの建物の屋根の上にいるアイリ。その杖の先は自分たちの方に向けられていた。
「さっきの魔法弾もアイリだったんだね」
「うん」
冷静に考えてみれば単純な話で、あの数秒間でナタリアが体勢を整えて魔道具を構えられたのは、ナタリアの拘束魔法を解いたのが、彼女自身ではなくアイリだったからだ。
ニコロの足元に魔法弾が撃たれたのは、注意を逸らすためか転ばせるためか、どのみちナタリアの複合魔法の邪魔をさせないため。
「そもそもナタリアがフラッシュの直前、大声をあげたのをおかしいと思うべきだったんだね。目くらましの魔法の前にわざわざ声なんてあげたら、僕に意図を気付かれてしまう可能性があるのに……」
あれはニコロへの言葉ではなく、あの位置にいたアイリが魔法の影響を受けないための合図。
ということは、この一連の流れを彼女たちは見越していたのだろうか。
そこまで考えて、ニコロは悔しいと思うのと同時に、エミリーのことを思い出した。
自分の判断ミスのせいでモロに魔法を食らう結果になってしまったが、大丈夫だろうか。
視線を移すと、既に彼女の姿はそこにはなかった。
「あれ? エミリー様は……?」
「ナタリアも同時に消えちゃったから、多分リタイアになったら転移魔法で自動的に外に移動されるんじゃないかな。巻き込まれたら危ないし」
「あ、ほんとだ……」
アイリの方を見ていたせいで、ついさっきまで目の前にいたナタリアがいなくなっていることにも今気が付いた。
誰の目から見ても分かるだろうが、自分でも自覚している、ニコロは今、明らかに動揺している。
そもそもこの戦いは、最初から自分たちのほうが不利だった。
勝てるとしたら、先にナタリアを倒し、一対二に持ち込むことが絶対条件。
格好悪くはあるが、そこから全力でアイリから逃げ延び、タイムアップを待つのがもっとも勝率が高い。それくらいの力量差がある。
今のんきに話しているこの瞬間だって、アイリがその気になれば終わらせることが出来るはずなのだ。
「……」
未だその位置から動かないアイリの方に再び目を向けると、彼女はにこりと微笑んだ。
ニコロは生まれて初めて、アイリの笑顔を見てなんとも言えない気持ちになってしまった。
* * *
「うわぁー……す、すごい! すごい、ナタリア! 複合魔法、すごいよすごい!」
親友の活躍に興奮し過ぎたのか、すっかり語彙力を失ってはしゃぐミシャを見て、リタは微笑ましい気持ちになった。
確かに複合魔法を実戦形式の授業で見られるとは思っていなかったので、素直にすごい。
彼女たちの音声はこちらには分からないが、アイリは建物から出る前にナタリアと何かを話し合っていた。フラッシュの際にちゃんとアイリが目を瞑っていたことから考えても、あの状況は概ね二人の作戦通りなんだろう。
人に攻撃魔法を撃てる自信がないアイリが一番避けたかったのは、恐らく二対二でぶつかりあうこと。
アイリが相手にトドメをさすことが出来なかった場合、よほど上手くサポートしたとしても、遠距離派のナタリアにニコロとエミリーを倒してもらうことは難しい。となると、アイリ的には自分たちが二の状態で、一人ずつ仕留めたかったはず。
しかしニコロは馬鹿じゃないから、無策で二人の元に突っ込んでくることはない。特にナタリアがいると分かっている以上、距離をとってエミリーの合流を待つ可能性が高い。
だから今後の脅威となるアイリが飛び出していくことで、ニコロの気を引いた。
その隙にナタリアが攻撃を仕掛け、今度はナタリアがニコロの気を引く。
ナタリアの射程範囲内に降りてしまった以上、それを無視することが出来ないニコロは、一旦アイリからナタリアへと標的を移した。
その間に、アイリはニコロにバレないように来た道を戻り、近くの屋根に登っていた。
「いやー……それにしても、豪快な登り方だった」
建物に向かって高く飛び跳ねたと思ったら、ボルダリングでもしているかのように、何かしらを掴んでよじ登っていく姿は、普段のアイリからは想像も出来ないほどワイルドだった。
ああいう、可愛いのにカッコいいところもあるギャップが堪らないんだよなぁと、思わずオタク心をくすぐられるリタ。
もちろんニコロたちも色々考えて行動していたんだろうけど、アイリが戻って来ることは予想外だったようだ。
「うううぅ……」
呻き声をあげながらデラン先生の前に突然姿を現したのは、先ほどまで試験場の中にいたエミリーだ。
恐らくこの後の戦いに巻き込まれないように先生が転移させたんだろう。
校内全域に転移魔法が設置されているので、校内間の移動は自由自在らしい――決闘の際の転移も含めてどういう仕組みになっているのか、リタはイマイチ分かっていない。
「あー……いたた」
エミリーの隣にはナタリアの姿もあり、彼女もエミリーほどではないが、ニコロに至近距離で撃たれた頭部を痛そうにさすっている。
「な、ナタリア! 大丈夫!?」
「あ、ちょっとミシャ」
ミシャがすごい勢いで走り出したものだから、リタもついその後についていってしまった。
幸いにも他の生徒たちはアイリとニコロの戦いに夢中なようで、難なく二人の元に駆け寄ることが出来た。
「痛い? 大丈夫? 頭揺れてる?」
「いや、大丈夫。近かったとはいえ初級魔法だったし、ちょっとコブが出来た程度だから」
「そっか……よかった……。す、すごかったよ、さっきの魔法! ずっと練習してたもんね!」
「まさかこんなに早く披露出来るとは思わなかったけどね」
キャッキャッとはしゃぐ二人。その姿は楽しそうでなんともまあ可愛らしいのだが。
リタはその隣にいるエミリーを見て、なんと声をかけたらいいものか少し迷った。が、今更変な気を使うような関係でもない。
その場にしゃがみ込み、彼女がさっきからずっと腹部に添えている手の上に触れる。その際、ビクっと彼女の肩が跳ねた。
「エミー?」
「あ、や、そ、その……人に触られるのは、あまり慣れてないので」
「え?」
確かに王族相手に簡単にスキンシップを取れる相手もそういないだろうけど、ここ最近のエミリーの行動を思い出すと、不思議な反応だった。戦った直後だから、色々混乱しているんだろうか。
「大丈夫?」
「…………へいき、です」
リボンによってダメージが軽減されているといっても、複合の中級魔法がモロに直撃したのだ。大きな怪我になることはないだろうが、痛くないわけがない。
顔色も悪い中、バレバレの嘘を吐くのはプライドなのか、別の何かなのか。
「……またリタ様にカッコ悪いところを見せてしまいましたね」
「いや、さっきのは私でも嫌なタイミングだったよ。エミーからだと、何が起こったか何も分からなかったでしょ」
「……気が付いたら、光の中から矢が飛んできてました」
何が起こってるか分からないながらも、ニコロの掛け声で対処しようとはしていたが、流石に矢のスピードに詠唱のスピードが敵うわけはなくって感じだった。
あれは実力云々よりも、アイリたちの作戦、あるいは運勝ちだ。
「……」
正直、リタもアイリたちの戦いの続きが気になって仕方ないのだが、しょんぼりした顔をするエミリーを放っておくことも出来なかった。
「魔道具、新しいのにしたんだね」
「気付いてくれてたんですね。……リタ様のことだから、私の武器になんて興味ないと思ってました」
「う……そ、そんなことないよ! というかエミーだけに限った話じゃなくて、私、基本的に人のことあんまり見てないから……」
「まあ、リタ様の目には大事な大事なアイリしか映りませんもんね」
言葉の節々から嫌味のようなものを感じるが、言ってることは事実なので、何も言い返すことは出来ない。
「……なんて、嘘です、ごめんなさい。手も足も出ないどころか、合流すら出来ないままやられたので、八つ当たりしちゃいました」
「次はエミーが魔法ぶっ放すの見るの、楽しみにしてるよ」
「ご期待に沿えるように精進します! ……ところでナタリア」
「はい」
「ひぇっ……」
何故か名指しされたナタリアよりも怯えた反応をするミシャ。そういえば彼女はまだエミリー(王族)と話すのを恐れているんだった。
「素晴らしい魔法でした」
「あ……ありがとうございます。不意打ちみたいになって、申し訳ない」
「何言ってるんですか。実戦形式の授業なんですから、むしろ不意打ちが成功したことを誇るべきです」
エミリーは思ったより引きずっていないようで、リタは安心した。
なので、さっきから気になりすぎているアイリとニコロの戦いの続きを見るべく、他の生徒たちの方に移動した。
続く




