怪物使いの村 後編04
「では、本格的に対応を始めるとしましょう」
セキショウ集落に最も近い、サギビたちの営巣地。時は、日が昇ったばかりの肌寒い朝の刻。
親サギビたちが子に与える餌をとりに出かけ、まだ飛べないヒナと卵、見張を行う若い個体だけが残っている時間を選んだのです。
「最後にもう一度だけ、確認するけど。本当に、このやり方で良いのね?」
月牙様の隣に並んだイリス様の手には、長銃と短刀を組み合わせたような、美しくも武骨な武装機巧がありました。歯車を淡々と調整するイリス様に、月牙様は応えます。
「この方法が、一番効率的ですから」
視線は、ひたすら前。ただ、祭具ごしにサギビの巣を見据える青年の背後には、ワタシを含む多くの鬼奴の民が控えておりました。
みな、セキショウ集落の人々です。複雑そうな面持ちの村人たちに、青年は静かに頷き。
「出力は、僕と時雨で補います。川の中央ですから、吸い上げる竜沁の不足はありません。君は術式の『種』を維持し続けば、それで結構。得意でしょう、凍結の術式は」
イリス様の足元を、軽く祭杖で小突きました。
「こんな時まで嫌味ったらしいわね」
イリス様は鼻を鳴らし、機巧を構えました。
同時に月牙様も祭杖を持ち上げ、標準をサギビの繁殖地に向けます。
「こんな気分悪い事を手伝ってあげるんだから、取り逃がすんじゃないわよ。やるなら一羽残らず、やりなさいよね」
♢♢♢
──時は遡り。サギビの潜伏場所をあらかた洗い出した我々は、協議を重ねた後に、セキショウ集落を訪れておりました。
玖蓮大社の許可を受け、月牙様が持ち込んだ提案に、セキショウの人々は同意を示しましたが、しかし。
「一人で、やるつもりなんか」
怪物医は静かに、青年に問いかけました。
「友人たちの補助は前提としていますよ。しかし、僕の得意な術式は結界……広範囲への空間干渉ですから、皆様を巻き込まない為にも、単独の方が都合が良いのです」
しかし、その後の処理は人手を出して、一気に終わらせる必要がある。ゆえに、皆さんと協働で対応を行いたい。
青年の淡々とした、本当に感情の色が滲まない声を聞いて、怪物医は長い、長いため息をつきました。
「やりたい事については、納得した。細かい調整は、わしらの方で済ませておく。土地の問題じゃけぇの。じゃが……それでも、お前の役回りはつらかろうよ」
怪物医の膝で、怪物の子が喉を鳴らしました。青年は、その様子を一瞥すると、
「僕は、水源巫師です。ただ、そういった役割を担う者としてここに居るのです」
水面に雫を落とすように、言葉を落とします。顔面に張り付いているのは、あの、あまりに穏やかな、嘘っぱちの笑顔でございました。
「そういう事なら。わしらも、役割を全うするとするかね」
怪物医の声に、怪物使いの村民たちは、静かに頷きました。
重苦しい空気に気付いたのか、怪物医のそばにいたポイサラが、不思議そうに首をもたげます。その、赤玉のような瞳が、ふとこちらを見上げて──
♢♢♢
「──領域内の雛と卵の生命凍結、完了しました」
月牙様の機械的な声に、ワタシはハッと意識を引き戻されました。眼前に大きく広がるのは、あの水面のような竜沁の膜。月牙様の結界でございます。
しかし、規模は以前見たものとは段違い。建物の一室などという規模ではなく、サギビの営巣地、その中洲全域を覆うように、空間支配が行われているのです。
「あいつ、本当に、一瞬で凍らせちまったんか。この広さを?」
誰かが、かすかに震える言葉を落としました。誰も肯定の言葉を返しません。しかし、月牙様がすぅっと祭杖を振った直後。
美しい光の膜は消え。ぼと、ぼとりと、先ほどまでサギビの雛だった物体が次々に木から降り落ちて参りました。
「杏華」
名を呼ばれ。ワタシはひとつ頷いた後、声を上げました。
「皆様、地面に落ちたヒナの回収をお願いいたします! 卵はそのままで構いません。親が戻る前に、撤退を完了させます! 弓をお持ちの方は、上空からの襲撃を警戒して下さいまし!」
号令を機に、人々は一斉に動き出しました。
ぼとり、ぼとりと力なく落下してくるヒナを回収しては、袋の中へ。ぐたりと奇妙に折れ曲がった身体を見れば、その生死は明白でございました。
──皆様は、覚えておいででしょうか。イリス様のたとえ話、その中身を。
『敵勢力の襲撃で、散り散りになった町の人々がいたとする』『各地で、落ち人集落が生まれていたとして』『人口が満員まで回復してしまった町では、離散先で増えた人々を受け入れる余地がない』。
しかし、我らは管理をしたいのです。離散した怪物たちを、目に見える範囲に、押し込めたいのです。
で、あれば。であるのならば。
『逃げ延びる個体を出せば、またねぐらが拡散するかもしれません。この営巣地の個体を確実を減らし、かつ、再びの離散は防ぐ必要がある。ゆえに飛翔能力がある親サギビがいる時は、討伐を控えます。わずかな見張りと、まだ飛べないヒナ、それから卵。彼らだけを、狙い撃ちするのです』
親サギビが営巣地を離れる日の出直後。見張りが事態に気付く前に、今年生まれのヒナだけを一気に捕獲する。
ヒナの死体は、腐敗してしまうので回収する。しかし、凍らせた卵の方はそのまま残すというのは、セキショウの人々の提案でございました。
『連中、卵が割れたら、すぐ産みなおすけぇの。死んだ卵を巣に残した方が、増えにくいじゃろう』
冷静に指摘したセキショウの人々は今、無言でヒナを掴んでは、袋に入れておりました。
──非常に、冷淡な事に。
ワタシは、セキショウの人々や、月牙様のように、ケモノに強い愛情を抱くたちではございませんでした。
日ごろの寝食を共にする白鼻丸が例外といったくらいで、それ以外のケモノの生き死には、ワタシにとっては、強い関心事ではなかったのです。
しかし、決して、爽快感のある光景ではない。血のにおいこそしませんでしたが、濃厚な死の気配に、息苦しい高揚感がのどを突き上げ続ける。
アレは、そのような光景でございました。
「杏華ちゃん」
ふと、背後から声を掛けられ。ワタシは振り返ろうとしました。
しかし、声の主はワタシの隣に並び立つと、前を見据えたまま、長銃を構えます。
「教えたとおりに」
イリス様の指示に。ワタシは、己に与えられた武装機構を構えました。
機巧の力で、威力と射程を大きく底上げした、弓銃。タタリモッケ戦の時に持っていれば、きっとお役に立てたであろうそれを上空に向け。
「っ!」
引き金を、引きました。狙ったのは、偶然他の個体よりも早く戻って来た親サギビです。
横側面から、心臓へ一矢。そのように狙ったつもりだったのですが、翼に当たってしまったようです。
目の前に落ちて来たサギビは叫び散らし、尾を発光させようとして──
「仕留めるまで、油断しない」
イリス様のひと突きで、声と動きを失いました。
「申し訳ございません」
「一発で当てたんだから、上出来よ。でも、撤退まで油断しないで」
イリス様はそれだけ言うと、また、静かに空の監視に戻られました。
周囲では、人々が絶えず動き続けておりましたが、そちらに注意を割かれていては、上空を通るサギビの成体に気付く事ができません。
ワタシはイリス様に倣って、ずっと。撤退の号令を聞くまで、足元ではなく、空を眺め続けていたのでした。
♢♢♢
──セキショウ集落の、サギビ対策。それとはなしに予想はできたとしても、衝撃的な開幕だったのではないでしょうか。
関係者全員が止む無しと踏み切ったその対応、指揮した月牙様はというと。
「……」
帰宅早々、居間の寝椅子に転がり、動かなくなってしまわれました。
早朝に対応を終え、サギビのヒナをセキショウの人々と共に弔い。時刻は昼を回った頃といったところ。
普段の月牙様であれば、夕飯の買い出しや、唐突に甘味を作り出したりしている時刻でしたが、見かねたイリス様と時雨ちゃんが出来合いの買い出しに出たので、逆に暇を持て余し。それはもう、惰眠を貪る猫のような有様でございました。
「月牙様」
「杏華ですか……機巧、しまう前に点検しましたか?」
「はい。イリス様が一緒に見て下さいました」
「であれば、よろしい」
それだけ言って、再度撃沈。気まずい沈黙が、食堂に流れました。
ワタシは数秒考えた後、二人分の茶を沸かして机に置きました。ついでにたくあんを数切れ用意し、机の上へ。
「月牙様、おやつでございます」
「……。僕、別に、たくあんが飛び抜けて好きなわけでは無いのですが」
「といいつつ、起きるし食べるのでございますね」
ぽりぽり、と。軽快な音が響くお茶の時間。いつぞやの廃鉱町では、タタリモッケの襲来を警戒していたなあ、などと。
ぼんやりと追憶していたワタシに、月牙様はぽつりとつぶやきました。
「明日以降は、離散したサギビの対策に移ります」
これから卵を産みなおす個体がいたとしても、今年は成体になるヒナがほとんどいない。離散したサギビを、受け入れる余地があるはずだから、と。
「承知いたしました。ワタシの役回りは、今回と同じでございますか……月牙様?」
「……」
「あの。ワタシの顔に、何かついておりますか?」
「君、今日の事を、どのように感じましたか」
唐突な問い。目を瞬かせるワタシの事を、青年はじいっと正面から見据えておりました。
おためごかしではなく、素直な意見を聞きたい。青年の依頼に、ワタシはしばし思案の時間を取った後。
「正直、衝撃的ではございましたし、サギビのヒナたちを哀れにも思いましたが……これは、最少数の犠牲に抑えるための選択でございましょう?」
無計画に獲る事で、事態の悪化につながるのだから、それはしない。
既に生まれてしまったヒナはいたとしても、卵の状態で先手を打つ。散らばった群れを元の土地に戻し、管理できる状態に初期化する。
それが、この度の作戦の主旨でございました。
「であれば。月牙様は求められた中で、最善の一手を選ばれたのではございませんか? 」
素直な感想。それは恐らく、月牙様が欲しかった百点満点では無かったのでしょう。
無言でワタシを見返した後、青年はむすっと唇を引き結び。白鼻丸用の堅果をワタシの頬にぐいと押し付けました。
「質問には誠実にお答えしたと思うのですが。ワタシ、なぜ攻撃されております?」
「八つ当たりです。君の膝の上で爆睡している茶色いのに、与えておいてください」
「エエ、理不尽」
ずいっと押し出された湯呑は、すっかり空でございました。ワタシが茶の残りを注ぐの眺めながら、青年は自身に言い聞かすようにうそぶきます。
「最善を尽くしたつもりでも、後にならないと結果は分からない。いつだって、その連続です。しかし、今回はまだ一手目を打っただけ。期待通りの変化を観測するまでは、油断のないようにしましょう……個人的な感情の話は、その後です」
「ケモノが好きであるという事は、隠さずとも良いと。ワタシは思いますけどね」
ワタシは、目を細めました。
白鼻丸の保育に、誰よりも必死だった事。サギビのヒナに触りたがった事など。
青年がケモノに関心と好感を持っている事が、反転して適切な討伐に繋がっているのだと、ワタシは理解しておりました。
ですから、サギビを撃ち落としても、ほとんど感慨が湧かなかったワタシと違って。この優しい青年は、今回の己の所業を気にしていたに違いないのです。
ワタシの気遣いに、青年は微かに笑みを浮かべました。
「そう言ってもらえることは嬉しいですがね。巫師として振舞う場で、そういった態度は表に出せませんよ」
「そういうものでございますか?」
「そういうものです。でも、そうですね……」
ワタシのそばまで歩いてきた青年は、ふと、手を伸ばしてきました。
青年が触れたのは、ワタシの膝の上で眠る白鼻丸。初めて拾い上げたその時よりも、大きく成長したその背中をそっと撫でて。
「やっぱり、こいつの事は、殺さなくて良かったと思っていますよ」
微笑んだ直後。起きた白鼻丸に噛まれた月牙様は、やはり幼稚な喧嘩を、ケモノ相手に勃発させるのでございました。
──さてさて、そのようにして終了した第一日目。屋台の食材やら、気を遣ったセキショウの人々の差し入れで夕飯を済ませ、温泉をゆるりと楽しんだ我々の作業、二日目といえば。
「上流に向かいましょう。各地に散らばっているサギビ達を、セキショウの営巣地まで押し戻すのです」
空いた隙間に、押し戻す。各地に拡散したサギビ達の、追い払い……否、追い上げ大作戦でございました。
♢個体群管理(卵)
巣から卵がなくなると産みなおしてしまうため、偽卵にすりかえたり、ドライアイスで卵を冷やして孵化を防ぐことで、過剰な個体数の増加を防ぐ処置。
これまでは脚立を使ったり、なんとか木に登って巣にアクセスする手法が主流だったが、ドローンでドライアイスを運搬し、遠隔操作で巣に投下するやり方が主流になってきている。




