【43.悪魔の痕跡】
またしても一人になってしまったリタは、しばらく待っていたが、何分経ってもエミリーが現れることはなかった。
「んー……何かあったのかな」
単に忘れ物が見つからないというだけならいいが、また何かトラブルにでも巻き込まれていたらと思うと、少し不安になった。
前みたいな人さらいなんかの心配は、校内にいる限りは無縁だ。理事長の保護魔法もあるし、住み込みの教師や警備員もいる。
あと考えられるのは生徒同士のいざこざぐらいだが、王族であるエミリーに喧嘩や決闘を挑む物好きはあまりいないだろう。
「もしかしてどこかで転んで怪我をしたとか……」
考えていても答えが出るわけではないが、ここを動いてすれ違ったりすれば、今度はエミリーに心配をかけてしまうかもしれない。
こういう時、前世にあった携帯電話の便利さをつくづく思い知らされる。
腕を組んで目を瞑りながら、どうしたものかと悩んでいると、足音がこちらに近づいてくるのが分かった。
目を開けると同時に、聞き覚えのある声が話しかけてくる。
「リタ、俺様は今日という休日が晴天である事に、運命を感じる」
「ラミオ様、今日はお一人なんですか?」
そういえばレイラも一人で行動してたな、と今更気が付く。
「ああ。友人たちは普段行動を共にしているから、たまに俺様に気を使って一人にしてくれるんだ。……それよりもだな」
ラミオは仕切り直すように、小さく咳ばらいをした。
「よければ一緒に町でも散策しないか?」
「すみません、ちょっと先約があるので」
「ぬ……、ああ、アイリ・フォーニか。友人同士、仲が良いことは美しいな」
「いえ、アイリじゃなくて、今日はエミー様と」
「エミーと? あの一件があったとはいえ、最近やたら仲が良いみたいだな」
「まあ、色々ありまして……」
この様子を見るに、ラミオはエミリーがリタをどう思っているのかは知らなさそうだ。
それにしても、ああも堂々と告白されたのに、校内はおろかクラスでも一切話題になっていないのも、不思議な感覚だ。もしかしたらエミリーは少し存在感が薄いタイプなのかもしれない。
「光栄なことに、良くしていただいています」
「そうか……リタもついに、俺様と添い遂げる覚悟をしてくれたのか」
どういう思考回路でその結論に辿り着いたのかは不明だが、触れるのも面倒なので流すことにする。
「それよりそのエミー様なんですけど、部屋に忘れ物を取りに行くって言ったきり、しばらく戻ってきてないんです」
「そうなのか? あいつにしては珍しいな」
「もしかして何かに巻き込まれたんじゃないかって、心配してたところだったんですけど……」
ラミオは顎に手を当て、ふむと頷いた。
「それならば、妹の部屋に迎えに行ってくれるか? その間にすれ違わないように、俺様がここで待っていよう」
「いいんですか?」
「これくらい容易い。むしろリタに手間をかけさせたくないから、俺様が部屋まで行きたいところだが……休日とはいえ、流石にな」
女子部屋の近くを男子が気軽に歩くという行為は、人によっては非難の目で見られかねない。もちろんラミオならそんなこともないだろうが、彼も一男子としてそういうことは気になるんだろう。
ラミオに礼を言って、リタは早足で食堂を後にした。
休日ということもあり、女子寮の廊下では私服姿の生徒を複数見かけた。その中にエミリーの姿がないか確認しつつ、部屋に向かう。
前にも来たことがある彼女の部屋は、なんとも覚えやすい222号室。
扉をノックすると、紫色の髪が特徴的な美少女が出てきた。ぱっと見、十五歳ほどに見える。
クラスが違うのでリタは初めて会うが、エミリーのルームメイトだろう。
「あの、エミリー様はいらっしゃいますか?」
「ああ……いないわよ。少し前に着替えしに帰って来て、すぐに出て行っちゃったから」
リタが危惧していた通り、あれだけ確認して歩いていたにも関わらず、見事にすれ違ってしまったらしい。
部屋に戻ってきたのが少し前ということは、エミリーは今頃食堂についているかもしれない。
「あ……あんた、よく見れば例の特待生じゃない。なに? ラミオ様に頼まれたの?」
「いえ、遊びに行く約束をしてて……」
「へー、エミリー様って友達いたんだ。いっがーい」
「……良くしてもらってます」
ハッキリと言葉にこそしてはいないが、話し方や仕草、表情から、彼女がエミリーのことを快く思っていないのはありありと伝わってきた。同時に、だからいつも部屋にいないのか、と密かに合点がいった。
用が終わればここに長居する理由もないし、何より二人を待たせないように、リタは彼女に短く礼を述べた後、来た道を戻った。
「なんだ、早かったな。妹はまだ来てないぞ」
食堂で待ってくれていたラミオは、戻ってきたリタを見るなりそう言った。
「あれ? でもルームメイトの子が、エミー様は少し前に部屋を出て行ったって……」
「……妙だな。気付かないうちにすれ違ったか、別のルートで……いや、それならあいつの方が先にここに着いているはずか」
「もしかしてどこかで怪我でもしてるとか……?」
「それなら、俺様のところに誰かしらが伝えてくれそうなものだが」
「だとしたら何か急用ができたとか」
自分で言っておいてなんだが、その場合もよほど急ぎでもない限りは、食堂に寄ってリタに伝えてくれそうな気がする。ただ、もうそれ以外の可能性が思いつかなかった。
「あいつ、もしかしてまた何か危険なことに巻き込まれているんじゃないだろうな……」
ラミオが若干不安の入り混じった声音でそう呟いた時、少し離れた場所から「ラミオ様」と彼の名を呼ぶ声が聞こえた。
「お休み中のところ申し訳ありません」
謝りつつこちらに歩み寄ってきたのは、先ほどぶりのレイラだった。彼女はリタを見て一瞬複雑そうな表情を浮かべるも、すぐにラミオに向かって微笑みかける。
「どうかしたのか?」
「ラミオ様に渡していいものか迷ったんですけど……これ」
レイラが差し出したのは、見覚えのある可愛らしいレースのハンカチ。
「これは……妹のものか?」
「はい。先ほどすれ違った際に落とされたのですが、お声をかけても気が付かなかったみたいで、そのまま早足で歩いていかれて……。何か御用があるのなら、無理に追いかけるのもなんだと思いましたので」
「そうか、わざわざ俺様のところに足を運ばせてすまないな。ところで、妹とはどこですれ違ったんだ?」
「校舎の辺りです。エミリー様はそのまま……恐らく職員室の方ですかね? そちらに歩いて行かれました」
「「職員室?」」
リタとラミオは声をハモらせ、揃って首を傾げた。
エミリーは特に素行不良ということもないし、休日にわざわざ呼び出されるような理由が思いつかない。
「……すまないな、リタ。事情は分からないが、妹が無礼な事をした」
「あ、いや、全然。先生の呼び出しじゃ仕方ないですよ」
リタに頭を下げた後、ラミオはレイラの方に向き直った。
「このハンカチは、俺様から返しておこう」
「はい。……あの、ところでラミオ様、この後お時間ありますか?」
「特に用事はないが、何か用か?」
両手を絡め、何やら恥ずかしそうにもじもじし出すレイラ。その姿を見て、流石のリタも察した。
恐らくレイラは、ラミオを遊びにでも誘いたいのだ。となれば、ただのお邪魔虫でしかない自分はさっさと退散するに限る。
「あ! これ以上すれ違わないために私はエミー様を迎えに職員室まで行ってきます! では失礼します!」
リタは早口で言って、ラミオ達がそれに何か返す前に、走るような勢いでその場を後にした。
◆ ◆ ◆
エミリーを探しに職員室までやって来たものの、そこに彼女の姿はなかった。来る途中も注意して辺りを見ていたから、すれ違ってもいない。
職員室の中にいた顔見知りの教師に聞くと、エミリーは少し前に来たものの、お目当ての人物が何故かそこにおらず、職員室の中を探し回った後、出て行ったらしい。
特に素行に問題のないエミリーが休日に職員室に呼び出された挙句、呼び出した人物は不在だなんて、そんなことあるんだろうか。
「しかし、いよいよどこに行ったんだろ……」
とりあえず手当たり次第に周囲の生徒や教師に聞いてみるも、みんな口を揃えて見ていないと言う。
為す術がなくなってしまったリタは、あてもなく適当にそこら辺をぶらつくことにした。
休日ということもあり、校内は比較的静かだ。遠くから聞こえてくる誰かの声に、みんな楽しそうだなぁとぼんやりした感想を抱きながら、廊下を曲がった。
すると、少し離れた距離に、遠目でも目立つエミリーの姿を見つけた。
「あ、エミー!」
声をかけながら駆け寄ると、彼女はこちらを振り返り、リタの姿を確認するなり目を丸くする。それは明らかに驚いているような顔だった。
その不思議な反応にリタが疑問を感じるより先に、突然エミリーがふらつき、その場に倒れ込んだ。
「だ、大丈夫!?」
慌てて駆け寄ると、エミリーは閉じていた目を開いて、ぱちぱちと何度も瞬きを繰り返した。
それから周囲を見回し、戸惑うように言う。
「あ、あれ? リタ様? ……ここはどこですか?」
「校舎の中だけど……エミーはこんなところで何してたの?」
「え……私、部屋から食堂に戻る途中で……なんか、その間のことが思い出せなくて……」
「……寝不足とか、ぼけーっとしてたとかじゃなくて?」
「はい……体調不良でもないはずですし」
困惑した様子のエミリーは、嘘をついているようには見えない。これは明らかに、デラン先生の時と同じだ。
先生に続いてエミリーにも記憶の問題が出てきたとなると、もうリュギダスが校内に出てきてしまっていることは間違いないだろう。
「エミー、体にどこか変なとことかない?」
「ない、と思いますけど……それよりこの状況の意味がよく分からなくて。私、どうして校舎にいるんですか?」
「……分かんない」
まさか本当のことを言えるわけもない。言ったところで「悪魔に取り憑かれていたんだと思う」なんて、到底信じられる話でもないだろう。
「寝ぼけてたんでしょうか……確かに昨日は楽しみ過ぎて、いつもよりは遅い就寝になってしまいましたけど」
「えっと……どうする? 出かけても大丈夫そう?」
「もちろんです! そのために今日はオシャレしてきたんですから!」
「……ああ」
そういえば今更だが、今のエミリーの格好は、白いニットのカーディガンにグレーのロングスカートで、いつもよりも気合が入っている気がする。頭には、以前も被っていた猫耳に見える謎の形の帽子。髪色を隠すために被っているのだろうが、他の帽子ではなくあえて再びこれを選んでいるところを見るに、気に入っているのだろう。
「可愛いね」
「ほ、ほんとですか? 嬉しいです……」
へにゃりと破顔したエミリーは本当に可愛くて、わざわざこんな日に取り憑いたリュギダスに、相当の苛立ちを感じた。
それにしても、ゲームをプレイしてる時も思ったが、奴の考えはよく分からない。一人の生徒に取り憑き続けて行動した方が楽そうなのに、色々な生徒に取り憑くのは何故なのか。人間で遊んでいるつもりなんだろうか。
「じゃ、気を取り直して行こうか」
「はい!」
「あ、その前に私も着替えてきていい……? 流石にこの服装だとね」
「もちろん。でも今の服装のリタ様も素敵ですよ!」
「……アリガトウ」
ちなみに今のリタの服装は、普段パジャマにしているTシャツと長ズボン――共に水色と白の縞模様で一見すると囚人服のようなもの――の上に、制服のボレロを羽織っている。
とんでもなくダサい格好であることは自覚済みだ。なおこのパジャマは、故郷にある店で叩き売りされていた。
こんなリタの格好を素敵と評するエミリーを見て、リタは『恋は盲目』という言葉を思い出した。
続く




