【幕間.愛され人生】
生まれた頃から、いつも優しい両親がそばにいた。
姉とは喧嘩もしたけど仲は良かった。
どちらの祖父母も穏やかで、いつも甘やかしてくれた。
両親も祖父母も親戚も立派な仕事に就いていて、その筋の知り合いも多い。
自然とミモザ自身もその知り合いの子供たちと小さい頃からよく交流していた。
社交界デビューをした後は、もっと友達が増えた。
学校でも友達は多い方で、毎日のように誰かと遊んでいた。
そんな自分はとても幸せな境遇なんだと気付いたのは十二歳を超えた頃。
それくらい、ミモザにとって「幸せ」は当たり前のものだった。
それが若干崩れ始めたのも、同じく十二歳の頃だった。
昔から、誰かに何かをプレゼントされることが多かった。男の子からは特に。
人からの贈り物は大切にしなさいと祖母に教えられたミモザの部屋は、プレゼントで溢れかえっている。
それはいいのだが、困るのは、最近頻繁に告白を受ける。
しかも「付き合ってください」なんて軽いものじゃなくて「結婚を前提に」なんて言われることもしばしば。要は婚約の申し込みだ。
「別におかしなことでもないわよ」
姉――ローザに相談したら、アッサリとそう返された。
曰く、貴族に生まれた者は幼い頃から婚約を結んだり、人によっては生まれる前から婚約者が決められていたりするのだそう。
そんなことなど知らなかったミモザは、大きな衝撃を受けた。
「なら私たちも、顔も知らない相手と結婚することになっていたかもしれないの!?」
「ええ。でもウチは自由恋愛推奨みたいだから、その点では気楽よね」
「お姉ちゃんは!? お姉ちゃんはもう結婚相手決まってるの!?」
「いや、だからウチはそういうのないって。それにお姉ちゃんは今それどころじゃないの。猛勉強中なんだから、そんな暇なんてないわ」
そういえば姉は最近将来の夢が決まったとか言って、勉強を始めたんだった。
「それにしても、自覚遅いわね。もうとっくに気が付いてるんだと思ってた」
「なにを?」
「自分がモテてること」
「え!? 私ってモテてるの!?」
派手に驚くミモザを見て、ローザは呆れたように溜息をついた。
それから今日のおやつのクッキーをつまみ、続ける。
「あれだけ部屋にプレゼントを溜め込んでて、よく無自覚でいられたものね……」
「だってあれは……友達からもらったものだし……」
流石に自分が人に愛されている自覚はあった。
周りの大人たちにも、小さい頃から愛想の良い子だと褒められたし――単なるお世辞かもしれないが――今まで出会った子のほとんどと良好な関係を築いて来た自信もある。
「普通の友達は、記念日でもないのにしょっちゅう贈り物をしてきたりしないのよ。男の子は特にね」
「…………あのね、昨日ケリーに、結婚したいって言われたの」
「するの?」
「しないっ! 結婚とか好きとか、よく分からないし……断った……」
「そう」
それじゃ仕方ないわね、と言って、ローザはまたクッキーを食べた。
自分としては真剣な相談をしているつもりなのだが、随分と気楽に聞いている姉に、少しムッとした。
「そしたらね! 今日無視されたの! しかも一日中よ!!」
何度話しかけても露骨に無視する彼の姿を思い出して涙ぐみながら抗議すると、ローザは「あらら」と軽く返した。
「ひどいと思わない!?」
「まあね。……でも仕方ないんじゃない? 相手も気まずかったのよ」
「気まずいって……なにが?」
「そりゃ、告白を断られちゃったわけだし」
「でもそれはもう終わった話じゃない」
「いや、でも昨日の話でしょ? まだ立ち直れてないのよ」
「何故!?」
「何故って言われても……」
サクサクとクッキーを食べていたローザも、思わず手を止めて考え込んだ。
ミモザは本当に分からなくて尋ねているのだが、ローザの表情からは「むしろ何故分からないのか」という思いがにじみ出ている。
「あんなに仲良しだったのに……告白を断ったくらいで、その関係は変わったりしないでしょ?」
「それは相手次第よ」
「どうして!?」
「どうしてって……、……ミモザは恋したことある?」
黙って首を振ると、ローザは「でしょうね」と言わんばかりに頷いた。
「なら、たとえばお母様にとても甘えたい時に、断られたらどう思う?」
「おばあ様に甘えにいく」
「……おばあ様にも断られたら?」
「おじい様に――」
「もういいわ、この例えはダメね。……まあ、ミモザにもいつか分かるわよ」
「いつかじゃダメなの! 私は今、どうしたらケリーが無視をやめてくれるか知りたいの!!」
「だからそれはケリーにしか分からないって」
ローザが何を言っているのか、ミモザにはさっぱり分からなかった。
だって告白してくるまで、ケリーはミモザにとって大切で仲良しな友人で、向こうだって同じだったはず。
それなのに結婚出来ないって分かった途端に無視なんて、そんなのあんまりだ。
それに断った時だってちゃんと謝ったし、向こうも「いいよ」と言ってくれたはずなのに。
「うぅー……もういい……きっとケリーは変わり者なんだわ!」
「その考えはよくないと思うけど。まあ、とりあえずそっとしておいてあげなさい」
拗ねて頬をふくらませるミモザを見て、ローザは苦笑しながらその頭を撫でた。
しかしミモザの悲劇はこれで終わりではなかった。むしろ悪化した。
三日後。
「お姉ちゃん! 告白断ったらアダムも無視した!」
「まあ、そういうこともあるわ」
その二日後。
「お姉ちゃん! 告白断ったらゲイルが蹴ってきた!」
「あらら、大丈夫?」
その次の日。
「お姉ちゃん! 告白断ったらレヴィンはそっけなくなったし、コネリーのお母様に何故か怒られたし、ジェイなんて私の悪口を他の子に言いふらすの!」
「ミモザ……お姉ちゃんそろそろ似たような報告に飽きてきたわ」
こっちにとっては一大事なのだが、姉妹とはいえ、ローザにとっては所詮他人事。
しかも彼女は今猛勉強中なわけで、妹の愚痴に付き合っていられる時間はない。
「だってだって! みんなおかしいじゃない……友達なのに……私、嫌われるようなことした……?」
ただ、目の前で泣かれると流石に放っておくわけにもいかない。
ローザは手にしていたペンを置き、手招きした。
「あのね、ミモザにはまだ難しいかもしれないけど、人の心は複雑なのよ。好きでも、そうじゃないみたいな態度をとっちゃうこともあるの」
「だからってイジメまでするの? 無視したり悪口を言いふらしたり……私は何があったって友達にそんなことしたりしないわ」
「それは……んー……難しいわね。とりあえずケーキでも食べて忘れちゃいなさい」
そんな簡単に忘れられるわけないが、お腹が空いていたミモザはケーキを貰うことにした。
◆ ◆ ◆
それから一年が経つ頃には、流石に恋愛ごとに疎いミモザも察した。
自分はモテる。主に異性に、時々同性にも。
理由はよく分からなかったけど、ローザに聞いたら「まあ、あんた可愛いし」と言われた。
毎日鏡で見ていたとはいえ、誰かと比べるということもしてこなかったから分からなかったけど、自分は可愛いのかもしれないということ。
――ただ、そう言う姉の方が遥かに美人で可愛いと思うので、ミモザは胸を張って自分の可愛さを誇る気にはなれなかったが。
同時に、告白を断った相手が直後から冷たくなり始めることにも、納得はいかないものの慣れ始めていた。
しかしそんなある日、いつものように婚約の申し込みを断った男子に酷い言葉を投げかけられたので、ついカッとなって言ってしまった。
「私たち友達なのに! しかもたった今私のこと好きだって言ったのに、どうしてそんな酷いこと言うの!?」
「はぁ!? 断ったくせに偉そうなこと言ってんじゃねぇよ!」
「そっちこそ、断ったからって急に態度を変えるなんて酷いじゃない!」
「うるせぇ!!」
どんっと衝撃が来て、気付いたらしりもちをついていた。
突き飛ばされたのだと気付いたのは、五秒ほど経ってからだった。
「なにするのよ!」
「黙れ! 大体オレはお前のこと本気で好きなわけじゃねーし!」
「婚約したいって言ったじゃない!」
「そうしろって親に言われたからだよ!!」
「……え?」
意味が分からない。
ミモザと結婚することと彼の両親と、一体何の関係があるのか。気が付かない内に、顔も知らない彼の両親に好かれていたのだろうか。
首を傾げるミモザをビシッと指差し、彼は叫んだ。
「お前なんてな! 伯爵家の子じゃなければ魅力なんてねーんだよ!! 友達にだってならなかったよ!!」
「――」
それだけ言って走り去っていく彼の背中を呆然と見つつ、ミモザは考えた。
貴族の子供同士の婚姻というのは、家同士が繋がるということでもあるのだ、と。
自分の家柄が立派であることは、昔から周囲にも言われていたし、難しいことは分からないが何となく理解してはいる。
ただそれが、好きだの何だのという話と繋がるなんて発想が、今までのミモザにはなかった。
「私が伯爵家だから……」
彼は婚約を申し込んできた。
そして上手くいけば、彼の両親はきっと喜んだ、と。
「でもそれってなんか……」
本当に自分を好きだということなんだろうか。
もしかして彼だけじゃなく、今までの子もみんなそれだけのことだったんだろうか――なんて考えてしまう自分は、ひねくれているんだろうか。
そんなことを悩んでいる間も告白は止まらなかった。
相変わらず断った人には冷たくされたりすることも多いが、中には変わらず接し続けてくれる人もいた。
この違いは果たして何だろうかとか考えていて、つい祖母にまで相談してしまった。
「それはね、きっと優しいんだよ」
「優しい?」
予想外の返答に、祖母の手作りケーキを食べながら首を傾げた。
「人に気持ちを伝えるっていうのは、とても勇気のいることなの。みんな勇気を振り絞ってミモザに想いを伝えてくれているのよ」
「へー……」
「それを断られて、ついカーッとなって意地悪をしちゃう子もいれば、気にしないフリをしてくれる子もいるの」
「……フリなの?」
「中にはそうじゃない子もいるかもしれないけど……少なくともおばあちゃんなら、すぐいつも通りには戻れないねぇ」
「えっ」
衝撃だった。
ミモザの中での祖母は、いつもドンと構えていて、強い女性というイメージがあったから。
「断られるのってそんなに辛いの……?」
「そりゃぁ勇気を振り絞ってるからねぇ。ミモザだって、一生懸命頑張ったことが報われなかったら辛いでしょう?」
「うん……、……なら、意地悪されても仕方ないのかな……」
「それは違うわ。どんな理由があったって、人を傷つける事は許されない」
言いながら、祖母の手がミモザの頭に伸びてきて、優しく撫でられた。
「人は間違える事もある。ただ、いつも通りに接してくれる子も、本当は心の中で思っている事があるかもしれないって事だけは、忘れちゃいけないよ」
「……はぁい」
頷くミモザがあまりにもしょぼくれた顔をしていたからか、祖母はおかしそうに笑った。
「今は分からなくても、そのうち好きな子でも出来れば分かる日が来るわよ」
「好きな子……」
交友関係は広い方だし、友達も多い。
それでも未だに、恋とか愛とか好きとかよく分からない。
結婚なんて、遠い未来の話のことにすら思える。
しかし周囲の同じ年頃の子の多くはもう既に恋を経験していて、最近は「誰々が好き」なんて話をしょっちゅう耳にする。
きっと、自分はそういうことに関して色々遅れているんだろう。
そんな自分が人を好きになるなんて日、果たして来るんだろうか。
全然想像できないなぁなんて思いながら、ミモザは残りのケーキを口にした。
続く




