怪物使いの村 前編04
セキショウ集落に着いてすぐ、月牙様は案内人として少年──ペッチャくんを指名いたしました。
月牙様は自身を敬遠する大人より、無邪気な子供と接するのを好む、というのもあったでしょうが。恐らくは、先ほどの溺水騒動を見て少年を気遣ったのです。しかし、少年はと言うと。
「な、月の兄ぃ。ポイサラのクソ要るけ? 良い肥料になる言うて、農家が買っていくんよ!」
「大丈夫ですよ。僕、畑を持っていないんです」
「ふうん。じゃ、赤褌要るけ?」
「なぜ赤ふん……いえ、気遣いなく。集落を案内してくれたら十分ですから」
既に元気ハツラツ、栄養剤でも飲んだかのようなはしゃぎっぷりでございました。
生まれたての子犬にまとわりつかれ、困惑する成犬の図が脳裏に浮かびましたが、それはさておき。
「ペッチャ。君、先ほどの事を何とも思っていないのですか?」
月牙様は、ためらいがちに訊ねました。
「さきほど、って何じゃ?」
「何って、君。折檻されていたでしょう」
きょとんと首を傾げる少年、不安げな月牙様。双方を見比べて、ワタシは肩をすくめました。
「流石にお父上も、この子を本気で殺す気は無かったと思うでございますよ」
月牙様がご命令なされば、そうしたでしょうけども。ワタシの言葉に、月牙様は顔をしかめました。
「そういうものですか?」
「はい。ワタシの養父は、そう言うことを避けてくれましたけどもね」
「……。まぁ、気にしていないのであれば、良いのです」
青年は首を振り、声をパァッと明るく切り替えました。
「ところで。怪物医は、君の叔父だと言っていましたね。どんな方なのですか?」
「叔父、変わっちょるよ」
少年は、軽快な後ろ歩きをしながら続けました。
「うち、サギビ使いは長男が継ぐけ、次男のおっちゃは、怪物医の弟子やっとってん。でも、急に怪物医が死んだけ、山の民んとこさ預けられて、修行しとったんやて。だから、村ん奴らが知らん事、いっぱい知っちょるよ」
「ペッチャ様、山の民というのは?」
「おら達『サギビ氏族』は、川の民なんよ。川沿いにおるけんね。山の民は山におるし、海の民は海におる」
──旧き鬼奴の民に伝わる、氏族の概念。これは、自らが住む場所と、その氏族の祖とされるケモノの名で、出自を表わすものでございました。ペッチャたち、セキショウ集落の人々は川の民で、サギビの氏族なのだと。黒から青へと波打つ羽根の外套を揺らし、少年は笑いました。
「ところで杏の姉ぇは、何の氏族なん?」
「エッ。ワタシでございますか?」
ええと、と言い淀んだワタシを、少年は上から下までじろじろと眺めました。
「姉ぇは、羽根も、毛皮も付けちょらん。氏族の目印が無ぇと、祖が迷子になって、死んだ時に迎えに来てくれんのよ」
「は、はぁ」
と、言われましても。困惑し、どのように返したものかと頬を掻いた時でございました。
「さっきから何じゃ、うるせぇぞ」
干し草製ののれんをかき分けて、一人の男がぬぅっと顔を出しました。
男の衣は、赤茶の木綿織り。石板を削り出したような、大きな首飾りや、何かのあばら骨らしきかんざし等は、この集落の人々ともまた異なった趣の装いでございました。
「叔父!この人らな、おっちゃの客!」
「わしに? 朔弥人が、何の用で……」
月牙様を睨み、時雨ちゃんを怪訝そうに見下ろし。最後に胡乱げな視線をワタシに向けた男は、直後。
「……っ」
大きくその目を見開き、沈黙してしまいました。
「あの、僕たち何か失礼でも」
月牙様が訊ねても、少年が「おっちゃ?」と声を掛けても応えず。ただ、男は無言で唇を震わせ、深呼吸を繰り返しました。
「あんた、どこの氏族じゃ」
「え、エエト。ワタシは流れ者でして。詳細な出自は分からないのです」
「そうけ」
タバコを煙管に詰めようとして、失敗。震える手から、干し草がぱらぱらと床に落ち。それを拾おうとした手からは、煙管が謎の角度に吹っ飛んで行きました。
「大丈夫ですか? 一度、お座りになった方が」
「心配いらん。あんた、朔弥の神職関係者じゃな。どこの所属なんか」
「申し遅れました。僕は玖蓮大社の巫師を務めている、紫玖月牙と……やはり大丈夫ではないですよね⁈ 」
男の身体ににじむ動揺、壊れたからくり人形の如し。残像が見えるほど見事に震える男は、ワタシと月牙様を交互に見て、最後に。
「で、あんたは巫子かい」
「ちがう。月坊の姉。ふたりの保護者」
時雨ちゃんにトドメを刺され、仰向けにどさりと床に倒れ伏しました。
「おっちゃーッ⁈ 」
「大丈夫だ、大丈夫だペッチャ。いま落ち着くけ、理解するけ。まずはお前の相棒貸してくれ」
「え、ええけど」
少年が差し出したケモノを受け取り、嘆息。我々が見守る中、男は大きく息を吸い込むと。
「ハァ……スゥ……ハァア……」
怪物の腹にべったりと顔を付け、その臭いを吸い始めました。
「ポイサラぁ、かわいい雛鳥ちゃん。ヨシヨシ。ヨーシヨシ良い子じゃねぇ良いニオイじゃねぇ……」
「「「…………」」」
猫吸いならぬ、サギビ吸い。いえ、ワタシも白鼻丸のお腹を吸った経験がないと言えば、嘘になりますが。大の男が恍惚の表情で、猫撫で声をあげながらケモノを吸う姿を見守るのは、なんというか。
「なんか僕、いたたまれなくなってきました」
月牙様の言葉に、ワタシも無言の肯定を返しました。しかし、そのやり取りをこっそり見ていたのでしょうか。ぴょいと、時雨ちゃんの外套から飛び出した白鼻丸が、月牙様の顔面に張り付きました。
「やめなさい白鼻丸、何を張り合っているのです! おやめなさい、爪を立てるのはちょ、やめ」
「白鼻丸、ダメでございますよ。めっ」
お尻をぽんと叩き、むすっとした様子の白鼻丸を月牙様の顔面から回収。『己れの方がもふもふだぞ』とでも言いだけに尾を揺らすケモノを見て、男はスッと真顔で立ち上がりました。
「うわぁ、急におちついた」
「時雨ちゃん、失礼でございますよ……」
時雨ちゃんとワタシのやり取りには構わず。男は、白鼻丸をじいっと見つめながら顎をさすりました。
「風生獣か。あんたらの用事は、そいつの育て方についてかい」
◇けもののクソ
牛糞、鶏糞、その他の家畜飼料は土壌改善や肥料として現代も一般的に売られている。それらの糞に少ないリンや窒素等を現代は化成肥料で補うが、昔は魚食性のウ類の糞が重宝されていた。




