怪物使いの村 中編01
結論。効果ありました、赤ふんどし。
サギビ達は飼育小屋に足を踏み入れた青年に反応はするものの。威嚇したり、噛み付くといった行動は見られなかったのです。
「僕の普段の礼装も、一応は特注品なんですけどね……」
黒い羽衣を持ち上げる月牙様は、非常に複雑そうな面持ちでございました。『普段の礼装』というのは、白と青を基調とした美しい合羽でございます。
本人曰く、「身体を覆える、高性能な旅守り(意訳)」との事でしたから、その性能が負けたとなると、さぞかし複雑な心境と思われましたが。
「その羽衣は、仲間のニオイを被せる仕組みじゃき。効果はこいつら限定じゃ」
怪物医は肩をすくめました。
「詳しい仕組みは分からんが。あんたの礼装は、目くらましじゃろ。竜沁の形を捉えにくくして、ケモノを惑わせる。警戒はさせられると思うけどな、あんたのニオイまでは誤魔化せてないんと違うか」
「ニオイ、ですか」
「護布や護符の類いは、長く使えば効果が褪せる。巫師が旅守りを一年で交換させるのも、それが理由じゃろが」
怪物医の指摘にしかし、月牙様は得心が行かない、という風に首を傾げました。
「しかし、僕の礼装は作って日が浅い。点検した範囲では、護布の性能も万全に保たれているはずなのです」
それは定期的に点検しているから間違いない。自分に合わせた特注品だから、相性が悪いという事も無いはずだ、と。
相手が異教の相手だという事を忘れ、青年は目の前の男性に素直に教えを乞うておられました。
「であれば。変わったのは護布やのうて、身体なんじゃねぇんけ。あんたまだ若いけぇの。身体の成長に、護布の性能が追い付かんって事はあるじゃろ」
どれだけ性能が良くても、子供の頃の靴が履けないのと同じ事。護布だけではなく、自分の成長による歪みが無いかどうかも確認すべきだ、と。怪物医はサギビ達を撫でながら続けました。
「体格が変わらんでも、竜沁に変化があれば同じじゃけんな。確認してみぃや」
「……。ご指摘、感謝します」
礼を告げ、その上で考え込む青年を見て、ワタシは訊ねました。
「月牙様は、礼装の調整は専門外なのでございますか?」
「礼装は、糸を編む段階から調整するものですからね。専門の縫製術師がいるのですよ」
あと裁縫は好きじゃない、などと。月牙様は肩をすくめました。
「一般的な旅守りを修繕する位の心得はありますし、自分の礼装も、定期点検はしていますが……」
「いますが?」
「自分の竜沁が周囲からどう見えているかって、本人は知覚しにくいんです」
「今現在、月牙様のニオイが怪物と同じになっているのに、平然となさっているみたいに?」
青年は目を瞬かせました。
「僕、そんな臭います?」
ワタシは淡々と頷きました。
「街に戻られる前には、なんとかされた方が良いとは思います」
月牙様が羽織っている羽衣は、文字通りの怪物の羽根製。つまり、この集落全体、その中でも今いる飼育小屋に蔓延する悪臭──白鼻丸が暴れ、同行を絶対拒否する程度の威力です──が、月牙様の衣類にも完璧に染み付いておられました。
「帰る前にはなんとかします」
苦笑して、月牙様は目前のサギビたちに向き直りました。のんびりと羽繕いをしている、少し大柄なサギビの頭にゆっくりと手を伸ばし。くぁー、という大あくびであらわになった、くちばしに生え揃った牙を見て手を引っ込め。今度は背中に、恐る恐る手を伸ばします。
「……!」
サギビは、月牙様に触れられても、特に気にする様子はございませんでした。
怪物に襲われなかったのが、よほど嬉しかったのでしょう。サギビの背を無言で撫で続ける月牙様を見て、怪物医は笑みを浮かべました。
「そいつは漁を担当する個体、『一番鳥』の精鋭なんよ。相性が良い二羽一組で飼うて、血の主人の指示で漁に出る連中じゃ」
川から引いた水路で水浴びをする連中、棚に並んだカゴの中に丸まってまどろむ小柄な一団。彼らを順繰りに示し、怪物医は続けました。
「で、奥にいるのは、漁には連れていかん成鳥の『二番鳥』。そっちは育成中の『新入鳥』じゃ。何か質問はあるけ」
「……この、胸の白い羽根。雛だけに生えるものだと思っていたのですが」
成鳥、と言われたサギビの白い胸を指し、月牙様は首を傾げました。
「こいつらは皆、性成熟をしとらん。じゃけん、大人になっても、若者羽根が生えるんよ」
野生の個体は、成鳥になると胸の羽根を含む全体が黒くなる、と怪物医は肩をすくめた。
「三年前に狂った連中は、二番鳥……一番鳥ほど細かく体調管理はしとらん、年嵩の連中が多かったんよ。去勢してたら怪鬼にはなれんで、みな狂って暴れて、死んじまうんじゃけどな。血の主人の言う事も聞かんし、やれる血にも限界があるからな」
早く楽にしてやるしか無かった、と。安楽殺をほのめかし、男は長いため息をつきました。
「で、うちの二番鳥どもがそうなった原因は分からんけど、野生の連中が怪鬼になったらまずいっちゅう話になってな。採卵地にいた野生のサギビも、その時にかなり減らしちょる」
「産卵地……つまり、営巣地で大量捕獲を行った、という事ですか?」
月牙様の問いに、怪物医は頷きました。
「玖蓮大社に報告して、人手も出して貰ったんよ。で、オトナのサギビが減ったからの。仕方なく、新入鳥を多く入れたんじゃけど。これまで通りの育て方をしても、どうにも不安定でな。早死にする奴が多いんよ」
「……。ここのサギビ達は、みな去勢をしている。前提として完全な怪鬼にはなれないよう、調整されているのですよね?」
月牙様は、サギビを撫でながら続けました。
「そんな彼らに明確に変化があったのは、三年前。飼育個体のうち、特に血の供給頻度が低い個体に、不安定になるものが多く。若い個体は死にやすくなった。この認識に間違いありませんか?」
グワワ、と鳴きながら青年の袖を引っ張り。前髪を咥えて遊び始めたサギビを、いったん足元に下ろし。青年は表情を改めました。
「では。野生の個体の営巣地があるのは、同じ水系……ハスノハ河の上流ですか? 営巣地の他に、ねぐらはありますか?」
盛んにサギビが鳴き交わす小屋の中。生簀の水が揺蕩うだけの時間を挟んで、ふたりは静かに視線を交わしました。
「営巣地は近い。ハスノハ河の上流にある。けど、ねぐらについては分からん事もあってな」
あれやこれや。議論が白熱しかけた二人を見比べると。
「あの、月牙様」
ワタシは、恐る恐る手を上げました。
「先ほどから、営巣地とねぐら、という言葉を使い分けておられますが……そのふたつは、何が異なるのでございますか?」
◇透湿性
防水、防風機能と合わせて、山用の作業着に必要な機能。汗をこめてしまう上着や、いわゆるヒー⚫︎テックやエ⚫︎リズムは頻繁に汗をかく環境だと体温調節が困難になるため、下着に気を使うけもの屋は存外に多い。




