風を鳴らすモノ 後編03
「手間を取らせましたね」
「いえいえ、このくらいはへっちゃらでございます!」
後は見習いの幼子、時雨ちゃんが見張っている方の確認を。事前に言われていた方針に再度頷き、振り返った時でございました。
急に眼前が暗くなり、濡れた土、熟れた果実を混ぜたような香りと、もふもふの毛並みに顔面が包まれました。
「な、何事でございますか!」
看板猫が顔に飛び付いてきたかと思いましたが、あの猫はこのような香りをしておりません。混乱しつつ、顔に張り付いた物体を引き剥がせば、そこには血の色をした瞳の動物が──無邪気な表情をした、カマイタチの幼獣がおりました。
「ゔぇにゃーっ⁈ 」
幼獣といえど怪物、それが顔に張り付いて来たという事実に絶叫し、ワタシは青年の背後に逃げ込みました。地面に放り投げられたカマイタチは地面にべしゃりと落下し、おぼつかない足取りで立ち上がります。
「ふ、ふ、巫師様! こいつ全然香が効いておりませんが!」
「どちらにせよ、討伐します」
落ち着き払って、刀を抜いた青年。しかし、カマイタチの幼獣を拾い上げた人物を見て、その刀を震わせました。
「時雨。懐にしまったカマイタチを出して下さい」
現れたのは、銀灰の髪を背に流す幼子。時雨ちゃんでございました。青年の言葉に、幼子は首を横に振ります。
「いやだ」
「その個体はまだ若いですが、いずれ繁殖する。この宿に置いておくわけにもいかないので」
「そう。だから、これは時雨が預かる」
「わがままを言わないで下さい、時雨。ケモノを匿っているのがばれたら」
説得する青年に対し、幼子はつんと顔を背けました。
「お前と違って、時雨は言う事を聞かせられる。失態はしない」
「それは、そうなのでしょうが」
押し問答の挙句に沈黙。気まずくなったワタシは、恐る恐る青年を見上げました。
「そちらのお嬢さんは、怪物使いなのでありますか?」
怪物をそばに置く、異端の人々。その存在を聞いた事がありますが、目にした事はございません。
ただ、怪物という穢れを扱う人々が、ワタシのような者と近しい出自であろう事は、容易に推測が付きました。ですので。
「……人前では隠していて下さいよ。危ないと思う事があれば、処理はしますからね」
青年の言葉に口元を緩ませ、怪物を頭巾に隠す幼子を、諌める事はできませんでした。
先ほど話題に出した『彼』というのは、このカマイタチの幼獣の事でございます。未だ名前のないこの怪物もまた、我々の旅路に寄り添った輩だったのです。
しかし当時は「なぜ許可するんですか」「保護者失格では?」などと内心で捲し立てつつ、しかし言葉にする事はないまま、『彼』の兄弟姉妹だったモノの処分を終えたのでございます。
──これがワタシの、月牙様たちとの初仕事。
未知の脅威だったモノを、目に見える存在に落として対応できた。それは、未熟なワタシにとって、花火のように衝撃的で、画期的な体験でございました。
おふたりが旅館を立つと仰ったのは、カマイタチの討伐を終えた翌日の事です。噂を聞き付けたワタシは即座に二人を呼び止め、
「あなた方の旅に、ワタシもご一緒させていただけませんか? 自分の旅費は、自分で稼ぎます。迷惑にならないようにいたしますから、なにとぞ」
二人が言葉を失う勢いで、懇願しました。
今思えば、たいそう不躾な依頼でありましたが、この時のワタシに取れる選択肢は、そう多くなかったのです。
必死さは隠したつもりでしたが、口調から伝わったのでしょう。困惑し、しかし真剣にワタシの目を見返した青年が答える前に。
「なにバカな事言ってるんだい!」
──話を聞いていた女将に、ワタシは見事な張り手で吹っ飛ばされました。
♢獣と怪物
朔弥皇国では、いわゆるネコのような一般鳥獣と、怪物(けもの、かいぶつ)は異なる生物として扱われている。強い力を持っていたり、人に脅威を与えるなんか怖い動物、山に住んでるよく分からん脅威とかは一緒くたで「怪物」って呼ばれてるらしい。なんだそりゃ。