風を鳴らすモノ 後編02
「しかし、怪物が罠にかかるのですか? 人が建物内にいる状況で、屋外に掛けるのですよね。仮に、罠を掛けた状態でワタシがまじない歌を歌ったら、歌の方に惹かれてこれまで通りの自体が起きる……なんて事があり得るのではありませんか」
怪物は正気を失い、人に害を為すもの。餌の少ない山野ならともかく、人間を好き勝手襲える状況で罠に惹かれるとも思えない。ワタシの疑問を、少しの怯えを、青年は穏やかに否定しました。
「まず、君のまじない歌は彼らにとって魅力的なモノではありますが、腹は膨れない。罠により魅力的な餌を用いれば、そちらに惹かれます」
「餌というのは、まさか血肉とか、そういう」
「ケモノによりますが、残飯とか米ぬかとか、そういうものが基本ですよ。ケモノが無差別に人を襲うのは、体内の竜沁が枯渇し正気を……生物としての生存本能を失った時だけ。世で語られる怪物の姿は、例外的な状況なのです。まぁ、人の血を好む種は多いですけど」
人目を避ける。不要な争いを避けたがる。未知の人間よりは、普段から馴染みのある餌を好む。基本的な生態は家畜と変わらないのだと、月牙様は仰いました。
「怪物だから普通の技が効かない、という事はありません。無論、ケモノは強い竜沁を持つモノたちですから、その点への対策は必要ですが……君を常に脅かす、無敵の脅威と見る必要はないのです。恐怖に惑わされず、実態を正しく測る目を持ちなさい」
きっと、ワタシを安心させようとしたのでしょう。青年の表情は、木漏れ日を受ける花のように穏やかでした。しかし、その微笑が見えたのは一瞬。青年は、長く伸ばした前髪に表情を隠してしまいました。
「話を戻しましょうか。歌物語と同じケモノ相手でも、僕たちは神話の英雄や、冒険者を目指す訳ではありません。確実に、かつ安全に。それを実行する為の最善の手段が罠です」
しかし、今回は予定がずれたので使わなかった。成獣さえ討伐すれば、後の幼獣はさほど脅威では無いので、幼獣の為に罠を作る必要はない。淡々と述べ、青年は目を伏せました。
「現在炊いている怪祓香ですが、カマイタチには耐え難い苦痛なはずです。僕たちが見ている煙出しの窓、時雨が見ている反対側の窓以外は出入り口を封鎖した状態ですから、飛び出して来た個体を、成獣と同じ要領で拘束・討伐します」
青年が指差した先には、開け放たれた窓が一つ。窓には頑丈そうな、雷型の術符を添えた網が張られており、飛び出したケモノがそのまま飛び入るような構造になっておりました。
「一定数の幼獣が網に移動したら、その時点で拘束術をかけます。怪祓香を十分に吸っていれば自然と弱りますが、狭い屋根裏で一頭ずつ探すのは手間ですからね」
青年が淡々と語る間に、小さな茶色のかたまりが窓から飛び出し、そのまま袋の中に落ちるのが見えました。
一頭、また一頭。ワタシに汚名を着せていた怪物の子供達です。人々に恐怖を植え付けていた未知の権化です。しかし、痙攣しながら次々と網に転がる小動物は、見ていて気分の良いモノではありませんでした。
しかし。青年の思いのままに怪物が誘導され、討伐されて行く様子は。その技術は。
歌を奪われ仕事を追われ、ただ部屋の隅で自責を繰り返すばかりだったワタシの目には、星のように輝いて見えたのです。
「今網にかかっている幼獣の処理を終えたら、時雨が見ている方の網も様子を見にいきましょう」
「あの」
ですから、青年を呼び止めて、問いました。
「あなたは、どこで怪物を御す術を学んだのでございますか? 失礼ながら、ワタシのような者が巫師様にお会いする機会は少ないものですから」
ワタシの問いに、青年はしばし沈黙しました。風が吹き抜け、汚泥に塗れた手拭いが地面に落ちます。
「巫師は信仰の伝導者。清廉たる水源の恩恵を、人々に届ける職能です」
青年が手拭いを桶に落とせば、水は濁り、茶色のあぶくが弾けました。
「僕のように泥まみれで転げ回り、穢れを見せて人々の不安を煽る存在が、巫師として未熟者である事は間違いありませんね」
青年は回答をはぐらかし、身を翻しました。巫師としてではない、軽業師のような動きで屋根に登り──
「あ、しまっ、顔布忘れました! すみません杏華、持って上がって来て下さい!」
自身が炊いた煙を再び吸い込んで、派手にむせ始めました。
「確かに、巫師様らしさは皆無でございますねぇ……」
顔布を二枚濡らし、一枚を己の顔に巻き付けてから、梯子に手を掛けます。屋根から見下ろせば、遠巻きにこちらの様子を伺う知り合いたちの姿が確認できました。
皆の表情に浮かぶのは怪物への忌避、積み重なる死体への嫌悪、そして恐らく、巫師の属性を有した青年への好奇心でございます。
(このお方、何者なのでございましょう)
ワタシもまた、恐らく周囲と同じ疑問を浮かべながら幼獣どもの駆除に助力し、煙で痛む目を瞬かせながら屋根から降りました。
事が起きたのは、我々が一息ついたその時でございました。
♢ねこちゃん
人類を奴隷にするおそるべき愛玩動物。中型獣用の罠をかける時に気を使う存在であると同時に、離島などの特定状況下では『外来種ノネコ』として捕獲を進められる存在でもある。狩猟本能に任せて在来種を殺戮してしまうので、『ノネコ』として外に暮らす限り、保護すべき野生生物にはなり得ない。猫はしまおう。