怪物使いの村 前編01
怪物使い。現代において、その言葉が持つ特別性は薄れてしまいました。それは文字通り、怪物を飼い慣らし業を為す者の呼称。朔弥皇国において、その行為が許されたのは、純血を保つ鬼奴の民。もしくは、神職の中でもごく一部の人々のみでございました。
怪物は、多くの朔弥人にとっては死と穢れを纏う存在。そして鬼奴の民にとっては、彼らの信仰の側に在るもの。怪物使いは、神秘と共にある神聖な存在でございました。
ゆえに、怪物使い達の従属、市民への娯楽化は。朔弥皇国の権威を民達に示すと共に、鬼奴の民の区別と保護にも一役買っていた。
……そのように歴史家達は定義するようですが、実際の政策として、どのような意図で怪物使いが定義されていたのかは、ワタシの存じ上げぬ所でございます。
さてさて、話を戻しましてハスノハの街。その郊外での出来事を語るといたしましょう。
「──だから、今は持ってないんよ! 必ず返すけ、許しちゃくんねぇか」
学院への定期報告があるとかで、拠点に残ったイリス様を除く三人で、食材調達に訪れた朝市。ぎゃあぎゃあと騒ぐ声に興味を引かれ、人混みを覗き込んだのが始まりでございました。
「何の騒ぎです」
訊ねた月牙様に対して、露店の店主は顔を顰めました。
「あぁ、セキショウ集落の奴がちょっとな……関わらん方がいいよ」
「セキショウ……」
セキショウ集落。イリス様が、怪物医がいると仰っていたところ。ワタシが見上げた時には既に、月牙様は人ごみを掻き分け、騒ぎの中心に向かっておられました。
「月牙様、お待ちくださ……うっ」
人垣を越えた直後。ツンと鼻を刺激したのは独特の臭気。魚市場のゴミ捨て場、その据えたにおいに糞尿の臭いを加えたような……しかし、完全に不快とも言い切れない微妙なにおいでございました。
「……」
月牙様も、さすがに臭いが気になったのでしょう。鼻にしわを寄せておられましたが、直後。
「うわっ!」
叫んだ直後、ベシャリと。長い尾を持つ鳥の様な、しかし翼の先に爪の並んだケモノが、月牙様の顔面に張り付いておりました。
「ちょ、こら……離れなさい! あと腕をつつくのはおやめなさい!」
月牙様なら即座に叩き落とす事もできたはずですが、腕をつつかれながらも穏便に剥がそうとして苦戦しておられました。そのケモノが、毛艶良く育てられており。かつ、土製の首輪をしていた為でしょう。
「すっ、すまねえ!」
慌てて歩み寄ってきたのは、これまた強烈な臭いを纏った少年でございました。
年は八つか九つといったところでしょうか。そのいで立ちは、まるで劇場の登場人物のよう。胸を最低限だけ覆う衣は、布ではなく、魚の皮を編んだもの。赤い褌の上から腰ミノをまとい、背には黒光りする羽毛がずらりと並んだ、鳥の皮を纏っておりました。
「ポイサラ、さっさと離れねえか、こら!」
ワタシと同じ土色の髪、しかし顔にまで縄文のような入れ墨がびっしりと刻まれた少年は、大慌てで月牙様からケモノを引きはがしました。
「……君、この惨状は何事です?」
げんなりとした表情で、月牙様は訊ねました。少年の周囲は、屋台が倒れ魚や野菜が飛び散り、ついでに臭いもとんでもない。たいそう悲惨な有様でございました。
「あっ、いや、これは」
「落ち着いて。まずは状況を教えて下さい」
明らかに身分の高い人物の登場に、慌てた様子の少年でしたが。月牙様が、鬼奴娘の同行者だと気付いたのでしょう。不思議そうに我々を見回した後、恐る恐ると言った様子で口を開きました。
「ポイサラが……このサギビの事なんじゃけど、おらん『結び』が弱かったけ、逃げちまって」
ポイサラと呼ばれたケモノは、不満げにギャアと鳴きました。『結び』というのは、その翼に絡めた縄の事でしょう。怪物の翼を何とか抑えながら、少年は続けます。
「慌てておっかけたんだけども、市場の魚さぺろりと食っちまって。吐き出させようとしたんだけども、暴れるもんだから、あっちこっちぶつけちまって」
「魚だけならともかく、屋台まで台無しにしやがって。弁償できるんだろうな⁈」
「た、倒れただけじゃろう、魚は釣って返すから」
「あのなあ、商品には野菜もあるんだ。この臭いの食材を売れるわけがないだろ!糞も散々まき散らしやがって、これじゃ商売あがったりだ!」
怒り心頭の店主の指摘はごもっとも。少年はすっかり縮こまってしまって、なんとまあ哀れな様子だと思ったものですが。
「いや、だから!こんど帰すけ今は許してや!じゃあっ!」
──なんと、全力疾走で逃げ出してしまいました。
「逃げるなーっ!」
大人たちの怒りの声を背に、軽やかに遠ざかる少年にワタシは唖然。月牙様はため息をついた後、すっと手を伸ばしました。
「分身神」
その言葉と共に、藤色の光を纏った分身神が飛び出します。残光だけを残して空を駆けた分身神は、あっという間に少年に追いつき。
「ぬあっ⁈」
少年の足元に風を起こし、見事にすっ転ばせました。
「このクソガキ!」
その隙を逃す皆さまではございません。ワッと集まる市場の衆。サギビを抱えて、顔を青ざめさせる少年。これは不可抗力のタコ殴り、とワタシは目を逸らしかけたのですが。
「お怒りはごもっともですが。ここは僕が持つので、どうかその子を許してやって貰えませんか」
月牙様が一人の男性──少年を囲んだ人々ではなく、一歩下がった位置にいた、長と思しき方に話しかけた事によって、周囲はぴたりと動きを止めました。
「かばい立てする義理が、あんたにあるんですかい」
男の鋭い眼光に、月牙様は微笑みを返しました。
「少し、その子に聞きたいことがありまして。証文をお渡ししますから、請求を玖蓮大社の紫玖宛に回していただければ」
怪訝そうに証文と鑑識札を受け取った男は、ぎょっと目を見開き。
「紫玖 月牙ってえと。あんた、噂になってた大社守当主、頼池様の隠し子かい⁈ 」
その発言に周囲が、ワタシも含めてぎょっと月牙様を振り返ります。
「ちがっ……いや、違わないですけども。なぜ噂になっているのです。目立つ真似をした記憶はありませんが」
「そりゃあ、社務院の娘っ子たちが噂してたからなあ。たいそう整った顔の男巫師が、玖蓮大社に出入りしてたって。頼池様の血縁だって聞いて、玉の輿狙いの娘っ子が虎視眈々と……おっと、本人にする話じゃあないな」
頼池様なら、気前よく払って下さるだろう。少し機嫌を直した男が仕切り、その場を収めるのを見届けて。ワタシは、月牙様を見上げました。
「月牙様。月牙様は、玖蓮大社のご令息、という事でございますか? 朔弥皇国、四方の守護を司る四大社、その一角の」
「あーーーー、うん……。ハイ、ソウデスヨ」
「なぜ悩んだ末の棒読みなのでございますか!」
ワタシが詰め寄ると、青年は口元をきゅっと絞り、両手をあげながら目を逸らしました。
この動作の意味を、ワタシは旅の中で学習しておりました。これは衣装をうっかり汚したとか破いたとか、後ろめたい事があった時。ワタシに怒られずにかいくぐれないか、と考えている時の振る舞いでございました。
「棒読みなんかじゃないですって。ほんとですよ、ほんと。誠心誠意の返答です」
「左様でございますか。では、ワタシの目を見てから、同じ事を言ってくださいまし?」
「僕いまちょっといそがしいので……ほら、そこの君。どさくさに紛れて逃げないで下さい」
詰め寄るワタシを適当にあしらい。月牙様は、少年の首根っこを掴みました。
「な、なんだよう。おら、金は無いって言ってるじゃないかよお」
「お金が目的ではありませんよ。君の集落に、怪物医がいると聞いたのです。その方にお会いしたいのですが、知り合いではありませんか」
はじめは、逃げる隙を伺っていた様子の少年でしたが。怪物医という言葉を聞くと、ぱあっと歯を見せて笑いました。
「怪物医なら、おらんとこの叔父じゃ!ええよ、案内したる」
♢臭害
水鳥が引き起こす主力被害のひとつ。魚の腐臭と獣の体臭が数百羽規模で蓄積していくため、風に乗ってだいぶかぐわしいにおいが周囲にまき散らされてしまう。この臭いで気分が悪くなる人が大半なわけだが、長年臭いをかぎ続ける事によって、ちょっとえっちな興奮を覚えるようになる男子がいるとかいないとか。




