異国の機巧 07
──月牙様、時雨ちゃん、イリス様。無学なワタシに対して、先達が快く指導をして下さった先人達ですが、その内容、指導方法は様々でございました。
月牙様は初め、あまり要約や指導の得意な方ではありませんでした。情報量の多すぎる座学で茹だったワタシに困惑、体術鍛錬でも吹っ飛ばし過ぎて大慌て。
しかし、常にワタシの理解度を測りながらやり方や説明方法を試行錯誤して下さったので、最終的には周囲が羨むほどの知識と技術を身に付けさせていただきました。
時雨ちゃんは、薬草や教養などの知識面を除けば、完全に感覚派と言いますか。どかーん、ふわーっ、ゆるゆる。ぬるっ。謎の語彙と共に、術式の操作方法を教えて下さったのですが、半分も理解できていたかどうか。理論派の月牙様が、術式の指導で急に語彙力が乏しくなる場合があったのは、時雨ちゃんの影響があったのかもしれません。
そして、イリス様。異国人でありながら、朔弥語での意思疎通も全く問題なく。理論と実践の均衡、指導力も非常に優れておいででした。ただ、しかしですね。
「──まぁ、最低限は教えられたかしら。あとは少しずつ筋力を付けるしかないわね」
彼女の指導は、身震いするほど筋肉、体力を要求される筋肉全力鍛錬合宿でございました。
「い、イリス様。すこし水を飲んでも……!」
「もちろん。そろそろ時間だから、筋力補助剤も飲んでね。術師の基本は完全健康な身体。つまり筋肉は正義よ」
「はぁ」
実際問題。竜沁術式の発現規模は、ふたつの要素に影響を受けるものでございます。
ひとつは「竜沁量」。術師の体力から算出される、術式の引き金として使える「弾数」とも言えるもの。
もうひとつは「竜沁干渉力」。世界の構築式、その最小単位である「竜沁」に干渉する能力が高い者ほど、効率良く、かつ燃費良く術式を発動できるのです。
竜沁干渉力は、生来の才能です。道具で補う事はできても、後から伸ばすという事はできません。ゆえに、体力を伸ばすのは術師の基本。
『食事量が少ない者は、術式低血糖を起こしやすいので危険です。もっと食べなさい。小枝に教える術などありません』というのが、月牙様がワタシの食事量を増やす時の論でございました。しかし、ですね。
「体力が資本である、というのはワタシも重々承知なのですが……その上でひとつ、疑問がございまして」
「何かしら」
「今回いただくこの武器……弓銃ですが、ワタシ自身の竜沁は、ほとんど使っていないでございますよね?」
──そう。ワタシがいただいた機巧は、あくまで「武器としての性能を、術式で補佐した道具」。その発動に使う蓄沁器も、事前に竜沁を溜めておく形でしたから。使用者たるワタシの竜沁量は、要求されない絡繰だったのです。
「弾の軌道を制御する為の呼吸法。腕の力や構えなど、武器の把持力を高める鍛錬の意味は分かります。しかし、なぜここまでの竜沁量の増強を視野に入れて下さるのでしょうか」
ワタシの問いに、イリス様はひと呼吸の沈黙を置きました。引き結んだ口元から、白く染まったこめかみまで。大きく裂けたような傷跡が、陽光に照らされ白く光っておいででした。
「……七割前後」
「はい?」
「ケモノに急接近された状態からその武器を使って、ケモノの動きを止められる確率よ」
この条件は、あなたがこの武器に習熟していて、冷静に急所を狙い撃てたなら、という前提になる。
イリス様の補足はつまり、武器の扱いに不慣れなワタシでは、無事に切り抜ける確率が半分以下にもなり得るという事です。無言になったワタシを前に、イリス様は淡々と言葉を続けました。
「さらに言えば、一度急接近された状態からケモノを仕留めたとして。あなたが怪我をする確率は、弓銃の使用有無では、恐らく変わらない。弓銃は、遠距離から安全にケモノを仕留めるには非常に優れた道具よ。でも、一度近付かれてからやれる事には、限度があるの。有効打を出せる事に、変わりはないけどね」
「なるほど。ですからイリス様は、少しでもワタシの反射速度を上げて、緊急時にも対応できるようにと」
「まぁ、それもあるんだけど……」
言いながら、イリス様はワタシに対して一枚の紙を差し出しました。中身は帝国語でしたから、当時のワタシでは詳細を読めませんでした。瞬きしたワタシに、イリス様は言いました。
「首に下げてる祭鈴──術式媒介だけど。月牙さんにこの指示書を渡して、内部の抑制術式を調整して貰いなさい。弓銃とは別に、至近距離で対獣防御を行う術式については、祭鈴で別個に発動できるようにしておきましょう。扱う術式は、私が今から教えるわ」
──ここまでの話を要約いたしますね。弓銃は、『遠距離から、安全に』素人がケモノに対抗する為の有効打である。
しかし至近距離での防戦では、こちらの損傷を避ける効果は発揮しにくい上に、ケモノを止められる確率も七割を下回る恐れがある。
ゆえに弓銃だけには頼らず、純然たる竜沁術式も予防として習得すべし。これがイリス様の意見、ワタシの育成方針だったのでございます。
「──なるほど、承知でございます。しかしイリス様。最後にもう一点、質問よろしいでしょうか」
「もちろん」
「祭鈴ですが、夜の全員揃っている時に、月牙様に調整いただけば良いのでは? わざわざ、指示書をワタシ経由で渡さなくても……」
イリス様は無駄を嫌いそうなお方なのに、なぜ急に回りくどい手段を取ろうとしたのか。首を傾げたワタシに、学者様は。
「コレをあなたに教えるのを見たら、理解はしても不機嫌になると思うのよね、彼」
ハンッと鼻を鳴らし、唇を吊り上げました。その表情は、戦意の表出に慣れた武人のもの。グウッと握った拳に筋を浮かべ、学者様は意地の悪い笑みを浮かべます。
「私ね、この術式で月牙に不意打ち食らわせて、地面舐めさせた事あるのよ。あなたなら、もっと上手く使いこなせる気がするわ。超おすすめ」
──と。鍛錬の意図や、日頃の月牙様が、やたらイリス様に突っかかる理由が理解できたところで、閑話休題。
ワタシは武装機巧や身を守る術の体得のため、帝国の学者様からみっちりずっしり、指導を受ける機会を得て。
月牙様も新しい道具の扱いに四苦八苦、ハスノハの食材には喜色満面。イリス様との晩酌飲み比べで一本取り誇らしげになるも、ワタシ経由で渡された指示書に渋面になるなど、表情の切り替えが忙しない期間でございました。
時雨ちゃんは、黄色と白のたくあんを交互に食べる事にはまり、常にポリポリ音を伴奏に響かせ。常に家の中を走り回ることを許された白鼻丸は、窓際の日向を気に入り、へそ丸出しで昼寝にいそしむ。
あぁ。穏やかで、緩やかで。旅に伴う様々な危険もない、湖畔の小さな家でのひと時。今は遠き旅の中でも、最も幸せな記憶のひとつでございますよ。
さてさて。事態が動いたのは、武装の扱いに慣れ、ハスノハの街の食材や温泉もひと通り網羅しただろう、といった頃合いの事でございました。
露店が並び。野菜や果物をたんと乗せた小舟が行き交う、華やかな市場の主要通りにて。
うす汚れ、ツンと鼻をつく臭いを身に纏った鬼奴の少年と、邂逅したのでございます。
◇銃器による近接防御の負傷率
対クマにおいて、至近距離での防戦になった場合。銃で身を守り、動物を最終的に捕殺する事はできても、負傷率そのものは銃の有無では変わらなかったというデータがある。
このデータを踏まえ、銃よりも無傷で切り抜ける可能性が高い非致死性の大型獣撃退スプレーの併用が一般的に推奨されている。これも劇物なので、未成年は使用禁止。
Efficacy of firearms for bear deterrence in Alaska
(Tom S. Smith et al, 2012)




