怪物使いの村 後編03
「あ! サギビでございます!」
鏡に映ったケモノの姿に、全員が身を乗り出しました。
「近付きすぎると、警戒されるかもしれません。離れた位置から観察したいのですが……」
「滞空状態だと、エネルギー食うのよ。どこか、適当な枝に止まれる?」
「了解です」
月牙様の操作に合わせて、機巧の視界がすう、と動きます。白黒の木の葉が揺れる中、枝に止まるサギビ達の姿が見え隠れしておりました。
「視点がぼけて、うまく合わないな……あ、このくらいですかね」
──カチカチ、ウィン。そんな効果音と共に露わになる遠隔地の光景。
樹々に止まるサギビ達は、木の股に腰掛けたり、後ろ足だけで止まったり。あるいはぺたりと枝に伏せてくつろぐなど。思わずこちらの頬が緩むような、のんびりとした様子で過ごしておりました。
「ここはただのねぐら……一時的な休憩場所ですね。ヒナを育てているつがいは、いないようです」
全体をぐるっと見回した月牙様は、肩をすくめました。
「他にも何箇所か、事前に決めた順で回っていきます。動作監視と座標案内、お願いします」
ぐんと高度を上げ、川を見下ろす位置へ。青年が操縦桿を動かす手に迷いはなく、動きと同時に制御される視界も徐々に安定していきます。
「懐かしいですね。修行時代を思い出します」
青年は、少し頬を緩めて続けました。
「分身神の術を覚えたばかりの頃は、空を飛ぶのが怖くて。低空飛行ばかりしていたら、『じゃあ本体が先に飛ぶ感覚を覚えて来い』と言われて、何度も崖から落とされたんですよ」
「それ、懐かしみながら言う事でございますか⁈」
「時雨が受け止めてくれたので、問題はありませんでしたよ。最初は大泣きでしたが、何度も抱き留めてもらう内に楽しくなってきて、柄にもなくはしゃいだ記憶があります」
「時雨ちゃん……?」
思わず時雨ちゃんを見ると、少女は「月牙、昔は小さかったから。よゆう」と、真顔で頷かれました。
「時雨強化合宿、恐るべしでございます……」
「なまみで教えてあげられる時間は、そんなに多くなかったから。一気に叩き込みはしたけど、ちゃんと安全は気にしてたよ」
「なまみ?……ああ、親身に、でございますね。幼き頃は、いつも一緒におられるわけではなかったのですか」
ワタシの問いに、時雨ちゃんが口を開きかけた時でございました。
「着きましたよ。ここは、完全にアタリです」
やや大きめな声で、月牙様が会話を遮りました。視線を鏡に戻してみれば、確かに。
「羽数も多いですし……巣も、たくさんあるでございますね!」
先ほどの、のんびりとしたねぐらとは様子が一転。
サギビたちが過密に並ぶ樹上は、糞で真っ白に染まり。皆、枝組みの巣と川の間を、忙しそうに飛び交っておりました。
「営巣地として、かなり安定し始めているのかもしれませんね……あ、見て下さい。ヒナに魚を与えていますよ!」
青年が興奮気味に焦点を合わせたのは、ヒナにエサをやる親の姿でございました。重そうな羽ばたきで巣に着地したサギビは、のどをぐるると震わせたかと思うと、ヒナの口の中に魚を丸ごと流し込んで再び羽ばたいていきます。
ほとんど傷がない、丸ごとの魚がつるりとのどから出るのを見て、ははあ人が漁をさせるワケだと得心が行く間に、再び。
「あ! すごいですよ十刻方向の巣! こっちでは水を吐き出して、ヒナにかけています」
樹上にいるヒナを、涼ませようとしたのでしょう。せっせと川で水を飲み、ヒナにかける姿。そういった、ケモノのごく自然な生活の営みを見た月牙様は、調査そっちのけで目を輝かせていらっしゃいました。
(あれだけ嫌われるのに、ケモノは好きなのでございますねえ)
などと。謎の感慨が浮かびはしましたが、ワタシも実際、興味津々でございまして。
二人して映像に夢中になっていた時に、問題は発生いたしました。
「月牙、背後!」
イリス様の声に、二人同時に振り返り。
「ちがう、機巧の背後! 竜沁濃度が急に上がって」
そこまで聞いて、月牙様は素早く映像を背後に回しました。樹々の影に隠れるよう、安全に配置した絡繰鳥。その背後に並ぶ枝葉がガサガサと揺れ、ぬうっと伸びて来た足が振り上げられたかと思うと──
「っ!」
大きく振られる操縦桿。ほぼ同時に、我々が見ていた映像が、ぐわんと宙を映しました。
「無傷⁈ 」
「機体は無傷です、回避は間に合っ……うわっ、ちょ、待っ」
がくん、がくんと揺れる視界。追い続けたらこれは酔うと、目を離そうとしたその時でございました。
「うげーっ! アカナメではございませんか!」
視界がふっと開け、絡繰り鳥が見下ろしているモノの正体が明らかになりました。赤いたてがみで盛り上がる背中、長い鼻面、縞々の長い尾っぽ。
サギビの天敵、ワタシにとっても天敵。社に住み着き、人々を幻惑に陥れ、村を恐怖に陥れたあのケモノ、あのアカナメでございました。
「これ、攻撃機能とか無いんですか?」
戦々恐々、身をすくめるワタシをよそにして、月牙様はイリス様に訊ねました。
「無いわね、残念ながら」
「では、致し方ありません」
「ちょっと、何する気って物理で殴りに行ったわねアンタ!」
イリス様の悲鳴が響きました。どうやら月牙様、術式の類いが扱えないと判断した瞬間、機体を素早くアカナメの顎にぶつけにいったようでした。
ふらり、とよろめいたアカナメ。元々向こうも、見慣れぬ小鳥が気になって寄って来ただけだったのでしょう。じりじりと後退り、背筋を丸め始めました。
「盛り上がってきましたね」
「想定外の使い方してワクワクしてんじゃ無いわよタコ!」
真顔でのたまう操縦者、悲鳴を上げる技師の漫才に、どう反応すればよいのやら。
言葉を発せぬまま、事態はさらに展開いたしました。
「しまった、サギビ達に見つかりました。退避を……」
言いかけた月牙様の腕が、しかしぴたりと止まりました。
鏡に移っていたのは、真っ白な光景。ほとんど見えなくなった映像の隙間から、尾を光らせるサギビの姿が見え隠れいたします。
亜竜、鷺火の警戒光。アカナメが発生させる興奮霧を無効化する、精神鎮静、即ち、竜沁の機能を低下させる光の波動が一斉に機巧に照射され──
「操作、受け付けません。直接、分身神を操作します!」
冷静に、しかし上ずった声で宣言した月牙様が、操縦棹を手離しました。
術式媒介──祭鈴に手を伸ばし、いわゆる手動操作で制御を取り戻した直後──
「月坊、大丈夫⁈ 」
身を丸めた月牙様に、時雨ちゃんが駆け寄りました。青年は両手で首を押さえ。がぼ、がほっ、と不穏な咳をしながら、大きく目を見開いておられます。
「これは」
とっさに映像を振り返り、事態を理解。絡繰の鳥は、激流の中で溺れておりました。
扱いなれた分身神、単体であればどうにかできたのかもしれませんが、重い外骨格を纏い、感覚を切り離した状態である事が、不利に働いたのでしょう。
みるみる顔から血の気が引いていく青年に、ただ声をかけることしかできない我々に。
「杏華! 月牙の左腕のコード、外して!」
イリス様の怒鳴り声で、バチンと困惑が弾けました。
「失礼いたします!」
青年の腕を掴み。手首に繋がっていた線を引き抜きます。ブチッと不穏な音、千切れる線、空中に舞う藤色の竜沁の光。断絶し、元の鏡に戻る映像。
「……」
沈黙が、場を支配いたしました。
腕を振り上げた状態のまま、ワタシは恐る恐る青年を見下ろしたのでございますが。
「……溺れた?」
青年は、急に転んだ子供のように目をぱちくりさせながら、喉を撫でました。
「僕、今、溺れましたか?」
「あんたじゃなくて、機巧がね」
はあ、と安堵が混じった声で返したイリス様に構わず、青年は首を傾げ。数秒ほどすると、
「いや、面白いですねこれ!」
なぜか、満面の笑みを咲かせました。
「溺れる感覚、あんな感じなのですね。皆に心配されていた理由が分かりました。しかし、緊急時に接続がすぐに切れるというのはとても便利で頬をつねらないで下さい」
「あくまで安全設計! 機体潰す前提の話するんじゃないわよ! あんた、なんで機巧絡むとちょっと知能下がるのよ!」
「痛いれすって、頬がねじ切れらら、どうひてくれるのですか!」
容赦ない攻撃に腕をばたつかせる青年をながめながら、ワタシも安堵の息をつきました。そして同時に、悟る事がひとつ。
(廃鉱町では、やはり無理をされていらっしゃったのですね)
全ての感覚が跳ね返る状態で、分身を怪物のかぎ爪に割かれ。ワタシに駆け寄って下さった時、その身に走る痛みはどれほどだったことでしょう。
己の未熟を振り返り、反省したいところではあったのでございますが、ぎゃーすか騒ぐ青年の姿には、威厳も情緒もあったものではなく。
「イリス、諦める。男の子は、絡繰をガチャガチャやるのが好きでバカになる生き物だって、エヴァが言ってた」
時雨ちゃんまで両袖を持ち上げて首を振るものですから、緊迫した空気など、どんぶらこっこと流れ去ってしまいました。
「さっきのは、それなりに良い判断をしていたでしょう。とっさにアカナメを威嚇して、落とされた直後に手動操作ですよ。着水前に切り替えが間に合っていれば、持ち直していたはずです」
「対応は認めるわよ……あぁ、やっぱデータ死んだ。座標の記録はちゃんと取れてるけど、映像までは回収できない。完全に沈んだみたいね」
頭を抱えるイリス様を見て、青年もさすがに反省したのでしょうか。空気が再び重くなり始めた時、手を上げたのは時雨ちゃんでした。
「わたし、取ってくる」
「えっ? 危ないでございますよ」
驚いて声をかけるも、年長組は顎に手を当てつつ、冷静に悩む様子でございました。
「時雨なら、その辺りは問題無いかと。完全に沈んでいると思うので、見つかるかは分かりませんが……」
「無理はしないでよ」
「ん。だいたいの場所だけ教えて」
時雨ちゃんはイリス様に歩み寄り。地図で指示された位置を確認すると、素早く走り去ってしまいました。
「時雨ちゃん一人で、本当に大丈夫なのでございますか」
「そうは思いますが……足手まといがいない方が、時雨も動きやすいと思うので」
悩みつつ、しかしその背中を見送るにとどめた月牙様の表情は、時雨ちゃんへの信頼で満たされておりました。
「本当に……時雨ちゃんの方がお姉さんなのでございますね」
「以前から、そう言っているでしょう」
ワタシが竹筒の水を手渡すと、青年はややすねた顔でそれを受け取りました。
まだのどの具合が気になるのか、しきりにさすっている青年の袖を引っ張り、手拭いを敷いた岩に座らせようとした時でございました。
「予備機体もあるけど、どうする? 無理はナシね」
「あの絡繰鳥、もう一台あるのでございますか⁈ 」
「あるわよ。でも、一号機と違って無保険なのよ……」
「むほけん?」
首を傾げたワタシに、イリス様はスンっと真顔で返答しました。
「壊れた時の補償金が下りないって事。つまり故障が全額負担」
ひゅう、と風が我々の間を過ぎ去りました。
「なんだ、些細な問題ではありませんですか。僕は続投可能です。時雨を待つ間に準備して下さい」
「些細ではないわよ、些細では」
イリス様は嘆息し、懲りた様子のない月牙様の鼻先にずいっと指を突きつけました。
「良い? さっきのは不可抗力の事故だけど、二号機まで無理な動きで壊したら、修理費三割くらい出させるから。気を付けて、かつ自分の安全第一で扱いなさいよ!」
鼻先に指を突き付けられた月牙様は、しらけた表情で何事かを考えた、挙句。
「三割と言わず、玖蓮大社に全額ツケてください」
真顔で淡々と宣いました。
「……」
イリス様は、目を何度か瞬かせ、数秒検討し。
「交渉成立後なら、壊しても許すわ」
腕組みして、うんうんと頷いたのでございました。
さて、そのような流れで登場した二号機は、無事にハスノハの空を自由に舞い、川沿いの地図を次々と埋めて参りました。地図が埋まる頃には、時雨ちゃんも一号機を手に合流し、全ての情報が揃ったのでございます。
そして、各地でねぐらを展開する『落ち人集落サギビ』たちの潜伏地図ができた次の段階で、着手した物事でございますが──
◇ドローン墜落
調査用の高性能ドローンが川や湖に落ちる事故は稀によくあるので、保険への加入は必須である。無保険ドローン、怖くて飛ばせない。




