【125.ドキドキ】
アイリに連れて来られたのは、高台にある広場だった。
公園なのかもしれないが、遊具などは見当たらない。
大きな噴水と所々にベンチが設置されていて、子供が遊ぶところという雰囲気ではなく、数人の大人が気ままに過ごしている感じだ。
「あっ、ほら、あれ!」
声を弾ませたアイリが指さす先には、落下防止用に設置された柵。
彼女が示したのはその奥にある景色だろう。
真っ赤な夕焼けが、遠くに見える町を照らしている。
まるで美術館に飾られている絵画のような綺麗な光景に、リタは思わず言葉を失った。
「ここから見える夕日が綺麗だから、リタと一緒に見たかったんだ」
「確かにすっごい綺麗だねー……、……なるほど」
「何が、なるほど?」
「あ、いや、こっちの話」
ここにいる大人たちが、皆一様に仲睦まじげに語り合う男女だったのは、そういうことなのだろう。
静かな雰囲気に綺麗な景色。デートスポットとして最適そうだ。
「ここも誰かにおススメされたの?」
「ううん、私が一人で出かけた時に見つけたの」
「へー、そうなんだ」
しかし綺麗な夕日だなぁと惚けていると、急に腕を組まれた。
もちろん相手はアイリしかいないわけだけど、なんの前触れもなかったので変な声が出かけた。
「ど、どうしたの?」
「最近リタとこうやって一緒に遊ぶこととかなかったから、なんか嬉しくなって。ごめんね……嫌かな?」
「まさかまさかまさか!」
むしろアイリが相手なら、いつだって何をしてくれたって大歓迎だ。
――それにしても、この状況は決して嫌じゃないが、やたら心臓が忙しないのは何故なのか。
至近距離に推しがいるという事実に、リタの精神と心臓が悲鳴を上げているのか。
とはいえ、アイリが甘えてくれている以上、それを無下にすることなんて出来るわけがない。
何とか深呼吸して心臓を落ち着かせて凌ごう。
「本当にいい景色だね」
「…………リタ、平静装ってくれてるところ悪いんだけど、心臓の音すごいよ」
「……」
深呼吸は無駄だったらしい。
ガックリ項垂れている間に、アイリは離れて行ってしまった。
「あ、あの、本当に嫌だったとかじゃなくて……何故か心臓が暴れてただけだから……」
「別に気にしてないよ」
本当に気にしていなさそうな感じでそう言ったアイリは、項垂れるリタを見て小さく笑った。
「……なんで笑うの?」
「いや、リタって私にドキドキしてくれるんだなぁって思って」
「ドキドキ……や、別にそういうわけでは……ある……のかな……?」
「私に聞かれても困っちゃうけど」
うーんと呟いた後、アイリは何を思ったのかリタに近付き、顔を寄せてきた。
鼻先がくっつきそうな、あまりに慣れない距離感に、リタの落ち着きかけていた心臓が再び跳ね上がった。
「……しない?」
夕日のせいか、若干朱に染まったように見える頬でそんな風に問いかけられれば、リタだけじゃなく大多数の人間が「します!」と即答するレベルだと思うが。
「し、しししない! アイリは推しだから!」
「おし?」
「い、いや、何でもな――あ! そうだ! 大事な話があったんだ!」
「……なんか話を逸らされた気がするけど」
何故か残念そうに呟くアイリの言う通り、リタは話を逸らすのに必死だった。
だって今の状況は、精神衛生上よくない。
推しを可愛いとかカッコいいと思うのは自由だし、リタだって常に思っている。
しかしリタは、推しを決して邪な目で見ないと決めている。いわゆるガチ恋とか「〇〇は俺の嫁」とか言わないタイプのオタク。
自分と推しがどうこうなりたいというより、推しが他のキャラクターに愛されているのを壁になって見守っていたい、そう願っている。
まあそれはそれとして、大事な話があるというのも決して嘘じゃない。
「あの、これ……この流れで渡すのは、ムードも何もあったもんじゃないんだけど」
リタはバッグから取り出した花柄の袋を、アイリに押し付けるように手渡した。
今日ショルダーバッグを持って来ていたのは、これを隠し持つためだった。
部屋で渡してもよかったのだが、せっかく出かけるんだから何となく外で渡した方がムードが出るかと思って――結局イマイチ出なかったわけだが。
「……これって?」
「アイリ、明後日が誕生日でしょ。だからプレゼント」
「え……なんで知ってるの?」
「ニコロから聞いた」
というのは嘘で、もちろん推しの誕生日を知らないわけがない。
「でもなんで当日じゃなくて今日に……」
「何となく。今日出かけることになったから、渡すのにちょうどいいタイミングかなって思って」
これは半分本当で半分嘘だ。
ニコロルートのみの話だが、『ニコロ』は『アイリ』の誕生日に告白をする。
ゲーム内では入学初年度のイベントではないが、この世界では起こるイベントの年代すら予測がつかない。
だから、もしかしたら今年のアイリの誕生日にニコロが告白してくる可能性もあるわけで。
となると、そんな日に呑気にプレゼントを渡す気にはなれなかった。
「ありがとう……すごく嬉しい」
「いやー、あの、中身はあんまり自信ないから、期待しないでね」
「リタがくれるものならなんだって嬉しいよ」
言いながら、丁寧な手つきで袋を開封していくアイリ。
リタが気まずい気持ちでそれを見つめていると、やがてその袋から取り出されたのは、黒いカチューシャ。
「えっと……色々考えたんだけど」
アイリの喜ぶプレゼントは、ゲームにたくさん出てきた。
綺麗な花束、アクセサリー、甘いものなどなど。
そのどれかを選べば、喜んでくれることは確実だった。
でも何故か、それが嫌だと思った。
リタがプレゼントを贈りたいのは『アイリ』ではなくて、この世界のアイリだと思ったから。
「私が黒が好きって言ったの、覚えててくれたんだ」
「そりゃアイリのことだし……忘れないよ」
素直に答えると、唐突に抱きしめられた。
それに驚く間もなく、上から嬉しそうな声が降ってくる。
「嬉しい。リタ、大好き」
「……、う、うん」
心臓がドキドキいっているのが自分で分かるし、恐らくアイリにも伝わっているんだろう。
それでもさっきみたいに彼女を引きはがすことは出来ず、リタは遠慮がちにその体を抱きしめ返した。
続く




