【61.後悔】
エミリーの部屋で過ごした後、そろそろお腹が空いてきたリタの提案で、二人は食堂に行くことにした。
廊下に出て扉を閉めるエミリーに、リタは自分の部屋がある方向を指さしながら訊ねる。
「アイリも呼んできていい?」
「はい。私は先に行って席を取っておきますね」
「うん、ありがとう」
短いやりとりをかわしてエミリーと別れたリタは、自分の部屋に向かう途中で、見知った少女と鉢合わせた。
「あ……り、リタ、こんばんは」
相変わらず弱々しそうな佇まいで挨拶してきたのは、クラスメイトのミシャだった。
それにしてもこの学校に来て「こんばんは」という挨拶を受けたのは初めてで、何だか新鮮な気持ちになった。
「こんばんは。ミシャもこれから食堂? ナタリアは?」
「今日は期末試験のために部屋で勉強に集中したいから、夕飯は後で食べるんだって」
「へー……真面目だねぇ」
リタも本来なら見習いたいところだが、期末試験そのものよりも、そこに襲来するかもしれない悪魔を何とかするのに必死で、そんな場合じゃないのが残念だ。
「あ、じゃあさ、今日こそ一緒にご飯食べない? アイリとエミーも一緒なんだけど」
「ま、まだちょっと、恐れ多いかな……」
「そっか……じゃあ、またナタリアと一緒の時にでも」
「ごめんね……」
「いや全然」
しょんぼりとした顔のミシャを励ますように手を振って別れ、今度こそ自室へ辿り着いたリタは、一応ノックをしてから扉を開けた。
勉強中だったらしいアイリが、顔を上げてリタの方を見る。
「おかえり」
「ただいまー。からの、ご飯食べにいこ。エミーが先に食堂で待っててくれてるから」
「うん。エミーと一緒だったの?」
「あ……うん。用事終わりにたまたま会って」
「そっか。帰りが遅いから心配してたんだよ」
「アイリは勉強中だったの?」
「勉強というか……図書室で借りてきたものを読んでるの」
掲げて見せてくれたのは、魔法の制御について書かれた本だった。タイトルに「子供でもわかる!」と書いてある辺り、アイリの必死さを感じさせられる。
他にも数冊魔法についての本を借りてきたようで、リタはなんとなく手に取って開いてみた。
そこには属性魔法について書かれてあり、有名な五属性魔法はもちろんのこと、光属性、闇属性のことについても少しだけ触れられていた。
……それにしても、闇属性魔法は相手の魂を抜き取ったり、体の動きを封じたり、命を奪ったり、やたら物騒なものが多いのは、魔族発祥の魔法だからだろうか。
「アイリ、頑張ってるんだね」
「うん。もうすぐ火曜日だから」
「え? なにかあったっけ?」
「忘れちゃったの? デラン先生がこの間のHRで言ってたでしょ。クラスで模擬戦するって」
「えぇ!?」
派手に驚いたリタを見て、アイリはすっと目を細めた。
「もしかして聞いてなかったの?」
「い、いや、なんか疲れてるのか、最近気が付いたらボーッとしてることが多くて……もしかしたら寝てたかも」
「ちゃんと体調管理には気を付けないとダメだよ」
確かに、頭の中をリュギダスでいっぱいにし過ぎて、学校生活に支障をきたすのはよくないかもしれない。
――とはいえ、奴を何とかしない限り、学校生活どころか学校や人類ごと滅びる可能性もあるから恐ろしい。
部屋を出て、アイリと並んで廊下を歩きながら、リタはついさっきその存在を知った模擬戦のことを考えた。
ゲームでも授業風景は何度か描写されているが、大抵「こういう授業があった」という感じの文章のみで軽く流されていたので、詳細は分からない。
「模擬戦ってなにするんだろう」
「さあ? 詳しいことは当日に説明するって言ってたから。……対人戦かな」
「うーん……魔物相手の可能性もある気がするけど」
「魔物ならまだ……」
そういえば、この学校では授業や試験用に様々な魔物を飼っているらしいが、未だお目にかかったことはない。
一体どんな感じで飼育されているんだろう、なんて話をアイリとしている間に、食堂についていた。
約束通り先に席を取ってくれていたエミリーにお礼を言いつつ、隣に揃って腰を下ろす。
「あ、今日ハンバーグだ、ラッキー」
リタはるんるん気分で取り皿を用意し、大皿に乗っけられていた大量のハンバーグの中から、二個を自分の皿に移動させた。
「お肉もいいけど、ちゃんとお野菜も食べないとダメだよ」
「はーい!」
なんて元気よく答えつつも、他のものには目もくれずハンバーグにかぶりつくリタを見て、アイリはなんとも言えない顔をしながら、サラダを取り分けた。さりげなくリタの分も。
「そういえばエミーは知ってた? 模擬戦のこと」
「火曜日のですか? 知ってたも何も、先生が言ってたじゃないですか」
「……なるほどね」
HR中に眠ったりぼんやりしている不真面目な生徒なんて、リタだけであると。恐らくニコロやラミオに聞いても同じなんだろうな、と切ない気持ちになった。
「その模擬戦、エミーはどんな内容だと思う?」
「んー、あくまで予想ですけど、対人戦じゃないですかね」
「そっかぁ……」
エミリーの悪気の無い答えに、自分で聞いておきながら、アイリは分かりやすいくらい落ち込んでしまった。
「自分が怪我する可能性が低い分、魔物相手よりマシじゃありませんか?」
「私は……逆に相手に怪我をさせちゃう心配があるから、魔物相手の方が気が楽かな」
「つまり、魔物には怪我をさせても構わないと?」
「そ、そういう意味じゃなくて……いや、そういう意味になるのかな……」
まあ魔物にとっては可哀想な話だが、人よりも魔物の方が傷つけても罪悪感が薄いのは、大多数の人間がそうだと思う。
そもそも大抵の魔物は人より頑丈な体をしているので、アイリの魔法を受けて大怪我をする可能性も低い。
「……アイリは対人戦が苦手なんですか?」
「得意ではないかな……」
「へえ」
なんだか含みのあるエミリーの答えに、リタは例の実技授業の時の自作自演の件を思い出されたのかもしれないと、少し不安になった。
アイリが人に向かって魔法が撃てないことは、まだ周囲には隠せていると思うが、エミリーは薄々気付き始めている気がする。まあ彼女なら、バレたところで言いふらしたりはしないだろうけど。
「そんなアイリには悪いですが、私は次の模擬戦はチームで何かをするんじゃないかと予想しています」
「チームで? なんでまた?」
「期末試験の事前練習的な感じにもなるじゃないですか」
「あー……」
妙に説得力のあるエミリーの推測に、リタは「確かにそうかも」と思った。
アイリは微妙な表情をしていたが、期末試験が集団で行われることは――ゲーム通りだと考えると――ほぼ確定なので、その前に少しでも彼女の苦手を克服できる機会があるのは幸いなことだと思った。
◆ ◆ ◆
翌日、アイリたちに「職員室に用がある」と言って別れたリタは、念のため理事長室をノックしてみたが、相変わらず反応はない。どうやらまだ学校に戻ってきていないらしい。
仕方なく教室に向かうが、廊下を歩いている最中、校内の雰囲気がいつもと違うことに気が付いた。
昨日までは、地下室の件で警戒していた教師たちが慌ただしく動いていたり、生徒がそれを見てヒソヒソしていたりしたが、今朝はそういう光景を見かけない。
もしかして何か別の問題が起こったりとか——という心配は、すぐに解消された。
「あ……おはよう、リタ」
「おはよー、ミシャ」
教室の出入り口でたまたま鉢合わせたミシャの遠慮がちな挨拶に返し、そのついでに教師たちのことを尋ねると、あっさりとその答えをもらえた。
「あのね、地下室の件の犯人が見つかったんだって」
「え!? 誰だったの?」
「先生の内の一人だったって……誰かまでは分からないけど」
「そうなんだ……」
これはゲームにはない展開だったので、リタは少し戸惑った。
ゲームではラストバトルの際にリュギダスが自白するだけで、実際に誰かが捕まったりはしない。
だがまあ鍵は職員室に保管されていたわけだから、教師に取り憑いている時に盗んだ、というのが一番納得できる結果ではある。
「それにしても、よく見つかったね」
「少し前から騎士団の協力が入ってたらしいから……そのおかげじゃないかって」
多忙のためか平和ボケのためか、対応を後回しにしていた騎士団も、ようやく重い腰を上げてくれたらしい。
「その犯人だった先生ってどうなったの?」
「多分だけど……今は騎士団の人が取り調べてる最中なんじゃないかな。理事長先生が帰って来たら、先生も含めて動機とかを聞き出す予定だって……クラスの子が噂してた」
「なるほど……」
理事長が対応すれば、犯人の記憶がないことと地下室という場所から、リュギダスの仕業だと気付いてくれるかもしれない――が、彼が戻ってくるのは一体いつになるのか。
この世界には、いわゆる転移魔法は存在するものの、魔法陣を用いなくてはいけない。
二つの魔法陣をリンクさせることで、上に乗るだけで一瞬で移動できるのだが、移動可能な距離は限られているし、魔法陣を設置するには国の許可が必要で、設置数もそう多くない。
そのため長距離の移動手段は、前世で言うところの電車である魔導列車や、魔船と呼ばれる空を飛ぶ船のようなものが主で、移動にかかる時間も前世とそう変わらない。
とてもじゃないが、もうすぐやってくる期末試験――と、恐らく同時に襲って来るであろうリュギダスに間に合うとは思えない。
「絶望的だ……」
「え? 犯人が見つかったのに?」
「あっいや、こっちの話。教えてくれてありがとう」
ミシャにお礼を言って教室の中へ入ると、入室と同時に腕を強く引っ張られ、危うくこけそうになった。
「な、なに……って、なんだ、ウィルか」
「リタ! 分かったぞ!」
「地下室の件で先生が捕まったこと?」
「違う! そんなこと俺にはどうでもいい!」
興奮しているのがよく分かる声音でまくし立てて来るウィル。
彼にしては珍しくハイテンションで、一刻も早く用件を言いたいという感じだが、小声なところを見るに、周囲に聞かれたい話ではないのだろう。
「……もしかして例の魔導書のこと?」
「そう!」
一応小声で返すと、うんうんと頷いたウィルは、小さな紙切れのようなものを手渡してきた。
「君に頼まれていたものだが……まさか本当に存在するとは思わなかったよ。俺が翻訳したものだから正確かは分からないが……この魔法がもしも実現できるなら、これは世紀の大発見だ!」
ウィルが翻訳した文字に目を通すと、それはゲーム内のとあるルートの最後で使用される魔法と同じもの。
彼に魔導書を渡す際にお願いしたのは、この魔法が魔導書に記されているかどうか確認してほしい。記載されていた場合は翻訳して教えてほしい、というものだった。
「そっか……」
「なんだ、随分と冷静だな」
「いや、あの魔導書にはそれくらいの魔法が記されててもおかしくないって思ってたから……えっと、これ、貰ってもいい?」
「ああ、そもそも君に頼まれたから優先的に探していたんだからな。ただ、くれぐれも紛失したりしないでくれよ」
「うん……ありがとう」
きちんとリタの願いを叶えてくれたことを鑑みると、今のウィルの中には確実にリュギダスはいないはず。そう思い、聞いてみることにした。
「あの……この間の流星群の日の夜って、外に出た?」
「流星群? 興味がないから正確な日にちは分からないが……俺はよく夜に外出してるよ。今のところバレてないが、門限破り常習犯だ」
「そっか……」
つまり、アイリやニコロが言っていた通り、夜中に出歩くウィルの行動はただの彼の習慣の一つで、リュギダスとは無関係ということだ。
「結局ただの疑心暗鬼だったのか……」
「何がだ?」
「いや……踏んだり蹴ったりだなって……」
「……俺もよく変わり者だと言われるが、リタもなかなかよく分からないことを言うな」
リュギダスの居所なんて最初から推理できるものじゃないと分かってはいたけど。
誰がリュギダスに取り憑かれているのかの見当もつかない。肝心の襲ってくる当日が誰になるのかも分からない。理事長が帰ってくる気配もない。それなのに試験の日は迫ってくる。
今更ながら、リュギダスの復活イベントはゲーム通りだろうと――少なくとも組織の連中が登場するまでは絶対に起こらないだろうと思い込み、一年生時はそこまで警戒しなくていいと呑気にしていた過去の自分を悔いた。
続く




