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怪物使いの村 中編06

「竜沁濃度の変化? 空気中の竜沁とは、変動があるものなのでございますか」


 ワタシの問いに、月牙様は(いら)えを返しませんでした。おや、と思い顔を上げると、青年と目が合います。


「……」


 『動揺』とは、少し違う気がいたしました。月牙様は取り乱すと分かりやすく目が泳ぎ、言葉が上ずる癖がありました。しかし、この時ワタシを見下ろす表情は、冬の湖面のように無表情で。それでいて、氷がひび割れたように、微かな感情の灯火が揺らめいているように感じました。

 気まずい沈黙が、しばらく続いた後。青年が口を開きかけたのを遮って、イリス様が言いました。


「本来は。空気の組成と同じで緩やかに、数百年の時をかけて変わるものよ」


 白いカーテンが、風に揺れます。窓の外、美しい夏の樹々が描く木漏れ日にチラと視線を向けてから、イリス様は静かに微笑みました。


「でも、技術の発展によって、機巧を用いた様々な干渉が増えているでしょう? 例えば、帝国……私の地元では、室内の気温を細かく調整できる機巧が開発されたのだけれど、これを使うと室内の竜沁濃度にも影響が出てしまうの」


「その機巧を使ったとして、室内の人間は大丈夫なのでございますか?」


「帝国人の大半は気にならないけれど、竜沁に敏感な人種は気分が悪くなったりするみたいなのよね。だから、安全な運用範囲を調べているらしいわ」


 家の床がわずかに傾いていたとして、何も感じない者もいれば、平衡感覚が狂って体調を崩すものもいる。そういった現象と似たようなものだ、とイリス様は説明しました。


「──話を戻すわね。つまり、竜沁の変化は、環境そのものの変化。ケモノ対策とは別軸の、時代の変化による影響と捉えるのが良いんじゃないかしら」


「ふむ……『わしの若い頃は、川の水がもっと豊かに流れておったのじゃ!』と、昔語りをするじいさま方の話と似たようなモノ、と?」


「そういうコト」


 イリス様は指を鳴らしました。


「対策があるとしても、大規模な調査や人手がいるものよ。セキショウの怪物使い達が認知して、対策を打つのが難しかった要素だと思うわ」


「なるほど……」


 ちょうど我々は、廃鉱町(リンドウ)を侵した未知の鉱毒という、『近代化の波による変化』を目にしたばかりでございました。その上で、イリス様という学者から説明を受けたモノですから。

 

「月牙様、そのような認識で間違いなかったでございましょうか」


 竜沁濃度の変化という聞きなれない現象も、素直に受け入れたのです。


「え……ええ」


 ──この時のワタシは、月牙様の表情の意味を理解する機会を逸したのだ、と。理解したのはずっと後の事でございます。

 青年はお茶を飲み干し、ひとつ深い息をついてから言葉を続けました。


「ケモノが怪鬼化……生存本能を無視して竜沁を求めるようになる原因は様々ですが、大別すると二つ。体内外、双方の竜沁濃度の変化です」


 まずはエサ。摂取するエサに含まれる竜沁が、体内で作られる竜沁の生成量に影響します。種によっては体外から竜沁濃度の吸収を多く行いますから、強力な力を有するケモノほど、竜沁濃度が高い環境を好むのだ、と青年は説明しました。


「例えば、白鼻丸……風生獣(カマイタチ)は、身体が小さいので要求する竜沁の量が少なく、空気中から竜沁を集める能力も高い。もともと、人里に近い場所でも柔軟に活動できるケモノです。サギビも身体が小さく、人里近い場所で暮らす点は同じですが、彼らの生活は水場(・・)で、エサも魚が中心……となれば、大気中のみならず、水に含まれる竜沁の影響も強く受けるでしょう」


 ゆえに。初期のサギビたちに見られた異常は、目には見えない、竜沁の濃度……環境要因の変化に引きずられて起きた事だった。だから、飼育個体と野生個体の両方に変化が現れた。

 

「サギビの怪鬼化を危惧して行った大規模な討伐は、当時は確かに効果があったはずです。営巣地のサギビを減らせば、一時的に一羽あたりが得られるエサが増える。環境の変化を補えるだけのエサを摂取しているうちに、変化に適応できたなら、いま営巣地にいるサギビについては、目的通りの管理ができているのでしょう」


「でも。当時の討伐を逃げ延びた落人集落(おちびとしゅうらく)……サギビの分散地から、セキショウ集落の近くまでやってきているサギビがいるとしたら」


「対策を打っているのに、逆に被害が増えている。現状の説明がつくでしょうね」


 青年は嘆息すると、壁に預けていた背を起こしました。


「ここまでの話は、あくまで仮説。当時の討伐を指揮した者に話を聞いて、実際に群れの分散が起きているかどうか、実地で最終確認する必要があります」


「当時の指揮をした方というと……」


「玖蓮大社の大社守……紫玖(しく) 頼池(らいち)殿です。そろそろ、皇姫交代の儀の手伝いを終えて、町に戻ってくる頃でしょう」


 月牙様は鼻にしわを寄せました。とても肉親を語る時の顔とは思えない……どちらかと言えば、苦手な牡蠣(かき)を口にした時の表情にそっくりでございました。


「月牙様は、頼池様? の事がお嫌いなのですか」


 ワタシの苦笑に、青年はべっ、と舌を出して答えました。


「満面の笑みで腹芸して、他人を裏で操るような人は信用しない事にしているんですよ」


「鏡なら洗面台にあるわよ。それとも、全身鏡の方が良いかしら?」


「張っ倒しますよ!」


 その日は、過剰に突っかかった月牙様と、それを面白がったイリス様がぎゃいぎゃいと口論を始めてしまい。時雨ちゃんが喧嘩両成敗の判定を下すまで、借り家の壁が震える勢いの騒ぎとなったのでございました。


 ──というわけで、後日。(くだん)の頼池様がハスノハの街に戻られたとの報を聞き、我々はイリス様を含む四人で、玖蓮大社に向かったのでございました。

 玖蓮大社は、神聖なる社。旅芸人なぞが同行する場所ではないと慌てて首を横に振ったのですが、ワタシにも同行せよとのお達しがあったのでございます。

 不愛想で、抜け目のない顔つきをした巫子に案内されたのは、本殿ではなく。社の裏手にある関係者用の入り口、そして社に努める者たちが生活する別邸でございました。

 質素な木造に見えるものの、高価な材をふんだんに用いた透かし彫りや、何気なく置かれた螺鈿の調度品などが、屋敷の価値を嫌と言うほど主張してきておりました。


「──杏華。足元ばかり見ていないで、前を向きなさい」


 艶めく一枚板の廊下を遠慮なく踏みつけながら、月牙様はワタシにささやきました。


「それから、不用意な事は話さないように。良いですね?」


「それは、いったいどういう意味で……」


 ごく小さな言葉でささやかれた言葉、その真意を訊ねる前に、目的地に到着してしまい。ワタシは、巫子が開けた扉の先にいた人物を目の当たりにいたしました。

 長髪を背に流した、法衣姿の男です。月牙様の礼装と異なる衣を纏っていたのは、彼が神に直接的に仕える巫師ではなく、社を守る一族の長であるためでしょう。


「長旅ご苦労様でした。御身がご無事で何よりですよ」


 息子であるはずの月牙様に、ずいぶんと腰の低い礼をした後。彼は、我々を蓮の花がよく見える庭へと案内しました。

 年の頃は、四十代後半といったところでしょうか。髪は、月牙様のそれよりもくすんだ色の黒紫。太い眉と、男性的な曲線を描く顎の輪郭が特徴的な、牡丹の花のような方でございました。


「……」


 身分の高さを伺わせる、華やかで気品のある方だと思いました。しかし。


「──似ていないでしょう。息子は、母親似なのです」


 月牙様には、似ておられない。そう思ったワタシの思考を透かしたように、頼池様は微笑みました。

 肩を跳ねさせたワタシに笑いかけて、頼池様は高価な菓子を我々の方に押し出します。


廃鉱町(リンドウ)で連絡が絶えた時は焦りましたが……こうして、無事な顔をお見せいただき何よりですよ」


「僕が連絡をしなくても、動向は追えているのでしょう 」


「私事の何もかもを追跡しようとは思っておりませんとも。できれば、あらかじめ推奨した宿に泊まって欲しくはありますが。安宿や野宿ばかりでは、お身体に障ります」


 頼池様の困ったような笑顔に、月牙様はふんと鼻を鳴らしました。


「旅館の食事は、常食するには味が濃いし、豪勢すぎるのですよ」


 そのくらいの贅沢はしてもよろしいのに、と。大げさに肩をすくめてた頼池様は、時雨ちゃんやイリス様に、軽い挨拶の言葉を順繰りに投げたあと。


「……あぁ。貴女(・・)も、大きくなりましたね。杏華」


 ワタシに、目を細めて笑いかけました。

 

♢治水工事

 川の氾濫を防ぐ治水工事が、魚類や鳥類には悪影響を及ぼす事もある。工事そのものが、群れ分裂の原因にもなるケースも少なくない。

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