怪物使いの村 後編08
内側の防御に最大集中していたとはいえ、月牙様の結界を、たったの一矢で破壊した者が紛れていた。
この事実に戦慄したセキショウの人々は、血眼になって付近を探索しました。しかし、放たれた矢も、下手人の痕跡も、見つかる事はございませんでした。
「サギビを生かして動かすんが、気に食わんっちゅう奴がおったのかもしれん」
全頭駆除させれば良いものを、なぜ半端に生かそうとするのか。そういった議論は前々から朔弥人達の間で出ていたようですから、筋自体は通る理論です。
──釈然とは、しない。しかし、セキショウ内部の人の犯行でないのなら、そういう事にしておいた方が、丸く収まる。
月牙様や、報告を受けた紫玖大社の判断によって、この件は『無かった事』とされたのでした。
諸々の現場調整や処理は、セキショウ集落を拠点にして行いましたから、滞在時間は思いのほか長く。ワタシの鼻まで、すっかりサギビ臭に慣れてしまいました。
──魚を巧みに捕らえ。怪物使いが待つ船に吐き戻しては、身を翻し水底へ。この、一見奇妙で、物珍しい漁法では。
怪物使いは世襲性。サギビは野生から集め育て。においにはちょっぴり目をつむる。漁をできない雛・高齢のサギビからはフンを集め、肥料として加工する。
そのような文化と時代背景が、前提としてございました。
ゆえに、世襲の文化が形骸化し。多様な漁法が生まれ、かつ広く大きな網を機械で編める時代が到来し。肥料も合成できるようになった現代。怪物使いの村は、姿を大きく変える事となりました。
「──サギビ漁が専業にできるんは、孫らの代までじゃろうとは思っとってな」
夜のとばり。無骨な怪物医が、囲炉裏の火をぼんやりと見つめていた姿は、今でも鮮明に思い出せます。
そのとき、月牙様は酒宴に引きずり出されており。時雨ちゃんも、魚の串焼きを食べるのに夢中。
喧騒の中の静寂では、火花の弾ける音がよく聞こえておりました。
「サギビ漁の衰退は、さまざまな漁法や技術の発展に追いつけなくなるから、でございますか?」
訊ねたワタシに、怪物医は肩をすくめました。
「それもあるけどな。いちばん大きいんは、いつまで大社の保護下におれるかが、分からんからじゃ」
考えてもみぃ、と、怪物医は指を立てます。
「わしらは、皇国の連中から見れば、鬼奴王に属する、穢れた怪物使い。じゃが、その立場のまま、大社に服従する事で、保護下に入ることが出来たんじゃ」
かつては反乱分子だった、鬼奴の怪物使い。
鬼奴にしか扱えない怪物たちが、皇国の傘下にいる──その状況そのものが、朔弥皇国の権威を保つ機構として成り立っている。
ゆえに朔弥人に、怪物使いの権限は与えられない。
鬼奴人の特権として、保護されてきたのだ、と。
「けどな。今ですら、巫師が機巧に手を出す時代じゃろうが。このまま、信仰だけで国が維持される時代が、ずっと続くとは思えん。わしらは、怪物使いは、時代の生き残り方を考える必要がある」
白鼻丸の主人として、それを忘れんようにな。そう伝え、怪物使いの免状を手渡してくれた怪物医。その後も彼は、ワタシの良き相談役であり続けて下さいました。
──確か、エエト……本棚の、このあたりに。怪物医が、新聞記事を送ってくださった事がございまして。
各地の怪物使いは、現代に至るまでに殆どが衰退・消滅いたしました。
しかしご覧下さいまし。このセキショウ村……いいえ、セキショウ博物院は、現代もサギビ漁を続けているのです。
彼らが選んだのは、文化と伝統の保存、という生き残り方でした。
現代に応じた漁法で日々の糧を得つつ、その資金でサギビ漁を観光の目玉として集客に使う。
昔は忌み嫌われた怪物使いも、伝統という名の見せ物に変化して行ったのです。
複雑そうな表情をされておられますね。
しかし、廃鉱町のように消える道もあった中で、セキショウの人々は自らの利用価値を見定め、元の生活から飛び立ち、新しい生き方を選んだのです。
──生活に適したねぐらを探し求めて、飛び続ける。自らの在り方を、自らが定め続ける。まるで、サギビのようだとは思いませんか?
彼らの賢さ、したたかさ。ワタシも鬼奴の民として、誇りに思っておりますよ。
エ? 「鬼奴の民として扱われる事は、貴女にとって好ましくなかったのではないか」でございますか。
……それは、ご指摘の通り。
しかし、ワタシ自身がどう思おうと。周囲の認識は、着実に変わりつつあった。ワタシもこの頃から、自身が鬼奴の民である事の意味に、向き合う必要が生まれていたのでございます。
例えば、でございますか。ちょうど、サギビ対策のひと幕を終え、白鼻丸の登録手続きを行った後。
ワタシの事を、手放すようにと言われた月牙様が、頼池様の顔面を拳骨で殴打で大激怒!
という親子喧嘩? が発生いたしまして──
◇観光鵜飼
生業としての鵜飼漁が難しくなった日本では、『観光鵜飼』という形で鵜飼漁が続けられているケースが多い。鵜飼漁はかつては日本全国で行われており、神事にも関わっていた為、鵜飼漁そのものが耐えた場所でも、絵画や装飾のモチーフ等は残されている場合がある。




