【63.幽霊騒動-1】
「ごめんリタ……私ちょっと魔法の練習してから帰るから、先に帰っててくれるかな」
「うん」
付き合おうか? と言う間もなく、駆け出して行ってしまったアイリ。
来る授業のために魔法の威力のコントロールを練習をしているんだろう真面目なアイリを見習って、リタも自分に出来ることをしようと教室を後にした。
職員室に向かう途中で、目的の人物を見つけることが出来たので、声をかけながら早足で近づく。
「デラン先生!」
「んー? あ、リタ、なになに? また何か質問?」
「はい……あの、期末試験のことなんですけど」
「あ、もちろん内容は教えられないよぉ」
もう既に他の先生たちのお喋りにより、一部の生徒に内容がバレていることは、先生は知らなさそうだった。
「内容じゃなくて……試験の時って理事長先生は立ち会われるんですか?」
「理事長? それがねぇ……本来は立ち会う予定だったんだけど、急遽外せない用事が入っちゃったらしくて」
「そうですか……」
薄々察してはいたが、先生から言われたことで確信に変わってしまい、どうしても不安になる。
強敵と戦う時は必ず不在の理事長――もうこれも変えられない事象の一つだと思った方がいいかもしれない。
「……大丈夫? なんだか顔色悪いけど……理事長に何か話があったとか?」
「いえ……あの、理事長がいないなら、期末試験の予定も延期したりとかって……ないですか?」
「今までも理事長が立ち会えないことは何度かあったから、延期はないよ。もしかして期末試験、自信ないの?」
「まあ、はい……私、アイリと違ってあんまり成績よくないんで」
「そんなことないよぉ。リタはどの授業の成績も低くないし、自信持って!」
「はい……」
励ましてくれる先生には申し訳ないが、リタの不安は増すばかりだった。
「リタ、ちょっといい?」
「あ、ニコロ」
先生と別れてトボトボと廊下を歩いていたリタは、後ろから呼び止められ、小さく手招きされた。
周囲には彼一人なところを見るに、人には聞かれたくない話なんだろうか。
「どうしたの? ……なにそのバッグ?」
「これについては今は触れないでほしい」
言いながら、ニコロは手に持っていたショルダーバッグを肩にかけた。
「噂になってる幽霊の件で話があるんだ」
優等生なニコロが大真面目な顔で「幽霊」なんて言う姿は、なかなかシュールだった。
「例の黒い霧の?」
「そう。この後、時間ある? ちょっとついてきてもらえるかな?」
「いいけど……」
リタは承諾して、目的が分からないままニコロの隣を歩き始めた。
歩きつつ、ニコロは先ほどの話を再開させる。
「リタたちと話した後、ちょっと気になって調べてみたんだけど……幽霊の正体は、やっぱり生徒の可能性が高いんじゃないかなって思ったんだ」
「私もそう思ってるよ。幽霊なんているわけないし……不審者っていうのも、場所が場所だけに考えにくいし」
いくら理事長不在な状況とはいえ、エクテッドは世界有数の魔法学校。並大抵の悪党は、相当な事情がない限り不法侵入しようとすら思わないだろう。
本編に出て来た組織のような、悪魔を使って世界征服――なんて野望を持った連中でもない限りは。
「でも生徒だとしたら、夜中にわざわざ校舎に忍び込むなんて、どうしてだと思う?」
「そりゃ色々あるんじゃ……? 何か大事なものを校内に忘れたとか。それか本当はその場に複数人いて、単なる肝試しの途中だったとか」
「なるほど」
聞かれたのでそれっぽい返しをしてみたが、リタの中でその幽霊はリュギダスの仕業だと思っているため、これはほぼ無意味な議論だ。
「ちなみにリタは実験室に行ったことある?」
「うん、一回だけだけど」
「僕も昨日行って来たんだ。先生に聞いたんだけど、試験前はその勉強に専念したい人が多いらしくて、例年この時期は利用者が少ないんだって」
そもそもあの場所自体、普段からそんなに人気な場所でもない気がする。
独自に実験が出来るのは良いが、材料などは自分で調達するか先生の許可が必要で手間だし、そうまでして実験したい生徒はあまり多くないだろう。
「あと、既に把握してるだろうけど、実験室はもうすぐ、しばらくの間閉鎖されるんだ」
「えっ、そうなの?」
素で驚いた顔のリタを見て、ニコロは呆れたように目を細めた。
「……リタ、君HRでデラン先生の話の時、聞いてないのかい?」
「た、たまにね。なんか最近、どうしても眠い時があって……」
「先生が言うには、校内で記憶をいじる魔法薬を作ってる人がいるかもしれないから、その痕跡が実験室に残っていないか調べるんだって」
「あー……」
それは間違いなく、リュギダスが憑依して記憶を失ってしまった件が影響しているんだろう。
ちゃんとこっちで対応する、という先生の言葉は、あの場を誤魔化すための嘘ではなかったらしい。
「で、閉鎖されるのは明日なんだけど……直近の利用者はズボラな人だったんだろうね。もしくは帰り際に相当急いでいたのか……これが机に置いてあった」
言いながらニコロは、制服のポケットから取り出した物を見せてきた。ハンカチに包まれたそれは、綺麗なピンク色の石だった。
「……これは?」
「『催淫の石』の一部」
「え!?」
答えつつ、ハンカチに包みなおして、ポケットに石を戻すニコロ。
「……あ、だからそうやって包んでるんだね」
魔法石の一種『催淫の石』は、名前の通り、性的な興奮を高める代物。直接肌で触れてしまうだけでその効果が発揮される。
しかし通常は削って魔法薬の材料にして使うものなので、実験室に落ちてあったとしてもそこまでおかしな代物ではないはずだが。
「誰かがこれを使った魔法薬でも作ってたんじゃないの?」
「でも、これを元に作られる魔法薬なんて、大抵が違法薬物だよ」
「あ、そうなんだ」
あいにく、リタは魔法石やら魔法薬やらにはそこまで詳しくない。何故ならゲームで掘り下げもなく、設定資料集などにも詳しい記載のない範囲だから。
でも言われてみれば確かに、性的な興奮を高める魔法石で作られる薬なんて、用途を想像すれば禁止されるのも分かる気がする。
「だから学校にもこの石は置かれていないんだ。つまり、わざわざ誰かが持ち込んでまで調合していた」
「……と、なると?」
「相当疚しいものを作ろうとしている、としか思えない」
「まあ、そうだろうけど……。でも何でいきなりこんな話を?」
「これがさっきの幽霊騒動の話に繋がるんだよ。例の幽霊は、えんじ色のローブを羽織っていたって話だろ? それって、暗くて遠かったからえんじ色に見えただけで、実際は黒色の制服にピンク色がかかったんじゃないかな」
「ピンク?」
リタが首を傾げると同時に、ニコロの足は止まった。見ると、そこは図書室の前だった。
中に入ると、数人の生徒たちが大人しく自習やら調べものやらに励んでいる。
彼らの邪魔にならないように、音を立てないようにニコロの後についていくと、彼はある本棚の前で立ち止まった。そこから一冊の本を抜き取り、開いて見せてくる。
「ここに書いてある媚薬を調合する時の手順。何が原因かは知らないけど、正しく作ると、最後は爆発が起きるらしいんだ」
「えー……危ないね」
「爆発といっても、煙が何らかの作用で大量に発生して起こるもので、肉体的な被害はないみたいなんだけど……ほら、ここ」
ニコロの指さした先には、媚薬の調合方法が記されている。
その最後の手順のところに注意書きのように小さく「その煙は『催淫の石』の色と同じ綺麗なピンク色で、浴びると衣類に付着してしまう」と書かれていた。
「……つまり、その幽霊だって言われてる人は、夜中の校舎に忍び込んでわざわざ媚薬を作ってたんじゃないかってこと?」
「そう」
ちなみに媚薬は魔法薬の一種だが、特になんの捻りもなく名前通りの代物で、使用した者の性的興奮を高める効果がある。
「……そんなこと、普通する?」
「僕ならしない。けど……そこまでして媚薬やその類を手に入れたい人間がいる可能性は否定出来ない」
「でも、わざわざ夜中にしなくたって、昼間にすればよくない?」
「最後の爆発はどうしても防ぎようがないから、それを誰にも見られたくなかったとか」
「えー……」
そんなことありえるんだろうか。確かに媚薬を作っているなんて周囲に知られるのは嫌だろうけど、そのために校則違反まで犯すなんて、それがバレた時の方が大変そうだ。
それに、リタ的には例の幽霊の正体はリュギダスだと思っているので、奴がのんきに媚薬作りなんてするはずがない。
「……あ、でもよく考えるとこの騒動ってゲームにはないのか」
「え? ゲーム?」
「ご、ごめん、こっちの話」
ゲーム内でリュギダスの仕業だと確定している行為は、地下室の鍵を開けることだけ。
夜中の校舎に忍び込んだりなんて、イベントはおろか作中のどこにも明記されていない。
ただ、もうこの世界は全てがゲーム通りというわけではないし、リュギダスがゲームではしていない行動をしている可能性だって十分ある。
「……リタは、媚薬が基本的にどんな場合に使用されるか分かるかい?」
「それは……恋人同士のそういう行為の時とか」
「もちろんそれもある。身体の事情で、媚薬を用いないとそういう行為が出来ない人もいるからこそ、媚薬自体は違法薬物には指定されていない」
それにしても、ニコロがあまりに真面目な顔して話すものだから、リタもつい真面目に回答しているが、学校の図書室で話すような内容だろうかこれは。
「でもそれよりも多い用途は、強姦だと思う」
「ごっ!? そ、そうなの?」
自分は本当に図書室でなんの話をしているのか。
相手が平然と話してくるものだから、リタは徐々に、動揺する自分の方がおかしいんじゃないかという気分になってきた。
「恐らくね。実際、どんな町でもその手の事件は起こっているし……リタも新聞とかで見たことない?」
「まあ……確かに」
実際、その手の事件は新聞によく載っていたし、両親からも気を付けるよう言い聞かされていた。
どの世界でも、三大欲求の一つであるそれに抗えず、罪に手を染めてまで求める人間が多いらしい。
「媚薬を使えば、少なくともその一瞬は相手が暴れずに言うことを聞いてくれるようになるんだから、都合も良いだろうしね」
「そういえばこの手の事件が増えすぎて、一部の都市では媚薬も違法薬物認定すべきじゃないかって議論されてたりするらしいね」
「そう。つまり媚薬は危険なんだ……いや、媚薬がというより、それを悪事に使おうとする人間が危険なんだ」
「うん。……それで?」
「校内にないはずの『催淫の石』が実験室で見つかったってことは、そんな人間が校内にいるかもしれないってことだよ」
「んー……でも、まだ違法薬物ってわけでもないし、双方合意の元とかで使うなら問題ないわけだし」
「甘いよリタ。この魔法石から作り出されたのが媚薬なら、遥かにマシなんだ。もしも惚れ薬とかだったら?」
惚れ薬も、リタでも知っているくらいメジャーな魔法薬だ。
こちらも効果は名称のままで、飲ませた相手に恋心を抱かせることが出来る。その持続時間は作り方によってさまざまだが、配合量によっては永遠に惚れさせることも可能。
もちろん危険な代物すぎるので、ほとんどの場所で違法薬物に指定されており、この国では所持や使用はおろか、調合するのも無許可だと違法となる。
「でも惚れ薬の作り方が書いてある本なんて、学校には置いてないでしょ?」
「もちろん。ただ町にある図書館には普通に置いてあるし、最後の煙が爆発する下りも『催淫の石』の特徴だから、一緒なんだ」
「確かに惚れ薬なら、夜中にこっそり作るのも分からなくはないけど……」
それにここの生徒たちは、学校の性質上、上流階級の人間が多い。
そんな相手と婚姻を結ぶために、惚れ薬を使って無理やり――というのも、考えられない話ではない。
「でもどっちにしろ、バレた時のリスクの方が高くない?」
「まあ確かに……でも、バレなきゃ問題ないって考える人は割と多いよ。それに、警備員さんに話しかけられそうになって逃げたってことは、相当疚しいことをしてたと思うんだ」
今度はリタの方が「確かに」と頷いて、しかしこの件に関してどうしても拭えない疑問があったので、聞いてみることにした。
続く




