【47.この世に最も大きな影響を与えた魔法使い】
あの後、アイリにも「リタも一緒に行かない?」と誘われたものの、エミリーと同様の理由で断らせてもらった。
「理事長は今日も不在、と」
分かってはいたのだが、一応直接来て見て確認せずにはいられなかった。
いっそ理事長以外の教師に相談することも考えてみたが、リュギダスの件を知っているのが誰なのか、ゲーム内では理事長以外は明らかにされていない。何も知らない教師に相談したところで、到底信じてもらえる話じゃないだろう。
「……」
そんなことを考えつつ、とりあえず外に出た。
見上げると、雲一つない空。今日は最近の中では比較的温かい気候で、まさに絶好のお出かけ日和——なのだが、どう考えたってそんな暇があれば魔法の腕を磨くべきだ。
訓練所は人が多そうだし、どこか良い場所はないだろうか、また校舎裏にでも行こうかなどと思案しつつ、無意識にローブの中で手をごそごそさせていると、何かに触れた。
「……あ」
取り出してみると、それは少し前に実験室で見つけた『記憶の石』だった。そういえば、あれからずっとローブの内ポケットにしまっていたのだった。
「そっか……せっかくだし、図書館に行ってみるのもアリか」
『記憶の石』が置いてあったことから考えると、この世界はゲームの中と同じ場所に同じアイテムが配置されている可能性が高い。
Ⅱではそうでもないのだが、Ⅰのリュギダス戦は、ルートによってはそれまでのイベントで手に入れたアイテムを用いることがある。
万が一、アイリが奴の標的になった時のために、ゲーム内と同じアイテムを準備しておくのは愚策ではないだろう。
「よし」
本来は魔法の練習をする予定だったが、それは平日の放課後にでも回せばいい。
リタは『記憶の石』を内ポケットに戻してから、足取り軽く校門を出た。そして図書館に向かうために目の前の道を曲がったのとほぼ同時、
「リタ、出かけるのか?」
絶妙なタイミングで声をかけられ、足を止めることになった。
「あ、ウィル」
振り返ると、今日も今日とて小脇に分厚い本を抱えたウィルが、なんとも眠たげな顔をして立っていた。
「最近よく一人の君と会うな。アイリは?」
「アイリはクラスの子とお出かけ」
「ああ……なるほど」
すぐに察してもらえたのは、ウィルは今のリタと近い立場にいるからだ。
ニコロやアイリと行動を共にすることは多いが、二人と仲良くしたい生徒にとって、浮いた存在の自分たちは邪魔になるかもしれない。なので、誰かしらが近付いてきた時は意図的に距離を置くようにしている、そんな立ち位置。
「それで、リタはどこに行こうとしていたんだ?」
「私は時間つぶしに図書館にでも行こうかと――」
言いかけて、気が付いた。
このタイミングでウィルに声をかけられたのはただの偶然ではなく、神様か何かの意図を感じることに。
まあ、この世界に神様がいるかなんてリタには分からないのだが。
「図書館? 時間つぶしに行くなら、俺に付き合ってくれないか。探しものがあるんだ」
どこかテンションが上がっているように見えるウィルの台詞は、リタにとって聞き覚えのあるものだった。もちろん、ゲームの中で。
「えっと……探しものって?」
「聞いたことないか? 中央図書館には、ハドラーの遺した魔導書が隠してあるって」
「あー……」
思った通りの台詞に、リタは頷いた。
ハドラーというのは、この世で最も強くて偉大な魔法使いと呼ばれた人物だ。
遥か昔、多くの悪魔を倒し、件のリュギダスを封印したのも彼。ホリエンのシナリオにも深く関わってくる存在なので、当然リタもよく知っている。
「入学して以来、休みの度に探しに行ってるんだが……なにせ図書館は広いからな。俺一人じゃ何年かかるか分かったものじゃない」
ウィルの探している『ハドラーの魔導書』は、ハドラーがその生涯で習得した魔法の全てが書き記してあると言われている書物。
しかし彼が亡くなったのはもう何百年も前のこと。それまでの間、そんな有益な物が表に出てこないなんてことはあり得るのか。本当に存在するなら、彼に近しい誰かしらが発見しているはず。なので魔導書は後生の人間が勝手に想像したもので、実在しないんじゃないかと疑われている。
そしてその魔導書が、ハドラーの暮らしていたこの土地の一番大きな図書館に隠されている、というのも、この世界ではただの都市伝説のようなもの。だが、ウィルはいたって真面目にそれを探しているし、実際本当に隠されている——という設定だ。
「よければ付き合ってもらえないか? 昼食くらいしかお礼は出来ないけど」
これに似た台詞にも聞き覚えがある。何故ならウィルと図書館に通うイベントが、ゲーム内にも存在するからだ。
Ⅱではウィルのルートで、Ⅰではニコロルートをハッピーエンドで迎えるために必要となる下り。
もちろんリタはウィルルートに行くつもりなどないし、このイベントをこなして意味があるのも、ゲーム的に考えると『アイリ』だけ。
とはいえ、リタが図書館に行こうと思っていたのも、この魔導書の存在を確認しておきたかったからなので、目的が同じである以上は断る理由も特にない。
「面白そうだから付き合うよ」
「ありがとう、助かる。じゃあ、早速行こうか」
歩き始めたウィルの隣に並びながら、リタは今更ながら彼のプロフィールを頭の中で整理した。
年齢はゲーム通り、リタ達の一つ上。ニコロの親友でよく行動を共にしているが、ニコロとは対照的に周囲からはやや浮いた存在。
その主な理由は、彼が盲目的なハドラーオタクだからだ。
授業中以外は常にハドラーに関連する書物——今も小脇に抱えている分厚い本がそれである——を読みふけり、興味のない会話を遮断している。
ハドラーのような偉大な魔法使いになるというのが将来の夢であり、勤勉な性格であるため座学は非常に優秀。
しかし体を動かすことは好きではないらしく、実技は大抵仮病を使ってサボっている。先日の魔法弾当ての際も、必修であるにも関わらずちゃっかり欠席していた。
基本的にはこんなところだろうか。他にも色々と設定はあるが、今は特に深く思い出す必要もない。
「それにしても、誰が図書館に魔導書を隠したんだろうな」
「んー……分かんない」
ちなみに、これは本当に分からない。この世界的にはちゃんとした理由があるのかもしれないが、少なくともゲーム内では明らかにされていないので、いわゆるご都合展開となっている。
ウィルは歩きながら本を読もうとして、リタに気を使ったのか、やめた。普段なら気にせず読み出しそうなものだが、今は頼み事をしている立場だからだろうか。
その代わりと言わんばかりに、質問を投げかけてくる。
「ところでリタは、ハドラーについてどこまで知っている?」
「すごい魔法使いだったっていう、ざっくりな情報くらいかな」
「それなら、この機会に彼について語ってもいいか?」
「うーん……まあ、うん……」
本当は歴史の授業のようであまり気が乗らないけど、ウィルが唯一提供できる話題を奪うのも可哀相だ。
渋々といった感じでリタが頷いたのと同時、彼は大好きなハドラーの人生について熱く語り始めた。
隣でとても楽しそうに語るウィルの話をまとめると。
ハドラーが生まれたのは、人類と魔族が争いを繰り広げていた混沌の時代。そんな中で育った彼は、この世に最も大きな影響を与えた人物だ。
人格者でもあったらしいハドラーは、多くの魔法使いに自らの術や知識を与え、現在使用されている魔法のほとんどが彼の生み出したものか、それを発展させたものだと言われている。
彼のおかげで人類の魔法文明は大きく進展し、当時は人類側が劣勢だった魔族との生存競争すら跳ね返した。
悪魔を討ち滅ぼすこと——正確には全滅はしていないが——が出来たのも彼の尽力があったからこそで、彼がいなければ今頃この世は人類ではなく魔族が支配していただろう。様々な書物にそう記されているほどの偉人。
「つまり、今ここで俺たちが魔法を学べているのも、比較的平和に過ごせているのも、全てハドラーがいたからこそであり、彼は全人類の恩人なんだ」
「ほうほう」
リタのやや適当な相槌を、特に気にする様子もないウィル。普段はお喋りな印象のない彼だが、ハドラーの話題になると本当によく口が回る。
「ハドラーの一番の功績といえば悪魔の殲滅だが……リタは悪魔については?」
「授業で習った範囲くらいは知ってる」
「悪魔は魔族の中で最高位と呼ばれていた存在で、奴らは現存する魔物よりも遥かに高い魔力と知性を持っていたとされているんだ。それこそ知性については、人間と変わらないくらい」
止まることのないウィルの話によると、その正確な時期は不明だが、突如どこからか現れた魔族により人類は存続の危機に陥った。
魔族の大半は異形で、人間の言語は理解出来ず、知性があるかも不明、それらを人は魔物と呼んだ。
そしてその魔族の中のごく一部――言語を理解し扱うことが出来る知能を持つモノが、悪魔と呼ばれた。昨日博物館で見た資料通り、悪魔は皆人間とよく似た姿をしていた。
「人類が魔族に対して劣勢だったのも、この悪魔の存在が大きかったと言われている。資料によると、彼らは強力な魔力と人並みの知性、人とは比べ物にならない強靭な肉体を併せ持っていたからだ」
「そんな悪魔を倒したハドラーは本当にすごい魔法使いだったんだね」
何も言わないでいると、悪魔を倒したハドラーの素晴らしさについてリピートされそうだったので、リタは先に言っておいた。
「その通り!」
うんうん、といった感じで頷くウィルは、とても機嫌がよさそうだった。
その横顔を見つつ、リタは少し考えてから、訊ねてみる。
「ウィルは、今の時代に悪魔はまだ生き残ってると思う?」
「そうだな……そういう考えの人がいることは理解出来る。だが、ハドラーを尊敬する者としては、あまり考えたくない可能性だ」
「だよねぇ……」
ウィルほどじゃないにしても、ハドラーを尊敬する人は多い。
その彼が命尽きるまで悪魔狩りに尽力したのだから悪魔は絶滅した、という考えが一般的だし、教科書にもそう記載されている。
だから地下室に封印されているリュギダスも、時を経て完全に滅んでいるという考えが強く、理事長含めてそこまで細心の注意を払っているわけではない——というのがホリエン内での設定なので、きっとこの世界でも同じだろう。
こんな状況で、理事長にリュギダスのことをそれとなく相談したところで、彼にすら信じてもらえるかどうか……今更だが不安になってきた。
「……リタは、悪魔が生き残っていると考えてるのかい?」
「ありえなくはないのかなぁって感じ。魔物だって、完全にこの世からいなくなってるわけじゃないし」
「魔物は悪魔と違って数が多ったからね。繁殖力の強い個体も多いし」
「それに悪魔って頭が良いっていうから、人間に見つからないように上手く隠れて生き延びてることもあるのかなって」
「まあ、確かに。それに奴らは強力過ぎて、相手にすることが出来たのはハドラーと数少ない魔法使いだけだったという話もあるし……人間の寿命を考えると、ハドラーの代だけで殲滅が達成出来たかは、疑問が残るところではあるね」
そう言いつつも、やはりハドラーの功績を否定することはしたくないらしい。ウィルは難しい顔で黙り込んだ。
リタとしては、彼の思想に反する真実を伝えるつもりもないし、その利点もない。ただ図書館に向かうまでの時間つぶしのつもりだったが、思ったよりもウィルの中の何かに火を付けてしまったらしい。
到着するまでの間、延々と悪魔が絶滅している根拠となる事案について語られてしまった。
続く




