【112.チョコの行方】
◆ ◆ ◆
気が付けば、あっという間に夜になっていた。
部屋に戻って宿題をしながら、リタはぼんやりと考える。
ゲームでも、ルートによってはアイリがバレンタインにチョコを贈るというイベントがある。
自己評価があまり高くない彼女が、相手が喜んでくれるかと悩みながら、それでも気持ちを伝えたくてチョコを手作りするのだ。リタも大好きなシーンである。
それが現実世界で起こったのだから、本来なら喜ぶべきなのだろう。
手作りチョコを渡せるほど思える相手が、アイリに出来たということなのだから。
――なのにどうして今日の自分はこんなにもモヤモヤしているのか。
アイリの恋を応援すると決めたのに、何故今も素直に祝福する気持ちがわいてこないのか。
一日中考えてもその結論が出なかったリタは、宿題を進める手を止め、溜め息をついた。
「……あの、今ちょっといいかな?」
ふと後ろから声をかけられ、リタは持っていたペンを落っことしそうになった。
「う、うん、大丈夫。どうしたの?」
「えっと……エミーのケーキ、美味しかったね」
「? うん」
エミリーから貰ったガトーショコラは、宿題を始める前に二人で分けて食べた。
その感想は食べている時にも聞いたはずなのに、どうして改めて言ってくるのか。
リタが疑問に思っていると、アイリは視線をあちこちに彷徨わせた後、何かを誤魔化すように手を振った。
「あの、まさかエミーがケーキだとは思わなくて、やっぱりチョコを作ればよかったなって思って、出来ればあんまり比べないでほしいんだけど」
「うん?」
早口過ぎて、アイリが何を言いたいのかよく分からない。
リタの頭の中に「?」が浮かんだ時、アイリは自分の鞄から何かを取り出した。
「こ、これ」
おずおずと差し出されたのは、シンプルな茶色の紙袋だった。
「え? 私に?」
「うん……、……ごめんね」
何故か謝っているアイリから紙袋を受け取ると、中に入っているものがガサリと音を立てた。
見ると、その中には握りこぶし程度の大きさの包みがいくつか入っていた。
「これは?」
「……マフィン」
「え?」
「や、やっぱり普通にチョコの方がよかったかな……チョコだとエミーやラミオ様と被るかなって思って、マフィンにしたんだけど、逆にそれが裏目に出ちゃったというか」
「ちょ、ちょっと待って。これって、あの……バレンタインの?」
アイリの言葉を遮って尋ねると、彼女は黙って頷いた。
それを見て、リタはますます意味が分からなくなった。
今自分の手にあるのは、今日一日考えていたアイリの手作りチョコなわけで。
でもそれをどうして自分が渡されるのか、さっぱり分からない。
しばらく考えた結果、不意にナタリアの顔が思い浮かんだ。
「あ、もしかして誰かに作ったやつの余りを私に?」
「余りって……ひどい……」
アイリの表情が悲しそうに歪んだのを見て、リタは慌てて立ち上がった。
「ご、ごめん! 悪気があって言ってわけじゃなくて……その……バレンタインに友達に渡すって発想がなくて……」
正確には無いわけではないが、それはあくまで前世での話。この世界では友チョコという文化はないと、何度も確認済みだ。
「確かに友達に渡す日じゃないけど……リタ、最近色々疲れてたみたいだから、好きな甘いもので少しでも元気が出ればいいなって思って。ちょうどバレンタインが近かったから、今日にしちゃった」
つまり、ナタリアが言っていた手作りチョコの宛先は、他でもない自分自身だったということ。
今更確認しなくてももう分かっているのに、リタはつい尋ねた。
「私のためにわざわざ作ってくれたの?」
「うん。お菓子作りとかあんまりしたことなかったから、ミシャに教えてもらいながら」
照れたように微笑むアイリを見て、リタは思わず抱きしめそうになったが、完全に変な人だと思われそうなので堪えた。
気を使わせてしまった負い目よりも、アイリの気持ちが素直に嬉しい。言葉が上手く出てこないくらいに嬉しかった。
そういえば少し前に、甘いものがどうとかいう話を彼女としたことを思い出しながら、袋の中から取り出した包みを開ける。
チョコチップ入りのマフィンを食べると、ちょうどいい甘さでとても美味しかった。
「美味しい!」
「よかった……味見は何度もしたんだけど、リタの口に合うか不安で」
「アイリが作ってくれたものならどんなものだって嬉しいよ!」
今日一日悩んでいたのは何だったんだろうというくらい舞い上がった気持ちでマフィンを食べ進めていると、アイリと目が合った。
「どうしたの?」
「あ、ごめん、ジッと見たら食べ辛いよね……人に手作りのお菓子プレゼントするのって初めてだから、なんか不思議な感じだなぁって」
不思議な感じとは果たしてどんな感じなのか。
微笑んでいるから、とりあえず悪い感情ではなさそうだけど。
「お腹大丈夫? エミーのケーキもラミオ様のチョコも食べた後だけど……」
「全然平気! こんなに美味しいんだから余裕でいくらでもいけちゃうよ!」
「よかった。なんか今日のリタはいつもより元気がないように見えたから、心配してたんだ」
「あー……実はアイリがチョコ作ってるって、今朝聞いたんだ」
「そうなんだ。作ってる時、周りにクラスの子も何人かいたからかな」
「うん、まあ……」
実際はナタリアがうっかり言ってしまったのだが、彼女の名誉のために黙っておくことにしよう。
「それで今日一日ずーっと考えちゃったから、元気がなかったんだと思う」
「考えたってなにを?」
「アイリの好きな人」
「え?」
「え? ほら、バレンタインって好きな人に渡す日でしょ? だから誤解してて」
「それは分かるんだけど……、何でそれで元気がなくなるの?」
「……えっと」
そんなこと面と向かって聞かれても困ってしまう。
それが分からないから今日一日悩んでいたんだし。
「……私の好きな人が気になるの?」
「そう言われるとなんか語弊が……いや、合ってるのかな……?」
「リタって、自分は恋とは無縁だってよく言うのに、こういう話するのは本当に好きなんだね」
「別にそこまで好きってわけじゃないよ……アイリの好きな人しか気にならないし」
「何で私のだけ?」
「何でって……」
また『何で』のつく質問をされて困ってしまった。
本当のことを言うなら、アイリに恋人が出来たら彼女の退学を阻止できるかもしれないと考えているからだ。
しかしそれはあくまでアイリの恋愛を願う理由でしかなくて、その相手を知りたいと思う気持ちにはまた別の理由がある気がする。
だがそれが何なのか、今のリタにはよく分からない。
「アイリとは友達だし、友達の好きな人は知りたいっていう好奇心とか……?」
「そっか。……なら好きな人が出来たら、最初にリタに教えるよ」
「え……いや、無理しなくてもいいよ?」
「ううん。多分私も、最初はリタに言いたくなると思うから」
友達だから、と言ってアイリは笑った。
アイリの好きな人――それは今日一日必死に考えていたことだ。
それを本人が自ら教えてくれると約束してくれた。
嬉しいことのはずなのに、どうしてかリタは素直に喜ぶことが出来ず、むしろ複雑な気持ちになってきた。
「……」
「なんか難しい顔してるね」
「うん……自分でもよく分からないことを考えた一日だったかも」
アイリは全く分からないという顔で首を傾げたが、リタ自身にも分かっていないので仕方ない。
「けどみんなのチョコで回復した」
「ならよかった。私のは二人のと同列に扱われるようなものじゃないけど……」
「そんなことないよ! アイリが私のこと考えて作ってくれたものなんだから、私にとってはこの世の何よりも価値がある!」
いたって真面目に言ったのだが、冗談と捉えたらしいアイリは苦笑した。
マフィンを食べながら、ミシャが手伝ってくれた時の話などをしていると、ふとアイリが思い出したように言った。
「そういえば今日はミモザ先輩もすごいことになってたね」
「すごいことって?」
「プレゼント山盛り。放課後にチラッと見たけど、何人かに手伝ってもらって運んでたよ」
「へー……」
さっき会った時も、一応ティエラからチョコを貰った後だったし、きっと何十人もの人から渡されたんだろう。
「でもアイリも結構貰ってるよね」
「う、うん」
アイリは市販品らしい貰ったチョコを食べながら、複雑な顔で頷いた。
妙に気まずそうなのは、バレンタインにチョコを渡すという行為が、告白を意味するからだろうか。
「最近、魔法祭の練習で色んな人と会う機会があったから、多分その延長だよ」
「そっか、リレーの練習やってるんだっけ」
「うん。他のクラスとも模擬戦したりとかして、楽しいよ」
それは何とも、想像するだけで平和な光景だ。
「本番は私も全力で応援するからね! 頑張って!」
リタがそう言うと、アイリは「任せて」と言って微笑んだ。
◆ ◆ ◆
それから魔法祭までの間、ミモザの魔法を見続けた結果、彼女の攻撃魔法は少しだけ上達した。
しかしまあ、はたから見れば正直大したことないレベルだ。
防御魔法抜きで競えば、この学校に在籍している生徒の九割以上に敵わないだろう。
「見て見てリタ! ここまで大きな火を出せるようになったのよ!」
とはいえ、本人が満足しているならいいんじゃないかと思えるくらいの喜びようだ。
ぴょんぴょんと飛び跳ねるミモザを見て、リタは妙な達成感を感じる。
「リタが前に言ってくれて、魔法に対するイメージを少し変えられたおかげだと思うの」
攻撃魔法を、相手を傷つけるのではなく誰かを守るために使うという話をした時のことだろう。
その言葉だけで多少なりともの成長が見られるとは、ミモザは単純なのか、優しい性根なのか。
「ミモザ先輩が頑張った成果ですよ」
「えへ、そうストレートに褒められると照れるわ」
ひとしきり照れた後、リタの隣に座ったミモザは、どこか寂しそうに微笑んだ。
「でももうすぐ魔法祭だから、こうして一緒にいられる時間も少なくなるのね」
「そうですね」
「……」
事実なので頷いたのだが、ミモザは無表情でリタの方を見た。
それから小さく溜め息をつく。
「リタってクールね」
「それは……初めて言われた気がします」
「私だってそんなに冷たくあしらわれたのは初めてよ。みんな私と一緒にいたがるのが常なのに」
それはまた、相変わらずどれだけ愛され人生だったのかと羨ましくなってくる。
「ねえ、リタは……」
言葉を止めたミモザは、言うか言わないか迷っているように見える。
しかしこんなところで止められては気になるので、リタは促すように尋ねた。
「何ですか?」
「……いや、やっぱり何でもない」
「えー……気になるんですけど」
「勇気が出たら、また改めて聞くわ」
そんなに大層なことを言おうとしていたんだろうか。
ともあれ、もうすぐこの決闘続きの日々にも終わりが来る。
リタはそのことに安堵しているが、ミモザはそうもいかない。
魔法祭が終わろうとも、彼女への告白は止まないだろうし、これから先何度も決闘を申し込まれるんだろう。
そう考えると、彼女が少し気の毒に思えた。
続く




