怪物使いの村 前編06
「ペッチャ。客用の敷物、準備せぇ」
怪物医は甥っ子に指示し、土間に敷かれたござに腰掛けました。少年が人数分のござ──正直、土の床に直に座った方がマシに見える汚れでしたが──を敷いてくれるのを待って、我々も腰を下ろします。
配られた飲み物は、緑茶ではなく。何かの果実や種を炒り、複雑に混ぜ合わせたものでございました。
続けて配られたのは、太い草の茎を焼いた黒焦げの物体。困惑していると、時雨ちゃんが淡々とそれの皮を剥き。湯気を上げる白い茎の芯を、丸かじりし始めました。
「エエト。皮を剥いて、食べるのでございますね?」
ワタシの問いに、怪物医は頷きました。
「糖真菰や。見た目はアレだが、味は悪くねぇけ」
怪物医の言葉に、月牙様も興味津々で草の茎にかぶり付き。目を瞬かせた直後、パクパクと無言で食べ始めてしまいます。
「では、ワタシも」
二人の反応を伺い、ワタシもナゾノクサの先端を、前歯で齧り取りました。
「……おや」
その味は、唐黍のような、黒砂糖のような。食感はややでんぷん質で、歯応えも程よい塩梅です。野趣は残しつつも、ひと口、ふた口と食べ進めたくなる絶品でございました。
我々が夢中で草の茎をかじる横で、少年も茎を一本手に取り。外皮をあちこちに撒き散らしながら、月牙様の膝に腰を下ろしました。
「おい、ペッチャ」
「構いませんよ」
月牙様は苦笑すると、怪物医に向き合いました。
「それで、先ほど仰りかけていた事ですが……あなたの仕事に対して、僕がお手伝い出来る事があるのですか?」
正直、ケモノの扱いについてはこの有様なので。と肩をすくめた青年に、怪物医は首を振ります。
「見て欲しいんはな、ケモノそのものやない。採卵地なんよ」
「採卵地?」
怪物医は頷きました。
「わしらが使うサギビはな、全部去勢するけ。卵を野生の巣から採って来るんよ」
雛から成体に育つまで、餌も水も慎重に管理して、血を与えて慣らし、漁に連れ出せる大きさまで育て上げる。
その繰り返しでサギビ使いは存続して来たのだと、怪物医は言いました。
「集落では、卵の選び方から餌まで、掟で厳しく定められとる。わしらのやり方には、一切手を加えちょらん」
しかし、先ほどの若鳥のような、言うことを聞かない個体が増えて来ている。怪物医は、煙管に煙草を詰め直しながら嘆息しました。
「変わったんは、卵。あるいは川の環境やないかと疑っちょる。三年前にな、集落のサギビどもが一斉に狂うっちゅう事件もあってな。その時は餌と給血の量を増やして調整したんだけども、半数近くのサギビを処分せざるを得んかった。言うことを聞かん若鳥が出始めたのも、その頃からなんよ」
「……」
しばらく、無言の時間が続きました。横を向けば、うつむき黙り込んでいる月牙様と、そんな青年を上目遣いに見つめる時雨ちゃんが視界に映ります。
(サギビが暴れた原因について、悩んでおられるのでしょうか?)
それにしては、何か違和感が。ワタシがその感覚を言葉にするより前に、月牙様は淡々と顔を上げました。
「ご自身で、川の水質などを調べられたりは? それから、その……死んだサギビの、腑分けとか」
「掟がある。そしてわしは、十分な学びを得る前に師を失った」
死体を詳細に調べる事は、掟で禁じられている。怪物医自身が調べられる範囲には限界がある。そういう意図だったのでございましょう。
「ほれ、水の流れやらチカラやらを読むってのは、巫師の領分なんじゃろ? 採卵地は川の中洲にあるけ、分かる範囲で見て欲しいんよ」
「なるほど。念の為、玖蓮大社に確認──は、別に良いか」
「ええんかい」
「忙しさを理由に許可を曖昧にされても困ります。それに、僕の権限の範囲内ではありますから」
『ぶっちゃけ面倒くさい』と顔に示しながら、青年は上品にお茶を啜りました。対する怪物医は決まりが悪そうに、後頭部をわしわしとかいておられましたが。
「なー、話まとまったん? サギビ小屋、ちゃんと片付けたけど。見に行くじゃろ」
少年の言葉に、怪物医が目を瞬かせました。
「なんや。サギビ小屋、見るつもりだったけ」
「まずかったですか」
「いや、わしも見て貰う気やったけどな。ただ、あんたは噛まれるかもしれんけ……ペッチャ。その兄ちゃんに、予備の羽衣を貸したりや」
『多少はごまかせる』と肩をすくめた怪物医に、まだ幼い少年は首を傾げました。
「ごまかすって、何を?」
「ええから、黙ってもって来い」
ややあって、少年が持ってきたのは、サギビの羽根を重ねた外套でした。この集落の人々が着ていたものと、同じものです。
「あんたはそいつを羽織っとき。においは我慢しいや。あと、これも腕に巻いとき」
鼻にしわを寄せる月牙様に、続けて渡されたのは赤い布。この集落に入ってから、やたらと見かけていた物と同質の──
「いやこれ、ふんどしですよね?」
──はい。赤褌でございました。
「未使用じゃけん、安心せえ。効果は分かるじゃろ」
「術式を編み込んだ護布ですね。布の先端にだけ、目くらましの術がかけてある……水中でケモノに襲われた時に、身体を守る為のおとりですか」
月牙様の言葉に、怪物医はニヤリとした笑顔を返しました。
「不安なら、顔にも巻いとくけ? 」
「結構です!」
噛み付くように返し、青年は腕に赤い布を、肩に羽衣を身に付けました。奇怪かつ原始的。そう思えたセキショウ集落の人々の服装に、意味はあったのだなぁ、などと。
しみじみ頷くワタシを恨めしそうに睨み付けてから、月牙様は踵を返しました。
「では、お借りしますね……。ペッチャ、案内をお願いします」
♢ふんどし
下着として認識されているが、着物が貴重だった時代、ふんどし姿で生活する人間は珍しくなかったので、分類としては仕事着に該当していたと思われる。漁業関係者は緊急時、六尺褌を解いて身体を大きく見せる事で、サメに襲われるのを防いでいた。特に赤色が好まれたらしい。




