【55.好きの理由】
どうやらアイリは本気で宿題を始めるつもりらしく、自分の鞄からノートとペンを取り出した。
この宿題の提出はまだ先だし、今のリタは勉強をする気分じゃない。
かといって、アイリが頑張っている横でくつろぐわけにもいかないし、どうしようかと考えていたら、アイリが「あ」と声を上げた。何だか若干、わざとらしく感じられる声だった。
「そうだ……えっと、誰か他に呼びたい人とか、いる?」
「他に? 私は特にいないけど」
「……エミーは?」
「あー……」
確かにエミリーを誘えば、喜んでついて来てくれるだろう。
だが万が一バレた時のことを考えると、彼女を巻き込むのは気が引ける。
リタたちは一度の注意くらいなんともないが、彼女の事情を考えると、一度の失敗でも実家に連れ戻される危険があるから。
「エミーはお家が厳しいから、今回はやめといた方がいいかも。そういうアイリの方は誰かいる? あ、ニコロとか呼ぶ?」
「夜中に男子寮まで行くのはちょっと……、……二人でも大丈夫?」
「全然大丈夫!」
むしろリタとしては嬉しいまである。
推しと二人きりで星を見れるなんて幸せ過ぎるのでは?とか考えつつ、リタも宿題に必要な道具を鞄の中から取り出した。
それから無言で手を進め、お互いキリのいいところまで宿題を進めたあたりで時計を確認すると、時刻は八時半を迎えていた。ちょうどいい頃合いなので、机に散らばった道具を片付ける。
静かに扉を開けると、薄暗い廊下には誰の姿も見えなかった。門限を守っている真面目な生徒たちはもちろんのこと、いつもなら見回りをしているはずの寮母の姿もない。
「大丈夫そう。行こっか」
頷いたアイリと共に廊下に出て、そっと扉を閉める。
足音を忍ばせながら静まり返った廊下を歩いていく。
静かで真っ暗な空間をただ歩くというこの状況が、何だか肝試しやお化け屋敷を彷彿とさせて、落ち着かない気持ちになっていく。
「……あ、アイリは暗いとことか平気? あと、幽霊、とか」
小声で尋ねると、アイリは迷いもせずに答えた。
「暗いのはむしろ得意な方かも。田舎育ちだから、夜になったらいつも真っ暗だったし。幽霊は……会ったことないから、特に何の感情もないかな」
「へ、へー」
ゲームにはない情報だったので初めて知ったが、女の子なのに暗闇も心霊もヘッチャラだなんてギャップ萌え——いや、でもアイリは可愛いと同じくらいカッコいい要素もあるから、むしろしっくりくるかもしれない。
そんな頼もしいアイリと比べて、リタは暗いところも心霊の類も苦手だ。
何故なら単純に暗闇に慣れていないから。前世も今も割と栄えた町で暮らしていたため、家の近所には当たり前のように街灯があったし、月明かりを頼りに夜道を歩いたことなんてほぼない。
「……もしかして怖いの?」
「…………ちょっとだけね」
「リタにも怖いものがあるんだ」
「そりゃあるよ……むしろ多いほうだと思うけど」
「そうなんだ。なんか、なんでも出来るイメージだったかも」
「まあ、アイリの前では結構カッコつけてるからね……」
「なんで?」
「なんでって……」
好きな子にはよく思われたいから、とか言ったら気持ち悪がられるかな? でも、友達同士で好きって言うのはおかしなことじゃないよね? 特に女の子同士なら言い合ったりもするよね? それはこの世界も変わらないよね? ああ、この世界で出来た友達の数が少なすぎて全然分かんない……けど、好きくらいセーフだよね? いやでも友達によく思われたいからカッコつけてるとかシンプルにダサいって思われるか?
答えの出ない問いが、リタの脳内でぐるぐるした。
暗闇への恐怖のせいですっかり忘れているが、リタは普段からアイリに気軽に「好き好き」言っているので、こんなこと今更悩むようなことではない。
「えっと……アイリはほら、特別だから」
散々不必要に悩んだ末にリタの口から出た台詞は、ある意味「好き」以上に気持ち悪いもの。
そう気が付いたのは、言い終えた後だった。
「あ、と、特別っていうのは、あの、出会い方がね? 印象的だったって意味で、特に深い意味はないからね? 友達としてというか、その、疚しい意味はなく」
「分かってるよ。私にとってもリタは特別だから」
さらりと言ってのけるアイリの横顔は、普段と同じ表情だった。少なくとも引いている感じではない。
平然と「特別」と言ってくれたアイリとは対照的に、何をそんなにというほど慌てふためいてしまったリタは、己の痴態を振り返り、少し恥ずかしい気持ちになった。
「暗いのが怖いなら、手繋ぐ?」
「え!? ……いいの?」
「リタさえよければ」
「お願いします!」
服で汗をぬぐってから握手を求めるように勢いよく手を差し出すと、アイリは苦笑しながらその手を握ってくれた。
それから無言で歩くこと数分。
リタは推しと接触しているという事実に緊張しきって落ち着かず、会話というものを概念ごと忘れていた。
一方のアイリは、なんだか足取りも軽くなり、少なくとも緊張している様子はなく、彼女の方から話を振ってきた。
「そうだ、流れ星に願いごとをしたら叶うって本当なのかな」
「あ……どこの世界でも流れ星と願いごとはセットなんだね」
「どこの世界でも?」
「い、いや、こっちの話」
現状にドギマギし過ぎて、つい思ったことをそのまま口走ってしまった。
いつまでも緊張している場合じゃないと、大きく深呼吸して心を落ち着かせる。
添い寝までした仲なのだ、今更手くらいで動揺するんじゃない、と自分に言い聞かせた。
「確証はないけど、叶うって思った方が得だよね。アイリは流れ星に願いごとしたことある?」
「小さい頃に一度だけ」
「叶った?」
「うーん……叶ってる、のかな」
なんだか返事の歯切れが悪い。そんなに判断し辛い願いだったんだろうか。
「リタは何かお願いする?」
アイリが生涯幸せでありますように——は、流石に気持ち悪いと思われること必至なので、代わりの願いを考えてみる。
「……世界平和とか?」
「そんなスケールの大きな……個人的なお願いはないの?」
「特に思いつかないなぁ……アイリは?」
「私は……、……確かに思いつかないかも」
「急に言われると思いつかないね。とりあえず幸せになりたい、とかが万能っぽいよね」
「お願いに万能もなにもないような気もするけど」
そこまで話したところで、アイリは思い出したように辺りを確認した。
「そういえば寮母さん、今日は見回りしてないのかな?」
「そうかもね。ほら、今学校の方がゴタゴタしてるから、呼び出しでもあったのかも」
念のために寮母室を確認してみたら、電気が消えていた。どうやらゲーム通りに外出してくれているみたいだ。
「留守みたいだし、正面から普通に出よっか」
寮の外に出ると、ひんやりとした空気が肌に当たった。周囲に人の気配がないことを再度確認してから校舎に向かう。
校舎の一番奥にある窓は、いつも鍵が開いている。
それはリタたちが入学する何十年も前から、一部の在校生の間では有名な話。いつの時代も、夜中に校舎に忍び込んで何かしらを企むお茶目な生徒が存在するらしい。
そこから校舎に侵入することを提案すると、アイリは意外にもあっさり応じてくれた。
「こういう不法侵入は駄目って言うタイプかと思ってた」
「良いとは言わないけど……もう門限も破っちゃったし、今更気にしても仕方ないかなぁって」
確かに一つルールを破ってしまった以上、二つも三つもそう変わらないかもしれない。
リタは窓を開け、軽々とそこを乗り越えて校舎内に入った。それにアイリが続くが、スカートの中が見えないように配慮して動く姿を見て、リタは先ほど気にも留めずにジャンプした自分の女子力の低さを痛感させられた。
「……先生たち、地下室に行ってるのかな」
明かりの無い校内は薄暗く、リタたちの目では人の姿は確認できないが、なんとなく遠くの方に誰かがいる気配がある。魔力の感じからしても、先生たちがどこかに集まっているんだろう。
「バレたらまずいし、ちょっと急いで行こうか」
寮の門限を破って夜中の校舎に忍び込んだ挙句、廊下を走っているなんて、それこそ大人に見つかったら大目玉を食らいそうだ。
「私、学校の廊下を走るなんて初めてかも」
「アイリって本当に優等生だね。私は結構走っちゃってたかも」
前世どころか、今でもたまに昼休みには空腹のあまり走り出すことがある自分の姿を思い出して、今度は自分の不真面目さを痛感させられた。
五階まで行くと、屋上へと続く階段にはチェーンがかけられていた。それを乗り越え、さらに上っていくと、扉が見えてくる。
「今更だけど、屋上は施錠してあるんじゃないの?」
「戸締り担当の先生が気分屋でさ、日によって開いてたり締まってたりするんだよ。ま、これで開いてなかったら全部チャラだけど」
これももちろんゲーム内で得た知識。そして流星群の日には、むしろ先生が気を利かせてくれているんじゃないかと疑うレベルで、毎年必ず開いている——というご都合主義設定。
ここまで来て、鍵だけはゲーム通りにはいかずに閉まってます、なんてオチは勘弁願いたい。
そんなリタの祈りが届いたのか、すんなり開いてくれた扉をくぐり、二人は屋上に出た。
空を見上げると点々と星が散らばっていたが、その中に流れ星らしいものは見当たらない。
そもそもどんな感じで流れ始めるんだろう、なんてことをリアル流星群初体験のリタが考えている間に、アイリは屋上の端の方まで歩いて行き、少し身を乗り出して下の景色を見ていた。
「わぁー……高いね」
「あ、危ないよ、アイリ」
城のような造りの校舎の屋上には、世界観にそぐわないからかフェンスなどは設置されていない。一歩踏み間違えれば、即落下だ。
「子供じゃないんだから大丈夫だよ」
「でも突風が吹いたりしたら分かんないじゃん」
「万が一落っこちたとしても、リタが助けてくれるでしょ?」
「それはもちろん……」
アイリにもしものことがあった時には、どんな魔法を使っても、何が何でも助け出すつもりではいる。
「けど、アイリが一瞬でも怖い思いをするのは駄目」
そう言いながら、リタはアイリの方に手を差し出した。
「……リタは本当に私が好きなんだね」
「え? なに突然……当たり前でしょ」
それにしても、アイリの方からその手のことを言うなんて珍しい。
リタが普段から包み隠さず——気持ち悪いと思われない程度に——好意を伝えているおかげか、その思いがきちんと届いているようで何よりだ。
「ねぇ、ずっと不思議に思ってたんだけど、リタってどうしてそんなに私のこと心配してくれてるの?」
「……別にアイリだけじゃなくて、そういう性格なんだよ。心配性なの」
「ほんと? 他の人にはそこまでじゃないように見えるけど」
「……」
その指摘が図星だったので、リタは上手く反応出来なかった。
アイリの言う通り、元来リタは割とおおざっぱで無神経な性格だ。自分のことはもちろん、周囲に対しても細かい気配りなんて出来ないし、何事も雑にやってから丁寧にやればよかったと思うタイプ。
そんなリタが、やたらとアイリの顔色を窺ったり、彼女の行動をいちいち気にするのは、不思議に思われても仕方ないかもしれない。しかもアイリからすれば、お互い出会って間もない仲なのだから尚更。
これからずっと、この手の質問を「アイリが好きだから」で誤魔化すのも無理が出てきそうなので、リタは嘘であり嘘でもないような回答を考えた。
「…………アイリは、私の知ってる子に似てるんだよ」
「知ってる子って、リタの友達とか?」
「うん、そんな感じ。それで……えっと、私はその子のこと大好きだけど、色々あって嫌われちゃって……。アイリを見てるとその子を思い出すから、つい気を付けちゃうというか……嫌われたくないなって思っちゃって」
「……それって」
アイリは、差し出しっぱなしだったリタの手を取った。
それから真っ直ぐリタの方を見て訊ねた。
「リタは私のこと、その子と重ねて見てるってこと?」
続く




