怪物使いの村 中編03
「いくら何でも臭すぎます」
開口一番、月牙様は身を丸めてうめきました。
「月牙様、いま全身から同じ臭いされてますけど」
「においもそうですが……いえ、何でもありません」
何か言いたげに周囲を見回した月牙様でしたが、しかし。右目を軽く押さえた後、深い息をついて表情を改めました。
「思っていたより、個体数が多いですね」
青年の視線の先には、川の合流地点にぽつんと浮かぶ中州があり。そして、樹上を飛び回る無数の黒い影がございました。
あれが『営巣地』なのでございましょう。巣の中には、幼いサギビが何羽か座り。周囲の枝には大人のサギビがずらりと並んで、長い尾を揺らしておりました。樹々は糞で真っ白に染まっており、地面には魚や小動物の食べかすも散乱しておりました。
風が吹く度、胸がむかつくにおいが鼻腔をつきますが、今更というものです。軽く首を振って、ワタシは営巣地のサギビ達に目を凝らしました。
「ここには、何羽ほどのサギビが集まっているのでございましょう?」
「ざっと千ってとこじゃろな」
「せん!? 」
「数は半分以下に減らしたんよ、これでも」
振り返ったワタシに、怪物医は肩を竦めました。
「基本はおとなしい連中じゃけん。営巣地に立ち入ったり、怪鬼化せんかぎり、人は襲わんよ。ただ、この営巣地以外で繁殖した奴がここに戻ってきたり、あちこちで悪さしとるみたいでな」
正直、動きの制御は効かん。言い添えて、怪物医は嘆息しました。
「個体数を半数以下に減らしたのに、よそで繁殖して、戻ってくる……」
月牙様は少し考えた後、顔を上げました。
「分かりました。他にハスノハ周辺で、臭いや魚への被害が苦情になったりはしていませんか」
「そりゃあ、勿論。わしらに文句がよう来るわ」
怪物医は苦笑しました。
「連中、魚の場所をよう知っとるけ。数が増えた分、生簀やエサ場の対策も必要になっとる。取り敢えず、イトハリとササシズメで防げてはおるよ」
「イトハ……何でございますか」
「糸張り。翼を持つケモノ、トリ類に対する【防護ノ陣】のひとつですよ」
翼を持つトリにとって、翼の怪我は死を意味する。ゆえに、翼に異物が当たる事を警戒する習性があるのだと、月牙様は続けます。
「トリ類の翼の幅に合わせて、視認しにくい糸を等間隔で畑や生簀の頭上に張るのです。エサ場に降りようとしたのに、視認できない何かに翼が触れる。その気持ち悪さで、多くのトリ類は避けるし、無理に突破する事は少ないのですよ」
「それ、タタリモッケにも効いたのでしょうか」
「あそこまで怪鬼化が進んでいては、難しかったでしょう。身体が傷付くことを気にしていなかったですし……糸張りは、あくまで上空からの侵入を防ぐ対策です。横からの侵入は全く防げないので」
「攻撃的な個体に対する直接的な防御には弱い、と」
「そういう事です」
トリ類を防ぐ場合、確実なのは網で全面を覆う事。水面などを防御対象としており、網を広範囲に張ることができない時に、次善の策として選ぶ手が糸である、と。
ひと通り解説した上で、月牙様は肩をすくめました。
「ちなみに、糸や網はケモノが噛んで切ってしまう事があります。あくまでトリ類に特化した対策だと思ってください」
「難儀でございますね。では、ササシズメというのは?」
「文字通り。葉が付いたままの七星笹を河床に沈めて、魚の隠れ家を作る対策です。本来は、それで魚をおびき寄せる漁法らしいですが」
サギビ達が魚を獲るのに苦戦すれば、そこはサギビにとって、魅力的な場所ではなくなります。完全な防護ではないにしても、【寄セ物除去】の効果を期待して実施するのだと、これまた流暢な説明が告げられた後に。
「主要な生簀や川のエサ場には、イトハリやササシズメをひと通りやっちょる。その上で、特に被害がでかいエサ場には、わしらが玖蓮大社の依頼を受けて、追払いにも出ちょるよ」
怪物医は、矢を射るしぐさを営巣地に向けました。
「玖蓮大社は、破邪の武神を祀る社だからなんかね。大社守……頼池様は、あんたの親に当たるのか? あのお方は、わしらを使うのが上手いんよ。餅は餅屋、怪物のことは怪物使いにやらせるのがええと言って、よう仕事を振ってくれなさる」
街の連中には、よく思ってない奴らも多かろうがな。そう言って笑う鬼奴の男に対して、月牙様は口に羽根が入ったようなにがり顔を返しました。
「この辺りは、古くからの民が住まう土地です。そういった者に土地の管理権限を与えるのは、当然の責務でしょう」
そして本当に羽根をペッと吐き出し、束ねた髪を背後に流しました。
「それで。主要な被害地には防御を敷き、その上で防御を突破されないよう、追払いも行っている状況なのですね。現状の対策について、何か問題はありますか?」
「一回に来る数は少ないし、巣を守る時以外は大人しい連中じゃけんの。矢を射掛けたり、鳥追い煙火を使っておけば、今までは追い払えた」
「今はそうではなくなって来ている、と?」
片眉を上げた月牙様に、怪物医は頷きました。
「確証は無いけどな。この営巣地にいた奴らを減らした後から、この辺り全体で悪さするサギビの数は増えたし、わしらに慣れない若鳥も増えたんよ」
「なるほど」
月牙様は少し考えてから、慣れた様子で蛇腹折りの手帳を取り出し、長めに紙を広げました。
「今回の話は、集落内の飼育個体の変化、野生個体の管理、野生個体が出す被害の対策……三つの問題が入り組んでいる。話が複雑なので、情報をいったん整理してみましょう」
さらさらと、青年が持つ筆が踊ります。怪物対策の三項を示す三つの円、ねぐらの風景、そして魚を咥えたサギビの絵。
「あんた、絵ェうまいな。後で一枚描いてくれや」
「構いませんよ」
そんな会話を挟みながら図の下地を作った月牙様。彼は流れるように、そして満面の笑みで手帳をワタシに押し付けやがりました。
「今回はワタシが書け、という事でございますね」
「やり方は教えたでしょう?」
ワタシは鼻を鳴らし、月牙様の筆を奪い取りました。
「完璧に書いたら、泡葡萄水を奢って下さいましね」
「何なら果物と氷菓子盛りも付けますよ」
「よし、言質取ったでございます」
軽口を叩きながら、筆を進めます。
土地の名はハスノハ、セキショウ集落。問題となっているのは、サギビの行動変容。繁殖地で羽数を減らしたはずなのに、なぜか増えた被害。そしてそれらに必要な対策の数々──
「嬢ちゃんは絵ぇ下手だな」
「やかましいでございます!」
問題を全て洗い出し。対策が既に行われている点も全て洗い出したとして。さぁ、次に打つべき一手はどこにあるのでございましょうか。
ワタシが筆を置くと、皆が顔を寄せて来たので、ぬぅんと魚のにおいが濃くなりました。
「まず、この地域におけるサギビの扱いについてでございますが──」
【ふしづけ】
木や竹の枝を束ねて水中に沈め、魚が隠れ家にしたところを捕獲する漁法。ササブテ、ササブサなどの別名がある。現在は、水鳥から川の魚を保護する選択肢の一つとしても知られている。




