【45.エミーとのデート-2】
エミリーはリタにジュースを手渡し、その展示をじっと見つめる。
それは、人類と魔族の争いの記録と思われる古い書物だった。保存状態はあまりよくないが、何とか文字は読める――とはいっても古代文字なので、その手の知識のないリタは実物を見ても何が書いてあるかさっぱり分からない。
もちろん大半の人がそうなので、近くにある説明パネルには、その書物を現代文に翻訳した文章が書かれている。
「リタ様は悪魔の存在って信じてますか?」
世間話でもするかのようなトーンで問いかけられ、リタの脳裏にはリュギダスの姿が過った。
「……信じてるって言ったら、引く?」
「引きはしませんよ」
ほとんどの人が悪魔の絶滅を信じているこの時代で、悪魔は今も生きていると声高に叫んでいる人たちは、大衆からは奇異の目で見られることが多い。
「ただ、そう考える根拠が気になります」
「んー……悪魔の見た目って人間とほぼ変わらないらしいじゃん」
ここにある資料もそうだが、歴史の教科書なんかに乗っている悪魔の肖像画は、皆一様に人間とそっくりの容姿をしている。
その理由についてゲーム内では特に説明はないが、強い敵ほど人の形に近いというのは結構あるある設定なのかなと、リタは勝手に納得している。
「それを利用して人の中に紛れ込んでる生き残りがいてもおかしくないなぁって思って」
「でもたとえ紛れ込んでたとしても、人間嫌いの悪魔が人の中で生活出来ると思えませんし……出来たとしても極少数でしょうから、結局は争いが終わってからの数百年でみんな滅んでそうですけどね」
「そう言われると確かに……。まぁ悪魔なんていないに越したことないから」
「ですよね」
ははは、と笑い合いつつも、リュギダスのことを思うと、リタはのんきに笑っている場合ではない。
ふとエミリーが、資料の中の一つ――当時描かれたんであろう複数枚の悪魔の絵をじっと見つめた。その見た目は、目つきこそやたら凶悪だが、本当に人間そっくりだ。
「……黒いですね」
「黒? ……ああ、髪の色?」
「……あ、す、すみません。リタ様の前で……不用意なことを」
「いや、全然。結構言われ慣れてるから」
資料が正しければ、悪魔たちはみんな黒――又はそれに近しい色合いの髪だったらしい。その上、この世界では黒髪の人間は非常に珍しいため、以前のガイルスのように「気持ち悪い」と言われても仕方ない。
「それに私は気に入ってるんだ、この髪。なんかカッコいいじゃん」
あと単純に、前世と同じ髪色なので、リタ的には見慣れていて落ち着く。
というわけで本当に全く気にしていないのだが、エミリーは己の発言を後悔しているのか、俯いてしまった。髪のことを言われるよりも、そうやって落ち込まれる方がリタ的には困ってしまうのだが。
「んー……よしよし」
リタは少し悩んだ後、彼女の頭を帽子越しに撫でた。
王族相手に、しかもその監視役もいる中でこれはいかがなものだろうかとも思ったが、他に上手い励まし方が思いつかなかった。
「そろそろお腹空いてきたし、ケーキでも食べに行こっか」
「……はい」
「もー、そんなにしゅんとしないでよ。言われた私が気にしてないって言ってるのに」
「ですが……言われ慣れてるというのは、意地悪という意味ででしょう? そんな方たちと同じようなことを言ってしまったと思うと情けなくて……」
「別に私に言ったわけじゃないじゃん。この絵に対するただの感想でしょ?」
「ですが……」
ああ、これはもう何を言っても落ち込み続けるモードだ。この年頃の子供なんてもっと無神経でも良さそうなものなのに、なんだかんだエミリーは王族らしい、育ちの良いお嬢さんだ。
言葉は無駄だと判断したリタは、エミリーの許可もなく彼女の手を握った。
「なっ、り、リタ様、なにを……」
「手繋ぐの恥ずかしいって、さっき言ってたよね?」
「当たり前です! それに、手汗もかいてるかもしれませんし……は、はなしてください」
「ダメ。いつまでもくだらないこと気にしてるからその罰。目的のお店まで手繋いでくれたら、さっきの含めて全部許すってことで」
「……それ、罰になってますか……?」
「あれ、なってない? じゃぁ恋人繋ぎにしようか?」
言いながら、するりと指を絡めると、エミリーの顔が一瞬で真っ赤に染まった。
耳まで赤いエミリーは、ぶんぶんと繋がれた手を振る。どうやら振りほどきたいらしいが、力はリタの方が強いのでそれは叶わず。
「……分かりました……でも、その指を絡めるのはやめてください……本当に心臓がもたないので……」
「じゃぁ普通の繋ぎ方でいこう。いやー、それにしてもお腹空いたねー」
「……私はそんな感情、どこかに吹き飛んでしまいました」
恋人繋ぎをやめた後も、相変わらず耳まで真っ赤にしているエミリー。
よほど恥ずかしいらしい彼女には悪いが、そんな姿はなんとも可愛らしかった。
◆ ◆ ◆
その後、エミリーと共に前のお店でランチセットとケーキを食べ、軽く散策している内に、辺りは夕焼けに染まっていた。
リタの隣を歩くエミリーの表情を見るに、途中怪しい瞬間はあったものの、彼女にとっては楽しいデートになったみたいで何よりだ。
そろそろ帰ろうか、という話になった時、
「ねえねえ君たち」
突然後ろから声をかけられて振り向くと、そこには十代後半くらいの男性二人が立っていた。
服装的に貴族のようだが、襟元がヨレていたり、胸元のボタンがやたら開いていたりと、あまり真面目な印象は受けない出で立ちだ。
「お、やっぱ可愛い。ねえ、今から家に帰るの?」
「暇なら俺たちと遊ばない?」
漫画でしか見たことがないような典型的なナンパ台詞に、リタは謎に感心してしまった。
まあリタも髪を切ったとはいえ顔立ちは整っているし、エミリーにいたってはただの美少女。こんな風に声をかけられるのも無理はないかもしれない。
「すみません、早く帰らないと怒られるので」
「そんなつれないこと言わずにさぁ」
穏便に済ませようと、にこやかな笑顔で通り過ぎようとしたら、通せんぼするような形で立ちふさがってくる二人。
エミリーはまだ攫われた時のトラウマが残ってるのか、男性たちの行動に怯えたような顔をし、それを見たリタは彼らに苛立った。
「何でも買ってあげるよ?」
「結構です」
「んだよ、ちょっとくらいいいだろ?」
向こうもリタの反応に苛立ったのか、急に腕を掴まれた。軽く腕を振ってみるが、放してくれる気はないらしい。
力では敵わないが、魔法を使えば楽に倒せる相手。しかしリタは出来るだけ町中で魔法を使うことはしたくない。単純に目立ちたくないし、エミリーと一緒にいる今は特に。下手に目立って彼女がまた妙な連中に狙われでもしたら、リタは今度こそスピネルに刺されてしまう。
「放してください。大声出しますよ」
「はー? ノリわりぃ……ま、いいや。こっちの子の方が大人しそうだし……ね、帽子とってみせてよ」
「あ、こら、触る――」
触るな、というリタの言葉は、途中で途切れた。
一瞬、強い風のような何かが吹いたと思ったら、目の前から男二人が消えていたからだ。
「え、あれ……今の無礼な方たちは?」
いつの間にか瞑っていた目を開き、きょろきょろと辺りを見回して不思議そうな顔をするエミリー。
彼女に男の手が触れかけた瞬間、何かが起こって目の前の男が消えた――考えられる可能性は、スピネルの仕業しかない。それにしても男二人を引っ張ってなお、目にも留まらぬ速さで走り去れる彼女の脚力は、本当にどうなっているんだろうか。
「リタ様……今のは一体……」
「えっと、い、今の人たちは私が魔法で吹っ飛ばしちゃった」
「えっ……あの一瞬でですか?」
「うん!」
「……本当ですか?」
まあ流石に、こんな分かりやすい嘘に騙されてくれるのなんて、アイリくらいだろう。
とはいえ、一連の流れを見ていたのか、周囲の何人かがこちらをチラ見し始めているため、ここに長居するのは得策ではない。
リタは、訝しげな表情をしているエミリーの気を逸らすように、ぽんっと手を打った。
「あのさ、喉乾かない? 最後にそこら辺でジュースでも買わない?」
「……リタ様、あからさまに話を逸らそうとしてませんか?」
「そんなことないよ?」
「……分かりました。なんとなく予想はつきましたが、気付いてないことにします」
エミリーの言うことが、スピネルのことなのかは分からない。
でもとりあえずさっきの件に関して追及することはやめてくれたので、リタの提案通り、二人は目についた露店の方へ移動することにした。
それにしても、スピネルの監視が早速役に立ったようで何よりだが、彼らは一体どうなるんだろうか。考えると少し怖い。
リタたちは露店に売られていたフレッシュジュースを二つ購入し、それを飲みながら学校へ戻ることにした。
「……そういえばさ、エミーたちはどうして今年エクテッドを受験することにしたの?」
なんとなく気になっていたことを、せっかくなので聞いてみることにした。
ラミオやニコロも、ゲーム内では『リタ』と同じ時期に入学してくる。
リタたちの入学時期がズレたのは二人が予想外の出会いをしてしまったからで、ニコロはアイリについて来たのだと予想が出来る。
しかしラミオたちの入学が早まった理由については、考えても思い当たらなかった。
「私はラミオの後を追いかけてです。ラミオは理事長から特待生の話を聞いて、自分を差し置いて特待生に選ばれた奴の顔を拝んでやるって感じでしたね」
「ああ……だから初っ端から決闘挑まれたんだ」
エクテッドの入試試験は定期的に行われているので、あんなギリギリな時期でもみんな試験を受けることが出来たんだろう。
しかし、理事長を見返すためだけに急遽受けて一発合格したラミオも、その兄について行きたいだけで一発合格したエミリーも、それにニコロもシンプルに凄い。
「エミーたちは理事長と前から知り合いだったんだよね」
「はい、理事長はお祖父様のご友人なんです。その縁で小さい頃から交流がありまして……実は入学前に一度、校内見学もさせてもらったんですよ」
「そうなんだ」
「まあラミオが入学を待ちきれずに押しかけたって感じですけど……校内が広すぎて、私は迷子になって理事長には相当迷惑をかけてしまいました」
恥ずかしそうにストローをいじるエミリー。
なんでも、ラミオの後をついていくつもりがいつの間にか見失ってしまい、校内の様々なところを探し歩き回った挙句、夕方頃にようやく合流することが出来たらしい。
「こんな年になって迷子だなんて……しかも途中からは空腹でフラフラで、自分がどこに行ったかも覚えてなくて、気が付いたらラミオが目の前にいたって感じで……あの日は本当に、幼児に戻ったような情けなさでした」
「いや、あんなに広いんじゃ仕方ないよ。私もまだどこに何の部屋があるかとか覚えきれてないもん」
まあ何時間も迷子になるほどではない気もするが、道を覚えるのが苦手な人は存外多いらしい。
「では私の恥ずかしい過去を暴露したので、リタ様のキッカケもお聞きしていいですか?」
「え?」
「ずっと気になってたんです。どうしてリタ様たちが特待生に選ばれたのかなって……あ、もちろん実力面ではなく、いつ理事長の目に留まったのかという意味で」
「あー……それは」
ざっくりとした経緯を説明している間に、気が付いたら学校までたどり着いていた。
ちなみに話を聞き終えたエミリーは「理事長もその場で助けてくれたらいいのに……変なところで人を試す人ですよね」という、もっともなものだった。
校門をくぐり寮へと続く道を歩いている最中、エミリーが、笑顔で話しかけて来る。
「私、初デートの相手がリタ様でよかったです!」
「え、初なの? ラミオとは?」
「ラミオとの外出は、あまりデート感がなくて……。あの人は色んな人と交流を持つのが好きだったので、その後に私がくっついてただけですし」
「あー……確かに理事長とも仲良さそうだもんね。爺って呼んでたし」
「あの人好きな性格は素直に尊敬します……」
逆にエミリーは人の好き嫌いが激しそうだな、と偏見を抱くリタだった。
「そういうわけなので、これで生涯、私はリタ様としかデートしないことになります」
「いやーそんな……私に遠慮せず。他に素敵な人を見つけたら、ガンガンいくといいよ?」
「リタ様こそ、遠慮せずに私を独占していいんですよ?」
「……」
ここまで好かれると最早若干嬉しくもあるが、この会話も全てスピネルに聞かれていると思うと、リタは嫌な汗が出てきた。
いや、もう校門をくぐったのでスピネルの役目は終了しているし、流石にまだナンパ男たちの相手をしてる最中だろうから、セーフか。
「ところで、リタ様にとっても初めてのデートでしたか?」
「ううん、二回目」
「……初めてはアイリですか?」
「正解!」
ウインクとサムズアップを同時に決めると、エミリーが手の平から放った小さな魔法弾がリタの脇腹にヒットした。
「ちょっ……地味に痛いんだけど!?」
「リタ様、私は告白した時、確かに二番でも言いといいましたが……かといって嫉妬しないというわけではないので、あしからず」
まあ、確かに今のはあまりにデリカシーが無かった。
どうにもエミリーと一緒にいると、つい軽口をたたいてしまう。これも直さないといけないなと、リタは脇腹をさすりながら反省した。
同時に、エミリーと初めて町で会った日のあれは、ある種の初デートだったのではと、今更ながら気が付いた。
続く




