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風を鳴らすモノ 後編04

 

 師父(しふ)にも殴られた事ないのに!

 ……なんて事はございませんが、あそこまで派手に吹き飛ばされる事は無かったかもしれませんね。ワタシはふすまを破って部屋に転がり、戸棚に当たって悶絶する羽目になりました。


「あんたが安全に旅をできていたのは、養父(おや)がいたからなんだって事を忘れちゃなんないよ! 巫師様の足を引っ張る以外で、あんたに何ができるって言うんだい!」


 全く正論。ワタシのような小娘の一人旅なぞ、盗賊・人売りの良い餌です。あっさり騒動に巻き込まれて終了でございましょう。

 だからこそ、巫師の立場を持つ青年に同行を願い出たのです。自分の限界を理解した上で、この土地を飛び出すきっかけを欲したのです……なぁんて。


「──いや、いや、ごもっともでございます!ワタシとした事が、風として渡る事ができずにいるうちに、外からの風に焦がれてしまったようです」


 言えるはずがございません。心の内を、言うはずがありませんでした。

 ワタシは起き上がり、青年に口を挟む間も与えず謝罪を行うと、その日はいつも通りに。部屋の隅で、出立した青年を惜しむ少女たちの会話を聴きながら、市井(しせい)の皆様の真似事に徹した後で──その日の夜。尾行(・・)しました。


「彼らが向かったのは、山向こうのニッケイ村……!今なら、夜の間に距離を詰めれば、追い付けるでございます!」

 

 彼らの選んだ道は、山を迂回する主街道ではなく、山を越えるケモノ道。足場は悪く、木の根につまずくばかりですが、月明かりで微かに照らされる足跡が、彼らの居場所を教えてくれます。


(皆、ワタシは非力だと。一人では何もできないと言います)


 ワタシは事実、愛嬌を振り撒くしか能がない小娘でございました。非力なのだから一つの土地に留まれ。これまでの生活はできないのだから、市井に混ざる事を覚えろ。散々言われ、縮こまり、止めとばかりに起きたのが今回の事件でございました。ですが。


「そんな自分を変えたいって思っても、良いではありませんかーっ!」


 叫んだ声は、遠い空に輝く月にしか届かない。そう思って、ワタシは己を奮い立たせたのですが。


「抜け出してきたのに、自分から居場所を伝えるのはどうかと思いますよ」


 横から声をかけられて、ワタシは動きを止めました。声の方向を見れば、木の幹に背を預けた青年が微笑んでおりました。


「こんばんは、杏華(きょうか)。賑やかな夜ですね」


 声は穏やかなれど、その笑顔は冬の湖面の如し。笠の向こうから覗く藤色の視線に、思わず冷や汗が染み出しました。


「あ、あはは。こんばんはでございますぅ」


 ワタシが足を擦り合わせつつ苦笑いしていると、青年は嘆息しました。


「ついて来なさい」


 有無を言わさず踵を返し、青年は茂みの中に踏み入ります。その背中を追って歩くと明かりが見え始め。空き地に出れば、焚き火の明るさに目をあぶられました。


「──ほら、時雨の言ったとおりだった」


 焚き火のそばで腰を下ろしていたのは、あの幼子。時雨ちゃんでございました。


「追ってくるだろうから、ひと気がないとこで待ってた方が良い。そんな時雨予報(しぐれよほう)はばっちり的中。褒めろ」


「当たって欲しくは無かったですがね……」


 魚の串を振りつつどや顔をする幼子に、青年は再び嘆息。焚き火のそばにしゃがんで、鍋の蓋を開けました。立ち上る豊かな湯気、火の周りで香味を弾けさせる魚の串、それらに嗅覚を刺激され、ワタシは思わず喉を鳴らしました。


「茶碗」


「はい?」


「茶碗があるなら出しなさい」


 こちらを見もせず、鍋の中身を玉杓子(おたま)で混ぜる青年は、仏頂面でありました。旅館で見せていた爽やか笑顔はどこへやら、口をキュッと結んだ様は巾着袋のようです。

 ワタシが荷から欠けた椀を取り出すや否や、青年は有無を言わさず粥を注ぎました。粥の味付けは味噌でしょう。中には山菜や砕いた木の実、香草らしきものが入れられています。


「か、感謝でございますよ」


「……」


 感謝の言葉に、無言を返されました。火の爆ぜる音、遠くで聞こえる沢の音。夜鳴鳥のホウホウと言う鳴き声。穏やかかつ、気まずい時間の経過に膝を擦り合わせていると。


「冷める前にたべる」


 横から幼子に突っつかれましたので、ワタシはいただきますと声をかけて恐る恐る粥を口にしました。そしたら、まぁ、何という事でしょう。


「おいしっ!」


 脳を突き抜けるような旨みでございました。ワタシの知っている粥とは完全に別物。味を誤魔化(ごまか)した茹で古米ではなく、複雑な旨みを無限に内包した料理──と、ひたすら感動しまして。夢中でかき込んでいると、今度は魚の串を差し出されました。


「しっかり噛んで食べなさい。喉を詰めても助けませんよ」


 茶碗を置き、魚の串を受け取ると、問答無用で奪われた茶碗に粥のお代わりが注がれました。青年自身も粥を食べ始めたので、しばらく無言の食事が進みます。

 青年が口を開いたのは、全員が食事を終え、気まずい空気が流れ込み始めた時分でございました。


「……今なら、説教だけで済むでしょう。明日の朝、事が大きくならないうちに帰りなさい」


 青年が落とした言葉に、ワタシは即座に首を振りました。


「嫌でございます」


「君は、この地域に根付いた旅芸人でしょう。嘘をついて飛び出すような不義理をしたら、今後の仕事に差し支えるのではありませんか」


「おっしゃる通りでございます。しかし、周遊の地域を変え、そこで定着する事ができれば、問題ないでございます」


「では、僕に同行すると言い出した理由は何です。一人で移動するのが危険だから同行する、と言う意図だったのであれば、結局君にとって不相応な旅路の選び方という事になるでしょう?」


 青年はどうやら、ワタシを説得する姿勢の様子。好機は今と心得ました。ワタシは身を乗り出し、口角をつり上げました。


「ええ、ええ。そのご意見は最もでございます! しかしですね、巫師様。『怪物が怪奇現象の原因だった、でもその原因を呼び寄せていたのは旅芸人だった』。この理論を聞いた人々が、それでもワタシのまじない歌を聞きたがるとお思いですか?」


 思わぬ反撃だったのでしょうか。青年は目を瞬かせ、気まずげに返しました。


「しかし、可能な限りの怪物避け対策は行い、君の旅守りだって修繕しました。留意していれば、同じ事は防げる状態にしてきたわけで」


「全くもって正論。しかし、人間の心とは弱く疑い深きもの。一度起きた事を覆せない、悲しき世の中。前科者となったワタシが、同じ事を起こさないと思わせるには、証拠が足りないのでございます」


 爆ぜる炎の音と共に、咲かせますは論の花。青年の表情が痛みを覚えたように歪んだ直後、ワタシは姿勢を低くしました。


「ワタシの名誉挽回(めいよばんかい)には、『歌っても何も起こらない』、そんな実績の積み重ねと、以前巫師様が言及しかけて誤魔化した、『まじない歌の範囲制御』なる行為の体得(たいとく)が必要と考えたのでございます。しかし悲しきかな。その正体を知るのはあなたのみ。そう、巫師様! ワタシに頼れるのはあなただけなのでございますよ」


「は、はぁ……じゃない! 口の達者な(むすめ)ですね。君を同行させて、僕に何の利益があると言うのですか」


「いいえ、いいえ。利益以前の問題なのです。だってあなたは仰いました。ワタシが歌の範囲とは何だと訊ねた際、『その辺は後日にでも』と。後日とは今、これから! つまりワタシは、教えていただくまであなたに追いすがる事が許されているのです!」


「なんという屁理屈……」


 青年は、額を抑えて唸りました。これは押し切れたかもしれない。そもそも、押し切れていなかったら打つ手なし。と、ワタシが覚悟を決めた時でございました。


「君の、言葉の巧みさは認めましょう。正論ではなく、言いくるめの類ですし。別に圧倒されたとか感心したとか、そんなのでは無いですけれど」


 顔を上げた青年は、嘘くさい笑顔を一切切り捨てておりました。不機嫌そうな唇の尖らせ方で、なお言い募ります。


「あぁ、しかし残念。その見事な弁舌に納得しようにも、君自身の言動がうさん臭すぎて、まったく耳に入りませんでしたね。そういう態度を改めれば、周囲も君を過剰に疑う事はしないと思ったのですが。僕の中で君の第一印象は、旅人を化かして雨に遭わせる狐好娘(コズむすめ)に決定です。信用できない者を、どうして連れて行こうと思えるのでしょうか」


 耳の横に片手を添え、狐の耳のように折り曲げコンコン。想定外のやり口で(あお)り返されました。普段であればなお道化を貫き、上から言葉を被せて丸め込──説得を試みたと思うのですが。


道化(どうけ)でいる事も、我らの仕事のうちなのでございますぅー!」


 この時のワタシは、はっきり言って余裕がございませんでした。

 焦りと感情の昂りに情動が突き上げられ、目尻からポロポロと涙が溢れていたようなのですが、ワタシ自身はそれに気付かず。


「ちょ、ちょっと。何も泣く事はないでしょう」


 急にうろたえ始めた青年の反応から自らの状態を知り、乱暴に己の顔を拭いました。


「泣いてなぞ、いないで、ございます! 」


 当時のワタシがもう少し知恵を付けていれば、そのまま泣き落としを行う、という方針が取れたかもしれません。しかし、当時のワタシはその辺りまだ純情と言いますか、そもそも月牙様の煽りを受けて、小賢しい考えなぞ吹き飛んでおりまして。


「というか、嘘っ臭い笑い方を貼り付けてた方に言われたくはないでございますぅー。なーにが狐好(コズ)コンコンの山の中ですか! ワタシは天下の晴れ女でございます!」


「なっ、嘘臭……」


「ええ、紙でも貼り付けたような、心にもない笑い方をなさっていたではございませんか! 巫師様らしくない、と言う意味では、怪しまれる言動なさってたのはそちらも」


 と、ここまで言い返したところで慌てて口を閉じたのですが、後の祭り。青年が再び沈黙してしまったので、これは怒られると身を竦めたのですが。


「ええ、自覚ありますよ。どうせ僕は嘘臭くて、巫師らしくない半端者ですよ。余計な事を言って人を困らせる辺りは、伸び過ぎたイモの芽の如しです」


 青年はぼそっと、地面に向かって言葉を落としました。


「えっ」


 水底の岩ですら、ここまで沈んだ色には見えないでしょう。見事な意気消沈、直接的に言えばいじけた様子でございました。ワタシは彼を『歳若くとも、落ち着いた物腰の青年』と認識しておりましたので、想定外の反応続きでこちらも調子が乱れてしまい。


「あ、いや、失言でございました。申し訳ございません。旅人としては、非常に好感の持てる物腰でございましたよ。しかし、我々が想像する巫師像とは異なる部分が多かったり、本音は隠しておられるのだろうな、と感じる事が多く」


 即座に謝罪し、こちらも駆け引きなしに本音を並べたのですが。


「自覚はあるので、謝罪は不要です。どうせ僕は、腐った玉ねぎみたいな物なので。外側の皮を剥いたら腐ってましたと、それだけの話なのです」


「いやそこまでは言ってないでございます」


 何を言ってもむくれっぱなし。ご自身で船底に穴を開け、ぶくぶくと沈没していってしまうものですから、手に負えない。あれ、ワタシ何を話していたんですっけと手を泳がせていましたら。


「良いじゃん。連れて行ってあげれば」


 ずっと黙っていた少女が、笑いを含んだ声で言いました。


「足を引っ張るなら、適当な場所で置いていけば良いし。悪さするなら『時雨お仕置きあたっく』で頭にどーん、する。それだけの話……どうせ帰る気はないでしょ?」


 幼子の碧眼には、吸い込まれるような美しさがございました。思わず言葉を失ってしまってから、ワタシは無言で何度も頷きます。

 その様子を眺めていた青年は、額を抑えて百面相した挙句、渋々と言った様子で声を絞り出しました。


「置いていくと早死にしそうなので。邪魔をしなければ、同行を許しますよ」


「事実でございますが、もうちょっと言い方ってものが……」


 などと言いかけてしまいましたが、膝を揃えて向き直り。地面に額を押し付けるようにして、ワタシは平伏いたしました。


「先ほどは無礼な物言いをしてしまい、大変失礼いたしました。ご容赦をいただき、感謝でございますよ、巫師様」


「必要以上に(かしこ)まるのはやめなさい。あと、僕の事は『巫師様』ではなく、月牙(げつが)と呼びなさい」


 頭上にかけられた声にはまだトゲがありましたが、先ほどよりは穏やかでありました。涼やかな夜風に促され、顔を上げかけたその時です。


「ゔにゃっ⁈ 」


 気付いてしまいました。気付いてしまったのです。月牙様の足の間、あぐらをかいた中央に、怪物の子がてちてちと移動して来た事に。


「げげげ月牙様。足の間に、こう、茶色くて独特な香りの物体が鎮座しておられるのですが」


「その言い方、だいぶ語弊(ごへい)あるのでやめていただけませんか」


 青年はちらりと怪物の子を見下ろし、嘆息しました。


「十分な餌を与えたので、現状は問題ありませんよ」


「ぃいいい……よく怪物を膝に乗せられますね」


 そう言いつつも、怖いもの見たさでついつい覗き込んでいると、怪物がこちらに視線を向けました。血の色の瞳に気圧され、ワタシはすぐに仰け反ったのですが。


「え、な、何ですか。魚は食べちゃいましたよ」


 ヤツはのそのそと立ち上がり、ワタシの方に寄って来ました。手で払う事もできず、その動きを見守っていると。


「嘘でございましょ……」


 なんと、ワタシの膝に移動して来てしまいました。ワタシの膝の上に、鉱石をも砕く刃をぶら下げた怪物がいる。この事実だけで、貧血を起こしそうでございました。


「どかせましょうか」


「い、いえ。変に刺激して尻尾が当たったりしたら、それこそ大怪我してしまいますので!」


「無理をしなくても良いのに」


 月牙様は肩をすくめ、ワタシの茶碗を持って立ち上がりました。慌てるワタシを制した青年が淡々と食器を洗い片す傍ら、幼子は荷物に寄りかかって目を閉じ。怪物の子は、ワタシの膝で穏やかに寝息を立てておりました。


 夜闇の山、涼やかな風にそよぐ樹々、遠くで聞こえる何かの鳴き声と、徐々に痺れてくる膝の感触。夜明けが近付くのを感じながら、ワタシは大きな安堵と、同じくらいの不安を胸に浅い眠りに落ちたのでございます。


 以上、これがワタシと彼らの邂逅(かいこう)の物語でございました。

 出会い方、旅の始まり方としては幼稚なものであったと自覚しておりますが、今では大切な思い出でございます。


 さてさて。そんなわけで始まりました月牙一行、珍道中。山を越え、辿り着いた目的地で最初に目にしたものはですね。


 ナタ持ち髪振り乱し、奇声をあげて襲い掛かってくる鬼婆(おにばばあ)でございました。


 

◇ハクビシン

 風来伝におけるカマイタチのベース生物。中型獣の中でも、『里山四獣』の一角に数えられる代表種。樹上生活を主とし、屋根裏や床下に侵入して子育てを行う。

 ジャコウネコに近い仲間で、非常に身軽。電線などを伝って家屋に侵入、果樹や野菜に被害を出す事で知られている。江戸時代に大陸から流入した。ジャコウネコと違って、ウンコは売れない。

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